そう言う風習があるのか。


R−1は"s−1には内緒にしている仕事"の帰りに、
ふと目にした店の看板で、生まれて初めて、

「バレンタインデー」なるものを知った。

男が女にチョコレートを貰う日らしいが、
また、男が恋人からチョコレートを貰う日でもあるらしい。

S−1はサンジのクローンだから、当然、手先は器用だし、
味覚も敏感だ。
くりすますも、誕生日もちゃんとプロ並
(プロのケーキを食べた事がないのでよくわからないのだが)のケーキを作ってくれた。

そんな風習があるのなら、絶対に自分にプレゼントしてくれるだろう、と
R−1は当たり前のようにその可愛らしい内装の店の前を通りすぎようとした。

が、(待てよ。)
と、立ち止まる。

自分達は、男同士なのだから、s−1が自分にプレゼントするのは片手落ちと言う
モノではないか、と思ったのだ。
恋人にチョコレートをプレゼントする、と言う風習なのなら、
自分だって、s−1にチョコレートを渡すべきだ。

甘いモノは自分は苦手だが、S−1は好きだろう。
(買うか)とその店に足を踏み入れかけて、R−1は戸惑った。

当たり前だが、女性客しかいない。
男性がチョコレートを買うのは、(どう考えても、妙な都合があると思われる)
不信な行動だと思われかねない。

いや、だからどうした。とR−1は思い直して、堂々とその店に入った。
s−1が喜ぶなら、世の中の全ての女から、いや、全ての人間から、
変人扱いされたって構うものか。

棚に陳列されていて、s−1の好きそうなモノを吟味してみる。

(可愛いのがいいのか)とも思うし、味にこだわるのがいいのか。
それとも、チョコレートはオマケで、なにかちゃんと使えるモノがいいのか。

あまりに種類が多くて、R−1は選びかねて店の中をぐるぐると何度も
見て回る。

ごったがえす店内の女性たちの熱気に押されて、R−1は何時の間にか、
チョコレートの陳列棚から外れていた、製菓用の材料の前で立ち尽くしていた。

カカオ。
ピスタチオ。
アーモンド。
オレンジピール。
ベーキングパウダー。

(なんだ、こりゃ)と手にとって見ても、どんな味なのか、何に使うのか、
R−1にはサッパリ判らない。
道具類も、S−1の道具の中でチラチラ見ているのもあるが、
大概、用途が判らないモノばかりだ。

ココア。

(これなら、判る)とその茶色の缶を手に取った。
コーヒーの粉みたいなものだと思った。コーヒーがコーヒーの粉から作るのだから、
これはココアを作る為の粉だ。

缶に書かれてある文字を読んで、ココアの作り方を知る。
(なるほど、これなら)出来そうだ、とR−1は思った。

(朝飯の時、これを入れて、飲ませてやろう。)と決めて、R−1はそれを
2缶、買った。
どうせやるなら、とびっきり美味しいのを作りたいから、しっかり練習するつもりなのだ。

歩きながら、まだ、その缶の説明書を熟読する。
チョコレートソースとかも作れるのか。ふむ。

ありがとう、と言って喜ぶ顔を想像すると、勝手に顔の筋肉が動いて、
ニヤついていた。

家に帰る前に、S−1の仕事先に寄ると、同僚の16歳くらいの女友達と一緒に
談笑しながら出てきた。

「S君、アル君が迎えに来たよ。」と彼女が先にR−1を見つけて、
「お邪魔だから、帰るね、バイバイ。」と手を振る。

「買い物に行く約束はいいのかい?」とs−1が彼女の背中に声を掛けると、
「うん、明日でイイよ。じゃあね。」と答えて、走って行ってしまった。

「今回は、迷子にならずに帰って来れたんだ。」とS−1はR−1に向き直って笑う。
1週間も離れていたから、顔を見るだけで、R−1は胸の鼓動が早くなってしまい、
曖昧に笑って、二人で家の方へ歩き出した。

「それ、お土産か?」と小脇に抱えていたココアの包みをs−1に目ざとく見つけられ、
「いや、これは預かり物なんだ」とR−1は慌ててごまかす。

その夜は、離れていた間の出来事をS−1が話すのを聞いていたら、
寝るのがすっかり遅くなってしまったが、
S−1が熟睡したのを見計らって、R−1は夜中にこっそり起きだし、

何度も何度も、ココアを入れてベストブレンドを開発した。

そして、2月14日の朝が来た。

S−1よりも早く起きだして、慣れないながらも朝食を作る。
S−1のように、パンを生地から作るなんて出来ないので、どうにか
"パンケーキ"のようなモノを焼いて、その上にココアで作ったソースをベタベタと
塗りつけた。

(不味そうだ)と思わず、自分の不器用さと盛りつけのセンスのなさに愕然とする。

ジャムだけでも、s−1なら綺麗に、美味そうに盛りつけるのに、
今、自分の目の前にあるのは焦げかけのパンケーキを、コールタールで塗り固めたみたいな、
食欲を減退させるルックスの食物だった。

だが、やりなおしている時間がない。

パンケーキは付け焼刃だが、ココアは、ココア1缶まるごと、
ミルクも大量に無駄にして作り上げたベストブレンドだ。味には自信がある。

そして、「バレンタイン」の朝食は出来上がった。

甘く、いい匂いでS−1は目が覚める。
(なんだろ)と薄く目を開いて、
二人で一緒に寝ているベッドから丸見えのキッチンの方に視線を向けつつ、
体を起こした。

「チョコレートの匂いだ。」とすぐに匂いの正体に気がついた。

ばれんたいんでーだから、か。とR−1の行動の意味もすぐに判ったけれど、
(なんでだよ)とS−1は困った。

あれは、女の子が男にチョコレートをやるもんだって聞いたから、俺、
なんにも用意してないぞ。

予想外の朝食に慌てながらも、S−1はR−1に呼ばれてから、申し訳なさそうに
食卓についた。

いくら、甘いモノが苦手ではない、と言っても、寝起きにチョコレート三昧は、
少し、辛いところだし、それが美味で見た目も良ければ構わないかも知れないが、

前述のヒドイ見た目の朝食を前にして、S−1は一瞬、固まった。
だが、匂いはいいし、幸い、量も多くない。

(これくらいなら、食べられる)と思って、R−1にニッコリと笑って見せた。
「無理に食べなくていいからな。」と恥かしげにR−1は言うけれど、
S−1はコテコテとチョコレートをもう一度、パンケーキに塗りなおして、
ベトベトのチョコまみれになった銀色のフォークの先にそれを突き刺して、
思いきって、口の中に突っ込んだ。

(甘ッ)ボソボソの生地の癖に中が生焼けで粉臭い。
けれど、チョコレートの甘味が全ての食感も、味覚も支配して、S−1は
甘い、とだけしか感じなかった。

もう少し、ラム酒を入れるとか。砂糖をブラウンシュガーにするとか。
バターを入れるとか。やり様があるだろうに、と思うが口には出さない。

「ご馳走様」と言ってから、やっとココアのマグカップに手を伸ばした。

「あ、これは美味い。」と口に含んだ途端、ほろ苦さとミルクのまろやかさが喉を
心地良く通り過ぎて行ったので、素直な感想が口からポロリと零れ出た。

「これは?」(やっぱり、パンケーキは無理に食ったんだな。)とR−1は
S−1の言葉でパンケーキの出来映えを教わるが、それよりも、

ココアだけはちゃんと美味しくできた事に安心した。

「うん、パンケーキが甘い分、美味い。」とS−1は苦笑いして答える。
(俺、何用意してない、なんて言えないな。)と自分の為にR−1が苦心して作ってくれた
朝食に対して、礼を言うだけではなんだか申し訳なくなって来た。

去年、お金がなくて、彼にバレンタインのプレゼントが上げられなかったの。
その時、私ね。

お店の常連の女性がS−1に話してくれた事をふと、思い出した。
「R−1、俺からのプレゼント」と言って、
S−1は自分のマグカップに入っていた、温めのココアを全部、口に含んだ。

小さなテーブルは手を伸ばせば向かい側に座っている相手の頭を鷲掴みに出来る。
S−1は頬が膨らむくらいにココアを含んで、両手でR−1の頭を掴んで引き寄せた。

唇を押しつけて、少しだけ、ココアをR−1の唇の隙間から流し込む。

目を開いて、キスをするのは初めてだ。
緑色のR−1の目もよほど驚いたのか、開いたままなのが見える。

ゆっくりと口の中のココアを全部流しこんで、S−1はR−1の頭を離した。

R−1は口を押えたまま、怒った時のように、真っ赤な顔をして目を泳がせている。

(これをやると喜んだって言ってたのに。)とS−1は黙ってしまったR−1を前に
緊張した。

「どこで覚えてきたんだ、そんな事。」とやっと、R−1が口を開く。
やっぱり、口調は怒っているように聞こえた。

「店のお客さんから聞いた。」とS−1は正直に答える。
「ふーん。」とR−1は不満そうな声で返事をした。

「嫌だったか?」と口の中に含んだ物を逆流させて人に飲ませるなんて、
確かにキタナイ事だ、と考え直したs−1が謝る前に、

R−1はドン、と少し勢いをつけて、まだ飲んでいないココアが残ったままの、
自分のマグカップをS−1の前に置き、

「さっきの、もう一杯くれたら、許してやる。」とまた、
どこを見ているのかわからない、落ち着きのない目をしたまま、そう言った。

終わり

いや〜、甘い!堂々とこんな甘いの書けるからこの二人はいい加減にアホくさいので好きです。

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