「買い物下手」は遺伝子に所以するのだろうか。

「申し訳ありません。」売り切れてしまって。

そう店員に言われて、R-1は絶句する。昨日まで、このショウウインドウに
ちんまりと飾ってあったのに。
ようやく、買う決心がついてやって来て見れば、売り切れてしまったと言う。

「こちらも、可愛いですよ。」と申し訳なさそうに、それでもにこやかに別の
モノを勧める店員の言葉も耳にはいらず、R-1は呆然としたまま、
その店を出た。

小さな、小さな、ダイアモンドのピアスだった。
ただ、カットされただけのシンプルな。
それがキラキラ光って、外を歩いていたR-1の足を止めさせた。

(これ、似合うだろうな。)と一目見て、気に入った。

けれど、S-1の片耳には、自分が贈った翡翠色のピアスが常にくっついている。
もう片耳に穴をあけるのはちょっと気が引けた。

(でも、似合うだろうな。)と一度、行き過ぎてもう一度戻って見た。
値段をチラと見たけれど、そんなものはどうでもいい。
贈ったら喜ぶか、という事もR-1にはどうでも良くて、ただ、そのキラキラ光るピアスがS-1の柔らかく、うす桃色の耳たぶを飾って、さらにそこでキラキラしているのを見たいだけの話だ。

その時にすぐ、買えば良かった。
「焼き立てのパンを買って帰って来てくれ」と言われて、その途中、
あまり考えている時間が無い。胸に抱えているパンが冷めてしまう。

だから、(明日買いに来よう)と思った。
こっそり買って、寝ている間にこっそりつけて、朝起きて顔を洗う時、
気がついて、ビックリする顔を見よう、とR-1は考えた。

そして、買いそびれたのだ。
「申し訳ありません。」売り切れてしまって。

そう言われても、欲しいモノは欲しい。
どこか、別の宝石店に行って見よう、とR−1はデタラメに歩き出す。

(あそこに、傘を持ったじいさんがいて、俺はそこを右に回ってきた筈だ。)
(その後、確か、灰色の猫がうずくまっていた路地に入って来て。)

道筋をしっかり覚えていた筈なのに、R−1は迷子になった。
S-1に頼まれていた「アイスクリーム」はもう、腕に抱えた、紙袋の中でグチャグチャになっている。

そして、クローンと言えど、尿意も催す。
R−1はやたら派手な照明、派手な音響の、賑々しい店にとりあえず入った。
そこなら、トイレを勝手に借りても誰も文句は言われ無さそうだったからだ。

トイレを済ませて、何気なく、店を見回す。
耳を劈く雑音と煙草の煙、白々とした灯り、一心不乱になんだか
遊具に向かう人々、その中には、銀色の玉を満載にした箱を傍らに積み上げて入る物が入る。揃いの服を着ている者達がこの店の店員なのだろう。

(なんだ、ここは。)とさらに店を見回すと、なにやら、色々なものが陳列してある。
カバンだの、巨大なヌイグルミだの、腕時計だの。

(あっ!!)その陳列棚を見るとも為しに見ていて、R-1は思わず、声を
あげそうになった。

買い損ねたピアスがある。

値段は宝石屋よりも若干安い。
これが欲しい、と言うと、店員はこの店で銀玉を買って、増やして、それをまた売れ、
とかなんとか訳の判らない事を言う。

(とにかく、あれを手に入れるには、)銀の玉を1万余り。

金で買えないのがどうしてなのか、サッパリR-1には理解出来ないが、とりあえず、
めぼしい台に座ると、色の白く、黒髪の綺麗な若い女性の店員が細々とR−1に
その遊戯台でどうやって玉を増やすかを教えてくれた。

「ここにお金を入れて、玉を買って、それから、ここを狙って。」
「それから、ここが回って、・・・」とても丁寧に愛想良く教えてくれたので、
R-1はやっとルールがわかった。

(なんだ、こりゃ)金が恐ろしい勢いで無くなる。
無くなった、と思うと、さっきの色の白い店員が「こっちの方が出ますよ。」と
こっそり耳打ちしてくれ、R-1は素直に台を変わって、さらに打つ。

ランプが点滅したり、絵がそろうと玉がたくさん出るのに、なかなか
揃いそうで、揃わなかったり、揃わないと思ったらいきなり逆回転して揃ったり。

金が増えたかと思うと、折角積み上げていた箱が減っていたり。
そんな緊張感にR-1は思わず、必死になっていて、時間があっという間に過ぎて行く。

「今、いくらくらいになる」とR−1は、温かいコーヒーを紙コップに
注いで、持って来てくれた黒髪の店員に尋ねる。

「そうですね。1、2、…..」と店員はR-1の傍らに積み上げた箱を数えて、
顎に指を添え、「4万べりーくらいですか。」と答えてくれた。

(よし。)それを聞いて、R-1は彼女にまた、手を焼いてもらって、
やっとピアスを手に入れた。

「うちは、宝石類の景品が置いてある珍しい店なんですよ。また、いらして下さいね。」と彼女はにこやかに、店を出るR−1を見送ってくれた。
「ありがとう、なんにも判らなかったから助かったよ、」とR−1も彼女に珍しく、
愛想笑いを返して、店を出た。

もう、日はとっぷりと暮れている。
(ヤバい、もうこんな時間か。)とR−1は慌てた。
日が出ていても、迷うのに、暗くなったらもっと迷う。

店を出た途端、R−1は途方に暮れる。
どんなに心配しているだろう。それより、きっと怒っているに決っている。
早く帰らねば、と思うのに、その最短距離、最高速度が計算出来ない。

「どうかなさいました?」とまた、R−1の背中から、さっきの店員の声がした。
「いや、」自分のうちに帰る、帰り道が判らない、などとあまりにも非常識で、
バカな事を言えるわけも無く、R−1は口篭もった。

だが、彼女は「お客さん、この辺の人じゃないでしょ。もしかして、帰り道が判らないとか?」と冗談めいた口調でR−1の口を上手く解す。
「住所は判ってるんだ。」とR−1は、最近ようやく落ちついた暮らしが出来る様になった、S−1の待つ小さな部屋の住所を彼女に言って見た。

「ああ、そこなら、私の住んでる場所の近くですから。」と彼女は
一旦、店に引っ込んで、手書きの地図を書いて持って来てくれた。

「なんだか、世話をかけてばっかりで。」とR−1が申し訳なさそうに言うと、
「いいえ、どういたしまして。お客さん、素敵だから世話焼きたくなっただけですよ。」
「また、欲しいモノがあればどうぞ。御待ちしてますから。」と気さくに答え、また
忙しそうに店の中へ入って入った。

(随分親切な人間もいるモンだな)とR−1は、普段、すぐに人を信用するS−1に
「親切過ぎる人間には気を付けろ。」と注意している事など忘れて、
素直に彼女の親切に感謝しつつ、帰路を急ぐ。

6階建ての古びた建物がやっと見えてきた。
やたら立派な出入口には数段の階段がある。

街灯の灯りがようやく届くその階段に、黒い影が見えた。
R−1の足音を聞いて、その影が弾かれたように立ち上がる。

「なにやってんのさ!!」と真っ黒な影が怒鳴った。

朝、「アイスクリームを買って来る」と言って、出掛けたきり、帰って来たのは、
もう星が満天に輝き、もう、子供は寝床に入るくらいの時間だ。
S−1がカンカンになって怒るのも全く無理はない。

「ちょっと、迷子になってたんだ、」とR−1は言い訳がましくそう言った。

「腹、減っただろ!朝からなんにも食べて無いんだからな!」とS−1は
本気で怒っている。近付いてくるにつれ、それがはっきりと判った。

「俺も腹減ったんだ。」とR−1は薄笑いを浮かべてS−1と向き合う。

数秒、S−1はR−1をじっと見ていた。暗がりで、あまり表情がはっきり見えない。
R−1は、どんな叱責や罵詈雑言がS−1の口から飛び出してくるか、と身構えていたが、なかなか、S−1は口を開かなかった。

やがて、「帰って来なかったらどうしようかと思った。」とS−1は小さな声で呟いた。

そう言うと、S−1はくるりと背中を向け、さっさと入り口へ向かって行く。
迷子になって、どこか遠くへ行ってしまって、一人きりで残されるのではないか。
ずっと会えなくなったらどうすればいいのか。

普通ならそんな馬鹿げた心配などしなくてもいいのに、R−1が
どれほどの方向音痴か、イヤと言うほど知っているだけにS−1がそんな不安に
駆られるのは無理からぬ事だ。

(今、ピアスを渡しても素直に受けとらないだろうな。)とR−1は思って、
小さな箱をポケットに忍ばせて、部屋に戻るまで待てずに、S−1を追い駆け、
背中から力一杯抱き締めて、とにかく、帰宅時間がべらぼうに遅くなった事を
謝った。

「もう、一人で出掛けたりしない。」
「もう、買い物も頼まねえよ、たかが、"アイスクリーム"を買うのに
まる1日掛るような奴に!」

どう機嫌を取ってもその日、S−1は一言もR−1と口を利いてくれなかった。

自分の耳にキラキラと光るピアスを見つけ驚いた「なんだ、これ!」
そんなS−1の声が洗面所から聞こえ、R−1の耳に届いたのは、翌朝の事だった。