どんなに時間が過ぎようと、先に来た方が、後から来る男を待つ。
迷子になって遅れたり、島の女に鼻の下を伸ばして遅れたり、時間など決めても、
どうせ守らないのなら、決めない方がマシだから、とにかく、待ち合わせ場所だけ
決めて、後は、そこで動かずにただ、じっと待つ。
夕陽がとても綺麗な、のどかで小さな島だった。
便利な機械が世の中には溢れているのに、そんな事になど全く興味はなく、
今日、島に住む全ての子供、年寄り、男、女、赤ん坊が、腹が膨れて穏やかな眠りにつき、明日はまた、今日と同じ様に穏やかに過ぎればそれが一番いい。
誰もがそんな風に思っている、ささやかな楽園のような、素朴な島だった。
(・・・ったく、こんな田舎島でも時間食うのかよ、あのバカは)
ゾロは自然の石を積み上げて作ったらしい、防波堤の上に腰掛けて、
サンジを待っていた。
砂浜では、小さな子供達が5人ほど、おのおのの家から持ち出して来たらしい石鹸で
シャボン玉を作り、潮風に乗せて遊んでいる。
「すげえ、俺のシャボン玉、あんな所まで飛んだ!」とクリクリ頭の男の子が
キラキラと輝く眼差しで、ゾロの方へ顔を向けた。
(・・・ふん)ゾロは自分の目の前まで飛んで来た、大きなシャボン玉を
さらに飛距離を伸ばしてやるつもりで、フ、と小さく息を吐く。
ところが、それがアッサリと弾けた。
ゾロの顔に、霧雨の様な水粒がくっつく。
「あ〜あ・・・・あんちゃんが息しなきゃ、も少し飛んだのに!」とクリクリ坊主が
丸い頬をさらに丸く膨らませて、上目遣いにゾロを睨みつける。
その純朴な様子がおかしくて、ゾロはつい、微笑んだ。
「悪イ、悪イ。もう一回飛ばしてくれ。今度は邪魔しないから」
それがキッカケで、子供達は不思議にゾロに懐いた。
もう海が真っ赤に染まると、子供達は家に帰って行ったが、
折角作ったシャボン玉の水が勿体無いから、とそのまま防波堤の上に行儀良く、
各々の入れ物に入れて置いて行った。
「これ、あんちゃんの分ね。遊んでくれたお礼」とクリクリ坊主は律儀にも、
自分の分の入れ物をゾロに渡してくれた。
「ありがとな」ゾロはそれを素直に受取る。
まだ、幼い子の心使いを大人だからいらない、とか、お前のだろ、と言って突き返すのはそれこそ、大人気ないと思ったのだ。
どうせ、退屈なのだ。日が沈んで、月が昇って、まだどれくらいの時間、
サンジを待っていなければならないのか、見当もつかない。
とりあえず、その粗末な入れ物に入っているシャボン玉の水を使いきるまでは、
退屈凌ぎが出来る。
どのくらいの大きさになるか、どこまで飛ぶか。
そんな事を考えながら、適当にシャボン玉を飛ばし、ゾロはサンジを待つ。
(・・・あんな事、あいつは忘れてるだろうな)
ふわふわと優しげに飛んでは消えて行くシャボン玉を見ていたら、
何時の間にか、サンジとの距離がまだこんなに近くなかった頃の事をゾロは、
思い出していた。
「シャボン玉大会?」
船の掃除をしていたら、小さくなって使えなくなった石鹸がいくつか出て来た。
それをルフィが水に溶かして、皆でシャボン玉をして遊ぼうと言い出したのだ。
「ついでにそれで甲板掃除もしちゃえば?私は見てるだけでいいわ」
「私も見物させてもらうわね」とロビンもナミもそんな子供じみた遊びに
参加するまるきりない。
「なんだよ、大会って」とサンジもあまり気乗りしないようだったが、
船長が言い出したのだから、渋々付合う、と言う雰囲気で台所から顔を出した。
「どこまで飛ぶかとか、だれがデカイの作るとかか?俺が審判してやるよ」と
サンジも全くやる気はなさそうで、ルフィやチョッパーの盛り上がりを
冷めた目で見下ろしている。
「違うぞ、サンジ!誰が一番丈夫なシャボン玉を作るかの勝負だ」
「シャボン玉相撲だ!」
「なんだそれ」ルフィの言葉にも、サンジのつまらなさそうな表情は変わらない。
ただ、口先だけはルフィの言葉の意味を形ばかりに尋ねている。
「シャボン玉同士をぶつけて、どっちが先に壊れるかの勝負をするんだ」
「そうかよ、頑張れ」
そう言って、サンジはキッチンに戻ろうとしたが、ルフィはその襟首を
階段の上にまでギュン!と伸ばして引っ掴まえた。
「ぐえ!」
「砂糖と油!」ルフィはサンジの体にしがみ付き、そう強請った。
「食べ物を遊びに使うのか?油は潤滑油があるだろ、大砲の!」と引き剥がそうとしてもルフィはしっかりとしがみ付いて離れない。
「サンジもやろうぜ〜〜ゾロもやるって言ってるしイ〜〜」
ゾロも正直、全く気乗りはしなかった。
だが、ルフィが「船長命令」と言い出したら、参加しない訳にはいかない。
「船長が言ってんだ、さっさと油と砂糖を用意しやがれ!」とゾロは半ばヤケクソで
サンジにそう怒鳴った。
おのおのが、自分の考えで砂糖と油、水を配合して、粘度の高い泡を作る。
ただ、飛ばすだけならこんなにムキにはならなかっただろう。
相手のシャボン玉に自分のシャボン玉をぶつけて勝負する、と言うからには、
(絶対に負けたくねえ)と思う相手がいる。
(こんなもんか)とゾロが小さな容器にストローを突っ込んで、
グルグル掻き回していると、こめかみあたりにチリチリと痛い視線を感じた。
(てめえにだけは負けてたまるか)
その交わし合った視線で、サンジが今、思っている事がゾロにすぐに伝わってくる。
相手がその気なら受けて立たねば男ではない。
シャボン玉は大き過ぎても、小さ過ぎてもいけない。
遊び半分だったルフィ達よりも、サンジとゾロの作り出す泡は、異様に頑丈だった。
「マリモ汁でも入ってンのか、てめえのその液体は」
「てめえのグル眉汁こそ、無駄に根性があるな」と二人は、皮肉をぶつけ合う。
どんな事でも、上に立ちたい。それは、サンジを見下ろしたいからではなく、
サンジの前に立ち続けたいと思うからだ。前を歩けば、常にサンジの目に入る。
だから、前を歩き、そこに立っていたい。その為には、どんな事にだって、
真剣に勝負して常に勝っていたいのだ。
例え、それがとても子供じみていて、かつ、地味な遊びであっても。
「よし、行くぞ」
そう言ってサンジはしゃぼん玉の液の入った容器にストローを突っ込んだ。
そして、軽く吸い込み、そっと気泡を膨らませ、シャボン玉を作る。
ゾロもサンジと向き合って、それに倣った。
潮風に弄ばれて、フワフワと軽やかに二人のシャボン玉はゆっくりと近付く。
大きな泡ごしに、ゾロはサンジの表情を真っ直ぐに見た。
いつもは煙草を咥えている唇が、ストローを軽く噛んでじっと、シャボン玉の動きを
目で追う顔がとても幼くて、(こいつ、こんな面もするんだ)と思わず、胸の中に、
ふっと花の匂いを嗅いだような気持ち良さが過る。
サンジが一度だけ、ふ・・・と軽く息を吐いて、自分の泡をゾロのシャボン玉に
吹きつけたら、お互いを引き寄せるように二つのシャボン玉はお互いの膜に触れ合った。そして、二つとも、一瞬でかき消える。
どちらがどちらにどうしたか、など誰にも判断出来ない程、一瞬で、
ゾロが飛ばしたシャボン玉も、サンジの飛ばしたシャボン玉も消えた。
ゾロはその光景を、とっぷりと暮れた海を眺め、そしてその海に向かってシャボン玉を
飛ばしながら、思い返す。
あの後、急に
「つまらねえ、止めだ。こんな誰の目にも判定できねえことやってられねえ」と勝手に切り上げて、その場から立ち去ったのだ。
(あの頃は、欲がなかったな)とゾロはようやく、近付いて来る足音を遠くに
聞き、その足音の主にはまだ表情を見せないように、顔を海に向けたままで
昔の自分の気持ちを思い出し、そして、苦笑いをする。
ただ、側で見ていられるなら、側にいられるなら、それでいい、と自分では
思っていて、それで満足していられると奢っていた。
自分の気持ちを制御出来ない男が世界最強になどなれる訳がない。
自分の気持ちは自分で制御出来る。そう信じていた。
だから、サンジの側に、お互いがしっかりと見える距離にいられるならそれでいいと
思っていたつもりだった。
でも、そうじゃない、とその弾けたシャボン玉がゾロに教えたのだ。
弾けたシャボン玉は、サンジの体から、そして、自分の体から吹き出された、柔らかな空気の塊、そしてそれはぶつかりあって、一瞬、混ざり合っただろう。
ゾロはただ、それだけの事で動揺した。自分で自分の心臓の鼓動を静める事が
出来ない程に。
(・・・馬鹿馬鹿しい)と否定すればする程、自分ではどうしようもない気持ちが
心の中で浮き彫りにされて行った。
ただ側にいたいと思っていただけの気持ちは、ゾロの知らない間に、
ゾロの心の中で勝手に育っていた。
儚く、脆いそんな泡の中の空気でさえもサンジと溶け合った事を嬉しいと思った。
そんな自分の気持ちを馬鹿馬鹿しいとすぐに頭ごなしに否定した。
けれど、そんな事では自分の心臓の鼓動も、動揺も、どうしようもなかった。
サンジと一つになりたい、サンジの何もかもを自分の中に取り込んでしまいたい。
そんな、自分ではどうにもならない、自分の中の何か得体の知れない力に
心の中が支配されて行く。
そうやって、動揺する自分の姿を誰にも見せたくなかった。
そんな自分の気持ちを自分で受け止めきれなかった。
こんなに、自分の心が頼りなくどうにもならなくて、
それがこんなに苦しいとは、そのシャボン玉が弾ける瞬間までゾロは知らなかった。
今でも、その胸の苦しさは、忘れる事が出来ない。
一人の人間を、誰よりも大切にしたい、と思った日から、その思いが尽きる日か、
あるいは、思いが尽きるより先に命が尽きる日まではずっと、影の様に
心の中に根付いているモノなのだろう。
「・・・どしたんだ、それ。珍しい遊びをしてるじゃねえか」
サンジは防波堤に腰掛けているゾロの隣に、ごく自然に、誰よりも近い距離に近寄ってきて、
そう言った。
ゾロは答えずに、最後の一つになるだろう、シャボン玉をそっとサンジの顔に向かって吹きつける。
サンジはそれに、煙草の煙の混ざった息を優しく吹きつけて、そしてあの日の様に、
薄膜に包まれたゾロの息の塊を音もなく、弾き消した。
そして、また、二人の空気が混ざる。
「遅過ぎる」とゾロは憮然とした口調を装ってそう言いながら、隣に腰かけたサンジを抱き寄せた。
「宿探しまわってたんだよ、田舎だからな」とまだ、暮れ残る朱色の光に照らされて、
サンジは笑っている。
さっき、シャボン玉に溶けて混ざった空気を、今のゾロは、サンジの唇から拾う。
今のこの小さな幸せを噛み締める為に、過去の切なさや、苦しさを決して
忘れてはいけないのだと、また、ゾロはシャボン玉に教えられた。
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最後まで読んでくださって、有難うございました。
なんか、BGMは全然イメージの違うSFチックな曲を聞きながら書きました。
最初にイラストを書いて、そこから考えた話しでした。