神農薬祖神(しんのうやくそしん)
  神農さんは簡単にいえばくすりの神さんです。中国の伝説上の人物ですが、高取町をはじめ日本各地で祀られています。この神農の姿は、頭は角の生えた牛、身体は人間、葉の衣をまとい、草をかんで薬になる植物と毒になる植物を分類して「神農本草経しんのうほんぞうきょう、中国最古の漢方書)」という書物を作られたという伝説があります。もっとも実際は、神農が本を書いたのではなく、長い歴史の中で言い伝えられれきた薬草の知識を、後世の人が集大成したもので、これが今の漢方薬の知識の始まりになっています。
 高取町と薬の関わりは、古代に渡来人東漢氏が薬草を伝えたことに始まります。それを大和朝廷に献上し、飛鳥時代初期推古天皇の時に宮廷行事として、高取町の羽内(ほうち)周辺で雅やかに薬猟が行われていました。江戸時代には大和の薬売の行商(売薬)が伊勢街道沿いに行われていました。明治になり衰退する元城下町の復興と窮乏する武家の救済策として売薬に命運を懸け、「薬の高取町」として甦りました。
 明治40年から薬祖の神さんを祀っています。この場合の薬祖神は、日本の医薬の神である「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。そのうちに薬業界に「神農さん文化」が広まり親しまれたことから二つの神「神農薬祖神」を祀ることになりました。始めはどこに祀られていたかはっきりと伝えるものは残っていませんが、昭和40年頃に下土佐恵比寿神社に間借りして社が建立され祀られています。今も毎年12月22日冬至の日に「神農薬祖神祭」が行われています。