AN EYE FOR A DIFFERENCES



 赤毛の尊大な少年は、彼を「キツネ男」と罵る。
 初めてその罵声のやりとりを聞いたとき、三井寿はなるほどと感心してしまった。“化かし”の技術と、つっけんどんな態度と、整った顔のつり気味の両眼はまさしくそれだ。
 自分の「ミッチー」呼ばわりには閉口させられるが、彼の観察眼は人並み以上だ。どこで培った特技かは知らないが面白いやつもいたものだと、まだ湘北バスケ部を思い切り客観視していた男は、練習試合の審判を努めながらぼんやりとそう思った。軽く唇に銜えたホイッスルをヒマそうに上下に弄ぶ。

 放課後の体育館には小気味よくバッシュの鳴る音が間断なく響く。三井にとって懐かしい空気。そう長くいたわけでもないのに間違いなく感じる。帰ってきて受容されたのだと思うと、もうこの先自分の人生にはさほどの幸福も残されていないような気がした。三井は更正してからは悲観的なタイプではないが、人の運の値には限界があると考えている男だった。
 ―――きっと俺のバスケ人生は、車にひかれそーになっているガキか子猫を間一髪で助けて、膝の怪我がそれで再発とかしたりして、あっけなく幕を下ろすんだ。ああ、可哀相な三井寿!

 …いささかドラマを作りすぎである。バスケ部に復帰してまだ一ヶ月弱しか経っていないというのに、三井には最近思考すべき課題が多かった。もちろん誰に強制されたわけでもないが。

「ピーッ、サイド、赤。白スローイン」

 多少トランスしつつも審判業務もちゃんとこなしているあたり、只者ではない元ヤンである。ラインを割って転がったボールを拾い上げ、三井は白組の桑田にひょいと投げた。桑田は慌てて頭を下げつつ受け取ると、コート上の同チームのメンバーに視線を走らせ、アピールする流川にそれを放った。
 桑田の宮城以上に低い身長が何センチかを気にしつつ、三井はボールを持った流川にオリーブ色がかった瞳を集中させる。
 彼の視界の流川は、手のひらに吸い付くようなドリブルを長い足の間に通し、安田のディフェンスをかわすと悠々とした仕草でリングにボールを放った。三井はその一拍前に足の動きを数える。1,2…トラベリングではない。ピッと軽く笛を鳴らすと攻守の交代を告げる合図を彼らに送った。
 ふと、三井は視線を感じる。視るのは自分の役割なのに。
 感じた首筋を片手で抑えて。三井は気配の方向に首を巡らせた。今さっき、10点目のレイアップを決めた流川だ。三井と視線が合うとすぐにその切れ長を逸らしてしまったが、やはり正面から見ると気に食わないほどの美少年だと三井は鼻を鳴らした。
 今彼は、安田のスローインを受け取った宮城のガードについて鬱陶しがられている。
 5月下旬といえど熱気に満ちた館内は蒸し暑い。汗止めに巻いたタオルの隙間から流れる汗は、審判をやっていても“あてられて”止めようが無いものだ。早くもゴール下の争いとなっている2組の元に駆けつけて、流川と宮城の奪いつ奪われつの接戦がなかなか動かないことを確認すると、三井は凛とした目元辺りに滴る汗の筋をぐいとぬぐった。

 運の悪いことにそれと同時だった。だたん、と体育館の床が激しい音と振動をたてたのは。

「うあ、いった!」
「大丈夫か!?宮城!」
「リョータ!」
「流川くん!」
「―――っつ」
「リョーちん!怪我ねぇか!?」
「…桜木君は流川君の心配しなよ…同チームなんだから」

 一瞬後に目を開けた情景は、三井の仕草の前と180度違っていた。刹那で変化した状況に対応しきれず、思わず三井は目を瞬かせながら口元を引きつらせる。 

「あっ、あれ?」
 
「ミッチー!今のは流川のファールだよな?!あのキツネめかなり強引に…」
「だから!桜木君は流川君と一緒のチームでしょ!」

 その三井に最初に詰め寄ったのは、一年生チームの主力桜木花道だった。嫌がる三井に変なあだ名を付けて憚らない。三井はミシェイルではない。その彼が何故か味方なはずの男にクレームをつけている。石井がそれに呆れている。
 が、今はそんな些細なことにこだわっている場合ではなかった。三井はすばやく判断を下そうとする。なにせ自分は審判なのだ。その責任がある。しかし自分は宮城が床の上にノビて、流川が膝を押さえていて、皆がそれを心配そうに囲む事態の寸前を見ていないのだ。見ていないものに審判を下せるものか。まごまご混乱しつつ、三井は息のかかる近さまで顔を近づけてくる桜木を嫌そうに押し返した。

「あー、えっと…2人とも保健室行ってきたらどうだ?ほら、もうすぐ県予選も始まるし…」

 ことなかれな三井の提案は、こともあろうに接触事故を起こした本人達から否定される。さっきまでの痛がりようは何だと、三井が青筋を立てたくなるほど倒れていた2人はがばっと飛び起きた。

「結構です!でもボールはこっちですよ。最後流川の足に触れてましたからね!」
「違う。先輩。手ぇ叩いて妨害した。ファウルでこっち」

 普段はオフェンスラインの要のため、息の合う宮城と流川でも、このときばかりはお互いの主張を譲れないようだ。剣呑な視線でお互い威嚇しあっている。そんな宮城の膝の甲には青あざが浮き上がり、流川の太ももにも同じような鬱血が見られた。それとは別に2人とも…そして三井と桜木にも顔面テーピングと打ち身痕だらけなのは、三井の起こした襲撃事件の名残だった。満身創痍のレギュラー陣に主将である赤木はやれやれと肩を竦め、三井を振り返る。

「で、どうなんだ?三井。審判ならすぐ判断を下せ」

 不可抗力だ!と叫びたいのを我慢して、三井は宮城と流川の顔を交互に眺める。なるべく内心の動揺は見透かされないように。「見ていなかった」と一言告げればいいような気もしたが、あまりに彼らの表情が真剣で言い出せなかった。純粋な闘争心に灼かれそうだ。

「…2,3年ボールで。サイドスローインから始めろ」

 ニセの決断を下して。冷静な声でゲームの再開を促した。その後、三井はやっぱり怜悧な視線を感じる。今度はより鋭く。抵抗するように“彼”を見返すと、今度は流川はその双眸を逸らさなかった。彼から―――やがて軽いため息と共に結局はそっぽを向かれるのだが。
 そのことに三井の痩身を駆け巡るのは、やはり後悔と自己嫌悪だった。やつには帰り際本当のことを告げて謝ろうと決意しつつ、ゲームの再開を優先した三井は、沸く宮城たちに早く始めろと警笛を鳴らした。



 すっかり暗くなった通学路を、流川は使い古したMTBで颯爽と駆け抜ける。その耳には洋楽を垂れ流すイヤホンが備わり、それに聞き入っていたためかブレーキの判断が少々曖昧になっていた。
 進行方向にすらりと佇む、見慣れた人影の寸前でけたたましい音と共に静止する。

「っぶねー!轢き殺す気かよ!?」

 褒められる瞬発力で飛び退りながら、その人影―――三井は慌てたようにまくし立てた。流川はそれに反射的に謝りつつ、訝しげな表情でその先輩を見返した。
 白いカッターシャツにデイパックを背負った、顔だけ救急手当てだらけのごく普通の高校生。今のところ、流川にはそれだけしか思うところが無い。しかし―――

「話がしたくて待ってたんだ。つきあえよ」

 そう言って俄かに笑う。三井が自分に向けて笑った顔を見せたのは初めてだったので、流川は多少
毒気を抜かれたように目を見開いた。仕方なく自転車を降りて彼の横に並ぶ。在籍時間が短くても彼は先輩で、体育会系の流川はそれに従うしかない。ほぼ隣に並んでみて三井の方がほんの少しだけ身長が低いのだと、またどうでもいいことを知る。
 並んでそれぞれの家を目指しながら、当事者の三井がまず口を開いた。

「今日の練習試合のことだけどよ…」
「うす」

 適当に相槌を打つ。話の先が見えなかったし、どうせ流川には身に残る以外の記憶はすっぱり抜け落ちていたので。されど三井が言いづらそうに紡いでいく言葉の数々に思い出す情景はあった。

「あん時だけ本当に見てなかったんだよ。だから先輩の宮城をたてとこうと思ってやっちまった…」
「うす」
「…えーと、ちゃんと聞いてんのか?」
「うす」

 流川の無表情と起伏の無い返事にか、三井は肩を落としてため息を吐くと、これで締めというように、

「…悪かった。二度としねぇよ」

 と流川にひょこりと頭を下げた。身長のわりに小ぶりな頭と、茶味がかった短髪のつむじをじっと見て、流川から言葉を切り出した。

「先輩。頭を上げて、俺を見て」
「あ?」

 短い、単語のような言葉の羅列に、三井は疑問符と共に流川を仰ぐ。真摯にぶつけられる視線に思わずうろたえ逃げ出したい衝動に襲われたが、負い目がある分三井は耐えることを観念した。流川からその行為に対する回答が与えられるまで。
 しかしそれはなかなか告げだされず、やがて歩くことすら2人はやめてしまう。徐々に大きな両眼を困惑に歪めつつ、どういう趣向なんだ。月のしたのキツネ男め。と三井は心中で流川を罵った。

 どうせ目は逸らせない。流川は、逸らそうとも思わないに違いない。
 それでこその、鉄仮面だ。

 が、その鉄仮面はじっとこちらを一際強く凝視し―――いきなりばちんと片目をおもむろに閉じた。いわゆるウインク―――の類だろう。三井はばっちり至近距離でそれを見てしまった。

「ひっ…」

 その仕草の不気味さと、対を成すほど可愛らしい悲鳴を上げて、三井はどこぞの民家のコンクリート塀に背をつくまで後退する。流川はその三井の挙動にも特に表情を変えず、一言だけぼそりと呟いた。

「仕返し」

「ば、バカヤロウ!心臓止まるぞマジで!」

 先ほどの殊勝さなど欠片も残さず、三井は赤面しつつ流川に詰め寄った。まるであの練習試合の時の桜木を再現しているようだ。流川は面倒くさそうに三井を無言であしらいつつ、再び歩き出してやはり低い声で言う。

「俺で、止まってしまえばよかったのに」
「はぁ?」
「あんた、ときどき見つめ殺したい気分にさせられるから」

 それがどういう殺し方なのか…三井は知らない。流川の言っていることの意味も知らない。が、勝手に顔面に熱が上がってきて彼はうろたえた。これは怒りだよな。怒り以外の何でもないな。よし。

「だっから、てめぇ!選手なのに審判の俺なんか見てやがったんだな!」
「痛い。何する」

 流川の形良い後頭部を三井がはたくと、珍しく人間らしい反応が返ってきて、それが三井には結構面白かった。

「俺を殺すなんて100年早ぇ。先輩への口の利き方から練習するんだな」
「あんた先輩ぽくない…」
「うっさい。黙れ」

 口を開けば余計なことしか言わない。静と動の差はあれど桜木花道と似ている。直情的なぶん三井にとっては桜木の方があしらいやすく、何考えているかわからない分、興味を流川は誘った。

「…あんたなんて嫌いなんだ」

 MTBを街灯の下、押しながら流川は忌々しげに言う。

「でも、あんたのバスケはまだ見足りない」

 続けて、三井をその眼窩に正面から映しとり、流川は先輩の右手を自然な動作で取った。
 肌同士のおもむろな接触に、三井は困惑しつつもそれを拒否せず、かえって気丈な視線で流川を真っ向から睨みつける。何故かそれに満足しつつ、流川は広い背中を折り曲げて、薄い唇を三井の手の甲に持っていった。

「―――っ、」

 思わず引かれる手を逃さず、流川は三井の懸念どおりにその唇を白い手の甲に口付けた。冷たい皮膚の感触に、三井の背がぞわりとあわ立つ。がっしりと捕まえられて動かせない手首が痙攣し、流川が唇を押し当てたそこに、まるで祝福するように額まで押し付けたので。
 三井は今度こそ声にならない悲鳴を上げて、右手を引き抜くと、流川に背を向けて逃げ出した。そのまま何十メートルも走って、流川の気配がなくなるまで走って、人家の白い壁にもたれて止めていた息を解放する。彼と違って、無機質な冷たさが、落ち着く。
 
「わ、わけわかんねぇ…」

 戦慄して呟いて、いつくしむ様に刻印を残された手で頭を抱える。ずるずるとアスファルトに座り込む。何故か異様に頬の辺りが熱を持っている。今度のこの熱さはなんだ?どういう意味なんだ。恥ずかしい、でファイナルアンサーか?よし。

「この俺に向かってなんてことをしやがるんだ…」

 三井はここぞとばかりに悪態をついて、力強く立ち上がった。2度もあのキツネに化かされた。今頃程よい月光の下で、誰にも見せない高笑いをかましてやがるに違いない。金色の九尾の尻尾でも生やして。人間様を謀ったことに一言文句を言ってやらねば。

 まだ先ほどの場所に流川が所在無さげにいるような気がして、ひとつ呆れたように息を吐くと、三井は月が一番綺麗に見えるあの方向に向かって走り出した。




みどりーぬ様に頂いたイメージで書かせて頂きました。ありがとうございました。