たくさんの海賊に犯されて、どれだけ辛かったかを涙ながらに話すコバトに
同情はする。けれど、ゾロが出来る事はその話しをただ、黙って頷く事だけで、
他には何もない。
「兄弟子だって言うだけで私に優しくしてくれたのよね。」
「でも、私がもしも男だったら、同じ様に優しくした?」
「ずっと手を引いてくれたり、我侭を聞いてくれたりした?」
そうじゃない、と言う言葉を聞きたくて、コバトはずっとゾロの大切な刀を
頚動脈に押し当てたまま、そう言った。
「ああ、そうしてくれって言われりゃ、そうしたな。」
「お前は俺に取ったら、女とか男とかって以前に兄弟子だからな。」
何を言っても何をしてもゾロは微動だに動揺せず、淡々としていた。
「私は、本気よ。」
「俺は約束を破るのは大嫌いなんだ。」
ゾロはとうとう、痺れを切らして、会話を遮った。
「もう、いい加減にしてくれ。仲間との約束の時間が過ぎてる。」
「くいなの話しをしたい、思い出話しがしたいって言うから、俺はここに来たんだ。」
「そうじゃないなら、これ以上、もう何も話す事はねえ。」
「兄弟子だから、女として見れないっていうの?」だが、コバトはゾロの言葉に
耳を貸さずに、そういって高い声をあげた。
「そんな事言ってねえ。」とゾロはやはり、少し弱腰になる。
どうしても、さっきから延々と聞かされているコバトの身に起こった惨状を思えば、
あまり酷い暴言を吐き捨てて、ここから立ち去るなど出来ないのだ。
「お前を好きでもねえ男に抱いてくれ、なんて言うな。」
「プライドのねえ奴は結局、くだらねえ生き方しか出来ねエ。」
「俺に抱かれる為に自分の首掻っ切る勇気が出せるだから、」
「過去がどれだけ辛くかろうが、それに負けねえで生きていける筈だ。」
ゾロは心底、そう思って、詭弁のつもりでもなく、宥める為のいい加減な言葉でもなく、
コバトにそう言った。
だが、そのゾロの言葉でさえ、コバトの必死の形振り構わない我侭な独り善がりで
暴走する心に届かなかった。
「どうしても、兄弟弟子の私を抱けないって言うのね?」
(聞く耳さえ持てねえのかよ。)とゾロはまた、堂々巡りになりそうな会話に
大きく溜息をついた。
「ただの女だと思ってくれたらいいじゃない。」
「それとも、本当に女を抱けないの?」
「抱けねえ。」コバトの言葉に対して、ゾロはきっぱりと言い切った。
「女を抱いた手であいつに触るのは死んでも嫌だからな。」
「黙っていれば判らない事よ。」とコバトは尚も食い下がる。
「それは、俺が決める事だ。」とゾロは唐突に立ち上がった。
「もう話しは終りだ。」そう言って、ゾロは壁に凭れさせた刀を腰に納め始める。
コバトに対して、同情の余地はもうない、と思った。
自分とサンジの間の事にまで、口を挟まれては我慢の臨界点を超えた。
「お前が兄弟弟子じゃなく、ただの女だったらとっくの昔に海軍に預けてる。」
「なんの興味もなかっただろう。」
「俺に抱いて欲しいって言い続けるなら、もう俺はお前を兄弟弟子とは思わねえ。」
「ただの、なんの興味ねえ、女として、今日限りで名前も忘れる。」
「それが嫌なら、刀を返せ。」
ゾロはそう言って、まだ、コバトの答えが返って来ない間に背を向けた。
その背中に啜り泣きが追い縋って来る。
「死ぬわ、私。」とコバトは崩れ落ち、顔を覆った。
ガチャリと音を立てて、和道一文字がコバトの手から滑り落ちて、床に転がる。
「死ねねえよ、お前は。」とゾロはその抜き身の刀を拾い上げて、
ゆっくりと鞘に納めた。
「あんなに美味エ握り飯も出来る。縫い物だって目が悪くても出来るじゃねえか。」
「きっと、どっかにお前の我侭も過去も気にしないで優しくしてくれる男が
いるって思ってるんだろ。」
コバトはゾロの言葉になんの返事もせずに、ただ、ただ、嗚咽しながら
泣いているだけだ。それでも、ゾロは構わずに
「コバト、幸せにしてくれる奴を捜すんじゃなくて、お前が
「幸せにしたいって思う奴を捜せ。そうすりゃ、必ず、幸せになれる。」
その言葉を別れの言葉としてコバトに残し、部屋を出ていった。
後は、コバトがふらふらとどこかへ行ってしまわないうちに、
この部屋へ海軍の人間を連れて来ると全てカタがつく。
(さっさとしなきゃな。)とゾロは足早にその如何わしい建物を出た。
「なんだよ。」
建物の外で待っていたウソップの疑わしい白々とした視線を受けて、ゾロは
不服そうにその視線の訳を尋ねた。
「時間、過ぎてるぜ。」その所為で、ルフィがどこかへ行ってしまった、と
ウソップは呆れきった顔でそう言い、フウ、と大きく溜息をついた。
「お前は、ここに海軍の奴を連れて来てくれ。」とゾロが言って、
すぐにルフィを捜そうと歩き出す、その腕をウソップが掴まえ、
「お前一人でルフィを捜すつもりか?余計に時間が食うぞ」と反論した。
そんな二人のやりとりがまた、半時間もかかる。
「お前はその辺に隠れてろ、俺が戻ってくるまで!」
「ルフィは俺と二人で探した方が絶対エ早いんだからな。」と言うウソップの意見を
飲む事にし、ゾロはその建物の裏側の路地に身を潜めた。
だが、運の悪い事にウソップが海軍をその建物の玄関先まで連れてきたところで、
気まぐれに帰ってきたルフィと鉢合わせしてしまう。
それからは御約束の海軍と海賊の追い駈けっこになってしまった。
「おい、俺達が追い駆けられてるのはいいとして、もしかしたら。」
「あっちの港まで手が回ってるじゃねえか。」
船を停泊した港への道は既に大勢の海軍で封鎖されてしまった。
迂回して帰ろうとすれば、半日以上掛る経路だったが、三人は仕方なく、
地元の人間しか歩かない、古びた険しい道を必死でゴーイングメリー号と
仲間が待つ街を目指して歩く。
何時の間にか、空は暗くなって来ていて、雨も降っている。
ほどなく、夜が来て、この道は闇に閉ざされるだろう。
松明などをかざして進めば自分達の居場所を海軍に追尾されるだけだし、
迷って、結局余計に時間を食ってしまう。
「野宿するしかねえな。」と言う事になり、三人は約束の時間を既に10時間近く
遅れてしまっても、為す術がなく、真っ暗な山の中に雨に打たれながら
しゃがみこんで溜息をついた。
「ナミ、怒るだろうなあ。」とルフィはまだ、暢気だが、ゾロは気が気ではない。
(俺が買い物をしてえからだ)
(お前が欲しいと思う物を買う。だからお前が決めろ)
約束の時と場所は、昨日の夕方、港の、一番端の灯台の根元。
そんな時間はとっくの昔に過ぎている。
約束を、よりにもよってサンジとの大事な約束をコバトの所為で守れなかった。
その事がゾロの心を重くする。
そして、自分達を追っていた海軍がそのまま、メリー号へ襲いかかっていると言う怖れがゾロの心を不安にさせる。
「サンジもいれば、ロビンもいるんだぜ?大丈夫だって。」とルフィは言うけれど。
(なんで、こんなに不安なんだ。)真っ暗闇の中でも方向を間違えずに歩ける
方向感覚があるなら、全力疾走で帰りたいのに、それが出来ないもどかしさに
ゾロはいつまでも寝つく事が出来なかった。
「サンジ君!」「コックさん、いるんなら返事してちょうだい。」
サンジは血が止まらない手の傷を押えて、灯台の根元に凭れていた。
雨音に混ざって、ナミとロビンが自分を呼んでいる声に痛みを堪える為に
ギュと閉じていた眼を薄く開いた。
(なんでナミさん達が)こんなみっともない姿を晒すなんて、と
身を隠したかったが、左右を眼球だけ動かしてみても、どこにも隠れる場所がない。
あるとすれば、海に飛びこむしかなかった。
受けた傷が手でなければ、見栄を守る為にサンジは海に飛び込んでも、
とっさに身を隠そうとしただろう。
だが、今はそんな下らない見栄を張る気力はなかった。
痛みだけが全身の神経を支配し尽くしていて、サンジは朦朧としつつ、
まだ、激しい動揺を収めきれていなかった。
「サンジ君、」
灯台の裏側でサンジを見つけて、ナミは一瞬だけ安心した。
だが、すぐに真っ白なシャツの腹のあたりと握りこんでいる両手が真っ赤に染まっている事に愕然として表情を強張らせる。
「傷を見せなさい。」とすぐにロビンがサンジの傍らにしゃがみこんでサンジの手首を
掴んだ。
普段なら、そう言われても決して素直に見せずに
「大丈夫だって。」と言って笑うサンジが黙ったまま、ロビンに右手を差し出した。
その手がブルブルと小刻みに震えている。
俯いた額にはびっしりと脂汗が滲んでいて、その汗の所為なのか、
雨の所為なのかは判らないが、サンジの髪がぐっしょりと濡れていた。
右手の平に真一文字に切り裂かれた手、流れ出る血の多さにロビンは傷の深さと
状態が判断しかねた。
(酷い事をするわ。)体のどこを痛めても平気だろうに、コックのもっとも大事な
右手をこんな風にすっぱりと斬るなんて、とロビンは眉を潜めた。
「すぐにドクターに診てもらいましょう。鋭利な傷だから、きっとくっ付くわ。」
「俺。」
ロビンとナミが傷ついたサンジの体を気遣い、労わる様に立たせようと手を添えた途端、
サンジは急に我に返った様に呟いた。
「ここであいつを待たないと」
「約束したんです、ここで待ってるって。」
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