故郷に良く似た風情の島だった。
違うのは、どこまで歩いても、荒れ果てて、殺伐とした風景しか目に映らない。

「この島はもう」滅んだも同然だ、とこの島まで案内してくれた船頭が言っていた。
「どうして、そんな事に?」とゾロは尋ねた。

「海賊でさ。」とその年老いた船頭は目を伏せた。
「金が出る鉱脈があって、昔はそりゃ、賑やかで幸せな島だったそうだ。」
「でも、それも海賊が根こそぎ掘り返して、もうなくなったと知るや、」
「島の者の私財を狙って、略奪し始めてな。」
「あげく、海軍との戦争で、島の者達を人質にして応戦したが、」

「世界政府は、黄金の出ない島の人間など、なんの価値もないとばかりに、」
「海賊もろとも、」「殺したのか。島の人間を全部。」ゾロは驚いて、
船頭に聞き返す。

「随分、昔の話だよ。」ゆったりと大きな煙管を加えて、ごま塩のような不精髭を
生やした船頭は遠い目をして、まるで、昔話を聞かせるような短調さでそう答えた。

「海賊王がもっと早くに生まれてたら、この島もこんな憂き目に遭わずに済んだだろうに。」

人の気配が途絶えて久しい島だった。
「ダンナはどうして、こんな島に用があるんで?」と船頭はゾロから渡し賃を
受取りながら尋ねた。
この島は、ログが示していた島から見える、ほんの小さな小島だ。
そこへ渡るには、島の漁師を船頭に雇って、渡してもらうしか方法がない。

「幽霊退治を頼まれてな。」とゾロは真顔で答えて、船頭に背を向けた。
昨夜、島に着いた時、酒を奢ってくれた男がいて。
真夜中にこの島で、人魂が無数に燃えているのを見たと言う。

「あの辺りは、気味悪がって、漁師も近付かない。」
「きっと、いい魚場になってるだろうに。」

ただ、一杯、酒を奢ってくれた男の戯言に付きあっただけだ。
ゾロにとっては一人きりの寝床の寂しさを紛らわせる為の時間つぶし、
ただの退屈凌ぎだった。

(昔の話しさ)と船頭は言ったが、それはどれくらい前のことなのだろう。
ゾロはふと、集落の墓地らしき跡に辿り着いた時、唐突にそう思った。

死んだ者達は、ちゃんと弔われたのだろうか。
そう思って見るともなしに墓地を眺めると、小さなしゃれこうべがまるで、
石コロのように、無造作に転がっているのが目に入った。

風雨に晒されて、ボロボロになった小さな服、靴。
朽ちずに僅かに残った骨は、縋るように土の上に散乱していた。

(酷エ有様だったんだろうな。)とゾロはそのしゃれこうべと骨を、
それが落ちていた、盛り土を掘って、そこへ埋めてやる。
自分が土を掘り返す音がやけに大きく聞こえるほど、辺りは静まり返っていた。
そして、自分の故郷の風習に倣って、両手を合わせる。
手向ける野の花さえ、近くには見当たらなかった。

こんな場所に来ると気が滅入る。
人間の命の価値など、時の流れの中では塵のようなものだと思い知らされる。

そして、だからこそ、精一杯生きなければ、本当に意味のないものになってしまうと言う事を改めて思い出す。

「陰気臭エ場所だな。」とサンジが側にいたら、絶対に言う。
多分、同じ様な虚無感を感じて、それ以上の無駄口は叩かずに、静かに隣を歩くに
違いない。それだけで一欠けらの寂しさも感じなくなる。

側にいるか。いないか。
その違いだけで、心は深く繋がっているから、寂しさなど感じない。

そんな風に強がっているのは、お互いが本当に側にいる時だけだ。
賑やかな場所にいても、こんなに寒々しい場所にいても、サンジが側にいない事は、
やはり、寂しい。それが正直な気持ちだった。

ゾロは一人で当て所なく歩く。
ぐるりと一周すれば、船頭が明朝に迎えに来るさっきの海岸へ着く。

「おにいちゃん。」

不意に背中から子供に声を掛けられた。
空は既に夕焼けで赤く染まりつつある。その夕焼けと、乾いた風に舞う枯葉を
踏みしめて、ボロボロの服を身に纏った、煤けた顔の小さな少年が立っていた。

不思議と禍禍しさは感じなかった。
現し世の者ではないとゾロは頭で判っていながら、命ある者のようにごく自然に
ゾロの前に立つ少年に無言で振り返る。

「なんだ。」完全に向き合って、ゾロはその少年の目線の高さにあうように
腰を屈めた。

「笛を買って。」そう言って、少年は懐から一竿の笛を取り出す。
古めいた竹だろうか。そんな風にゾロには見えた。

「いくらだ。」とゾロは手渡された笛を眺めながら尋ねる。
しっかりと質感を感じるし、幻覚だとは思えない。不思議な感覚だった。

幽霊と判っているのに、邪気のない、ただの子供と変わらない気持ちでその少年と
話している自分の、その自然さが一番、不気味だとさえ思う。

「6ベリー」「6べりー?随分、安いな。」とゾロは笑って、
「本当にそれだけでいいのか?」と聞くと、少年は真剣な顔で、
「船に乗るのに、それだけはどうしても必要なんだ。」と言った。

「6ベリーくらいなら、やるよ。」とゾロは小銭をその少年に差し出した。
「俺は乞食じゃないんだ。施しは貰えない。」と少年は首を振る。

僅か、6ベリーを押しつけたその子の手はとても温かかった。
死人の手とは思えない。
(人間なのか)と一瞬、ゾロは疑ったが、全く"呼吸"が感じられない事が、
その少年が既にこの夜のものではないのだとゾロに教えていた。

「会いたい人を思って、こうやって吹くんだ。」と少年は一旦、渡した笛を
ゾロの手から取り上げて、その横笛を奏ではじめる。
とても、稚拙で簡単な旋律、けれど、哀愁に満ちていて、その音は風に掻き消されていく。

「覚えた?これを100回吹いたら、」
「恋しい人の魂を呼べるんだよ。」

そう言って、ゾロに再び、横笛を握らせた。
「本当か?」とゾロがからかう様にその少年に尋ねると、いきなり少年は
墓地のほうへ振り返った。

霞みに掛ったような男女の姿が風に揺らいで、その少年を手招きした。
「父ちゃんとカアちゃんだ!」

「もう置いて行かれるなよ、」そう言って、ゾロが押した小さな背中は
風の中に溶けた。

「ありがとう、おにいちゃん。」幻の様に名前さえ知る時間もなかった少年の
声がただ、風音に混じってゾロに魂がこの地を離れ、ようやく、旅立てる喜ぶ気持ちが
ゾロの心に流れ込んで来る。

現なのは、掌の中に残った横笛と、それが奏でる不思議でもの悲しい旋律の記憶。
気がついたら、既に太陽は水平線の際を真っ赤に染めて、既に沈んだ後だった。

「折角、教えてくれたんだからな。」とゾロは呟いて、横笛に唇を当てた。

(しかし、100回か)どれほど、簡単でも100回は面倒だな。

そう思いつつ、吹いているうちに、指が勝手にその旋律を繰り返しはじめた。
やがて、ゾロが指先に神経を向けなくても、無意識に旋律は途切れる事無く、
風に乗る。

何度目、何十回目、と数える事さえなくなった。
「会いたい人を思って吹く」
「そうすると、恋しい人の魂を呼べる。」

そんな幻想的な話しを信じた訳ではない。
ここに来た理由と同じ、寂しさと孤独を紛らわせる為の気まぐれだった。

自分の奏でる旋律に耳を傾ける。



傾けながら、考える。

今、何をしている。
誰と話している。

どんな顔をして、どんな風に寂しさを飼い慣らしている。

そして、心の中で名前を呼んだ。
それだけでは足りなくて、ゾロは横笛を吹くのを止める。

「サ・・」

(ダメだ)声を出して呼んだら、寂しさが募るだけだと積み重ねてきた経験で
ゾロは知っている。だから喉が詰まった様に、サンジの名を呼ぶのを止めた。

「なんなんだよ、魂を呼べるってのは。」と恨めしげにその横笛に向かって暴言を吐く。

その時、一陣の風がゾロの前を吹きぬけた。
その風は、風下へとゾロの視線を連れていく。

暗闇しかない、その場所をゾロは凝視する。
風の中にサンジが一瞬、見えたような気がした。





(そうか。)魂を呼ぶ、と言うのは、こう言う事かとゾロはまたほろ苦い笑みを浮かべた。


会いたいと言う気持ち、そんな願いが脳裏にまざまざとサンジの姿を思い描く。
横笛の旋律で意識を集中し、想いを凝縮し、自分の中の想いを静かに見つめれば、
側にいるような錯覚を感じる事が出来る。それだけの事だった。

「ガキの置き土産にしちゃ、気が利いてる」とゾロは呟き、横笛を数回撫でて、
再び、旋律を奏でる。

寂しさも孤独も、紛らわせる事が出来る程度なら、恋しいとは思わない。
紛らわす事の出来ない想いなら、いっそ、胸の中の寂しさが溶けて流れるまで、
ゾロは、横笛を吹き続けた。

(終り)