「春の気配が宿る花」





「サウザント・サニー号」は、麦わらの一味を乗せ、とある春島に辿り着いた。

春島とは言え、穏やかなながら四季がある。
その島は、ちょうど冬が終わりかけて、春の気配がゆっくりと日の光に混ざって空から降りてくる、
そんな心地良い季節を迎えていた。

「…やっぱ、春島ってのはいいもんだなあ、オイ!」
誰に言うでもなく、フランキーは舳先から見えるその小さな島を眺めて、そう大声を張り上げた。

最初から気のいい奴等だと分かっていたから、居心地は全く悪くない。
毎日毎日が楽しくて、バカ笑いの連続で、あっと言う間に時間が過ぎていく。
そうしている間に、少しづつ色々な事が分かってきた。

仲間内の人間関係、力関係、生活上や、戦闘中における様々な役割分担、航海術に必要な、船大工として知らなかった、長い航海を乗り切って行くためのたくさんの知識や知恵。

ウォーターセブンで、箸にも棒にも掛からないようなゴロツキを集めて「フランキー一家」を構えていたフランキーにとっては、何を教えられても、大して戸惑う事もない。
けれど、新しい知識を吸収する毎に、フランキーは年甲斐もなく、嬉しくて堪らなくなる。新しい人生をまさに今、生きている。そう実感するからだ。

そんな日々の積み重ねの中、見た事もない島に辿り着く時が、一番心が浮き立つ。
この島では、どんな騒ぎが起こるのか、それを期待してフランキーはワクワクしてくる。
それは航海に慣れた仲間も皆、同じだろう。

そう思いながら、フランキーは改めて、側にいる仲間を見回した。

上手く潮流と風を捉え、舵を一旦手放してもいい状態になったのか、仲間全員が甲板に出て、前方の名前も知らない春島を晴れやかな顔付きで眺めている。

その中で、サンジとゾロが何か、当たり前の様にごく自然に言葉を交わしているのが視界に入り、フランキーはハっとし、慌てて目を逸らす。

仲間なのだから、普通にそうやって会話しているのを見たところで、別にドギマギする必要はない。
(…何も、ロロノアとあのグル眉毛の兄ちゃんがいっつも、いがみ合ってる訳じゃねえだろ)
とは言うものの、航海士のナミとロビンが、普通に楽しそうに話しているのを見ても、特になんとも思わないというのに、あの二人が若者らしく、ただ楽しげに雑談している姿を見るだけで、なにやら居た堪れないモノを見た気がする。

(…あんなアラレもねえトコ、見たら…そりゃ、いくら俺でも面食らうっての)

三日ほど前の事だ。
それまでフランキーは、ロロノアと眉毛のコックが本当はどんな関係なのか、気付いてもいなかった。

偶然、夜中にふと整備の途中だった大砲が気に掛かって、甲板に出たら、
ロロノアが格納庫からのっそりと出て来た。
その姿を見て、何故かフランキーは(…やべ…っ!)と思い、咄嗟に身を隠した。

ロロノアは、髪が寝乱れたようにボサボサで、どこか気だるげに歩いている。けれど妙にさっぱりした顔付きをし、何も身につけていない上半身は、うっすらと汗ばんでいる様だ。
おそらく、海に向かって用を足すつもりなのだろう、物陰に身を隠すフランキーを気にも留めずに船べりに歩いていく。

(…ははあ、…あの中で、誰かと一発ヤったな…?)
何も、覗き見をした訳ではないけれど、この状況で鉢合わせするのもなんとも気まずい。

(相手は、ニコ・ロビンか…?)と思った。

だが、ゾロが用を足して、再び、その格納庫に入る時、同じ様にドアの内側からヨロヨロと出てきたのは、フランキーがなんとなく予想していたニコ・ロビンではない。

「おい、…大丈夫か?」「…後でそんなに気イ使うなら、最中で少しは加減しやがれ…!」

気遣うロロノアの言葉に対して、恨めしげに低く呻きながら格納庫から出てきたのは、あのぐるぐる眉毛のコック、サンジだ。
(…!ええええ!)と声が出そうになり、フランキーは慌てて口を塞ぐ。

いつもは、一体、いつ手入れをするんだと不思議に思う位にサラサラとした向日葵色の髪が、フランキーが見たこともないくらいに寝乱れ、何とか着衣は上も下も身につけているが、どうにもヨレヨレだ。足元もおぼつかない様な風情でドアノブに縋って立っている。
どう見ても、乱暴に陵辱された様にしか見えない。
(…あの兄ちゃん、…ロロノアの相手してんのか。そりゃ、…壊れるわな)
そう思ったけれど、実際、その様子を目にしていても、あの女好きのサンジが、大人しく、好き好んでロロノアに組み敷かれているとは、どうしても思えない。
まして、サンジが同性愛者だと言う事も絶対に考えられない。
(あの兄ちゃんの女好きは病気だぜ…。ホントに性根っから女好きだ。絶対にホモなんかじゃねえ)

ホモでもないのに、男の性欲に付き合っているのは一体、何故なのだろう。
(まさか…。あの兄ちゃん、この船の男連中の食欲だけじゃなく、性欲も面倒見てんのか)とも思った。

けれども、二人はフランキーに気付かずに、性欲処理の後も、かなり長い間、甲板にいて、
ごく自然に体を寄せ合い、星を眺めながら、雑談をして過ごしていた。
時折、会話が唐突に途切れたりするのは、もしかしたら、その都度、接吻でもしていたのかも知れない。

(うへ…あの二人、そう言う関係かよ)とフランキーは、辟易する。

それ以来、どうもまともに二人の顔が見れなくなり、会話もどこかたどたどしくなってしまった。

* **

成り行きなのか、なんなのか、何故か、その気まずい感じのまま、フランキーはサンジと二人で港町から少しはなれた漁村に向かって歩いている。

「…サーカスかぁ。俺も見たかったなあ」
「タダ券貰ったのが、ルフィ達だったからな。いいオッサンがいつまでもグダグダ言うな」

港町に降り立ってすぐ、ルフィはこの街にサーカスが来て興行している事を嗅ぎ付けた。
「行きたい!ナミ、金くれ!」と早速ナミに交渉したけれど、「お小遣いで行くなら勝手にどうぞ。お金はお小遣い分以上、絶対にあげないから」と一蹴された。

「サーカス見るのに、一人、一万二千ベリーもするの?高いわねえ」とロビンも驚いていたが、興行しているサーカス団の名前をルフィから聞くと、「…そこなら、…ま、それくらいはするでしょうね」と納得した。

以前、ウォーターセブンにも来た事のあるサーカス団だったし、実際、フランキーもそのサーカスの興行を一度見た事があるから、その金額が別に格別高いとは思わない。

かと言って、とても行きたいかと言うと、そう大して行きたくもない。
ただ、適正な値段だと思うだけだ。

「そんな高い金払うなら、俺、傷薬の一つでも買うよ」
「俺も。それだけあれば火薬だってかなり沢山買えるしな」と、行きたそうな素振りをしていても、チョッパーもウソップもルフィの誘いを断っている。

「そりゃそうだ。さっき、船着場でもちらっと聞いたけどよ、良い席の券なんてお前、一万二千どころじゃねえみたいだぜ?5万でも、7万でも出していいから見たいってヤツもいるらしいから」とサンジも口を挟んで来た。
「…え〜、なんだぁ、サーカス、皆見たくないのかあ?」とルフィが食い下がっても、
「…素人の曲芸だろ?そんなの見なくても、海でもっと面白エモンみれるだろうが」とロロノアも全く興味を示さない。

あまりにしつこいので、ナミは面倒くさそうに
「…クジ引きでもして、当てて来れば?港町の市場でいくらか買い物すれば、クジが貰えるらしいから。そのクジ、全部、あんたにあげるから」と突き放して、ロビンと二人、さっさと出掛けてしまった。

そんなクジ、どうせ当たりっこない。ナミはそう思っていただろう。
だが、ルフィはなんと、三枚も当てて帰って来たのだ。

ナミがそれを知っていたら、その券を取り上げて、売っ払ってしまっただろうが、幸い、もう買い物に出掛けて留守だったので、ルフィはその券を取り上げられずに済んだ。
「ウソップ、チョッパー、お前らも見たいだろ、行こうぜ!」と、ウソップはルフィに誘われ、フランキーとの買い物の予定を変えて、ルフィとサーカスに行ってしまったのだ。

そんな事があって、フランキーはサンジの買い出しに付き合う羽目になってしまった。

(…なんで、ロロノアを誘わねえんだ、なんで俺なんだよ?)
内心、フランキーは妙に緊張していた。

(この兄ちゃん、俺にも気があるとか…?いや、俺は変態、変態言われてるが、至ってノーマルな男だ。男から言い寄られても嬉しくもなんともねえぞ…)

そう思うものの、サンジはあのロロノア・ゾロを陥落させた男だ。どんなワザを仕掛けてくるかわからない。
第一、 男が、男を口説く時、どんなワザを使うかなど、フランキーは予想も出来ない。

娼婦がする様に、鼻に掛かったような甘い声を出して、肌を擦り付けられでもしたらと思うとゾッとする。
(男同士の痴話喧嘩に巻き込まれるなんて、冗談じゃねえ…)


「…で、少しは、長旅に慣れたか?飯は口に合うか?」
「あん?」

前を向いたまま、サンジはそう言った。
男には少しぶっきらぼうにも聞える素っ気無い、いつもどおりの口調だったのに、いきなり声をかけられて、フランキーはギクリとする。

「…飯は口に合うのかって聞いてんだよ」
「あ?ああ、まあ、悪くはねえな」そうフランキーが答えると、「そうか」と言って、
煙草を咥えていた唇が少しだけ、綻んだ。

「水水肉だの、…あそこには独特の食材がたくさんあったが、…他じゃああ言う水水肉、なんてのは手に入らねえな、」「そりゃ、そうだ」

そんな会話がキッカケになって、フランキーの余計な警戒が徐々に解け始めた。

「フランキー、お前、どっちかって言うと、体に悪イもんの方が好きだろ?」
「おう、ケーキにコーラ、ポテトチップスなんて言うジャンキーな組み合せが一番口に合うな!」
「脂ぎった肉とかも好きだよなあ」
「おう。肉は脂身がギトギトしてて柔かいヤツが一番だ、良く分かってんじゃねえか、流石だな!」

少し上り加減の道を歩きながら、サンジとそんな会話を交わしていて、ふと、
(この兄ちゃん、俺の好き嫌いを知ろうとしてんだな?)と、気が付いた。

女性の扱いだけが上手いのかと思っていたら、サンジは自分の体験談や人から聞いた話しを交えながら、実に巧みにフランキーの口から、生い立ちや、思い出話を聞きだす。

仲間になったからと言って、自分の過去を全部、喋った訳ではない。
細々とした日々の小さな小さな思い出話など、誰かに聞いて欲しいと思った事もなかった。

ただ、口の中に入れて飲み込む、食べ物の話をしているだけだ。
なのに、その一つ一つが、楽しかった想い出に繋がって行く事の不思議に、フランキーは
新鮮な驚きを感じながらも、サンジに話し続けた。

「ココロのばあさんが、夜食にって作ってくれたドーナツが、その時食ったら美味エんだけど、翌朝になったら、カチンカチンに固くてよ…それでも、残したらバカバーグのヤツが食っちまうから、あいつに食われるくらいならなんとしても食ってやるって、ミルクに浸してたんだ。でもよ、忙しくなるとそれすら忘れちまうんだな。昼頃になって思い出すと、そのドーナツが、たっぷりミルクを吸い込んで、ボヨボヨに膨れてやがるんだ。
見るからにふやけて不味そうなんだが、捨てるのも勿体ねえから、俺はこう、皿に口をつけて、一気にそのふやけたドーナツを飲み込んだ。そしたら、おめえ、…」
「美味かったのか?そのふやけたドーナツ?」
「ミルクが腐って、マズイの何の!それ以来、俺ア、ドーナツを見ると、腐ったミルクの味を思い出すようになって、ドーナツが食えなくなっちまったんだ!」

そう言うと、サンジはハハハ、そりゃ、不味いだろ、と笑った。

男が、昔話をするのは過ぎた過去に囚われて、固執しているようで女々しい。
強い男は、思い出話などしない。いつの頃から、そんな風に思っていたのだろう。

ずっと長い間、胸に仕舞いこんで大事にして来た想い出を、こんな風に静かに、誰かに聞いて貰った事が、今まであっただろうか。

「…気持ちいいな」
ひとしきり話し終わって、フランキーは立ち止まり、大きく背伸びをする。
空は高く、真っ青に晴れ渡って雲ひとつない。
その空を小さな小鳥がピーチクピーチクと鳴きながら、軽やかに飛んでいく。
海から吹いてくる風は確かに心地良いけれど、今、フランキーが気持ちいいのは、心の中にまでその暖かな春風が吹き込んできた様な気がするからだ。

「おい、あの花、見たことあるか?」
そう言って、坂を登り切り、少し前を歩いていたサンジが前方を指差した。

「…花ぁ…?」フランキーはサンジに駆け寄り、その指が指す方向を見渡す。

坂を登りきって、下っていくその道の両脇に、小さな黄色の花が地面一面に咲き揃っている。

「うわ〜すっげえな。黄色い絨毯みてえだな」と、思わず声が浮かれた。
「なんだよ、やっぱり見た事ねえのか?案外、世間知らずなんだな、お前」
サンジが半ば呆れた様にそう言ったけれど、嫌な気はちっともしない。

「当たり前だ。自慢じゃねえが、俺は海列車が通ってる島以外、殆どウォーターセブンから出た事ねえからな」
「あの島じゃ、この花は咲かないのか?」
そう言って、サンジはとっくに火が消えていた煙草をポケットにねじ込み、新しい煙草を咥え直した。

「ああ。剥き出しの地面なんてねえからな。鉢植えでも見た事ねえよ」
「ふーん。…そりゃ、お前が花なんかに興味ねえから、目に入らなかっただけじゃねえのか」
サンジは風を避け、少し顔を俯けて煙草に火を着けてから、そう言った。

そして、煙草を挟んだ指でもう一度、黄色の花畑を指差し、
「あれは菜の花だ。種から食料油が取れるし、茎や葉っぱは食える」
「花言葉は、快活」そう言ってから、また歩き出した。

「ハナコトバぁ?」
フランキーはまたサンジを数歩分だけ追いかけて、あまり耳なじみのない言葉を聞き返した。

「お前、男の癖に、そんなのイチイチ覚えてンのか?」
「当たり前だろ。女の子は花が大好きなんだよ。かわいいな、綺麗だな、と思う女の子に花を贈る時、どんな花がその子に相応しいか、どんな花を贈ればその子が喜ぶか…それを考える時、役に立つんだ。俺の頭の中には、100種類の花と、花言葉がキッチリ入ってるぜ」

そう言って、サンジは自分の額を人差し指でトントン、と突付き、ニカっと得意げに笑った。

「バッカじゃねえか。惚れた女だったら、お前に惚れた!って言って押し倒せばそれでいいじゃねえか」
「バカはお前だ、女性をなんだと思ってんだ。そんな事だから変態って言われんだよ」

そう言って、前を歩くサンジを見、その向うにもずっと広がっている菜の花の花畑を見ている内、いつの間にかサンジ対して、気まずさもわだかまりも感じなくなっている自分に気付いて、フランキーは驚いた。

春の太陽の色を写した様な花の中に立っているサンジは、男の目から見ても、絵になる。
逆光の所為か、少し眩しくさえ見えた。



途端に、嫌悪する気はなかったにせよ、男同士で恋愛している様な男を蔑んでいた、少し前の自分の醜さが急に恥かしくなる。

(…ああ、こう言う事か)
言葉では上手く説明しづらいけれど、ロロノアが何故、サンジに陥ちたか、いや、
サンジに惚れこんだのか、少し分かった気がした。

心の中にある、柔かく、かけがえのない思い出と言う宝物を、サンジはその宝物は、美しく、大事なモノだとフランキーに思い出させてくれた。
誰にも言えなかった、ずっと閉じられていた心の扉が、ゆっくりと開いていくのを感じる。
それはとても、心地良かった。
この心地良さが、サンジの魅力なのだろう。きっと、ロロノアも最初にそれを感じて、
サンジと言う男に、深入りする事になったに違いない。

血の通わない親に育てられ、その親をサンジは料理人として、フランキーは船大工として師匠とし、その庇護の元で体と夢を育み、その師匠達の夢を背負って、二人は今、ここにいる。
それを知った今、サンジと言う男の事をフランキーは仲間の誰よりも、自分に近い存在だと思えた。

「おい、兄ちゃん、今のキッチンで使いづらいところはねえか?設計段階じゃ、
色々考えたんだけどよ、実際、使ってみてどうだ?」
「そうだな…」

まだまだ、こいつと話したい。これまでもの事も、これからの事も。
きっと、サンジは、フランキーが飽きるまでずっと話を聞いてくれる。

(俺ア、これから先、このナノハナってヤツを見る度に、今日の事を思い出すんだろうなあ…)
そんな事を考えながら、フランキーはサンジと肩を並べて歩き出す。


ちょうど冬が終わりかけて、春の気配がゆっくりと日の光に混ざって空から降りてくる、そんな心地良い季節を迎えていた、とある春島での出来事だった。


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