銃眼から見える人の顔を、S−1は見る。
それこそ、1秒にも満たない、何10分の1秒、と言える刹那だ。
(・・・知ってル)自分の声で自分の脳にその情報を伝える。
眼下の甲板で乱闘を繰り広げている海賊同士、誰が味方で誰が敵なのか、
光源があやふやな新月の夜に見極めるのはとても難しい。
けれども、半ば、銃を持った殺戮機械となりつつあるS−1の肉体は、
動体視力も、反射神経も普段より何倍も高まっている。
例え、選れた狙撃手でも銃を撃つのを躊躇われるような暗さと混乱の中でも、
今のS−1なら、誰よりも的確に的を射止める事が出来る。
その性能があがればあがるほど、S−1の自我が、意識が薄れて行く。
(・・・くそっ)
うっすらと識別出来る色彩感覚が銃眼を覗く紫色の瞳の中で、ぼやける度に
S−1は心の中でそう舌打し、唇を痛いくらいに噛み締めた。
そして、引き金を引く。銃声がなる。
そして、肉に銃弾が食い込み、爆ぜる音が聞こえる。
「助かったぜ、新入り!」と聞き覚えのある声が自分に手を振っている。
何も答えず、黙って素早く、S−1は彼の背後の敵に既に照準を合わせた。
「伏せろ、オッサン!」もともと、見張り台にいた男がS−1の銃身の向きを見て
そう怒鳴る。S−1に助けられた男は慌てて体を伏せた。
「死ね、腰抜け海賊ども!」と喚いて、その背後に立ち、大きな剣を
今、まさに男の頚動脈を狙って振り下そうとしていた敵の男の手首が爆発した。
S−1がたった二発の銃弾で、その男の手首を撃ち抜いたのだ。
銃の威力はS−1の計算よりもずっと選れていた。
ただ、手首を撃ち抜くつもりだったS−1の銃弾は、運の悪い事に、男の手首の
ど真ん中を貫通し、細い骨と腱を全て、吹き飛ばした。
「ギャアアア!手っ・・・手が・・・っ」
その断末魔の様な悲鳴にS−1は耳を塞ぎたくなる。
一発撃てば確実に手応えがある。敵の足を、腕を、手首からその先を撃ち抜いた感覚が
S−1の体を震わせた。
生まれてきて、ずっとR−1に大事に守られて生きて来たS−1の神経はか細い。
オリジナルのサンジとは比較出来ない程、その神経は脆く、繊細で、
人に痛みを負わせたと言う衝撃を感じる度に、その罪悪感が痛烈な心の痛みに変わる。
そして、その痛みに慣れる事も出来ない。
心が張り裂けて、壊れてしまいそうだ。
何も見ず、何も感じないようにと、自分で自分を守ろうとする本能が働く様に、
五感全てを手放しそうになる。
突然、意識の回線が途切れない様に、S−1は必死に自我を保とうと
何度も唇をギリギリと噛み締めた。
自分の肉体に備わった力を制御出来なければ、持っている意味がない。
誰の命も奪いたくない、と言う自我など、いっそなければ良かった。
自分達を殺そうと襲って来た敵の命を惜しんで、躊躇いと自分が自分で
なくなる怖さに怯えて、それでも仲間を一人でも多く助ける為に
銃を握っているのなら、ただの戦闘兵器になってしまった方が楽に
決っている。
だが、S−1は(同じ事を何度も繰り返してたまるか)と強く思った。
「凄エな、お前・・・」
見張り台にいた青年の唖然とした声でS−1はハっと我に返る。
「もう、大方の敵は大人しくなったみたいだ」
(そう言えば、・・・随分、静かだ)S−1は熱くなっている銃を手放し、
持っていた銃弾を(・・・10・・・15・・・20・・・)と数えてみる。
あまりはっきりと覚えていないが、自我を失って盲滅法撃っていた時間が
どれくらいなのか、自分で早く確認したかったのだ。
(・・ああ・・・誰も死んでませんように・・・)残った銃弾を数えたところで、
経過した時間や被害者の数が分かる筈もなく、S−1はガラリと銃を
床に放りだした途端、体から力が抜けた。
眠気など一切ないのに、横になりたくてたまらない。
酷く神経が尖っているのか、頭がガンガン響く様に痛む。
「船が動き出した。潮の流れの穏やかなトコロヘ移動するんだ」と言う青年の声も
夢の中で聞いている様に、どこか遠い。
「・・・おい、新入り?大丈夫か?」と青年がS−1の肩に手を添えようとした時、
「おおい、見張りはもういらねえ!後片付けを手伝いに来い!」と甲板から
ヤソップの大声が聞こえて来た。
「聞えたか?・・」と青年はS−1の顔を覗きこむ。
素晴らしい腕前を見せた新入りが、まるで、初めて人を殺めて呆然自失となっている
様な顔つきをしているのが不思議で、それでも、さっきとは別人の様な
その変貌ぶりに驚きつつも、真っ青な顔色と目の焦点が定まっていない事が
心配になったのか、S−1が立ち上がろうとした時、そっと手で、
S−1の体を支えてくれた。「大丈夫か、ホントに?」
「大丈夫・・・」S−1は無理に笑って見せる。
けれど、自分のその声で安心出来た。自分が自分のままでいる事をはっきりと
確認出来たからだ。
「俺、雑用だから行かなきゃ」S−1は自分の力で立ち上がり、見張り台を降りた。
「さすがだな、あれだけの傷を負ってるのにあれだけの動きが出きるなんて!」
「やっぱり、あんたは海軍より海賊向きだ」
そう言って、シャンクスは、ライの働きを手放しで誉めた。
「思い掛けない夜襲で、あんたがいなかったら、もうあと何人か、部下達を
死なせてたよ」
「それと・・・あの坊やは一体、なんだ?」
戦況を冷静に見る視野がなければ、ここまでの大海賊には到底なれない。
シャンクスは、大混戦の最中、自分達の部下を守り、そして敵の戦意を最大の
効力で削ぐ狙撃をやってのけたのが誰なのか、戦闘直後にもう見抜いていた。
ライは怪我を負いながらも、コックを始め、非戦闘員を必死に守ろうと
戦い、何人かを斬り殺してしまった。
S−1に見られていなければ、なんの戸惑いも躊躇いもなく、怪我をしながらも、
それなりに、思う存分動けた。
彼らを守らねば、と思ったのはここ最近で最もS−1に親しくしていた連中だからで、
彼らが傷付けばS−1が哀しむだろう、と考えての行動だった。
(赤髪のシャンクスの船がこんな姑息な夜襲ごときでどうにかなる訳がない、)と
思ったからこそ、さして主体とは言いがたい場所で、戦力外の者達を
助ける為に、それでも、必死に戦った。
「・・・なんだって・・・何がです」とライはシャンクスの言葉に空惚ける。
戦闘員として興味を持たれたら困るからだ。
海軍の人間である自分をわざわざ仲間に引き込こもうとしてまで、戦力をあげようと
しているのは、きっと何か訳がある、とライは思っているし、
もしも、自分がシャンクスならS−1の狙撃の腕は使い様によっては、
どんなに屈強な剣士よりもはるかに便利な戦力になる、と考える。
自分が考えるくらいだから、シャンクスだってきっと考える筈だ。
だから、S−1の狙撃の腕に関しては何も知られない方がいい。
「しらばっくれるなよ、あの綺麗な坊やだ」
「あの子は、どこであの銃を習った?」
「まさか、あんたが教えた訳じゃないだろ?」
「猟師でも、海軍の狙撃手でもああは見事に撃ちわけられないぜ、対した芸当だ」
(やっぱり、興味を持たれたか・・・)シャンクスの言葉を聞いて、
ライは暫し黙り込む。そして、思いきって口を開いた。
「あの時、もともとの狙撃手も一緒に見張り台の上にいた筈です、お頭」
「あの子は・・・S−1は銃で人を殺せる様な人間じゃない」とライは
じっと自分の本音を見透かすようなシャンクスの眼差しを真っ向から
受けとめてそう言った。
嘘をつくなら、嘘をついている、と思わなければいい。自分の口から
出る言葉は全て真実、と自分で自分に言い聞かせなければ、人は騙されてくれない。
ライは何度も何度も海賊を騙し続けていくうちに、そんなやり方を
何時の間にか身につけてしまっていた。
だが、そんなモノが赤髪のシャンクスに通用する訳がない。
「フン」シャンクスは鼻で笑った。
「確かに人は殺しちゃいないが・・・、ま、いい」
「自分の目で確かめりゃそれで済むことだからな」
そう言って、シャンクスはニンマリと満足そうに笑う。
新しい武器を手に入れて、それを使いたくてたまらない。
シャンクスの不適な笑みには、はっきりとそんな気持ちが浮かんでいた。
一方、甲板、食堂には怪我人が溢れていて、船医、雑用が入り乱れて
その治療に追われていた。
「おおい、新入り!湯をこっちに持って来い!」
「こっちには、乾いたガーゼと包帯!」
S−1は右往左往しながら、言われた雑務を必死にこなす。
「あの・・・ドクター、」
S−1は血管を額に浮かび上がらせている船医に声を掛けた。
「なんだ、新入り!誰が死に掛けているのか!?」と凄い勢いで聞き返され、
S−1は一瞬、言葉に詰まるが、すぐに気を取り直し、
甲板の端に太いロープでぐるぐる巻きにされた男達の集団を、指差した。
「あの、彼らの治療は?銃が体の中に入ったままの人もいるし、出血も酷いし・・」
そう言うと、船医はS−1が指差した男達を一瞥し、憎々しげに目を細め、
「あいつらは知らん、仲間の治療が終って、薬も包帯も余ってから、だ!」
「俺達を襲って来た奴らの命なんか、知った事じゃない」と言い放った。
尤もな言葉だとは思う。だが、それでは見殺しにしているのとさして変わらない。
S−1はそう感じ、忙しく立ち働きながらも、ずっと彼らが気掛かりだった。
彼ら以外は、逃げたか、甲板の上での戦闘で死に、海に投げ落とされたかで、
生き残って捕虜となっているのは、S−1に狙撃され、戦闘不能にされた者達が
殆どだ。
(ドクターの気持ちは分かるけど、あのままじゃ・・・死んでしまう)
S−1はせめて、水でも飲ませてやらねば、と桶に飲み水を汲んで
コップを一つだけ持ち、無造作に転がされている彼らの側に駆け寄った。
「貴様の所為で・・・殺してやる」
「お前さえいなければ、シャンクスの首を取れたのに・・・・っ」
水を与えよう、と屈んだS−1の顔を見るなり、血まみれの男が呪いの言葉を呟く様に
S−1をそう罵った。
殺してやる。お前が憎い。
そんな強烈な感情が篭った目で見られたのは、始めてで、S−1は息が詰まった。
自分を蔑み、卑しい目で見た者は大勢いたが、憎しみ、恨みに血走った恐ろしい目
は、S−1の心臓に鋭い爪を突き立てる。
「・・・俺はあんたたちを殺したくなかったのに・・・」
「なんであんたたちはそんな目で俺を見るんだよ・・・?」
「俺はどうすれば良かったんだ?」
そう言った途端、S−1は悔しいのか、腹が立つのか、悲しいのか、
自分では説明出来ない涙が目から勝手に溢れて来た。
悲しい事、辛い事ばかりが現実。
楽しい事は、全部夢で、もう取り返せない過ぎてしまった過去。
そんな思いがS−1の心の中に込み上げてくる。
(・・・帰りたい)
R−1の側にいたら、こんな目で見られる事もなかったのに、とまたどうしようもない
事が頭を過った。
帰りたい、R−1と二人だけで暮した島に。
帰りたい、R−1の側で笑っていられた、過ぎ去った時間の中に。
そう思うと、涙が出て止めようがなかった。
目の前の傷付いた捕虜達など目に入らない。見えるのは、涙でぼやけた海だけだ。