規則正しい生活はしていなかった。

夜は殆ど起きている。
寝床に入るのは、大方、朝日が昇ってからだ。

海賊を、賞金首を狩るのも、
自身が 腕に覚えのある剣士に挑まれるのも、夜が殆どだった。

夜陰に紛れて襲われる事など、日常茶飯事だ。
世界一の剣豪と称されるようになって、一人、海で
生きる事を選んでから、

いつのまにか、昼夜逆転の生活となっていた。

ただ、夜に眠るのは、恋人の側でだけだ。

夜に眠る、恋人の寝息を、体温を全身に感じていると、
普段、神経を尖らせている夜と言う時間にも関わらず、

まるで、その温もりに誘われるように夢の海へと沈んで行ける。



真昼間に宿で休んでいても、人目の多い場所で わざわざ
襲ってくる奴がいないせいで、
ゾロはその日も、昼日中に宿の一室にいた。

男に一人旅など、殆ど手ぶらだ。
ただ、刀を手入れする道具と、ちょっとした怪我を治すぐらいの
薬と傷を縫う為の糸、少しばかりの金があればそれですむ。

肩に引っ掛けて持ち歩いている、小さな黒い袋があった。
一体、いつ頃、その中に見なれない物が入っている事に気がついたのか、
ゾロは忘れた。

ただ、それが切れないように、なくなれば買い足すようになっていた。

袋をまさぐって、小さな紙の包みを取り出す。
雨で濡れても、平気なように油紙で包んでいる。

恋人の口にいつも、咥えられているものが数本。
無造作にゾロはそれを咥え、一緒に包んであるマッチを摺って
火をつけた。

眠る前に、1本だけ、ただ、煙りの匂いを部屋に漂わせるだけに
口にする煙草。

フィルター越しのそれではなく、自分の口から吐き出した煙りを
鼻腔から吸いこんだ。

恋人の、
遠く、オールブルーにいるサンジの匂い。





恋しいと思うことも、寂しいと思うことも、ゾロは否定しない。
たった一人、魂を掛けて惚れた相手に対して想う様々に思う、
正直な自分に向き合わなくて、

(誰に正直になれるもんか)と 思っている。


無性に抱きたくなる時は夢の中で抱く。
名前を呼びたい時は、心の中で 100回も、200回も呼ぶ。

寂しさも恋しさも 思う存分その中に身を置いて、
狂おしいまでに想いを凝縮させる。

煙草の匂いをかぐと、爆発しそうな感情がいくらか
鎮められた。
何故か、側にいるような気がする。

口付けているような気がする。
唇を触れ合った後、ほのかに薫るその匂いに
寂しさと恋しさが募り、ざわめいた心が優しく、

その掌で包まれたような心地になる。

離れているから、こんなに恋しい。
優しい仕草、優しい温もり、優しい眼差しだけを思い出せる。



最初、宿を出る時に金を払おうとサイフを出すつもりで
袋の中を探ったら 封を切った煙草が出てきた。

(俺ア、煙草なんて吸わねえのに。)とゾロはその煙草の
処遇に戸惑った。

不要な物なのだから、捨てればいい。
それが新品だったなら、迷いなく、捨てていたかもしれない。

けれど、半分ほどしか入っていない、その箱を入れた、
サンジの気持ちを考えて見た。


サンジは自分が帰っていっても、旅立つ時も、
大きな喜びも、寂しげな顔も見せてくれない。

帰っても側にいても、自分の生活を崩さず、自分のテリトリーに
ゾロを迎え入れても、さして歓迎しているようにも見えず、

(俺がいなくても、こいつは)生きて行ける。
寂しさなど、感じてない。

自分だけが こんなに寂しく、恋しく
会えば嬉しく、触れ合えば 魂が震えるほどの喜びを感じている。

サンジと自分が同じ気持ちでいるのか、どうか、
(わかったもんじゃねえな。)と、

そんな 脆弱な不安に 駆られた。

気がつかれなくてもいい、ただ、自分の心の中に滲んだ
想いをただ、羅列しただけの置手紙を
サンジの部屋に置いて来た。

目に止まる場所に置く勇気がなく、
窓の桟にさしこんで。


十本にも満たない煙草しか残されていない箱からは、

(必ず、帰って来い)と言う声が聞こえるような気がした。

もっと、思い上がるなら、
(俺を思い出せよ、この煙草の匂いで)と言って生意気なサンジの
面影が頭をよぎった。

自分もサンジに何も伝えていなかった。
眠りにつく前、必ず、思い出している、思い出さない日などない。
そんな自分では当然だと思っていた事さえ、何一つ、

言葉では何も伝えていかなったのに、サンジにだけそれを求めていた
自分の身勝手さに、

その残りものの煙草でゾロは気がつかされた。


今日も、昼間前の柔らかい光りの中、
眠る前の口付けに似た、煙草の匂いが鼻をくすぐる。
きっと、今ごろ 短かった髪が肩を越えている事だろう。



今日、着いたこの港町で、入れ替わりに旅立つ人の口から、
オールブルーには、もうすぐ、氷に閉ざされる冬が来ると聞いた。
そうなると、数週間、店は休業すると言う。

外界からの侵入を氷と猛吹雪で遮断され、
オールブルーは 一年の内で最も厳しい季節になる。

ゾロはそんな事さえ知らなかった。


その時期に合せて帰ってきてくれ、と言ってくれれば、
そうしただろう。
自分の夢の海で、日々、忙しく生きているサンジの時間を
その間だけは、一人占め出きる。

けれど、サンジは何も言わなかった。
そんな時期がある事さえ、ゾロは今日まで知らなかった。


(帰ろう)


まだ、間に合う。
目的地に真っ直ぐに辿りつけない、自分の生まれ故郷にさえ帰れない、
ゾロがたった一つ、間違えずに帰れる場所へ。

海が凍てつき、何人も近づけなくなる前に、
寒さに 自覚したがらない寂しさに気がつき、
サンジの心が凍えない内に、側に行きたい。

ゾロは 眠るつもりで吸った煙草を灰皿に押しつけ、揉み消す。
立ちあがり、身支度を整えた。

急いでも、多分、普通の旅客のようにはいかない。
自分に向かってくる海賊や、剣士をなぎ払いながらの旅になる。
けれど、出来る限り、急いで サンジの元へ帰り、
今度こそ、一度だけでも、自分の声と言葉で
寂しさを伝え 同じ気持ちを確認する為に、

ゾロはまた一人、オールブルーを目指して、海を行く。