第3話(緊張)


次の日から、サンジは精力的に働き始めた。

が、

陸の上でも多くの怪我人が出た所為で、医者がなかなか往診してくれない。

熱が引かず、傷の消毒も充分にはできないので、ゼフはどんどんやつれていった。
サンジは己のするべき仕事の合間を縫って、ゼフの世話もほかのものには
任せず、一人で看ていた。

いつもよりも小さく見えるゼフの体。
気弱な事は一切言わないが、普段が病気などに縁がないだけに、熱のだるさも
却って堪えていルように見える。

全く動けないゼフの排泄物の始末も、サンジは平然とこなした。
声もかけず、労わりの言葉もなく、淡々とゼフもサンジのやりたいようにさせていた。

殆ど口も利かずにサンジは ゼフの食事も着替えも他の者の手を煩わせるような事はなかった。




毎晩、ゼフが眠りにつくまで腰を柔らかく擦る。

サンジは何も言わない。ただ、黙ってゼフの腰を擦る。

ゼフも同じように沈黙する。
させたいように、させている。

(・・・熱が引いてねえ.)ゼフの腰を擦りながら、サンジの眉間に影ができる。


昼間の激務のせいで、サンジはふっと眠りに誘いこまれそうになる。
はっと気がつき、また手を動かし始める。
その繰り返し。

時々止まる手の動きに、ゼフは眠った振りをする。
自分が寝ついた事を確認するまで、サンジは側から離れないからだ。

船に帰ってきてから、あっという間に4日間が過ぎている。
今晩は、とくにサンジの手の動きが鈍い。

そろそろ、疲れが溜まって来ていてもおかしくはない。

がくんっがくんッと2度、大きく体を前後に揺らしてそのまま
ゼフのベッドの端に倒れこみ、頭だけをのせて眠り始めた。

(・・・・。風邪を引くだろうが.)
ゼフは規則正しく聞こえてきたサンジの寝息を背中に聞きながら、舌打ちした。


「おい、チビナス!!」
わざと乱暴な大声で怒鳴ると、サンジは眠たげながらもすぐに顔を上げた。

「・・・・あ?」

「俺のベッドに凭(もた)れるんじゃねえっ。てめえの寝る部屋はここじゃねえだろうが!!」

厳しい口調でそう言うと、サンジも負けずに言い返してきた.

「誰が好き好んで、てめえのベッドに凭れたッつーんだよ?!」
「てめえの体が動くようになるまで、俺がどこで寝ようと口を出すんじゃねえよ!!」

今まで、お互い一緒にいながら、殆ど口を聞いていなかったせいか、
ゼフもサンジもいったん喋り出すと、止まらなくなってしまった。

「随分、偉そうな口を利くじゃねえか?!そんなとこに寝られて、寝小便でも垂れられたら、臭くてかなわねえんだよっ。迷惑だ。」

「俺がいつ、寝小便をたれたッつーんだっ!!、朦朧(もうろく)したか、鼻毛ジジイ!!」

「ションベンくせえガキが、いっチョ前に人の看病なんて真似、できねえのにやるから
そんなに疲れるんだ。」

「別に疲れてねえよ!!」
ついさっき、ゼフのベッドに凭れてまどろんでしまったことなどサンジはとっくにに忘れている.

「だれがてめえ一人で看てくれと頼んだ?」

そのゼフの問いかけに、サンジのまだ覚醒しきっていない鈍った頭から、
思わず本音が飛び出しそうになった。

(弱ってるジジイを誰にも見せたくねえ!!)

レストランでのゼフの存在はサンジにとっては奇跡的でさえあった。

ゼフがそこにいて、ただ立っているだけで、コック達の仕事振りが違う.
威圧感、威厳、・・・無駄な口は一切利かず、人材を適材適所に配置し、
常に最高の料理が提供できるように、どんな細かい失敗も見逃さない。

料理人としての技術も卓越している.

この船のコック達のすべてが畏怖し、かつ、敬愛しているのだ。
ゼフこそが、この船のカリスマであった。

サンジはそんなゼフの、今の状況を他のコック達に晒したくなかった。

ゼフには、どんな時でもそうあっていて欲しかった。

痛みや熱にうめく姿は当然、まして排泄物の処理などで触れる部分になど、
自分以外の人間に晒すなどもってのほかだった。

一瞬考えて、サンジはやはりひねくれた言葉を搾り出した。

「てめーのこんなにボロボロの姿 めったに拝めるもんじゃねえ。」
「勿体無くて、他のやつに見せれるもんか!!」

表情や行動で充分にゼフへ愛情を示しておきながら、
言葉となって口から溢れてくる事はない。

ゼフはそれを充分すぎるほど理解していた。

思わず口の端に微かな笑みが浮かんだ。
「なんだと・・・?。」
だが、背を向けているのでその表情はサンジには見えない。

サンジは今度はゼフの下肢に手を伸ばして、黙って揉み始めた。
「もう、眠ったりしね―よっ」

逞しい筋肉に包まれた硬いゼフの足。
サンジは両手に力を入れて、血の巡りが良くなるようにマッサージをする。

「今日はまだ、包帯を換えてねえようだが。」

ゼフにそう言われて、サンジは慌てて布団から手を出した。
(・・・・忘れてた.)

ゼフはサンジに片足のない部分に触れさせたくなかった。
4年前にサンジのために失った足。
そのことで今だサンジの心の中に自責の念がくすぶって、
いや、渦巻いている事もゼフは知っている。

だから、余計な刺激を与えたくなかった。

「大口叩くなら、手を抜くんじゃねえ。」
ゼフもサンジに負けず、言葉でサンジに愛情を伝える事はない。

「うるせえ、今やろうと思ってたんだよ!!」
サンジは処置を施すための準備を整えた。

ゼフの体に手を回して、包帯をとった。

背中に一面、大きな紫色のあざ。
無数の裂傷。

サンジは傷口を消毒していく。

(・・・俺がいたら、こんな怪我させなかった。)

いつ治るのだろう。

歩けるようになるのだろうか。

傷を見ながら、サンジはまた、不安に駆られた。

(もし・・・・。このまま、起き上がれなかったから・・・・)


ゼフの背中に温かい雫が落ちた。

いくつも、いくつも、落ちてきた。

(やべっとまらねえっ!!)


なんとか誤魔化そうと、サンジはゼフの背中に薬を同じようにぽたぽたと落とした。

だが、


そんな事で誤魔化されるゼフではない。
サンジはグッと袖で涙を拭う。

「フン。」

ゼフは鼻だけでそんな幼いサンジの動向を笑った。
「お前のそんな顔も、みっともなくて他のやつらに見せれねえな。」

「やかましいっ」

サンジの押さえ込んでいた感情がついに堰を切って溢れ出した。

「じゃあ、俺にみっともねえ顔なんて、させんなよ!!」

まだ、14歳の少年がたった一人で船の修理の手配をし、雇っているコックの
食い扶持の心配をし、金策にまで頭を悩ませ、自分の世話をしているのだ。
肉体的にも、精神的にも疲れていて当たり前だった。

サンジの顔は見る見るぐじゃぐじゃになっていく。

「うぐっ・・・っ。うっ・・・・・っ」


感情が先走って、いきなりしゃくりあげたサンジをゼフは吹き出しそうな
面持ちで、振りかえった。

「ばかか・・・。」
ゼフは手を伸ばして、サンジの頭を抱きこんだ。

しゃくりあげるのを無理に押さえようとする所為で妙な声を出すサンジの背中を擦ってやる。

「やめっぶっ・・・ぐひっ・・・・ガキっ・・ガッ」

「鼻水垂らして泣いてるやつがガキじゃなくて、なんだってんだ。」

「サンジ」
ゼフは呼吸がなかなか落ちつかないサンジに穏やかに話し掛けた。

「お前が一人前になるまでくだばったりしねえ。」

「じゃあっっっぐっ・・・っ今すぐにっ・・・・くだばれっ」


サンジの強がりにまた、ゼフは微笑んだ。

「お前、今で一人前のつもりか。自惚れんじゃねえ。」ゼフは擦っていたサンジの背中を強く抱きしめた。

(お前を一人きりにするくらいなら、最初から連れてこねえよ。)
「まだまだ、お前には教えなきゃならねえことがたくさんあるんだ。」
「人を年寄り扱いするのもたいがいにしろ。」

サンジの呼吸が落ちついたので、どちらからともなく、体を離した。

「お前、ちゃんと食って寝てるんだろうな。」
からかうような口調で、ゼフはサンジに問い掛けた。

「余計な心配すんじゃねえよ、自分のことくれー、ちゃんとやってるよ。」
相変らず、生意気な口調でサンジはゼフに答えた。

サンジはなんだか、とても心地よく疲れが出てきた。
「ジジイ・・・・。ちょっとだけ、ここで寝るからな。」

そういうと、椅子に深く腰掛けて、頭を垂れた。
その寝息が整うと、ゼフは上体を起して、サンジの体を引き寄せて、ベッドに凭れさせてやった。

サンジは久しぶりに深く眠った。



次の日。
ようやく、医者が往診にやってきた。


適切な治療をうけ、ゼフはみるみる回復していった。


5日もすると、ゼフは歩けるようになった。

歩けるようになって船内を見まわると、内装や調度品などはまだ整っておらず、
レストランとして営業できる状態ではなかったが、船舶としては十分に機能できるまで修理できている。

(よく、やったもんだ。)
ゼフは素直に感心した。


営業を再開できるのはいつになるかわからない。
それでも、誰一人、このバラティエを離れたコックはいなかった

ゼフが回復した事で、コック達の士気は一気に上がった。

サンジはそんな船内の雰囲気を敏感に察し、安心した。

忙しく立ち働けるようになったゼフの目を盗んで、黙ってサンジは自分の船で
出奔した。


ゼフがその事に気がついたのは、全員が揃って食事をとる、夕食の時間であった.

「おい、ボケナスは?」
傍らのコックにさも、どうでもいいような口ぶりでゼフは尋ねた。

「ああ、海軍で金を稼いでくるって、朝早く出かけましたよ。」

海軍のコックは、通常のコックよりも給金が安定していて、希望すれば前金でもらえる事もあるらしい。

自分になにも言わずに勝手にサンジが決断したことだ。
若年とはいえ、サンジは料理も、喧嘩も腕が立つ。おそらく、何も危惧する事はないだろうが。

(ったく、また、余計な心配しなくちゃならねえな。)とゼフは思った。そして、高く晴れ上がった空を見上げた。

嵐の去ったあとの青空はどこまでも青く、高かった。







サンジは空を見上げている。






あの日の青空と。

あの日の風と。


あの日の思い出と。


脳裏に浮かべて。


見なれたその顔が何を思っているのかが

何時の間にか判るようになったゾロは

なにも言わずにただ穏やかな視線をサンジに注ぐ。

(おわり)