今にも崩壊しそうな家を壊す事など、二人にとってとても簡単な事だった。
「おい、危ネエだろう!?俺を押し潰す気か?!」
庭先からゾロが剣戟を飛ばして屋根をふっ飛ばせば、壁を蹴り壊している
サンジが埃まみれになって中から飛び出して来た。
「そんなに鈍くネエだろうが」とゾロは笑う。
感傷に浸っていては、前に進めない。想い出の数を数えていても、何も変わらない。
そう思うから、今の自分の態度が強がりだとお互い判っていても、二人はいつも以上に
大仰に言い争う振りをしながら、サンジの家を壊した。
その日を境に、オールブルーの復旧作業は一気に加速する。
まるで、今から新しい店を創るかのように、サンジが活力を帯びれば、周りのコック達の生気も増した。
「桟橋は前と同じ場所に同じ素材で、同じ距離のを作るんですか、オーナー?」
「ホテルの規模は前と同じで?内装はどんな風に?」など、再建のメドがつくにつれ、
サンジはどんどん忙しくなってくる。
そして、外での作業よりもペンを握って色々と考えなくてはならない時期に差しかかった。そんな作業に余り慣れていないので、煮詰まって来るとつい、余計な事ばかり考えてしまう。
店として使う船の内装はこれでいいのか。もう少し、手を加えてみたい。
桟橋も前の場所からだけでなく、跳ね橋もつくって見たい。
「なんだか、時間のかかる事ばっかり考えてるみたいだ」とサンジの案を
聞いたジュニアが不思議そうな顔をした。
「なに?」思い掛けないジュニアの反応にサンジは戸惑った。
「あ、サンジがしたいと思う事だから、店の為にはいい事だと思うけど」と
ジュニアはそれ以上、何も言わないが、自分でも気付かない本音を言い当てられたような気がして、愕然となった。
(そんなつもりはねえ)と色々な図面を前にして溜息をつく。
「さっきからなんだ」側にいて、転寝をしていたゾロがむっくりと寝転んでいた
ベッドから起き上がる。「うるせえな、溜息ばっかりつきやがって」
「普段使ってねえ頭使ってんだ、溜息くらい出る」とゾロに言い返して、サンジは
眼鏡を取った。
(なんだか、時間のかかる事ばっかり考えてるみたいだ)と言ったジュニアの言葉が
サンジの心に引っ掛かって気が散って仕方がない。
(どうしてだ)とサンジはまた深い溜息をつく。自分がこの図面を完成させないと
作業が前に進まないと判っているのに、どうしても考えるのは妙に凝った、
時間も手間もかかる事ばかりだ。
「・・・ふう」「またか、面倒なら止めちまえ」サンジの溜息を聞いて、
ゾロは大きく背伸びしながらそう言った。「なんだと」と無責任なゾロの言葉に
少しカチン、と来てサンジは椅子から立ち上がる。ゾロはチラリとサンジの方に
視線を向けて、フフン、と軽く鼻を鳴らして笑った。
ゾロの側にいると、疲れを少しも感じない。言葉一つで腹が立つ事もあるけれど、
やはり、どんなに強く想い、信じていても遠くに離れていてはこの感覚を感じる事はない。ムキになって否定するのが、もう、無意味でバカバカしくなるくらいに、ゾロが
側にいる事で、自分を見失う事なく、自然な自分でいられるのだと、ようやくサンジは
自覚して、受け入れる事が出来るようになっていた。
少し足を進めて手を伸ばせば、ゾロの胸倉を掴むことが出来る。そして、そのまま引寄せて、唇に触れる事も出来る。その距離にいる事がふとした時に強く感じて
今更だと思うのに、その瞬間、生命力が体の中で波打つように、胸が高鳴る。
(いつまでも、側にいて欲しいからだ)とサンジはベッドにまた寝転んだゾロの
邪気のない顔を見下ろして、急に気づいた。
店の階段に複雑な彫刻を施したいと思ったのも、既製品の椅子やテーブルを買うよりも、
なにもかも特注で作りたいと思ったのも、少しでも店が再開するのが遅れたら、
その分、ゾロが側にいてくれるかも知れない。そんな期待があったからか。
「そんな訳ねえだろっ」思わず浮かんだ、自分の考えをサンジは声を出して、
思いきり否定した。当然、ゾロにはなんの事か判らない。
「ああ?なんだ、いきなり」
「なんでもねえよ」サンジはぶっきらぼうに言い返して、すぐにまた机に戻ろうとした。
が、その腕をゾロが唐突に掴む。
「普段から意地張って、本音を言わねえから頭がこんがらがっちまうんだ」
「たまには、素直にならねえと施し様がねえくらいにバカになるぜ」とゾロはサンジの
腕を強引に引っ張った。
「・・・ちょ・・っ」俺は忙しいんだ、昼寝なんかしてる暇はねえ、と言いながら、
サンジはゾロの胸の上に引っ張り倒される。
窓から挿し込む温かな光りとゾロ自身の温もりの所為で、粗末な作りのそのベッドの中は春の野原の様に暖かい。嫌でも心の鎖が解ける場所だった。
「バカになりたくねえだろ、ちょっと手遅れかも知れねえが」
「お前、いつまでここにいるんだ」ゾロの軽口を遮ってサンジはそう尋ねた。
答えは判っている。ここに留まる理由はない、とゾロが判断した時だ。
「さあな」とゾロはのんびりした口調で
「お前が必要としてくるならいつまででもいるつもりだぜ」そう言った。
「嘘つけ」サンジがそう吐き捨てる様に言い返すと、急にゾロは
「サンジ」と名前を呼び、サンジに向き直った。
サンジの目を真っ直ぐに見ている眼差しは、見上げても眩しくない太陽の
様に温かく、全てを包み込む様に優しい。その優しい温度がサンジの体の
隅々まで浸透して、自然に心の中までもが解れて素直にゾロの言葉を待つ気持ち
になっていた。
「余計な事を考える暇はねえだろ。お前はお前のやりたい様にすればいい」
「お前は自分のしたい事をするのにいちいち理由がいるのか?」
「理由をつくって、それに縛られて前に進めないって言うなら、」
「その理由を考えるの、止めちまえ」
「やりたい事をやるのが正しい。誰にも文句は言わせねえ」
「それでいいじゃねえか」
そうだろ?とでも言いたげにゾロはサンジの顔を覗きこむ。
肩に入っていた力がするりと抜けて行くのをサンジは確かに感じた。
まだ、自分が背負っている物を継がせる後継者が育たない。
そう言って、サンジはこの海に留まっていた。
けれど、ゾロの言葉を聞いてまた、一つ、気がつく。
それも理由、言葉を変えれば言い訳にしていた。
(俺はここにいたい。まだ、やりたい事がある)
ゾロの傍らにいて、共に生きたいと言う気持ちも嘘ではない。
そんな風に、サンジは胸の中にいつも複雑な気持ちを抱き続けて生きて来た。
「思うようにすりゃいい」
「それが正しい事だと思って突き進んで行く方がずっと楽だ」
「俺と行きたいと思う時にそうすればいい」
「俺にここに居て欲しいと思うなら、そう言えばいい」
「意地張って、本音が言えなくて、挙句の果てに自分が何を考えてるのか」
「見えなくなるより、その方がずっといい」
「例えば」今度はサンジがゾロの言葉を遮った。
「俺の夢はこのオールブルーだった」
「このオールブルーで店を持って、たくさんの人に料理を食べてもらう事だ」
「それを投げだして、お前と一緒に行けば俺には何が残る?」
「投げ出して?」サンジの問い掛けにゾロが笑って首を傾げた。
「投げ出すんじゃネエだろ、例え、俺と一緒にいてもお前が夢を叶えた場所が
消える訳じゃねえんだから」そう言って、ゾロは笑う。
「もし、お前がホントに俺についてくる気になったら、」
「俺に何が残る?なんてバカな質問する気にもならねえだろうし、」
「そんな気にもさせねえよ」
「俺にはお前がいる。お前にそう思わせて、それだけで満足させてみせるから」
「楽しみにしてろ」
そう言って、ゾロは気持ち良さそうにまた大きく伸びをして、大きな欠伸をした。
下らない事で立ち止まって、溜息ばかりついていた事が本当に馬鹿馬鹿しくなって、
サンジは声を立てずに笑った。
じっと噛み締めたい、そんな幸福感を体中に感じる。
生きる死ぬの出来事をかいくぐった後に訪れる、魂が揺さ振られるような
激しい幸福感は何度となく味わってきた。けれども、こんなに穏やかに優しく
春風の様に魂を包む感覚があるとは、今まで知らなかったような気がする。
「自惚れ屋だな」とそれでもサンジはゾロに憎まれ口を利く。
張りつめて、イラついていた気持ちが緩んで、ゾロの傍らで少しだけまどろみたい
気分になってサンジは瞼を閉じた。
柔らかな日差しは闇ではなく、温かい色の膜でサンジの視界を塞ぐ。
「お互い様だろ」とゾロの温かな声が聞こえる。
ゾロの体の中に孕んでいる温もりを分けてもらいたいと言う気持ちが素直に
サンジの掌に伝わり、言葉にしなくてもそれを感じ取ったゾロの指先がそっと
サンジの指に絡んだ。
「新しい家は、前より小さくていいだろ」
「そうだな、気持ちよく昼寝できる部屋があればそれでいいな」
目を閉じたまま、二人は言葉を交わす。
ただ、指先を絡めているだけでお互いが思い描いている風景が脳裡に浮かんで来る。
そうして繋がっていると、心の奥の奥まで、過去も未来も、痛みも幸せも、
ずっと共有出来る様な気がした。
これから築く新しい家の在る未来の風景も、
二人でたくさんの思いを抱えながら壊した過去の風景も、同じ心の中にある。
夢を見る時も、過去を振り返る時も、いつもその想いを分かち合える。
そして、サンジはゾロの寝息が聞こえてからゆっくりと瞼を開いて、
ゾロの横顔を見つめて想う。
(こいつは)
いつも、本当に必要な言葉と気持ちを与えてくれる大切なかけがえのない
唯一の存在だと。
ゾロがいれば、例え、それがこんなに近くではなくても、
心と心がいつも繋がっているんだと感じられる距離ならば、どんな事があってどんなに迷っても、立ち止まらずに歩いていける。
「・・・昼寝の出来る家、か」そう呟くとまた、勝手に頬が綻んだ。
その小さな家からはどんな風景が見えるのだろう。ゾロの目にはその家から見た
風景はどんな風に映るのか、早く知りたい。
そう思うと、もう暢気に昼寝などする気は失せた。
サンジはベッドが軋まない様に起き上がり、再び机に座って眼鏡を掛け、滞っていた
作業を再開する。
煙草の煙は吐き出しても、もう、溜息はつかない。
初めて、店を作ろうと必死になった過去に戻った様に、未来に夢を描いて
もう一度、サンジは歩き出す。
今度は傍らにゾロがいて、少しだけ景色が変わったこの場所でもう一度、
過去には一人きりでやりとげたことをなぞりながら、サンジは進んで行く。
時には背中を押して、時には並んで、時には手を引かれて、
歩いてきた過去を振りかえり、そしてこれから歩んで行く未来もそれは
きっと変わりないように思う。
サンジはふと、顔をあげてまたゾロの寝顔を眺めてみる。
自分の側で穏やかなゾロの寝顔を見て、(こいつはホントに変わらねえな)と思い、
心の中は優しい温もりがこぼれそうになっていた。
(アシタヘカエル 終わり)