sister  (世界一の海、世界一の朝)



(・・・馬鹿臭くなってきたな)

疲れていたのに、明日の、いやもう夜が明けてしまったのだから
今日、になっているのだが、山の様に待っている仕事を滞りなくこなす為に
少しは体を休ませなくてはならなかったのに、サンジは一晩中、自室のデスクに
座っていた。

書き損じの紙が丸めて、床に転がっている。
眠気覚ましに、と手を伸ばして開いたデスクの目の前の窓から、オールブルーの
朝の潮風がサワサワと吹き込んできて、薄いカーテンを揺らし、サンジの鼻先をくすぐった。

(・・・こんな事してる暇に他に色々出来たのに、一晩なにやってんだか)とサンジは
とうとう、右手に持っていたペンをカラリとデスクに投げ出し、大きく背伸びをした。
椅子の背に深く凭れ、天井を振り仰いだけれども、それは別に見る為ではなく、ただ、
だらしなく力を抜いただけだ。
たシャツを行儀悪く肌蹴ている所為で、そこの皮膚だけがやけに冷える。

昨夜、海軍の兵隊が店に二人の若い修道女を連れて来た。
「珍しいお客様をお連れしたんだな」
サンジはその修道女がこのオールブルーのレストランに来た訳と、彼女達の素性を短い言葉でその若い海兵に尋ねる。

「ええと・・・営業中にお連れするお客様じゃないとは思ったんですが・・・」
「閉店まで待っていると、遅くなると思いまして」

修道女を見たのは、別に初めてではない。
レストランに料理を食べに来た訳でもなく、奇跡の海、と言われるオールブルーを見物に来た訳でもないと言うのなら、一体なんの用があってここへ来たのか、
サンジは心の中で首を捻った。
「ようこそ、・・・ええと、なんとお呼びすれば宜しいんですか」
まずは、彼女達の名前をサンジはにこやかに尋ねる。

麦わらの船長さんに私達の島は助けていただきました。
お礼を言う間もなく、出立されて・・・なんとしてもお礼を言いたい、と言う
島民の強い要望がございまして、わたくし達は島の代表として、麦わらの船長さんに
お礼状をお持ちしたんですの。

「なんで尼さんが・・・いや、失礼。修道女のあなた方が?」とサンジは
慎ましい態度で話す彼女達に聞いた。
すると、彼女達はとても涼やかな笑顔を浮かべて、答える。
「海賊だろうと、嵐だろうと、わたくし達は怖くありません」
「島の人々の真心を携えて旅をしているのですもの、神様がきっと守ってくださいますから」

「本当にそうですね。女性二人で良くいらっしゃいました」

二人の言葉や表情からして、ルフィにどれだけ感謝し、尊敬し、慕っているかを
サンジは推測する。
どんな事柄があったのか、詳しく聞く時間はないけれど、きっと、アラバスタや
空島でやってのけた様な事を、彼女達の島でもやってのけたのだろう。
命がけで戦って、それもその島の者の為ではなく、自分の信念で許せないと思う者が在り、それに立ち向かってなぎ払い、結果、その島は平和を取り戻したのだろう。
感謝されようと思ってやった事ではない。それでも、ルフィは女二人でただ、
感謝しています、と言う言葉を伝える為にだけ命がけの旅をしなければと思わせる程に
感謝され、尊敬され、慕われている。
それが、サンジはまるで自分のことのように嬉しかった。

(変わってねえんだな)
今や大海賊と呼ばれるようになったけれども、ルフィは何も変わってない。
同じ道の上を歩いていたあの頃と。
それがサンジには嬉しかった。

仲間はどれくらい増えたんだろう。
ナミさんは元気にしてるんだろうか。

こみ上げる懐かしさについ、目の前にいる修道女二人の前でサンジは言葉を途切れさせてしまった。

「あの・・・ミスター?」
「ああ、すみません、つい懐かしくて」

怪訝な顔で修道女の一人に声を掛けられ、うっかり追憶の中に心全てが吸い込まれそうになるのを引き戻され、サンジはにこやかに微笑む。
「で・・・。私にはどういったご用件でしょう?」
「はい、実は」

海賊であるルフィに礼状を渡す手段がどうしても思いつかない。
かつての仲間であるサンジなら、どうにかして、島の人々の感謝の思いが詰まった
手紙を麦わらのルフィに届けてくれるかも知れない。

彼女達はそう思ってサンジを頼り、このオールブルーまでやって来たのだという。

(・・・う〜ん、)
一応、礼状は受け取ったものの、サンジも困ってしまった。
サンジだって、彼女達となんら条件は変わらない。
ログをどこで手に入れたのかさえ分からないのだから、どんな航路を取って
グランドラインを旅しているのか見当もつかないし、海軍でさえ
「麦わらの一味は神出鬼没だ」と言って滅多に所在を掴めない状態だ。
(空にまで行ったんだからなあ。海の底に潜って海底都市とか見つけてるかも
知れねえし。世界政府だって、あいつを探し出すのが難しいってのに、俺に
出来る訳ねえのに・・・参ったな)

それでも、なんとかしなければ、と思い、仕事が全て終わってから
デスクに座って色々と考えてみる。

どうやって連絡すりゃいいんだろう・・・と考えているうちに、ルフィの顔が頭に
浮かんできた。

目を開いているのに、脳裏にはルフィの事を語る、修道女の本当に朗らかな顔と、
ルフィの顔が交互に浮かぶ。
特に、ルフィの顔は、目の前で見ているかと思うくらいにはっきりと思い浮かべられる。

「麦わらの船長さんは、いまだにコックを使っていらっしゃいませんでした」
「食事は、雑用、と呼ばれる方達が作っておられて」

ルフィは彼女ら、その島の人々にこう言ったと言う。
「俺のコックは世界で一人だけだ」
その言葉を聞いて、サンジは胸が熱くなった。

俺はお前だけのコックじゃない、でも。
俺が世界一の海賊と呼ぶのは、お前だけだ。

その一言をルフィに伝えたくて、サンジは水に濡れても消えないインクと
特別な紙を前にして、一晩明かしてしまった。

その一言だけを書くつもりだったのに、書き出したら、出会った時の事だの、
なんだの、年寄りの思い出話の羅列になってしまい、それに自分がイラついて、
何度も何度も丸めて床に放り投げた。

言葉で本当の気持ちを素直に、誰かに伝える事が出来なくなっていると、途中でハタと気づく。
(・・・あいつの所為だ)とサンジは自分が素直でないのを棚に上げ、緑の髪をした、
世界一の大剣豪の所為にしてみる。
だが、結局、夜が明けても手紙は一行も書けなかった。

(・・・馬鹿臭くなってきたな)と夜明け間近になってとうとう、サンジは手紙を書くのを諦め、大あくびをする。

(こんな方法しかねえか)とサンジは飲み干したワインの瓶の中に、
一言だけ自分が本当に思っている言葉を紙に書き、その下に自分の名前を書いて丸めて
突っ込んで栓をした。

それを手にぶら下げて、自宅の玄関を出る。
ドアを開いて、まず、自分の食事用に作っている野菜畑と店に飾る為の花を植えている花壇を通り過ぎ、その先に伸びている、店の船に向かう桟橋の方へと歩いていく。
潮風の匂いの中に柔らかで甘い花の香りが混ざって、息を深く吸い込めば、
少し眠く気だるい頭に気持ちの良く染み込んで来る。

桟橋を渡らずに、海岸沿いを歩いた。
(・・・同じ色だな)とサンジは空を見上げてそう感じ、思わず波打ち際で立ち止まる。
砂浜に残した足跡が波に洗われて消え、白い小さな泡の様な波しぶきが革靴を濡らした。

「サンジ、腹減ったメシ〜〜」と言う声で毎日が始まったあの頃と、
今、目の前で赤く染まる夜明け前の空の色は少しも変わっていない。
けれど、ルフィがいま生きている場所と、自分が生きている場所は、なんと遠く、
隔たっている事か。
茜色の空があまりにも同じ色をしていて、その空の下に波打つ
海の色もあまりにも同じ色に見える所為で、余計にサンジにはそう思えた。

どんなに遠く離れていても、お互い、海の上で生きている事には変わりない。
海の上で生きている以上、魂のどこかで繋がっていられる。
そう信じて、この道を選び、生きて来た筈なのに、どうして、今朝はこんなに寒く、
人が、
ルフィが、
かつて仲間と過ごした日々が、恋しいと思ってしまうのだろう。

(・・・疲れてんだな、きっと)
そんな理由しか、サンジには思いつかない。

もっとたくさんの人に自分の料理を食べさせたい、と思っても、
そう思えば思うほど、必死にならなければならない事が多すぎる。

前菜から、デザートまで、朝食から晩餐まで、ここを訪れる人全ての食事を
自分ひとりで作りたいと思っても、もう完全にサンジの能力を超えている。
予約は何ヶ月も先まで一杯で、そんなに待たせて申し訳ないと思っても、これ以上
規模を増やすと料理の質を下げてしまいかねない。

もっとたくさんの人に。
もっと上質なものを。
欲を出せばキリがないのも分かっているが、思った以上はやり遂げたい。
そう思うから立ち止まれない。

自分の手足の様に動いてくれる料理人も何人かはいた。
けれども、彼らのうち、何人かはオールブルーを襲った嵐で命を落とし、
またある者は、サンジの料理をオールブルーには来られない人々に供したい、と言う夢を持って店を持つ為にオールブルーを去って行った。

今、サンジが疲れている、と感じるのは何年か掛かって育て上げ、
ようやく一人前、と頼りにしていた男が一人、やはり故郷で自分の店を開く為に
去って行ったばかりだからかも知れない。

にぎやかに大笑いして、騒いで、昔のようにそうできたら、明日から
一欠けらの疲労さえ残さずにまた前だけを向いて歩いていけるのに。
そう思いながら、サンジは手に持っていたワインの瓶を海に向かって放り投げる。

放物線を描いて沖へと宙を舞う瓶をサンジは目で追った。

(本当にルフィと俺が、今でも繋がっているなら、この手紙はルフィのところへ
届く筈だ)

そんな祈りの様な気持ちでサンジは少しづつ、沖へと流れて行く瓶を見つめる。

ふと、視線を感じてサンジは店の方へ顔を向けた。
昨夜、店の一部屋を宛がった、修道女が二人、桟橋からサンジを見ている。
まだ夜が明けて間もないのに、だらしのない格好のサンジに比べ、彼女達は
清廉な黒衣に身を包み、そこに居るだけでその周りの空気を清浄にするかのような
雰囲気を醸し出している。

なんとなく気恥ずかしくてサンジは片手で肌蹴たシャツの前を合わせて、無言で
一礼すると、向こうも品のいい動作でサンジに礼を返した。

その時。

沖の方から大砲の音が轟いた。

一発、二発。
だが、砲弾は飛んでこない。

(・・・あれはっ・・・)
サンジは目を凝らし、そして息を飲んだ。

入り江にゆっくりと数隻の船が入ってくる。
どの船のマストにも同じ海賊旗を掲げていた。

オールブルーの場所を知っている、世界でたった一人の海賊。
このオールブルーを探し出したのは、麦わらのルフィと言う海賊と、
その仲間なのだから。

海軍の誘導なしにサンジの店があるこの入り江まで無傷で入って来れる船団は、
世界中でも「麦わらのルフィ」率いる海賊団以外にいない。

「俺のコックは世界で一人だけだ」
目に映る風景を夢を見ている様な気持ちで眺めているサンジの脳裏に
ルフィの言葉が蘇る。

波を切って走る一番先頭の船の舳先には、あの頃と全く変わらず、赤いベストを身に着け、
麦藁帽子を被ったルフィが岸に向かって手を振っているのが見えた。

どうして、今、ここに来たんだろう、何をしに、何故、とたくさんの言葉や
思いがサンジの胸の中を駆け巡った。

「やっぱ、お前は世界一だ、」とサンジは思わず呟いた。



こんなタイミングで来られたら、そう言って強がって笑う事しか出来ない。
ゆるゆると流れた瓶を早速舳先の上からルフィは見つけて腕を伸ばして
拾い上げている。

(今でも俺達は繋がっているんだな)

言葉や追憶に縋らなくても、こんなにはっきりした形で自分とルフィの絆の強さと
深さを経験したなら、この先も、ずっとそれを信じていける。

サンジは心と体に、ルフィと自分の距離が縮むのと同じ早さで、
力が湧き上がってくるのを感じた。
その感覚が気持ちよく、そして、こみ上げる喜びを押し殺す事も出来ずに、

力いっぱい手を振って、ルフィの声に応える。

世界一の海賊を迎える、世界一の海は今日も世界一、蒼い。

(終わり)「





最後まで読んで下さって有難うございました。

これは、「ポルノグラ○フティ」の「Sister」を聞いて、イラストを描いてたら頭に浮かんだ
筋をSSにしました。


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