「なにやってるの・・・?」
その命を下した、H−20へ R−7は刃先を向けた。
クロイツが開発したクローン達にとって、創造主の命令は
絶対だった。
まして、R−1以外は 自分の判断で行動するのは 戦闘場面だけで、
人間らしい判断、人間としてするべき判断など
絶対に 出来ないようにコントロールされている。
「私は、R−1を殺せ、と言ったのよ。どうして、私に刀を向けるの?」
H−20は、R−7を焼き焦がすような目つきで見て、R−1を指差した。
「あれがR−1よ。さっさと殺しなさいっ。」
「ソレハ出来ナイ。」
「R−1ヲ殺セバ さんじガ死ヌ。」
単調な言葉遣いで、R−7は まるで大根役者が脚本を棒読みするように
聞こえる口調でそう言った。
有り得ない。
H−20の顔から血の気が引いた。
こんな事は有り得ないのだ。
自分の作ったクローンが 命令に従わないばかりか、
自分に刃を向けてくるなど、絶対に有り得ない事なのに、
それが現実に目の前で起こっている。
だが、R−7はそれ以上の言葉は何も言わなかった。
刀を突き付けていながら、H−20の命令を待っているように
周りの者達には見える。
何がどうなっているのか 良くわからないのだが、
サンジはそれどころではない状態に陥りつつあった。
胸の痛みが時間を追って重く、酷くなって来た。
だが、とにかく
目の前にいる、愛情に飢えた少女が責められているように
見える光景から その少女を助けてやりたいと思った。
例え、この胸の痛みの原因が彼女だとしても、必ず何か理由がある筈で、
昔の自分を見ているような 不器用なやり方しか出来なかった
本当はとても純粋な、ただ、愛している相手から愛されたいと思っているだけの
稚い(いとけない)魂に触れて、ほぐしてやりたかった。
「ヒユちゃん。」
胸の痛みを堪えて、サンジはまだ、H−20をヒユ、と呼んだ。
ゆっくりと歩み寄る。
もう、胸の痛み、心臓の痛みは立っていられるような状態でなくなってきている筈。
意識があることさえ、H−20のデータ上では 考えられない事なのだ。
サンジは、H−20の細い肩に手を添えて、そっと、
大事に、大事に、包み込むように 柔らかく抱き締めた。
「止めてよ。」
サンジを振り払うでもなく、H−20はサンジの腕の中で声を震わせた。
そんな風に、優しく抱かないで。
誰も、愛してくれなかった。
折角、この世に生まれて来たのに。
誰も、一度も、こんな風に抱き締めてくれなかった。
だから、抱き締めて欲しかった。
ヒユはいい子だ、愛している、と誰かに言って欲しくて。
必死で、パパに誉めてもらいたくて、
でも、どうしていいのか わからなかったの。
ヒユちゃん、と呼ばれたクローンの紫色の瞳が 大きく揺らいで、
涙の粒が後から 後から涌き出て 頬に伝う。
「こうして欲しかったんなら、パパにもこうしてあげればいい。」
俺が君を抱き締めたのは、君が昔の俺に見えて、
愛しいと思ったからだよ。
サンジの言葉は ヒユの耳にさえ、聞き取りにくいほどの低さだった。
「ありがとう。ごめんなさい。」
次の瞬間、サンジの体がヒユの体からずり落ちた。
全身が小刻みに震え、呼吸が荒く、細い。
「R−1っ、薬を、薬を早くサンジに飲ませてあげてっ。」
ヒユはサンジの身体を支えて、怒鳴る。
そこにいた全員が一斉にサンジの側に駆け寄った。
ルフィがサンジの襟首を掴んで 大声で名前を呼び、
「どうしたっ。シンゾーが痛エのかっ。」
R−1は ヒユの腕の中で 苦しむサンジの顔と それを眉を寄せ、
ルフィやウソップと一緒に サンジに声を掛けているゾロへと
目を走らせた。
薬は持っている。
けれど、その薬は ヒユの作った毒虫の中和剤でありながら、
その毒が体内に存在しない状態で服用すると
激しい アレルギーを起こして 酷い状態だと ショック死するほどの
劇薬だった。
だから、保管や持ち運びには 細心の注意が必要なのだ。
特殊なカプセルに入れて、R−1はそれを携帯しているのだが、
それをゾロの目の前でサンジに服用させるのに 躊躇している。
サンジを一目見た時から、どうしようもなく 惹き付けられた。
触れて見たい、声を聞きたい、と言う感情が 恐ろしいほどの勢いで
心に湧き出した。
まるで、その存在に魂ごと、鷲掴みにされたように。
だが、サンジはオリジナルで、普通の人間だ。
クロイツに植え付けられた擬似本能でなく、
ゾロの細胞が本来持っている 純粋な本能からの望みだとしても、
決して その望みが叶う事はない。
一緒にいたい。
ただ、それだけの望みが 同じ細胞を持つオリジナルのゾロには 許されても、
自分には 許されない。
それなのに。
今から サンジに施す 処置を考えるとその後に待つ
恐らく 胸が抉られ、焦され、なにか 得体の知れない 鋭い爪に引き裂かれるような
痛みから 耐えられるか、自信がなかった。
「R−1」
クロイツの、大きな呼び声に全員の目がその方向へ向けられる。
「早く、サンジに薬を飲ませなさい。心臓が止まってからでは遅いんだ。」
創造主の命令は、クローンにとっては絶対なのだ。
クロイツの言葉に R−1は頷いて、ヒユからサンジの身体を受け取る。
奥歯に埋めた、小さなカプセルを舌先でほじくり出して、噛み潰し、
飲みこまないように口に含んで、
サンジの口に ゆっくりとその薬を流しこんだ。
ゴーイングメリー号が、その島を去ったのは それから 2日後だった。
サンジが目を覚ます前に、ヒユ・・・H−20は突然、
クロイツの娘と同じ病気を発病して けれど、同じ様に
穏やかに微笑んで 眠るように息を引き取った。
「お前には 可哀想な事をしてしまった。」
ヒユを看取った後、クロイツは急速に衰弱して行った。
いよいよ、最期、と言う時になって
クロイツは R−1を枕元に呼び、本当に申し訳なさそうに詫びた。
「本物のロロノアが生きている限り、お前は決してこの島から出ては
行けない。判るな。」
世の中に ロロノア・ゾロは二人もいらないのだ。
R−1は、一生、誰もいない、この島で たったひとり
なんの目的もなく ただ、生き続けなければならない。
それをクロイツは詫びているのだ。
R−1は クロイツの言葉に頷いた。
「大丈夫。俺はドクターに色々な事を教った。」
「ドクターの知識は俺が受け継いでいるから、俺の事は心配しなくていい。」
「俺は一人じゃないから。」
クロイツが残した研究室の一室で、抑揚のない 音声が 響く。
「第1回細胞分裂開始ヨリ、173、640時間経過。」
「培養液 除去完了」
「脳波、異常ナシなし。」
「覚醒 10秒前」
「S−1、覚醒。カプセル、ロック解除」
R-1は、ゆっくりと開いたカプセルに近付き、微笑ながら声をかけた。
「気分はどうだ。」
そして、答えた声は、遺伝子が引き合う、運命の相手のもの。
「最悪だ、クソ野郎」
(終り)