しばらく、サンジの枕もとで様子を見ていたが、
リキは、居ても立ってもいられず、自ら医者を呼びに街へ走っていった。
リキの連れてきた医者の見立てでは、かなり危険な状態で、
決して安心できる状態ではない、ということだった。
リキは寝食忘れたように、この竹馬の友の看病に打ちこんだ。
あっという間に3日がすぎた。
麦わらの一味の誰一人、サンジを見つけることは出来ない。
霊媒師が必ず使う特殊な香がチョッパーの嗅覚を遮っているし、
医者に当っても、「守秘義務」とかで誰も教えてはくれないのだ。
だが、たかが3日では、誰もあきらめよう、などとは言わない。
それでも、3日目も全員で手分けして、サンジの消息を探った。
ゾロは、誰よりもサンジの身を案じていた。
傷を負わせた本人だ。
医者のチョッパーと同じくらい、サンジの怪我がどの程度の物か
知っているだけに、焦燥感が日に日に募る。
サンジを探すために呼びとめた中年の男がいきなりゾロに糸口をもたらした。
「金髪のサンジって言う男?さあ、知らないねえ。」と申し訳なさそうな顔をして、
ゾロの問いに答えた。
そして、不思議そうな表情を浮かべて、
「今日はよく尋ね人を聞かれる日だな。
「さっきはゾロってやつを知らないかって聞かれたよ。」と小さく呟いた。
それを聞き逃さず、ゾロは
「そいつ、どんな奴だ?どこで聞かれた?」と勢い込んで尋ねた。
男の話では、街で評判の「霊媒師」の弟子に聞かれた、という。
ゾロは男からその弟子がいる場所を聞き出し、出来る限り急いでそこへ向かった。
なぜ、その男が自分を探しているのかはわからない。
だが、「霊媒師」と言う胡散臭い職業と、サンジの身体にとりついていた
「幽霊」と何か 関わりがありそうな気はした。
サンジは、3日の間にかなり衰弱した。
熱が引かない上に、栄養も受け付けない。
意識のない時は、うわ言を言うほど、酷くうなされている。
それは、人の名前のようだった。
何度も、何度も、サンジがうわ言でその名を呼んでいた。
リキは、海賊になった、というサンジの仲間の名前かもしれないと思い、
街で上陸しているかもしれない可能性を考えて、その名前の人物を探していたのだ。
ゾロは、その館につくなり、挨拶もせず、応対に出た若い男に、「サンジはいるか」と切り出した。
「あなたは・・・。一体どなたですか?」と怯えたように尋ねてきた。
ゾロはそれに応えず、無言でその男を押しのけて、部屋の扉を片っ端から
開けて行った。
4つ目の部屋で、ようやくサンジのもとへ辿り着いた。
サンジは、ゾロの立てた大きな物音にゆっくりと目を覚ました。
ゾロはサンジの傍らに膝をついて、その顔を覗きこむ。
そして、蒼い瞳が僅かに揺らめいているのをみて、胸が熱くなった。
生きていた、それがわかって張っていた気が抜けるほど安堵する。
言いたいことはたくさんある。
が、それを受け止めるだけの体力さえ、なさそうなほど衰弱している様子に、
口を閉ざした。
「・・・一体、なんのつもりだ。」
ただ、この言葉だけはどうしても止められなかった。
「・・・うるせえ。」サンジがつぶやくように小さな声を出した。
その言葉を聞いた時、ゾロは衝動的にサンジの唇に口付けた。
熱い。
自分の唇が溶けるのではないか、と思うほどそこは熱かった。
無意識に握りこんだ手も熱い。
サンジは、ゾロの口付けから逃れようと首を振った。
重ねた手も、僅かに残った体力を振り絞って、振り解こうとする。
ゾロはその仕草に、サンジの体力が消耗する、だから、素直に体を離した。
「船に帰るぞ。」そういうと、ゾロはサンジを抱き上げた。
「・・・下せよ。」
サンジは細い声ながらも、いつもどおりの無愛想な口調だった。
なぜか、それを聞いて却ってゾロは安心した。
それでも、ゾロはサンジを抱き上げたままだった。
「ナスを・・・サンジを一体どこへ連れていくつもりです!」
ゾロの背中から怒りを含ませたリキの声がした。
「俺を探してたってのは、あんたか。」
ゾロはサンジを抱いたまま、目線だけ後ろへ向けた。
「あんたがゾロ・・・さんですか。」
リキの目は明らかに警戒している。
「サンジが ずっとうわ言であんなの名前を言っていた。」
「サンジを刺したのは、あんたなんだろう?」
静かな声だが、リキは明らかにゾロに敵対心を持っているようだ。
ゾロはその問いに答えなかった。
かわりにリキに不快そうな視線を向けた。
「あんたがこいつを呼び出したりしなきゃ、こいつはこんな目に会わなくて済んだ。」
リキが言葉を詰まらせる。
ゾロの怒りを込めた視線がリキを射抜いていた。
ゾロは誰であれ、サンジの命を脅かす者は許せないのだ。
自分がサンジの体を刺し貫いて、傷つけてしまったのだから、
当然自分自身にもこれ以上ないほど腹を立てている。
だが、そうなるきっかけを作ったのは、サンジの幼馴染だというこの男なのだ。
許せるはずがない。
そんな想いに囚われ、ゾロは更にリキに
「これ以上、あんたの顔見てたらぶっ殺したくなる。・・。」と低く、静かな声だが
ぞっとするほど冷たい声で言い放った。
「ゾロ、降ろしてくれ。頼む。」
無理な態勢が辛くなったのだろうか、サンジは懇願するような、小さな声で
二人の会話に割って入ってきた
サンジに「頼む」と言われたらゾロはは拒めなかった。
そっと、さっきまで横たわっていた場所に寝かせてやる。
「サンジ、大丈夫か。」リキはサンジの傍らに歩み寄った。
サンジの息が乱れ始めている。
だが、それを誤魔化すように、リキに向かって薄く笑った。
「心配ねえよ。なあ、悪いがあいつと少し話しがしてえんだ。席を外してくれねえか。」と出きる限り 力を込めていつもどおりの口調を装った。
「でも・・・。」リキはゾロのさっきの態度でますます不信感を強めたようだった。
だが、サンジがうわ言で言うほど、信頼している相手だ。
リキはしばらく考えたが、この二人の関係の深さを信じるしかないと思った。
「・・・・10分だけだそ。体に障るからな。」
二人に向かってそう言うと、リキは部屋から出ていった。
「・・・俺はもう、船を下りる。お前とも、ここまでだ。」
サンジは、ベッドに仰向けに横になったまま、天井に視線を向けて
そう言った。
その顔は白く無表情で 蒼い瞳にも だた天井の模様が映りこんでいるだけで、
なんの動揺も感じられない。
「・・・唐突に、何を言い出すんだ?」
ゾロはサンジの傍らに腰掛け、サンジの言葉の意味と真意を尋ねる。
「唐突でも、なんでも、そう決めた。明日にでも、船を出してくれていい。」
「ナミさんにそう言ってくれ。」
抑揚のない声で理不尽な事を言い出したサンジに、
ゾロはいつもの我侭をなだめるような声で更に尋ねた。
「訳を聞かせろ。そんなこといきなり言われて、俺も他の奴らも納得できるか。」
「訳を言えば納得するのか。」
サンジの声に少しだけ、感情が含まれ始める。
苛つき、哀しみ、切なさ、そう言う仄かに辛い感情が薄く、言葉に重なった。
そして、その感情は徐々に厚くなっていく。
「どうせ、しやしねえ。なら、言うだけ無駄だ。」
ゾロは、まだ穏やかにサンジの言葉を受け止められた。
とにかく、訳を言わせないことには話にならない。
「てめえ一人で 勝手に煮詰まってんじゃねえぞ。船を下りるなんて、許さねえ。」
「訳を言え。」
暫し、二人の間に緊迫した空気が流れる。
一度言い出したら聞かないサンジの性格を知っているゾロは
一体何がサンジにそんな思いを抱かせたのかがさっぱり判らないが、
これだけはサンジがどれだけ意地を張っても、許せない事だった。
船を下りるなど、まして、自分の側から離れていこうとしている事など。
サンジは理由など、ゾロに言うつもりがなかった。
一刻も早く、ゾロの側から離れたかったから、重態の身で黙って船から下りたのだ。
今、その理由を詰問されて、それを吐露したからと言ってそれでゾロが
納得してくれる訳などない事も知っている。
だから、口を固く閉ざしている。
しかし、ゾロの包み込むような視線に抗えなかった。
サンジはその視線を跳ね返すように、動けば激痛が走る体を起こして、
ゾロと向き合った。
「お前をかいかぶってた。それに気がついた。それで、おまえがイヤになった。」
辛い選択をしようとした、理由を一気に捲くし立てた。
「・・・それが理由だ。」サンジはそれだけ言うと、ベッドに又沈みこんだ。
ただ、それだけの事が弱った体に負担をかける。
ゾロの顔から、穏やかな表情が消えた。
徐々に怒りが染み出てくる。
そして、それはそのまま、声音にも現われる。
「俺をかいかぶっていた、だと・・・?どういう意味だ。」
低い声で詰め寄る。
サンジは、ゾロの方には顔を向けず、背を向けた。
顔を見られたくなかったからだ。
押さえた激情が体を熱くする。
「お前は、野望の為に自分の命さえ、捨てる奴だったじゃねえか。」
サンジはゾロとの出会いを思い出した。
度肝を抜かれた。こんな男がいることに、体が震える想いだった。
ミホークとゾロとの闘いをサンジはまだ、はっきりと覚えている。
思えば、あの時からゾロを追い駆け始めたのかもしれない、と思った。
「それが、なんだよ。」
サンジを己の剣で貫いた時、ゾロは囁いた。
「一人で死なせねえからな。」と。
サンジはもう一度、体を起こした。
顔色が紙のように白い。
「あれは、一体どういう意味だよ。」
「俺が死んだら、お前、自分も死ぬつもりだったんだろう.」
「それが、なんだっていうんだ。」
ゾロもまだ口も聞くのさえ、辛そうなほど弱りきって、安静にしていなければ
ならない身でありながら、訳の判らないことを言うサンジに苛立ち始める。
「野望の為にてめえの命さえ、惜しまなかったやつが俺なんかの為に
それを投げ出すような腰抜に成り下がっちまった。」
サンジの声が震える。顔色もますます悪く、白を通り越し、青ざめている・
「お前がそんな風に変わってしまったのが俺の所為なら、俺はお前の側にいたくねえ。」
そこまで言い募った時、サンジの頬にゾロの拳が飛んだ。
一切、手加減しない、ゾロの拳の勢いにサンジの体はベッドから吹っ飛んだ。
床にずり落ちたが、起きあがってその行為を咎める体力さえないのだ。
ぐったりとそこへ横になったままのサンジにゾロは歩み寄って、
乱暴に胸元を鷲掴みにした。
「ナメた口きくんじゃねえぞ。」怒りを含んだ、静かな声だが、今のサンジの
状態を知っていながら、余りにも酷い仕打ちであった。
ゾロは衝動的に殴ってしまった。憤りで思考よりも体が先に動いたのだ。
「誰が腰抜野郎だ。」
「俺はどんな時でも、自分の野望が一番大事だ。何も判ってねえ癖に、
思い上がるな。」
サンジの唇が切れ、血が一筋口角から流れ落ちた。
それを見ても、ゾロの怒りは収まらなかった。
「てめえの目の前で鷹の目を倒してやる。それまで、勝手に死ぬな。」
「今の俺の野望はてめえに俺が世界一になる瞬間を見せてやる事だ。
お前が死ねばそれを諦めなきゃならねえだろ。」
サンジの瞳が揺らいでいる。
殴られた衝撃で意識を失いそうになっているのをゾロは揺さぶった。
「俺はどんな事があっても野望を果たす。邪魔する奴は許さねえ。
「例えお前でもだ。」
「だから、俺から離れることも、死ぬことも許さねえ。」
サンジはゾロのその言葉を薄い意識の中ではっきりと聞いた。
そして、自分の独り善がりで苦しんだことを笑い飛ばしたくなった。
だが、体も声も、すでにままならない。
ゾロは、何一つ変ってはいない。
ただ、己の命と同じ重さの野望に、サンジを組みこんだにすぎない。
「俺の話しはまだ終わってねえぞ、勝手に寝るな。」ゾロの声音が和らぐ。
サンジの僅かに揺るんだ表情を見て、自分の言いたいことが伝わったと察したのだろう。
壊れものを抱くように、サンジをベッドの横たえた。
自分はその傍らに腰を降ろした。
そして、「寝るな」と言われて、素直に必死で意識を保とうとする気配のサンジに
激昂した気分が落ち着いていくのを感じた。
溜息をつき、やさしい手つきで切れた唇から流れる血を拭った。
「それくらい、とっくにわかってるもんだと思ってたが。」
「俺は口下手だし、お前は何も聞かねえし・・・。」
緑色の瞳は、嵐の後の水面のように激しく揺らぐ蒼い瞳を覗き込む。
「体が治ったら、もっとちゃんと教えてやる。」
ゾロは、サンジの額に触れる。ゆっくりと瞼を閉じてやった。
サンジの曇っていた視界が完全に閉じられた。
だが、すぐには意識が飛ばない。
サンジはつぶやくように、緑の剣士の名を呼んだ。
「なんだ。」穏やかな、やさしい声が耳に届く。
サンジの胸に熱い塊がどこからか、沸いて来て、喉の奥を熱くさせた。
それは、鼻腔を通りぬけ、瞳の上で水滴となって膨れ上がる。
「側にいてもいいんだな。」
サンジは、こんな女々しい言い方をしたくはなかった。
だが、他に言葉が見つからなかったのだ。
ゾロは、サンジの瞳からその熱い水滴が零れ落ちる前にサンジの体を
自分の胸に抱き寄せた。
きっと、それが頬を伝う瞬間を自分に見せたくないだろう、と思ったから。
サンジは、ゾロの胸に頭を押しつけられながら、
この強い男にこれほどまでに必要とされているということを歓び、同時に、
それに値する存在になるためにもっと、自分も強くなりたいと切望する。
「どこへも行かねえ。」消え入りそうな声でサンジはゾロの胸の中でつぶやくと、
どうにか繋いでいた細い意識の糸をとうとう手放してしまった。
ゾロは、リキに断ることなく、伝言だけを残して意識のないサンジを
横抱きにしたまま、船に帰った。
他のクルーたちは、サンジの帰還をまず、口々に喜んだ。
皆、訳を聞きたい気持を押さえていた。
今は、とにかく体を回復させる事の方が大事だ。
サンジは、ゾロと口論していた時は、気が張っていたため、あれだけの会話が
出来たのだが、衰弱が酷い事には変わりがない。
だが、名医トニートニーチョッパーの適切な治療を受け、心の中の葛藤が消え去れば
もともと人間離れした体力の持ち主だ。
めきめきと回復の兆しを見せた。
サンジが、どうにかベッドの上に起きあがれるまでになった頃、
その島の死者を冥界へ送り出す炎の祭りがある、というのでゾロとサンジを残し
他のものは見物に出かけた。
船の上からでも、立ち昇る炎が見えると言う。
ゾロは、その夜、夜風に晒されないようにサンジをシーツでくるみ、
抱き上げて甲板へ連れ出した。
「歩けるから、降ろせよ。」と不満げだったが、
今日を逃せば もう二度とこんな風に抱ける事はないだろう、と思い、
サンジの言い分など無視してやりたい様にする事にした。
サンジは、とても軽かった。
ゾロが心細くなるほど、軽かった。
「お前、ナミより軽いんじゃねえか。」と思わず口に出た言葉に、サンジは
「お前、ナミさんを抱っこした事あるんか??なあ、あんのか?」
と元気につっかって来た。
その様子に、ようやく腕の中に収まっている軽い体にちゃんと生命力が
宿っている事を確認し、胸を撫で下ろす。
「・・・ナミを抱っこしたことなんか、あるわけねえだろ。」
とそれでもぶっきらぼうに答えると、
「ナミさんを抱っこしていいのは、俺だけだからな。」と軽口をたたく。
それを聞いて、ゾロは思わず苦笑を漏らした。
「じゃあ、そうできるようにさっさと体を直せよな。」と呆れた口調で相槌を打つ。
蜜柑が植えてある上の甲板へあがる階段に並んで腰掛ける。
サンジは、肺に傷を負っているので、煙草はチョッパーが全部捨ててしまった。
「ハア〜。煙草吸いてえなア。口が淋しくてたまらねえ。」と溜息混じりに愚痴っている。
ゾロは、黙ってサンジの顎に指を添え、やさしく口付けた。
ひんやりとして、湿った唇をついばむように何度も触れた。
「口・・・さみしいんだろ。」と笑いながら吐息と共に囁く。
「クソ野郎・・・。やめろって。」
サンジはそういいながら、ゾロの穏やかな口付けに酔いそうになっていた。
しばらく、ゾロはサンジの唇の感触を楽しんでいたが、体の中心部に
血が集まる重い感覚を感じて、サンジから体を離した。
「・・・これ以上やると、お前も俺も体に良くねえから止める。」と
名残惜しげに呟いた。
甲板が仄かに明るくなった。
対岸で、炎が大きく立ち昇った。
ゾロは立ちあがり、おもむろに「鬼徹」を抜いた。
「何やってんだ・・・?」
サンジはゾロのその行動を訝しげな表情で見つめた。
刀を頭上に翳している。
「あの炎は死者を冥界に送るための物なんだと。お前の友達がお前が朦朧としてる時
しょっちゅう来てて俺に教えてくれた。俺の刀に取りついた奴も、
あの炎で成仏しねえかな、と思ってさ。」
サンジは、黙ってゾロの手元を見ていた。
なんの変化も見せず、刀は銀色の気高い刀身を煌かせている。
あの「影」は、「鬼徹」に食われたのか、それともこの刀に取りついて、
ゾロが誰かを斬り、血を吸う度にに悦ぶのだろうか。
あの狂った魂が炎とゾロと言う強靭で清らかな魂に浄化される事を
サンジは祈らずにはいられなかった。