指1本、動かせない。
皮膚の表面、体の皮がジリジリと焼け爛れ、剥き出しになった肉に
雷鳴で響く空気の感覚でさえ、激痛だった。

腹も、胸も、背中も「痛い」と言う言葉ではとても足りない、凄まじく重い、
凄まじく鋭い痛みが自分の心臓の鼓動のリズムと重なって、間断なく全身に激痛が
駆け巡る。

呻き声さえあげられない。目も、閃光で焼けたのか、瞼を持ち上げる力までが
命を繋ぐ労力に費やされて、その僅かな力が出せないまま、サンジはヒリヒリと
痛む目を開けられずにいた。

意識を失っているようでも、サンジには意識が有った。
いっそ、意識を失ってそのまま死んだ方がどれほど楽か知れない。

耳も鼓膜が破れて落雷の振動が直接頭に響いて来るだけ。
五感を塞がれて、それでも尚、サンジは横たわったままで仲間の安堵と言う
情報を得ていた。

(良かった。)

ロビンちゃんも、チョッパーも、クソ腹巻きも、生きている。
ルフィはきっと大丈夫だ。

だが、瞼を閉じてもわかる、凄まじい稲光と雷鳴は今だエネルの野望が継続し、
このスカイピアが、危険極まりない場所である事に変わりはない、とサンジは
感じた。

仲間の声が朧気に聞こえる。

「立てるか、ゾロ。」とウソップの声。
「ああ、」と苦しげに答えるゾロの声。

「誰か、コックさんを。」とロビンの声。

そこまで聞いた時、サンジは内臓がビクビクと自分の意志と関係のない痙攣を
起こし、腹部に今まで感じた事のない、不気味な痛みを感じた。
生臭い、生暖かいモノが喉からゴボゴボと噴出して行く。
自分の体なのに、もう、自分の体では無いような感覚だった。

(死ぬな、俺)ぼんやりとあまりに客観的に思った。

誰かが、自分を抱き起こした。
柔らかい手、頬を優しく叩く手、背中を抱いた手。

「しっかりしなさい。」とサンジが初めて聞く、ロビンの切羽詰まった声がやけに遠い。

ロビンの胸を押して、サンジは地面に自ら転がった。
船に帰っても無駄だ。この狂ったような雷から逃れて船に帰りついたとしても、
多分その帰りついた体は空っぽの抜け殻になっているだろう。

「なにやってんだ、早く背負わせろ」と乱暴にゾロがロビンを怒鳴った。

「ごめんなさい、」とロビンはもう一度、サンジの体を抱き抱えた。
ぐにゃりとしている筈のサンジの身体は地面に張りつくように強張っている。
背中から抱き上げたら、地面に垂れた両腕の先、黒く焦げて血の滲んだ指先が
柔らかな雲に筋を作った。

いつも煙草が咥えられている口からダラダラとどす黒い血が流れ出ている。
数えきれないほど、人の死ぬところを見てきたロビンには、サンジに死が
目前まで迫っている状態だとすぐに判った。

僅かに抗っているのは、サンジの意志だ。
「足手まといになりたくない」「ここに捨てていけ。」と、この海しか知らない
料理人は言っている。
「コックさん、諦めちゃダメよ。」と思わず、声を張り上げた。
ロビンは、こんな場面に何度も経験している。
同じ場面に直面して何人、見捨てて来たか知れない。

「長鼻くん、お願い、持ち上がらないの。」力任せにで引き摺りあげてゾロの背中に
背負わせる事が出来ないほど、サンジは頑固に地面に張り付いている。
「サンジ、起きてるんなら、ワケわかんねえ事すんじゃねえ!」と
ウソップが怒鳴った。

(さっさと行け。)とサンジは痛みと途切れそうになる意識と戦いながら
薄く目を開いて、ウソップを睨んだ。

ゾロに背負われる?あいつだって自分が立てるかどうか、って具合だろう。
死にかけの奴を担いで逃げたら時間を食う。
死体になるのが早いか、遅いかの違いだ。気にしないで、逃げろ。

さっき、ナミを助ける、その為に盾になる、命がけの想いをウソップは判ってくれた。
だから、きっと今も判ってくれる、とサンジはその細く開いた瞳に自分の言葉を
篭めて、そうして、ウソップをほんの1秒にも足りないほどの一瞬、じっと見つめて、
力尽き、目を閉じる。

そして、ウソップも的確にサンジの意志を汲み取る。
怒りでどういうワケか、涙が目に噴出して来た。
「ふざけんな。」とウソップはまた、怒鳴る。「そんなのはただの我侭じゃねえか!」

「おい、さっさと背負わせろ、ヤベえぞ、」と雷鳴の中でゾロがウソップとロビンを
急かす。

「早くここから、」地鳴りを呼ぶほどの凄まじい雷鳴が鳴り響き、真っ白な稲光が
全員の目を眩ませる。

「逃げないと、マジで全員、ここで死ぬぞ!」とゾロが怒鳴って、有無を言わさず、
サンジを脇に抱えた。
その瞬間、ゾロの足もよろめく。サンジは咄嗟にその衝動を利用して
ゾロの腕を振り払おうとしたが、ゾロの腕の力は思っていたよりもずっと強く

振り払う事が出来なかった。もう、抗う力は使いきった。
ここで意識を失ったとしたら、多分、ゾロが自分を背負う。

必死で船に背負って帰ったところで(死体になっているだけなのに。)
それでも、ゾロは自分を背負うつもりなのか、腕を引っ張って、サンジを背に乗せようとしている。

(なんで、判ってくれねえんだ。)

足手まといになって、皆を道連れにしたくない、それだけの事を何故、誰も判ってくれないのか。
悔しくて涙が瞳の中に浮いてきて、やがて溢れて目頭から零れ落ちて行く。



逆の立場なら、なんて今のサンジには考えられない。
ゾロやウソップ達から見れば、
サンジこそが最も利己的な自己主張をしていると言うのに、それにさえ、サンジは
気付けないでいる。

「俺達は手を離さねえ。こう見えてもルフィほどはヌけてねえんだ。」と
ゾロがサンジを背負った瞬間にゾロは誰にいうともなしに呟いた。

ナミを助けようとドラムの雪山をルフィと登った。
雪崩に巻き込まれ、握り有った筈の手をサンジは離した。

ナミを助ける為に。
また、ナミを助ける為に、仲間を一刻も早く船に逃げられる様に、
傷ついて動けない自分の体が重荷にならない様に、サンジは差し出される仲間の手を
離そうとしていた。

だから、ゾロは呟いたのだ。
「俺達は手を離さねえ、」と言う言葉を。

(終り)