優しい食べ物



「お前、頭オカシイだろ!」そう言い様、サンジは足を振り上げ、ゾロの鳩尾を蹴り飛ばした。が、その蹴りには全く勢いも気力もない。
口調には勢いがあるが、声音は脱力しきって、寝ぼけている様だ。

「お前こそ、年寄りみてえな事言ってんじゃねえぞ、ホッントに根性ネエな!」と
ゾロは空振りしたサンジの足を掴んで、ズルズルと自分に引寄せた。
「こんなの、根性でヤるモンじゃねえだろ、エロ剣豪!」とサンジは抵抗するが、
ふにゃふにゃになった体ではゾロの腕を振り解く事も出来ない。

ゾロにしてみれば、今夜はまだ二回目だ。たかが、二回目でなにをバテてる、と
ゾロは言いたいのだが、サンジにしてみれば、もう二回目で、しかも
1回1回が激しいのと、この島に上陸して数日、夜となく昼と無く、
隙あらばそんなペースを繰り返し、すっかりくたびれていた。
男の体は哀しいモノで、弄くられたらダすモノが無くても、反応して、
快楽と苦痛を天秤に掛けるとつい、快楽の方に引っ張られる。
トコトン疲れているつもりでも、サンジには普通の男よりずっと体力があって、
回復も早い。それを見越して、ゾロは迫ってくるから、気持ちの上では断わりたいと
思うのに、体はゾロの誘惑に簡単に乗ってしまう。

が、それでも立て続けに3回と言うのはサンジにとって、拷問に等しい。
快楽よりも苦痛が勝る。ゾロの体の下で失神するような真似だけはしたくない。
ゾロはじゃれているつもりだろうが、サンジは必死だ。

「発情期ってやつだな、きっと」
のどかな島で、賞金稼ぎをしようにも、相手がいない。
別に金はナミが充分持っているから、この緑豊かな平和そのものの島では
やる事がない。ずっと厳しい海域を抜けてきたから、この島に辿り着くまで
ほぼ一月、サンジに指1本触れる事が出来なかった。
だから、ゾロは「俺ア、今、発情期なんだ」とヌケヌケとサンジに言ってのけて、
我慢した分をいっぺんに取り戻そうとしている。

「こりゃ、なんか精のつくモン食わなきゃヤリ殺される」とサンジは不味そうに
煙草を吹かし、ノロノロとした動作ながら服を身につけようと体を起こした。
「食えばいいじゃねえか」服を着ると言う事は、「もう俺に触るな」と言う
無言のサインだと何時のころからかゾロは知っている。
だから、サンジが手を伸ばす前にさっきまで身につけていた青いシャツを
乱暴に鷲掴みにして、ポイ、と格納庫の奥の方へ放り投げた。
「・・・」
怒るかと思ったら、サンジはそのまま呆れたように目を細め、大きな溜息をついてまた
ノロノロと横になる。(こいつ、ホントにバテてやがる)と少しだけゾロは
反省すべきかも知れない、と思った。
「誰が食わせてくれるんだよ」とサンジはゾロに汗で濡れた裸のままの背を向けて、
ボソリと呟いた。シャツがダメならせめてボトムだけでも、と、モゾモゾと
下半身だけは隠してしまう。
「コックだろ、自分で作ればいいじゃねえか」とゾロが言えば、気だるげにサンジは
「精のつくもん自分で作って自分で食う体力もねえよ」と答えて、それから
何を話し掛けても答えなくなった。替わりに、スースーと穏やかな寝息が聞こえてくる。

(精のつく食いモノか・・・)そう言われても、咄嗟にゾロは何がいいのか、
思いつかない。
こう言う質問にはサンジが一番詳しいだろうが、聞いたところで自分がサンジに
食べさせる事も多分、出来ないだろう。

ゾロは、夕方になって船に帰って来たチョッパーに臆面もなく、
いきなり尋ねた。「なあ、チョッパー。精のつく食いモノって何がある?」

「精のつく食べ物って、スタミナをつける食べ物って事?」とチョッパーは
聞き返してきた。「あ〜、まあ、そう言う事になるかな」と曖昧にゾロは言葉を濁した。
今朝、チョッパーはサンジの顔色が悪い事を指摘していたのを急に思い出したのだ。

「ニンニクとか、ウナギとか・・・食べたいなら、サンジに料理してもらえば?」
「ウナギか」とゾロは思わず、ポン、と手を打ちそうになる。
それなら、故郷で何度も食べた。「海賊狩り」をしている最中、腹が減って
野生のウナギを捕まえて炙って食べた事もある。
サンジに食べさせるには、どう料理するのかは良く判らないが、とにかく、背だか腹だかを掻っ捌いて、焼くか蒸すかすればいい。それくらいなら出来そうだ。

翌日、早速ゾロはウナギを取りに出掛けた。
とても小さな島だから、一人でウロついてもぐるりと海岸沿いを一周すれば、
船が停泊している港に帰り着ける。迷子になる心配はない。

ウナギは大抵、底の浅い川か、川に繋がっている沼にいる。
適当な川や沼を見つけては、ゾロは服が濡れるのも構わずにジャブジャブと
川底や川縁を引っ掻き回して、ウナギを探した。
「お」ゾロは三つ目の沼を見つけ、近付く。そこには立派な角をした水牛がいた。

太陽は真上に上ってサンサンと輝き、水面には水牛とゾロの翳が映る。
いい陽気で、濡れたゾロの服からゆらゆらと水蒸気が立ち昇った。
「おい、どうせ、しばらくここにいるんだろ、ちょっと借りるぜ」と気軽に
ゾロは水牛に声をかけて、濡れた服をその角に引っ掛けた。

水牛は動かない。ゾロが水面の下を覗きこむと、ちょうどいい具合に食べ頃の
ウナギがニョロリニョロリと水牛の足に纏わりつきながら、気持ち良さげに泳いでいる。
水牛はそれをじっと眺めていた。

ただ、泳いでいるのではなく、そのウナギは甘える様に水牛に体を摺り寄せていて、
そんなウナギを見つめる水牛の目はとても優しい。
だが、サンジに「精のつくもの」を食べさせ、体力を増加させ、
自分が充分満足するまでサンジがヘバらない様にする事で頭が一杯なゾロが
そんな事に気づく筈も無い。

「ウモ〜〜」と水牛が鳴いた。
ゾロが殺気を持って、ウナギを狙っている事に気づいたらしい。
その声には恨めしそうな響きが篭っていた。水牛の声を聞いて、まるで
名前を呼ばれたかように、ウナギがひょっこりと水面に顔を出す。
「ウモ〜〜」と水牛がまた鳴いた。逃げないと捕まるよ、と水牛はどこか
悲痛な面持ちだが、ウナギもゾロも全く気にもしない。

「・・・シッ!」水牛の鳴き声にウナギが逃げ出してしまう、とゾロは
水牛を黙らせようと指で口をふさぐ仕草を示して見せる。

「ウモ〜ウモ〜モ〜モ〜」と水牛が必死に鳴いた。
ウナギにもゾロにも水牛の言葉は通じない。ウナギは言葉が通じなくても、
毎日、この沼で水浴びをする水牛が大好きで、自分に懐くウナギを水牛も大好きだった。
言葉が判らなくても、悲痛な水牛の憐れっぽい鳴声は、言葉の通じない筈の
ゾロに水牛の感情を訴え掛ける。
「なんだよ、うるせえな」とゾロはやっと顔を上げ、水牛の方へ向き直った。
そして、やっと水牛の必死な面差しに気づく。「このウナギ、お前の友達か」
相手が魚類なら無視して食ってしまうところだが、哺乳類にこうも憐れを誘う
目で見つめられたら、ウナギを捕まえる事はもの凄く、残酷で非道で残忍な事を
やってる様な気にさせられる。
「わかったよ、わかった!」

渋々ゾロがそう言うと、水牛はまた「ウモ〜」と嬉しそうに鳴いた。
その声にウナギがまた嬉しそうな様子を見せ、水面をパシャパシャと小さな水音を立てて跳ねまわる。食べるつもりが無くなると、そのウナギの仕草が可愛らしく見えて来た。
そうなると、もう殺せない。
(仕方ねえなア)精がつくものを食べさせる事が出来ないのなら、体力を
回復するまで(ゆっくり労わってやるか、)とゾロは思い直す。

水牛とウナギが戯れる様をぼんやり見ていて、自分の行動をなんとなく振り返って見ると、随分(やりてえ放題だったな)と自分の身勝手さに呆れた。

何もしないで、髪を指で撫で、唇で頬の形をなぞるくらいの接触で、体温を分け合う様に静かに眠れば体の欲望を満たすよりも今のサンジを満たしてやれるかもしれない。
そう思うと、そんな夜を過ごすのも(悪イ事じゃねえな)とふと、ゾロの片頬に柔らかな笑みが自然に浮かんだ。

「ウモ〜」とゾロの気を引く様に、水牛が鳴く。「ん?」
乾いた服を角から取りこんで、ゾロは服を身につけた。
水牛はゆっくりゆっくりと歩いていき、数歩歩いてはゾロを振りかえる。
まるで、ついて来い、とでも言う様に。

「なんだ?」ゾロは水牛の後を歩いた。
暫く歩くと、水牛の群れが見えてくる。ただ、群れているのではなく、牛飼いらしい
12、3歳くらいの少年の姿が見えた。

「こら、またお前は脱走したな!」と元気な声が聞こえてくる。
そして、水牛の後にゾロの姿を見つけ、一瞬怪訝な顔をした。
そして、「兄ちゃんが牛を追ってきてくれたのかい?」と大人びた口調でゾロに尋ねて来たので、ゾロは「いや、この牛の後をなんとなく付いて来ただけだ」と正直に答えた。

「ふうん、またか」と少年はウナギと友達の水牛の首をゴシゴシと撫で、
「こいつ、時々、兄ちゃんみたいな余所の人をフラリと俺んちに連れてくるんだ」
「牛が?」とゾロは思わず聞き返した。「なんでそんな事を」
「兄ちゃん、海賊?」と日に焼けて浅黒い健康そうな肌の色のその少年は
ゾロを怖がる様子もなく、事も無げに逆にそう聞き返してきた。
「海賊だが、怖くねえのか」「牛飼い相手に威張る海賊なんか、腰抜けだって
父ちゃんが言ってた。ホントに凄い海賊は、貧乏人と仲良く出来るモンだって」
(なんだ、そりゃ)とゾロはその少年の勝手な海賊の定義を聞いて、苦笑いする。

「もう、食料の準備は全部整った?」と少年は賢そうな瞳でゾロを見上げてそう尋ねる。
「え、いや、わからねえ、俺はコックじゃねえから」と答えると
ニッコリと白い歯を見せて笑った。

「良かったら、海賊の口に合う様に作ったチーズがあるんだ」
「とっても滋養が付くし、日保ちもするから、食べて行って」
「気に入ったら、兄ちゃんの船のコックさんに勧めてみてよ」

まさに、棚からぼた餅、と言ったところだ。

チーズなら、ゾロがさほど手を掛けなくても、サンジに食べさせられる。
そして何より、サンジが見た事も味わった事もない食材を自分がサンジの為に
手に入れて来た事に、素直に態度や言葉に出さないにしても、きっとサンジは喜ぶだろう。

精を付ける、と言う食材ではなく、優しく体を温め、ゆっくりと穏やかに
体を癒す柔らかな色の食材を抱えて、ゾロは帰りを急ぐ。

これを差し出した時、サンジがどんなへそ曲がりな言葉を言うか、
どんな複雑な顔をするかが早く見たい。悪戯を仕掛けるのと似たような気持ちで
ゾロは、迷いもせずに真っ直ぐに船に向かって歩いて行く。

終わり