どうして、ああなのだろう。
女には気色が悪いほど甘えて、お節介なほど優しい癖に、自分にはその100分の一の
思い遣りもない。

喧嘩をする度に、ゾロはそう思う。
今回は、賞金稼ぎの集団を相手にしている時だった。

「余計な事するんじゃねえよ!」と喧嘩を吹っかけて来たのはサンジだ。
ゾロはただ、サンジに照準を合わせていた相手を当のサンジより先に見つけて、
それを斬っただけの事だった。陸に上陸する前の数日、中々折り合いがつかず、少し、
ゾロはサンジに飢えていて、昨夜、それを充分に満たしたのだが、その所為で、
サンジの動きが鈍く見えたのだ。
大事に想う相手が傷付くのを誰だって黙って見過ごせない。回避出来るなら回避したいと
思うのが当然だ。だが、それをサンジは「余計な事をするんじゃねえ!」と怒った。

「ああ?」全てカタをつけてから、サンジはゾロに感情を剥き出しにしてぶつけてきた。
「何が余計だ」てめえがボンヤリしてるからだ、と即座に言い返す。
「俺が斬らなきゃ、お前の背中、穴が空いてたんだぞ!?」だが、サンジは言いたい事を
全部言わなければ気が済まないらしく、すぐに
「気づいてたっつってんだ、守ってくれなんて一度だって頼んでねえだろ!」と喚いた。

サンジも、同じ状況になれば、ゾロと同じ行動を取るに決っている。
それを棚に上げて、傷付けたくない、と想うゾロの気持ちをサンジは
たくさんの酷い言葉で全部、「余計なお世話」と踏み付けた。
仲間以上の関係だからこそ、こんな下らない意地を張って、常に対等であろうとしているのも
判っている積もりだけれど、苦々しい顔つきをされて、言いたい放題言われて、
それに本気になって言い返しているうちに、本気でゾロも腹が立ってくる。

こんな下らない事で本気で自分をイラだたせるのはサンジだけだ。
(こいつはどうして、こうなんだ)ともう口を利くのも億劫になる。
「勝手にしろ!」と怒鳴って別々に足音も荒く歩き出す。

それから別行動になった。もう既にログは貯まっている。
もう少しだけ金を稼げばそれで船を出す、とナミが言っていた。
が、ゾロはもう一人では、賞金首を追い駆けたり、海賊相手に金を巻き上げたりする気にも
なれなくて、ブラブラと当て所なく歩き出す。

「ん?」
大通りから少しだけ路地に入ったところに、古びた店構えの刀剣を扱う店を見つけた。
その大きなガラスの陳列棚の中にゾロは「雪走」と言う銘を打たれた刀が恭しく
飾られているのを見つける。

(へえ)同じ名前、という事は同じ刀工が打った物かも知れない、とゾロはその刀の
設えをもっと近くで見よう、とガラスごしに近寄って見た。
柄も、下げ緒も、鞘も、全く違う。刀身の反りも少し違う様にも見えるし、
どことなく、神々しい気配を感じるのは、きっと、血の一滴も吸っていない所為で、
どうも、装飾品か、調度品として打たれた刀らしかった。
だが、名前の由来が知りたいと思った。下げ緒も柄も鞘も「雪」の名がつく割りに
全くそれらしくはない。微妙な濃淡をつけた緑色で、ところどころに土を現すような
赤茶色が使われて、「雪」を髣髴させる個所はどこにもなかった。
(磨ぎもしてるかもしれねえな)と思い、ゾロはその店に入る。

「いらっしゃい」と店の中から張りのある声がした。
が、姿を見たら相当に歳を取っているらしい、ウンチクを語らせたらやたら饒舌になりそうな
老爺がいた。
「じいさん、この店は磨ぎはやってるか」とゾロは気軽に声をかける。
「ニ、三日預かる事になるがね、それでもいいかね?」
そんな会話からはじまった。

「表の雪走?ああ、あれは飾り物だよ。人を斬る為のモノじゃない」
ゾロがその刀の事を老爺に尋ねると、すぐにその由来を話してくれた。
「この島には、長命の象がいてね。その象の象牙で作った刀だから」
「刀身が象牙?それじゃ、斬れねえだろうなあ」

老爺は快く、ゾロにその刀を手渡し、抜いてみろと勧めてくれたのでゾロは素直に
緑色の鞘を持って、軽いその刀を抜いて見る。
真っ白よりも少し茶色が混ざった、思いの外固く、鋭い刃、振り回して人を斬る事は
出来そうにない。そんな役割でこの世に生まれたのではない、と刀がゾロに
語りかけてくるような気がした。

「お前さん、相当の使い手だね」老いて皮膚が瞼の上に垂れ下がって、殆ど目が見えていなさそうな老爺は穏やかな口振りでゾロにそう言った。
「じいさんにはそう見えるか?」ゾロはからかう様に答える。
「ああ、長い間生きて、この商売をしてるとどの程度の剣士かくらいはわかるよ」
「お前さんは、今に世界にその名前を轟かす剣士になる器だ」
「良かったら、名前を教えてくれないかね、冥土の土産にしたい」

お世辞やおべっかなど一切無縁そうなその老爺にそう言われるとゾロも悪い気がしない。
「ロロノア・ゾロだ」とゾロがすぐに名乗ると、
「そうか。ロロノア・ゾロ・・・。ボケて自分の名前を忘れてもその名前だけは忘れない
様にしなきゃなあ・・・」と老爺はククク・・・と嬉しそうに背を丸めて笑った。
そして、その会話の成り行きで、「この刀を一晩だけ、預かってくれないか」とゾロは
老爺に頼まれる。

大剣豪が一度、腰に挿した刀だと言う謂れがつけば、その刀の値があがる。
どうせ、老い先短い身、息子や孫に残す財産は刀ばかり。
珍品として売るつもりだった刀にそんな謂れがついて、値が上がれば高く売れて
息子や孫の為になる。一つ、この老いぼれの我侭をきいてやってくれないかね。

そう言われて、ゾロは刀を預かったのだ。
(そこまで見込まれりゃ、断れねえな)とゾロはその刀を宿まで持ち帰った。

サンジはゾロと顔を合すのが嫌なのか、謝る気は全くないのか、とにかくその夜は
帰ってこない。腹が立ったが、それでもゾロは何時の間にか、まどろんでいた。
預かってくれ、と言われた刀は枕もとに立て掛けている。

ああ、夢を見ているな、とゾロには判っていた。
目の前で、真っ白な長い髪で、細身の若い女がうずくまって、涙を流しながら
じっとゾロを見ている。

(その刀を返して下さい。私は森にいます)
(森まで来てください。どうか、その刀を私達の森まで届けてください)
女の涙で動揺するゾロではない。例え夢の中でも、ゾロは見知らぬ女に警戒心剥き出しで
ぶっきらぼうに答える。
(預かり物なんだ。俺が勝手にどうこう出来るモンじゃねえ)と言うと、女はゾロの
前にひれ伏す様にして必死に懇願する。
(人の目に晒したくないのです。どうか、お願いです。お礼は必ず)
「森・・・?」ゾロはそこで目が覚めた。
(気色の悪イ夢だったな)まだ、頭の中に全く聞いた覚えもない女の声の記憶がこびり付いていて、ゾロはなんとも落ち着かない。
「そんなバカな事」「有り得ない事」と一笑で済ませられない事実が実際に目の前で
起こり得る場所だと何度も経験しているから、ゾロはその夢を「ただの夢」だとは
思えなかった。

森を目指して歩く。まだ、夜も明け切らない深夜なのか、三日月が冴え冴えと明るく、
どこへ歩けばあの夢の中の女の言う「森」にたどり着くのか知らないが、
とにかく、ゾロは思うがままに足を進める。
何かに誘い込まれたように、気づけばゾロは深い森の中にいた。
月明かりが樹木の間を銀色の木漏れ日のように切れ切れに地面に落ちている。

「持ってきたぜ」とゾロは闇の中に息を潜めている気配に向かってそう言った。
(ありがとう)闇の中からあの女の声がした。が、姿はない。

「だが、夢の中でも言ったが、これは俺のモノじゃねえ」
「悪イが、渡す訳にはいかねえんだ」

(その刀は齢500年生きた私の夫の牙なのです)と闇の中から声が聞こえた。
「あ?夫?」夢で見たのは確かに真っ白な髪の若い女で、象ではない。
象が話しをしたり、人間の姿になったり、人の夢に語りかけたり出来るなどと、
咄嗟にゾロは信じられなかった。
だが、ここはグランドラインだ。「そんなバカな事」「有り得ない事」が目の前で
現実になるなど、日常茶飯事だと判っていた筈で、だからこそ、ここに来た事を
ゾロはすぐに思い出す。
「じゃあ、あんたも?」
(はい。獣でも長く生きればそんな力を持つ事も出来る様です)と声はゾロの問いに
答える。
「なんでこの刀を?」
(象は屍を何者にも晒してはなりません。屍を晒さず、死を誰にも悟られず、)
(姿を消す事が誉なのです)
(なのに、夫の屍の一部が、)
「この刀の、刀身がそれか」ゾロが不思議な声を遮ってそう言うと、前の闇が大きく揺れて、
月光を跳ねかえす程真っ白な象がゆっくりと姿を現した。
とても寂しそうな、哀しそうな、深い蒼色の目はじっとゾロを見つめている。
「ダンナの恥を晒すのが辛かったのか」とゾロが象の気持ちを汲んでそう尋ねると
白い象は深く、頭を垂れた。
「仕方ねえな」齢500年生きた象を目の前にしてゾロは圧倒される。
その体の大きさにではなく、500年と言う人間には想像も出来ない程の時間の中、
この象の夫婦はその間の何百年を共に生きたのか、深い感情を湛えた象の瞳にも、
纏った空気にも、今だに深く熱い亡き夫への想いを抱えている事をはっきりと
ゾロに感じさせ、ゾロはそれに圧倒されたのだ。

白い象の年齢は500歳だと言った。ゾロの夢に出てきた女は自分と同じくらいの歳だったから、
ひょっとしたら、この象はまだまだ寿命が長いのかも知れない。
いつ、尽きるとも判らない長い時間の中、これからもこの象は数百年連れ添った夫を想いながら、孤独の中この森で生きて行くのだろうか。それを想うと、ゾロは目の前の象が
憐れだと思った。
刀屋の老爺もこの話しをすれば、きっと判ってくれるだろう。そう思いながら、
ゾロは白い象の鼻先にその象牙の刀を手渡してやった。
象の目が満足げに何度が瞬きをする。ずっと引き離されていた恋人にやっと出会えたような
安堵と喜びが空気に象の体から、夜の森のひんやりと冷たい空気に溶け出しているのが
ゾロには判った。その空気を吸っている所為なのか、まるきり人事なのに、ゾロの
心の中までも温かくなって来る。
(ありがとうございます。何かお礼を・・・)

別にそんな事をしてもらわなくても構わない、とゾロは断わったが、象はなんとしても
礼がしたいと引き下がらなかった。
(と、言っても私に出来るのは・・・)
誰かの夢の中にあなたを連れて行って差し上げる事だけです。
そう象は言った。

「そうか、じゃあ」
夢の中なら、少しは素直なサンジに触れられるかも知れない。
喧嘩をしなければ、考えもつかなかった事だが、ゾロはすぐにそう思いついた。

相手は、意地や強がりで虚飾出来無い夢の中、だが、ゾロの意識は現実のままだ。
夢の中で交わした会話の記憶もサンジには残らないが、ゾロには残る。
サンジの剥き出しの心を覗き見るこんなチャンスはもう一生ないかもしれない。

(相手の夢が覚めるまで)の時間、ゾロはサンジの夢の中に入り込んだ。

相手が素直なら、自分も素直で簡素な言葉を口に出来る。
現実では照れ臭くて言えない言葉も、サンジの心が全てを受け入れてくれそうな程無防備で、
ゾロは誰もいないサンジだけが目の前にいる、サンジの夢の中でサンジと向きあった。

心から、大事だと思う。
だから、誰からも何物からも傷つけられる事がないように、お前を守りたいだけで、
お前が弱いと思っている訳じゃない。
判ってる、とサンジは照れ臭そうに笑って深く頷いた。

例え、サンジの記憶に残らなくても、その夢の中で素直に語り合って触れ合った心の温もりは
サンジの魂のどこかに必ず残っている筈だ。
ゾロはそう確信しながら眼を開けた。森の中で優しい朝の木漏れ日に抱かれながら、ゾロは
ゆっくりと体を起こし、大きく伸びをする。

そして、不思議と迷いもせずに宿へと帰る道を歩いた。

程なく、宿の玄関先で手持ち無沙汰に佇んでいるサンジの姿を見つける。
わざと声も掛けず、離れた場所からサンジを見つめた。
やがて、そのゾロの視線に気づいたサンジがゾロの方へと顔を向ける。

昨日の険しい顔つきはもう綺麗に消えていた。
戸惑うような、何かを言いたくて言えないような、初々しい表情にゾロの頬に
笑みが、心の中に愛しさが込み上げる。

(やっぱり、覚えてるみてえだな)自分ほど鮮明ではなくとも、サンジはゾロが
夢に出てきて、昨日の喧嘩について「俺が悪かった」とゾロに謝った事を
朧気ながら覚えている事が嬉しくなった。いや、そうではなく自分が触れたのは
間違いなくサンジの剥き出しの心だったと改めて確信出来た事が嬉しかったのだ。

「ちょっと詫び入れなきゃいけねえ場所があるんだ、付合え」
夢の中では素直だったけれど、現実では意地っ張りなのは判っている。
こちらから何事もなかった様に振る舞わなければ、いくら待っても謝ってこないのも
知っているから、ゾロは横柄な態度でサンジにそう言った。

「ああ?なんで俺が」とやっぱり、サンジは顔を顰めた。
けれど、ゾロとの喧嘩をうやむやに出来るいいチャンスだとも思ったに違いない。
不思議と今朝はサンジが何を考えているのか、ゾロには見透かす事が出来た。
サンジの夢の中からほんの少しだけサンジの心の欠片を掴んで持ち出して来た様に。
「道すがら話す」そう言ってゾロはサンジに向かって歩き出した。
「象牙の刀を預かってな、・・」

話しながら、ゾロはふと考える。
あの白い象が見せてくれた、まるで象牙色のモヤに包まれていた様なサンジの夢の中へ
自分が忍び込んだことは、(秘密にしておく方が良さそうだな、)と。


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