エネルとの戦闘で、最も重傷を負ったのはサンジだった。
体表の火傷はもちろん、感電による内臓のダメージも大きかった。
「生きているのが奇蹟だ」とチョッパーも、チョッパーの治療に協力してくれた
空島の医者も口を揃えてそう言ったくらいだった。
どう言った経緯を辿って、こんなに酷い怪我を負ったのか、ゾロがウソップの
口から聞いたのは、サンジがやっとどうにか起き上がれるようになってからだった。
(またか。)
そう思った時、胸の中の臓器が鉛に変わったような重さを感じた。
(なんで、あいつはいつも自分を犠牲にしてしまうようなやり方しか出来ねえんだ。)
腹が立った。
自分の分を越えて、物事に挑もうとするからそんな危ない目に何度も会うのだ。
同じ事を何度繰り返せば、それに気がつくのだろう。
同じ失敗、同じ敗北を何度も繰り返す奴はバカだとゾロは思った。
そのバカの所為で、そのバカが回復するまで、
ずっと仲間の顔が曇っているのを見るのは、もう、ゴメンだ。
こんな事は、金輪際、止めさせてやる、とゾロはサンジが寝たきりになってまで、
居続けているキッチンのドアを乱暴に開けた。
ちょうど、都合の良い事に側には誰もいなかった。
「おい、クロ焦げコック。」と仁王立ちになったまま、急こしらえの寝台に
横になっているサンジに横柄に声をかけた。
サンジは眼を閉じていたが、うるさそうに目を開けてゾロを見上げる。
「絶対安静なんだがな。」と言うとゆっくりと起き上がった。
「腹でも減ったのか。」
「そんな用じゃねえ。」とゾロははきすてる様にそう言った。
お前は弱い癖にでしゃばり過ぎだ。
そう言うつもりで来たのに、ゾロは言葉を飲んだ。
重傷を負って半分死んでいるのと同じ様な状態なのに、サンジは敗者の気配を
微塵も感じさせていない事にゾロは気を削がれたのだ。
だが、言うべき事を言わないと、自分の腹の中の不快な重さをいつまでも抱えていかねばならない。
「てめえ、」
「同じ事を何回繰り返すんだ。」
ゾロの腹の中にある重さ、それの正体をゾロは考えもせず、ただ、思ったままを口にしてサンジにぶつけた。
「あ?」サンジは枕の下からゴソゴソと煙草を取り出して、口に咥え、横柄な口調で
ゾロの問いに、問い掛けで反応を返してきた。
「あいつの過去を知ってる癖になんでそんな真似ばっかりする。」
「あいつ?」サンジはゾロの言葉をなぞった。余計な言葉は一切言わない。
サンジの体は包帯で余すところなく、巻かれている。
痛々しいその姿を見ているだけで、ゾロの息が苦しくなる。目を逸らしたらきっと
楽に息が出来ると判っていても、ゾロは眼を逸らさずに挑み掛るような目つきで
サンジを見据えた。
「ナミだ。」「ナミさんをあいつ扱いするな、野蛮人」
煙草をいつもどおりに吹かして、いつもどおりの口調でサンジはそう答えた。
「あいつは人の犠牲の上に生きてるって知ってる筈だ。」
「てめえはナミの為に死ねたら本望かも知れねえが、そうやって生かされたナミの事」
「うるせえよ、」
サンジはゾロの言葉を心底鬱陶しい、と言いたげな態度で遮った。
「てめえなんかに言われなくってもそれくらい判ってる。」
「別に死ぬつもりでやってんじゃねえ、結果的にそうなっちまうってだけだ。」
「誰かの犠牲の上で生きてく事の辛さとかありがたみは嫌ってくらい知ってんだよ、
「俺も。」
ゾロはサンジの過去を聞いた事がない。
ココヤシ村で合流してから、今日まで何故、あのレストランにいたのか、
あの片足のオーナーとどう言う繋がりなのか、知らないで今日まで過ごして来た。
だから、サンジの言葉を聞いて、また、言葉を詰らせる。
それだからこそ、何もかも判っているなら何故、と言う疑問がより濃くなる。
「勝てそうにない相手って判ってるなら、もっと他のやり方が出来た筈だ。」
ウソップ見たいに逃げるって方法だってある。それが出来る男ではないのも
もちろん、判ってもいるし、サンジの知力をゾロは認めていて、その上での批難だった。
「誰が誰に勝てそうにないって?」とサンジはゾロの批難を鼻でせせら笑った。
「俺はちゃんと勝ったぜ。」
「何?」今度は、ゾロがサンジの言葉を聞き返す番だった。
「俺はこうして生きてる。ナミさんも生きてる。」
「誰も死んでねえ。」
「何か問題があるか?」
飄然とそう言われて、ゾロは口をヘの字に曲げた。
「てめえの勝つって事はそう言う事か。」
「そう言う事だ。」
そう答えるとサンジは辛そうに背中を丸めた。
それを見て、ゾロはまた、言いたい事を言うだけ、その簡単な事を挫けてしまいそうになる。
「こんなやり方しか出来ねえ癖に勝ったつもりか。」とそれでも自分を励まして
ゾロは心の曇りを吐き出す。
「笑かしてくれるじゃねえか。」と振り絞った気力、本当に伝えたい事が
伝わらない焦りがゾロの言葉を皮肉に変えた。
「弱い奴がイキがってんじゃねえよ。」
「誰が弱いって?」ゾロのその言葉に俯いて居たサンジの眼がギラついた。
「もう1回、言ってみろ。」
ゾロはサンジのその言葉に答えずに、一気に心の中に噴出してきた感情を
口から吐き出す。
「てめえが誰かをかばって死ぬような事があったら、俺はそいつを殺すぞ。」
(何言ってるんだ、俺ア)
ゾロは自分が言った言葉にハっと我に返った。自分自身が言い放った言葉なのに、
どうして、そんな言葉が口から飛出したのか、判らない。
ただ、サンジが死ぬのは嫌だと言う感情が迸っただけだと言う事にさえ、
ゾロは判らず、自分の言った言葉に唖然として、サンジの前に沈黙してしまった。
「言うに事欠いて、ワケのわからねエ事ほざいてンじゃねえぞ。」と
サンジは呆れたようにベッドにドサリと倒れ込む。
小さく、「・・ウッ。」と喉の奥で痛みを堪える呻き声がゾロには確かに聞こえた。
自分が横になる衝撃さえ、サンジの焼け爛れた皮膚には激痛に感じるのだろう。
そんな状態にあるのに、自分の中の苛立ちをぶつけに来たゾロは、自分の行動の
浅はかさにやっと気がつく。
「出来もしねえ事言う暇があったら、も少し強くなりやがれ。」とサンジは仰向けに
横になったまま、悪態を突いた。
眼はもう、閉じてしまっている。少し起き上がっただけでももう疲れたのかもしれない。
それほどに、サンジの体は弱っていて、労わらねばならない状態にある。
それでも、ゾロは無意識とは言え、サンジに煽られたら引き下がれない。
「なんだと。」とつい、荒い口調で詰め寄ってしまう。
「俺が誰かを庇って死んで、そいつをお前が殺す?」
「ハハッ。」
サンジは腹を軽く揺すって乾いた笑い声を立てた。
「てめえがいくらマリモ頭でも俺のやった事をぶち壊しにするような真似、」
「出来るワケねえだろ。」
サンジはそう言うとゆっくりと目を開いてゾロを見上げた。
煙草を口から指で摘んで、ゾロに差し出す。
「灰皿まで手がとどかねえんだ。消してくれ。」と言われて、ゾロは火の着いたままのその煙草をつい、なんの違和感もなく受取った。
「俺はこれからもこのやり方を変えるつもりはねえ。」とサンジは生気のない顔ながら、
満足げに笑っていた。
「いつか、死ぬぞ。」ゾロは指先に煙草を摘み持ったまま、見下ろして苦々しい気持ちを抱えたままそう答えた。
「人間はいつか死ぬんだよ。でもな。」
「誰かを庇っただけで俺は死なねえ。」
「そんな事されたら、生き残った方が辛エの知ってるからな。」
「俺は運がいいんだ。」そう言って、サンジはまた眼を閉じた。
「そう、簡単にはくたばらねえ自信がある。」
ゾロは言いたい事を言った筈なのに、少しも胸の内がスッキリしないまま、
サンジの側に沈黙し、佇んでサンジを見下ろす事しか出来ないでいる。
「二度と俺に向かって弱エ、なんて言うな。」
そして、またサンジは眼を開いてゾロを見上げる。その眼は僅かに細められ、
ゾロをからかう様に微かに微笑んでいた。
「言ったら、今度はお前を庇って死ぬカモ知れねえぞ。」
「くだらねエ事言うんじゃねえよ。」とゾロは即座にそう答える。
「じゃあ、お前の好きな約束ってやつ、しろよ。」とサンジは上目遣いで
ゾロを見ている。もう、口元も綻んでいる。
「約束?」ゾロは怪訝な顔でサンジの前に屈んだ。
「俺はお前の目の前で死んだりしねえ。」
「だから俺に向かって弱エなんて二度と口にするな。」
「思う事もダメだ。」
「判った。」ゾロは頷いた。
サンジが弱いなどと、本当は思ったこともない。
ただ、サンジを失う事に怯えて、その気持ちを自覚も出来ず、整理も出来ないまま、
敗北感に似た憤りをサンジ自身に叩きつけてしまった。
暴言を叩きつけてもその憤りは収まなかったのに、「約束」と言う言の葉は
ゾロの胸の痞えを僅かに薄める。
「考えてみれば、てめえは嘘をついた事がなかったからな。」とゾロが答えた頃には、
サンジはもう、そんな僅かな会話にさえ疲れ果てて眠りに落ちていた。
この話しの続きは、今は主の留守に汚れがちなキッチンがいつもどおりに
輝いて、賑やかな食事が出来る頃にもう一度、キチンとケリをつけなければ、と
思いつつ、
ゾロはサンジの眠りを妨げないように静かに息を潜めて
すぐ側の床に腰を下ろして、満足げに見える寝顔を飽きる事無く、じっと見つめていた。
(終り)