高  取  町  の  歴  史
区分 項   目 要             約 関連歴史遺跡
中世 プロローグ

武士の登場  
  平安時代中期、律令制度の限界が徐々に近づき、摂関家藤原氏による専横政治が、都を荒廃させ、各地で盗賊が出没し、瀬戸内海では海賊が暴れ回るようになり、地方の有力者たちは軍備増強に努め、貴族社会の終焉がすぐそこに迫っていました。
  そんな時代の風に乗り、兵と呼ばれる武士の祖があらわれ、兵の棟梁は徐々に勢力を拡大していき、次代の主役である源氏と平氏が表舞台に登場してきました。そして源平の合戦で勝利した源氏の棟梁である源頼朝が、鎌倉に初の本格的武家政権を誕生させました。


その1

越智氏の興隆
  平安時代に大和国の国府があった高取町に、源頼親が大和守に任ぜられ赴任して高市郡の開拓を進め、一族が定着していき、大和源氏と称されるようになりました。
  大和の中世史は、高取町を本拠地とする大和源氏の庶流である「越智氏」と、大和郡山市を本拠地とする「筒井氏」の、覇権争奪戦の歴史でありました。越智氏の興隆は、高取町の興隆でもあり大いに栄えました。
・越智城址(貝吹山城跡)

・光雲寺(越智氏の菩提寺)
その2

能楽「越智観世」と謡曲「田村」
  中世を代表する文化が、大和源氏越智氏の庇護の下に、高取町で育まれました。能楽で有名な世阿弥は室町幕府三代将軍足利義満亡き後、不遇の一途をたどり佐渡に流された後、一時大和の越智氏に身を寄せており、世阿弥の嫡孫観世十郎が、高取町で能楽「越智観世」を興しました。
  また、室町時代文学の一方を代表する謡曲が、高取町で盛んに謡われていました。その中でも「田村」は世阿弥の作で、京都の清水寺の縁起を主として作能したもので、高取町出身の「征夷大将軍坂上田村麻呂」が鈴鹿山の兇賊を退治したという伝説をまとめたものです。
・能楽「越智観世」

・謡曲「田村」