最初から、何一つ持って生まれてこなかった。
これからも、欲しい物など他に何もない。
彼だけがいれば良かった。
ただ、彼だけが、S−1だけが側にいれば他に何もいらない。
これまでも、これからも、命が尽きる瞬間を迎えるまで他に望む事は何も
なかった。
それなのに、今、R−1は一人きりでグランドラインをさ迷っている。
名も知らない海賊にS−1を浚われてから、一体、どのくらい太陽が昇り、
そして沈んだだろう。
(生きていてくれ)と願う気持ちは、孤独で当て所ない旅を続けるR−1の中で
祈りに変わる。
(生きていて欲しい)と祈る。自分達の生は自然の理に許されることはない。
判っていても、その理を統べる存在に祈るしか心の寄る辺はなかった。
(きっと、生きている)それを信じてS−1を探してさ迷う旅、その道を歩む。
「キャプテン・クロ」率いる寄せ集めの海賊だったと判って、その足取りを追った。
程なく、海軍から細菌を使った攻撃を受けて、それでも奇蹟的にその攻撃を受けた
船はキャプテン・クロの船団に帰還した、と聞いた。
(S−1は生きている)その情報を聞いて、R−1はそう確信出来た。
海軍が海賊相手に使う細菌の種類は知っている。S−1なら、その病気の治療の
仕方を知っていて、それを実践するだけの行動力はある。
R−1はそれを知っているから、その噂を聞いて全身に震えが走る程の
歓喜を覚えた。
すぐに追いつき、必ず、S−1を取り返せると思った。
海賊と言う野蛮な男達の中で、どんな目に遭わされているか、それを考えると
気が狂いそうになる。
どんな目にあって、どんなに辛くても、絶対に、S−1は(俺を信じてる筈だ)と
R−1は胸が張り裂けそうだった。
気が焦っても為す術がない。広い海を行く海賊の船を捜してさ迷うより、
彼らが持っているだろうログを予測し、そのログの示す島を目指して、
その島でS−1を奪った海賊を待ち構える。そのつもりだったのに、
同じログを持っていた商船を見つけて乗り込んだまでは良かったが、
その船は運の悪い事に嵐にあってR−1を乗せたまま難破した。
海に放り出されたR−1は、偶然、漁師に助けられたが、目指す島には
辿り着けなかった。
「キャプテン・クロの船が海軍と戦って、海軍を全滅させた」と言う噂を、
やっと、最初に目指した島に行く為の船を見つけて乗り込んだ矢先に
R−1は耳にする。
(S−1は無事なのか)
「海軍の生き残りの話しじゃ、殆ど勝ちってところで凄い狙撃手が突然どこからか
出てきて、そいつが指揮官を初め、次々と海軍兵を撃ち殺したんだ」
「凄い狙撃手?」商船の船乗りの話しを聞いて、(その船と戦った海軍兵なら
ひょっとしたら、S−1を見掛けたかも知れない)とR−1は考えた。
一旦、折角手配したその船を降り、負傷した海軍兵のところへ詳しい話しを
聞きに出向く。
病院に行けば会える、と聞いて病院に向かったのに、その病院の場所が
判らなかった。息も絶え絶えの状態で運ばれたと言うその海軍兵に一刻も早く
会わなければ、と焦って闇雲に歩きまわっても、R−1がその病院を探し出して
辿り着いた時は、その「凄い狙撃手」に撃たれた傷がもとで、その海軍兵も
死んでしまった後だった。
(S−1が人を殺す訳がない)と思う気持ちとまるで機械の様に人を撃ち殺した、
人間技とはとても思えない程精密な狙撃技術を持つ「凄い狙撃手」が
ひょっとしたら、S−1かも知れないと言う気持ちがR−1の中で
混沌としている。
その狙撃手がもしもS−1なら今でも無事に生きていると言う確実な情報と思って
いい。けれども、自我が消えて、人を殺傷する事しか体が機能しなくなるような
状況なのか。もしも、そうなら、(どんなに辛い想いをしているか)
そう思うと、とてもじっとしていられなかった。
どんなに些細な事でもいい、S−1の事を見聞きしている者がいたら、
どこへでも行った。結果、それが無駄な時間になるなどと省みる余裕も
時間を重ねるにつれ、R−1には無くなって行く。
ただ、狂おしいほど恋しさが募り、疲れが堪って眠らずにはいられなくなっても、
いつも夢に見るのは、S−1の事ばかりだった。
決して楽しく幸せな夢ではない。いちいち覚えてはいないけれども、
目が覚めた時、いつもR−1の胸の中は泣きたくなる気持ちで一杯になっていた。
指に絡んだ髪の感触も、抱き締めた時の柔らかな肌の感触も、
自分の名前しか呼んだ事の無い声も、一瞬たりとも忘れられない。
S−1を創る全ては、自分だけのモノの筈だった。
誰にも傷つけられない様に、いつも陽だまりの中にいて、二人だけで生きて行く事しか
望まなかった筈なのに、何故、運命は自分からS−1を取り上げられてしまったのか。
誰を恨めばいいのかさえ、R−1には考えられない。
ただ、半ばおかしくなりそうな頭で思う事は、
早く、この腕の中に取り戻したい。
S−1が心から笑える場所は自分の側だけの筈だ。
誰も自分達を引き剥がす事など出来無い筈だ。
それだけだ。
街中で、船の上で、港の隅で、目に映る景色の中、紅茶色の髪を探した。
S−1を感じさせる欠片を探し続けた。
耳に聞こえる人の声の中に、「R−1」と呼ぶ、愛しい声を探し、
どんなに小さな事でも、「海賊に浚われた者」の噂話を拾おうとした。
海賊に浚われた者も末路は悲惨だ。
慰み者にされ、飽きたら生きたまま海に捨てられる。
食べ物も禄に与えられず、気まぐれに嬲られ、時にはそれで命を奪われる事も
あると聞いた。
(あの島から出なければ良かった)と何度後悔した事か。
自分が息をし、吐き出し、為す術もなく呆然としている今、この瞬間にも、
S−1は苦難の中にいる。そう思うとどうにかなりそうだった。
もう大丈夫だ、もう決して離さないと抱き締める瞬間を思い描き、必死で
正気を保つ。正気を保たなければ、冷静にS−1の居所を探し当てる事など
出来無いからだ。
「キャプテン・クロの船団が全滅したって」
「海軍の策謀に嵌って・・・」
ミルク、と言う海軍兵の名前は何度か耳にした事がある。
少ない兵力で、効率的に海賊を追い詰め、捕虜をかなり高い確立で無事に奪還し、
非戦闘員を傷付ける事無く、海賊だけを捕縛する。
独特の戦法を取る異色の海軍将校。それがR−1のミルクと言う男に対する
認識だった。
その男の指揮の下、キャプテン・クロの船団は海軍の手に落ちたと言う噂が
R−1の耳に飛び込んで来た。
「全滅ってどう言う事だ」情報を手に入れる為に立ち寄ったとある島の酒場で
R−1は噂話をしていた海賊らしい男の胸倉を掴んでそう尋ねた。
「お、お前はロロノア・ゾロ??」とその海賊はR−1の形相を見て竦み上がる。
R−1は否定するのも億劫なので、その言葉を無視し、「全滅って確かな事か」
「それは乗員全員が死んだって事か」と詰め寄った。
「い、いやミルクは闇雲に人間を殺すヤツじゃない」
「きっと、非戦闘員は無事な筈だ」とR−1をロロノア・ゾロだと
思いこんでいる男は竦み上がってそう言った。
「それくらい知ってる」
「捕まったヤツらはどの島にいるのか、知ってるなら教えろ」
キャプテン・クロに対する憎しみがその時初めて、R−1の心の中で頭をもたげた。
もうすぐ、S−1を取り返せる、と安心した途端、一度芽生えたその感情は
一気にR−1の心の中に吹き上がった。
ロロノア・ゾロのクローンとして生まれて、戦え、と言われた相手と戦って、
その中で喜怒哀楽など感じた事は一度もなかった。
人を愛しいとも、憎いとも思った事も無い。
サンジ、と言う人間に出会った時からR−1は人の持つたくさんの感情を
知った。遺伝子レベルで惹かれても、複製品である自分には望むべくも無い存在、
それを望むままに手に入れているロロノア・ゾロへの羨望を、
彼らが去り、自分の産みの親である科学者が死んだ後、言葉も心も交わす者が
どこにもいない寂しさを
命が尽きるまで、なんの目的もなく、時間を過ごすだけの人生に絶望を、
そんな負の感情から逃れたくて、採取した細胞からS−1を作り出した。
あの透明な紫色の瞳を覗きこんだ瞬間、R−1の抱えていた虚しい感情は
その一瞬で消え失せる。
それはまるで、凍りついた地面に陽光が差したようだった。
肉体は複製品であっても心はR−1と言う、この世でただ一人の人間だ。
R−1には欠けていた、人間の心にかけがえのない温もりをS−1は
側にいるだけで与えてくれた。
機械のような作り物のニセモノではなく、人間としてR−1が生きて行く為に
S−1は決して失ってはならない存在だった。
一緒にいたいと想う気持ちには説明がつけられない。
一緒にいる以上、いつも笑顔を見ていたい。笑顔を見せていたい。
その為にシアワセでいたい、いつまでも一緒にいたい。
それがR−1の夢であり、目標であり、生きる目的だった。
生きている為に必要なのは、食料や水や空気だけれど、それは動物も同じだ。
けれど、人間はそれだけでは生きている事にはならない。
夢が要る。目標が要る。目的が要る。意味が要る。
それらを全て持っていてこそ、人間として胸を張って生きていけるのだ、と
S−1は言葉ではなく、R−1を見つめる為だけの瞳で、R−1に触れる為だけの
指先で、R−1に話し掛けるだけの声で、生まれて来た事実で、
そして、引き離されなければ知らずにいられた苦しみの中で、
S−1はR−1に伝え続けている。
(必ず取り戻す)
どんなに傷付いていても、その傷を癒せるのは(俺しかいない)
そう信じて、R−1は今度こそ、そのS−1を取り返せると信じて
酒場を後にする。
(さっきの男が言ったその島に辿り着けさえすれば)
S−1を取り返したら、その報復は必ずする。
そう心に誓っているが、何よりもまず、S−1をこの腕に取り返してからだ。
もうどこにも迷わないように、R−1は歩き出した。
(終わり)