全てが蒼い海は、今、全てが白い世界に包まれている。
サンジは夜が明け切らない間に、温もりを分かち合ったベッドから
抜け出し、そっと身支度を整えて、外に出た。

(どこに行ってるんだ、毎朝)
オールブルーが雪に包まれるこの季節にだけ、ゾロはたった一人で
この島に残り、越冬するサンジのところへ帰って来る。
そうして、何度、一緒に冬を越してきただろう。
この冬も雪がすっぽりとオールブルーを包み込む頃、ゾロは長い一人旅からサンジのもとへと帰ってきた。いつも、どちらかが空腹を感じるまで温かい部屋の温かい寝床の中にいるのに、今回、ゾロが目を醒ますと隣はいつも、モヌケの空だった。

いつもと変わらない態度、表情、なのに、ただ、目が醒めて側にいないと言う、それだけの事がゾロの心に物足りなさを感じさせる。
けれども、それを口には出さない。サンジがそんな行動を取る、なにか理由があるのならば、長い時を重ね、想いを育み続けた今なら、(何も聞かなくても、きっと判る)と
言う自分を信じたいからだ。

「どこに行っていた」と聞きたがる唇を噛み締めて、ゾロは冷えた体で帰って来る
サンジの為に暖炉に火を入れて部屋を暖めて待つ。

何も聞かない、とゾロは改めて決心する。
サンジが何も言わないのなら、聞いてはならないと、はっきりと自分を戒める。
けれど、一人きりのリビングで、静かに燃える暖炉の炎を見つめていると、何もかもを分り合える、と信じていた気持ちが揺らいで行く。

誰もいないこの場所で二人きりでいるのに、そんな些細な事でサンジとの距離を
感じるなんて(どうかしてる)とゾロは思う。サンジの側に誰よりも近い場所にいるのは間違いないだろうけれども、その距離は心がぴったりと重なるくらいに近くだと
感じていなければ、不安と心細さと物足りなさが足元から冷え冷えと忍び寄ってくる。

ゾロはそんな気持ちを振り切るように、上着を羽織った。
そして、サンジのつけた足跡を辿る。

耳の中にまで雪の粒が入り込み、息を吸えば冷気を一瞬、喉を詰まらせた。
降り積んだ雪が風に舞い上がり、ゾロの頬や額にぶつかってくる。
尖る様に冷たい空気がゾロの体に吹きつけ、その凍える風にゾロは目を細め、
足跡を見失わないように歩き続ける。

サンジの足跡は、同じ歩幅で小高い岬を目指していた。
店となっている船がいつも浮かんでいる入り江を眺める事が出来る場所に辿り着く筈だ。

岬の突端にサンジは一人で凍った海の上に積もった雪を吹上げる風に晒されながら
立っていた。その目の前に、去年まではそこになかった小さな石細工が見えた。

(墓標か?)サンジの膝にまで満たない小さなその石細工は、3つ、並んでいた。
ゾロは1度だけ、足を止めてその墓標らしきものの前に立つサンジを見つめる。

その顔は、悔しさや悲しさが滲んでいた。
ゾロはサンジの側に歩き出す。その歩調はここの場所に辿り着いた時よりも、
心なしか、早くなっていた。

「おまえ、なんで」とサンジは驚いて、ゾロの姿を見て、伏せていた顔を上げた。
「これは、誰かの墓か」とゾロは言って、その墓標に降り積もった雪を丁寧に
手で払う。
「俺の下で働いてくれたコックの墓だ」とサンジは呟く。

「夏の終りに酷い嵐が来て波に浚われたんだ。今だにこの海のどこかに沈んだまま」
「亡骸さえ、見つけてやれなかった」

オールブルーを夢見て、憧れたのはサンジだけではない。
サンジのレストランで働いているコックの誰もが幼い頃からその場所を目指して、
その場所を夢見て、料理人の道を選んだ者が殆どだ。
「身よりもない奴らだったけど、一生懸命、俺を支えてくれた」

サンジは少しづつ、顔を逸らし、少しづつ、ゾロに背中を向ける。
表情を隠し、感情をゾロに漏らさないようにしているのに、黒いコートを着た背中から、
サンジが彼らを失った時、どれだけ悲しく、辛かったか、そして今もその気持ちは
少しも薄れていない事がはっきっりとゾロに伝わってくる。

(なんでそれを言わねえ)何故、言ってくれないのか、とゾロは顔も知らないコック達の死を悼むよりも、サンジが心に抱えていた哀しみを自分に見せまいとしていた事で
胸が詰まる。

どんなに離れていようが、心だけはしっかりと繋がっている。
そう信じる事だけが唯一、それぞれの生き方を選びながらも共に生きていると
実感出来る要素だった。その固いと信じていた絆の儚さを思い知らされた気がして、
ゾロは切なさで息が苦しくなる。

「なんで言わなかった」とゾロの感情は息苦しさに堪え切れずに唇から搾り出すような声で零れ出てしまう。「なんで、その事を俺に言わねえんだ」
哀しみも歓びも、言葉で伝えなくても、眼差しや触れ合う唇で伝えれば、
サンジとならなんでも分り合えると思っていたのは、独り善がりだったと、
ゾロの胸の中には誰に向かうわけでもない悔しさが込み上げてくる。

「別に言うつもりなんかハナから無かったさ」とサンジは背中を向けたままで
答える。「俺の場所で俺が抱え込んでるモノを全部、お前に言わなきゃならねえのか」

それきり、サンジの声が途切れた。
「俺を甘やかすな」と震える声が返って来るまでにゾロの髪は真っ白な
雪が降り積もってしまうほどの時間が掛った。長く沈黙して、やっとサンジは振り向く。

「お前は、俺の気持ちの吐け口になりにここに帰って来るんじゃねえだろ」
「俺は、この場所で幸せで、いつも笑ってがむしゃらに生きてる」
「お前はそれだけ知ってればいい」
「どれだけ悲しい事があろうと、俺は一人で耐えられる、耐えなきゃならねえ」
「自分がこのやり方を選んだんだからな」

吹雪のような風の中に吹き飛ばされそうなほど、悲痛な声でサンジはそう言った。
吹き散る雪の中、サンジの目尻から氷のような粒が光ったのをゾロは見た。


どんなに強く、深く、心の中が繋がっていると信じていても目の前の哀しみや
寂しさが癒される事はない。サンジの悲しみを受け止め、サンジの歓びを分かち合う事など、本当は何一つ出来ないのだとゾロは痛感した。

胸が痛む、その痛みに耐え切れずにゾロは走り出した。
僅か、数歩のその距離を駆け出す、それを躊躇すれば今まで信じてきたもの、
信じてきた絆の何もかもが雪を吹き散らす風と一緒にどこかへ消えてしまう。
そんな焦燥感に突き動かされ、ゾロはサンジを力一杯、抱き締める。

黒いコートの背中に顔を埋めても、何も言葉が浮かんで来なかった。
後悔や悔しさや切なさや、愛しさがゴチャゴチャになった感情が渦巻いて、言葉にならない。
一緒にいれば、哀しみを受け止めることも、歓びを分け合うことも出来るのに、
それが出来なかった事が悔しい。そんな生き方しか出来ない自分が悔しい。
そして、ずっと心の中で泣いていながら、そんなゾロの生き方を諦めた様に哀しみを一人胸に仕舞い込んだままだったサンジが切ない。
「俺はなんの為にここにいるんだ?」とゾロは溢れ出す感情のまま呟く事しか
出来なかった。
密着した体からサンジの哀しみが沁み込んでくる。一番、悲しかった時の感情が
自分の身に起こった様にゾロの心の中に映り込む。
身を捩って泣きたいほど、悲しくて、悔しくて、苦しいのに、立ち止まっている時間も無く、その感情は万年雪のようにサンジの心の中で凍て付いてしまった。
それに気付いた時、ゾロは答えを見つける。
(俺はこれを溶かす為にここにいる)、とゾロは抱き締める腕に力と温もりを篭めた。

心細いと思う疑問も、また反対に自分の価値を見出せる答えも、サンジは両方を
ゾロへと投げ掛ける。
心と裏腹な言葉を疑うよりも、心を誤魔化した態度に迷うよりも、こうして寄り添っていれば、サンジは常にゾロに心を開いているのが判る。

手袋も嵌めていない、サンジの肩から胸に回って交差したゾロの手が凍えてかじかんで来た。そのゾロの手をやはり、手袋を嵌めないサンジの冷たい手がギュっと握る。

俯いた細い項と白い花びらのような雪の欠片が濡らして凍った細い向日葵色の髪が
ゾロの目に見える全てだけれど、サンジの手は痛い程の強さでゾロの手を握っている。その痛みの強さで、今、サンジが間違い無く、自分を必要としている事をはっきりとゾロは知った。

言葉で慰めるのでもなく、一緒に涙を流すのでもなく、ただ、側にいて欲しい。
誰にも漏らす事のない本当の悲しさや辛さを漏らせるのは、お前だけだ、
それを知ってくれるだけでいい。サンジの冷たい手はそう言っている。

サンジは言葉や態度で何もゾロに伝えない替わりに、百万の言葉で知るよりも
もっとたくさんの感情を心を開いて、ゾロに伝える。

それは、まるでその魂に素手で直に触れる様な温もりをゾロに感じさせた。
この世の中でたったひとつ、かけがえのない大切な宝物を掌で包み、温めている。
甘えや弱さと言った単純なモノだけでない、苦しみも哀しみも歓びも怒りも全てが
複雑に絡み合って凍えたサンジの心にやっと触れて、それを暖める事で
ゾロは愛される事で得る至福ではなく、愛する事の至福で心の中が満たされた。

どんな時も一緒にいる、という事が出来ないから尚更思う。
サンジの心が哀しみに塗り潰される時だけでもせめて、一緒にいたい、と叶わぬ願いでも、それが正直なゾロの気持ちだった。

「お前だけだ」と自然にゾロはまた、呟く。
「一緒に泣きたいと思うのも、笑いたいと思うのも」
「俺には、お前だけだ」

離れ離れの時間を取り戻す為の、二人きりのこの時に、何一つ言葉で伝えられないのなら、せめてこうして心を重ねあって、見えない時間を取り戻したい。
ゾロは短い言葉を吐いた、その白い息の中に自分の思いの丈を篭めてサンジに
囁く。

頷いたのか、髪に振り積んだ雪の花びらを振り払おうとしたのか、サンジの頭が
揺れた。その仕草にさえ愛しさが込み上げる。

ずっとこのまま、一緒に。

サンジの指先がゾロの手から解かれた瞬間、まるで耳に聞こえたようにはっきりと
ゾロの心にサンジの気持ちが流れ込んできた。

けれど、サンジは黙ったまま、真っ白な海を見下ろす岬の先端にゆっくりと歩き出す。

その体が凍えきって、温もりが必要になった時、サンジはきっと振り向く。
その時まで、ゾロはただ、口数の少ない黒いコートの背中を見つめて、
雪の中をじっと待ち続ける。

(終り)

このssは、いつも、東京で売り子をしてくださっているSさんに捧げます。

これは、Sさんからのリクエスト中島美嘉の「雪の華」をモチーフにしました。

のびた影を歩道に並べ 夕闇の中を君と歩いてる
手を繋いで いつまでもずっと
側にいれたら 泣けちゃうくらい


今年最初の雪の華を二人寄り添って
眺めてるこの時に幸せが溢れ出す
甘えとか弱さじゃ無い ただ、君を愛してる
心からそう思った

君がいるとどんな事でも乗りきれるような気持ちになってる
こんな日々がいつまでもきっと 続いてる事を祈っているよ
風が窓を揺らした夜は揺り起こして どんな悲しい事も
僕が笑顔へと かえてあげる

舞い落ちてきた 雪の華が窓の外ずっと 降り止む事を知らずに
僕らの町を染める
誰かの為になにかをしたいと思えるのが愛と言うことを知った。

もしも君を喪ったとしたなら星になって君を照らすだろう
笑顔も涙に濡れてる夜もいつもいつでも側にいるよ

今年最初の雪の華を ふたり寄り添って眺めてるこの時に眺めてる
幸せが溢れ出す
甘えとか弱さじゃ無い ただ このまま君とずっといっしょにいたい
この街に降り積もってく 真っ白な雪の華
二人の胸にそっと 想い出を描くよ これからもキミとずっと