WJ 367 妄想劇場 「大事なモノ」




(・・・なんで、俺はさっき、・・・)

暴走列車は、高くうねる波を突っ切り、激しく降る雨を吹き飛ばして、猛進している。
もう、誰にも止める事は出来ないという。

だが、その速度さえ、ゾロには焦れるほど遅く感じていた。
先を行く、ロビンとサンジを乗せて走る海列車に追いつくまで、もう何も為すべき事はない。

ただ、小さな窓から外を眺めているゾロの胸の中は、まるで、灰色の澱んだ空気を
詰め込まれたように、重く、息苦しかった。
心臓も、いやに重く、強い嫌な鼓動を打っている。

(俺は、なんでさっき、ルフィの言葉を・・・船長の決断に口を挟んだ)

「いいぞ、暴れても」

その言葉を聞いた時、ゾロは「無茶だ」と思った。
圧倒的な力の差を身を以って経験していたからこそ、「無茶だ」と思った。

自分とルフィでも太刀打ち出来なかったものが、あの生身で戦う、生身の人間の「コック」が敵う訳がない。
その結果がどうなるか。

絶対に、無事では済まない。下手をすれば、取り返しのつかない事になる。

だから、ルフィの言葉、船長の決断に思わず、くちばしを挟んでしまった。
どんなに理不尽な事、承服できない事でも、「船長命令」だから、「船長の決断」だから
従ってきたのに、何故、そんな事をしたのか、ゾロは自分でも自分の言動が理解出来ない。

だが、今はそんな自分の気持ちなど整理しなくてもいい。
今、向き合って、消化しなければならないのは、この嫌な胸の中に渦巻いている
言いようのない不安だ。
こんな不安な、不安定な気持ちを抱えている今の状態はとても「冷静」だとは言えない。

(なんで、こんなに不安なんだ)
苦しいほどやるせなく、どうしようも出来ない事がもどかしく、不安は胸の中で限りなく
広がっていく。
耳の中では、「コック」のあの声がこびりついて離れない。

「おう、マリモ君、俺を心配してくれんのかい?」
電伝虫から聞こえてきたその言葉に、とっさに「するか、バカ」と答えたが、
それは、嘘だ。(・・・また、見透かされた)事に動揺し、勝手に口を突いて出た嘘だ。

窓の外を睨んでいるだけのゾロに、船大工の一人が「ちょっと、いいか」と声を掛けてきた。振り向くと、葉巻を咥えた男が立っている。

「・・・コック・・・って言ってたが、さっきの電伝虫で連絡してきたお前らの仲間って、
どんなヤツだ」
ゾロはこの男が、「パウリー」という名の船大工だと船大工達同士の会話から知った。

「・・・なんでそんな事を聞く」
逆にゾロが憮然とそう聞き返す。
パウリーに話しかけられる事に、わけの分からない苛立ちを感じた。
欲しい物と、全く違うものを差し出され、それを払い除けたくなるような。
そんな苛立ちだった。

それをぶつけるわけにもいかず、ゾロは視線を窓の外に戻す。
けれど、そんなゾロの苛立ちなど、パウリーは何も感じないようで、なんの遠慮もなしに

「いや、・・・駅(ステーション)でも、思ったんだが、そいつ、なんにも事情を知らないのにニコ・ロビンの行き先を先読みして、こうやって、抜かりなく連絡寄越してる」
「相手がどんなヤツなのか、知りもしないで、たった一人、その相手に向っていこうと
してる。相当頭が切れて、気骨のある、いい男なんじゃねえかと思って」
「しかも、コックだって言うじゃねえか。コックがどうやって禄に武器も持たないで
戦うのか、どのくらい強いのか・・・興味がある」と、そう言った。

「・・・ふん」
相当頭が切れて、気骨のあるいい男?
ゾロはパウリーの言葉を聞いて鼻で笑った。
「期待しない方がいい。アホで、女にだらしのねえ男だ」
ゾロのその言葉に、パウリーは首を傾げる。
「・・・その言葉を真に受けると・・・お前は、その男を信頼はしてねえのか?」
そう聞かれて、ゾロは思わず、禄に見もしなかったパウリーへ向き直った。

「アホで女にだらしないヤツだからって、信頼してない訳じゃねえ」
「気に食わない奴だが、・・・頼りになる」

思わず言い返した、自分の言葉にゾロは自分で驚く。
一度も、サンジを「頼りに」などした事がないつもりだったのに、考え無しに口を
ついて出た言葉に、紛れもない本音が漏れた。

「そうね」
ナミが、向うの壁に凭れて、ゾロとパウリーを見つめ、不安を隠すように
微かに微笑み、瞼で、ゾロの言葉に頷く。

「・・・ね、ゾロ。あんたのその顔付き、あたし、見たことあるわ」
「ああ?俺の顔付き?」

ナミの言葉にゾロは眉をひそめる。
今は、戯言を交わしていられる様な気分ではないのに、「黙ってろ」とも強くは言えない。

誰もが、同じ不安を抱えている事が分かっているからだ。
黙っていたら、不安と緊張で居てもたっても居られなくなる。
焦れるだけ焦れて、苛付き、気持ちが不安定になるばかりだ。

だから、ナミもパウリーとゾロの会話に割って入ってきたのだろう。

「・・・アラバスタでよ。ルフィが、ビビを庇って、クロコダイルにハサミから
引き摺り下ろされたじゃない」
「それから、あんたとサンジ君が喧嘩しそうになって、あたしが止めた時の事・・・」

ナミにそう言われて、ゾロの脳裏の中で鮮やかにその時の光景が蘇えった。

「おめエはビビってんだ。ルフィが敗けちまうじゃねかってよ」
そう言われて、頭に来た。
心底、ムカついた。何故なら、図星だったからだ。

押し殺そう、乗り越えよう、と思っていたその不安を仲間の前に曝け出された。

あの時、抱えていた、ルフィを失ってしまうかも知れない、と言う不安。
今、この暴走している海列車の中の、この状況は、あの時にそっくりだ。
ナミに言われて、ゾロは初めてその事に気付く。

「・・・コックとルフィが入れ替わってるって事か」
「そうね。あの時、サンジ君に言われたでしょ」
「ルフィが敗けるかも知れないと思ってる。だから、お前はビビって落ち着いていられないって。今のあんたの顔、その時とおんなじだわ」

ゾロは思わず、自分の顎に手を添え、撫でた。
「そんなツラ、してたか」
「してたわ」そう言って、ナミは、ゾロの目をしっかりと見据える。

「・・・サンジ君がいくら強くて、・・・時々物凄く賢くても、あいつらには敵わない」
「サンジ君は敗ける・・・二度と、あたしたちのところへは帰ってこない」
「そんな不安があんたの顔ににじみ出てる」

ナミにそう言われて、ゾロは思わず目を伏せた。
「・・・あの時は、・・・あいつに不安を見透かされてムカついた」
「何も知らねえ癖に一人だけ妙に落ち着いてやがって、あいつにだけは、死んでも弱みを見せて堪るかって思う事で、不安を打ち消す事が出来た」

「・・・今は?」
「今?」

ナミに言われて、ゾロはその言葉の意味を聞き返す。
「・・・不安を打ち消せない?」ナミにそう聞かれ、ゾロは頷く。
「・・・かもな」ルフィとサンジは戦闘能力が違う。
ルフィは能力者。サンジは武器を持たない生身の人間。
「あいつは、ルフィほど強くねえ。いくらロビンの為に、クソ力を出せたとしても、
俺達でさえ、太刀打ち出来なかった相手だ」
「逃げ場のない場所で闘って、無事で済むとは・・・思えねえ」
そう言いながら、ゾロは(それだけなのか・・・?)と自分の答えに自分が納得できない。

ルフィとサンジで戦力の差があるから、不安が消えないのか。
(いや、そうじゃねえ)
あの時、何故、サンジはゾロの不安を見破ったのか。
仲間の誰もが見破れなかった事を何故、サンジは見抜いたのか。
それは、(・・・あの時、あいつも俺と同じ気持ちだったからだ)とゾロは今になって
ようやく思い至る。

七武海と一度戦って、その「レベルをモロに味わっている」と言うのなら、
サンジもその様を「モロに見ていた」筈だ。
だから、サンジもクロコダイルの「レベル」を知っていた。

最初にゾロの気持ちを暴いたのは、サンジの方こそ、その怖れ、不安を
仲間の誰にも悟られたくないと思った上での虚勢だったのだろう。
(あの時、俺達は同じ気持ちを抱えていたんだ)
口では言い争いながら、サンジと同じ想いを分かち合っていた事を、
サンジがいない今だからこそ、ゾロは素直に受け入れられた。

けれど、今。

ゾロの不安を理解して、分かち合ってくれる人間が、今、ここにいない。
どこにも、吐き出しようがない。だから、不安は、澱む一方で苦しくなる。

ナミとの会話の中で、ゾロはようやく、アラバスタでの状況と、今の状況との違いが
分かった。

だが、ナミはサンジの替わりになれない。
「暴れてもいい」とサンジを信じきっているルフィにも、理解してもらえない。
チョッパーに言ったら、不安を伝染させるだけで、なんの解決にもならない。

本末転倒かも知れないが、もしも、あの時と同じ様にルフィがいなくて、サンジがここにいたら、こんなにも不安が膨れ上がる事はなかった。
(あいつが今、ここにいたら)きっと、また不安を見抜いて、それを暴いて、
喧嘩をけしかけて来て、いつの間にか、ゾロの不安を拭っただろう。

黙り込んだゾロに、ナミも目を伏せる。
「・・・そうね。無事では済まないでしょうね」
「でも・・・サンジ君はいつもそうだもの」
漠然とした言葉の意味を今度はゾロがナミに尋ねる。
「なにが」
「サンジ君が大事なのは、・・・いつも自分じゃない、誰か」
ナミは遠い過去を見るような眼差しを浮かべて、ポツリとそう呟いた。

「・・・・大事なのは、自分じゃない、誰か・・・」
ゾロは、口の中でナミの言葉をなぞって見る。

そうすると、出会って、今日までの、目に焼きついたサンジの傷ついた姿、
その時々の状況が頭の中で稲妻の様に過ぎって行った。

初めて一緒に闘った時。
胸に深い傷を負っていたゾロが水の中に入るのを留めて、不利だと承知で自らが飛び込んだ。

雪山で、歩く事も出来ない程の大怪我を背中に負ったのも、
空島で、真っ黒に焦げていたのも、ナミを庇っての事だと聞いた。

ナミは、拳を何かに祈るようにギュ、と合わせて固く目を閉じる。
そのあわせた拳が少し震えていた。

きっと、ナミの頭の中にも、ゾロが思い浮かべたのと同じ、目を閉じて、薄い呼吸のサンジの姿が浮かんでいる。

(そうか・・・あいつの目に、俺はこんな風に映ったのか)

ナミの姿を見、その心を見透かして、ゾロはまた、サンジを思う。

(あいつなら、・・・仲間の誰も不安にさせねえ)
そう思えば、虚勢に映っても構わない、自分自身を励ます力をゾロは搾り出せる。

「お前や、ロビンが悲しむって覚えてりゃ、あいつは石にかじりついてでも生き延びようって足掻くだろ」
「もし、・・・無事で会えたなら、ナミ、お前があいつにそう言ってやれ」
「・・・そう言えば、これから先、どんな事があっても、」
「・・・俺もお前も、こんなに不安に思う事はねえ」
そう言うと、ナミは少し笑って伏せていた目を上げた。
「あんたじゃダメなの?」
「俺じゃ、ダメだ。気持ち悪がられるだけだ」
「それに・・・側にいない事が不安だなんて、あいつに知られるくらいなら」
「頭を丸刈りにした方がマシだ」

ナミはゾロのその言葉を聞いて、喉の奥でクク、と笑った。

そして、二人の会話を側でじっと聞いていたパウリーに、誇らしげな笑顔を向ける。
「・・・・ええと、パウリーさんだっけ」
「サンジ君って、そんな人なの。分かった?」

パウリーがゾロとナミ、その両方の顔を代わる代わる見て頷く。
「ああ、・・・お前らにとって、その男がいかに大事かって事、良く分かった」

その言葉を耳にしながら、ゾロはまた、窓の外へ目をやる。
代わり映えしない風景が、凄まじい速さで流れていく。

暴走列車は、もう、誰にも止める事は出来ない。
仲間を取り返すために、波を突っ切り、雨を吹き飛ばし、風を突き抜けて、まっしぐらに進む。




最後まで読んで下さって、有難うございました。

こんなやりとりがあったらいいなあ、と妄想して、書きました。


200505.24