これくらいの怪我は怪我のうちには入らない。
ひどく、時間がゆったりと流れて行く様な、目に見えるモノも耳に聞こえる音も、
どこか現実離れしている様な気がする。
心の中には今まで感じた事もない満足感で一杯だ。
ただ、満たされきっていて、言葉がなにも思い浮かんで来なかった。
達成感でも勝利を勝ち取った喜びでもない。
仲間を無事に取り返せた安堵でもない。
理屈や言葉では説明など出来ない。自分の足で蹴り上げたゾロが目障りな敵のボールマンをゴールに叩きつけた時、生まれてこの瞬間まで知らなかった快感がサンジの体の中を突き抜けて行った。
誰かの為に、なにかの為に戦う事には慣れていた。
けれども、敵と対峙する時、結局は己の力だけがモノを言う。
勝敗を決めるのは自分の勝負運と自分の戦闘力だけだとずっとサンジは思っていた。
一度、殺し合いをする覚悟で敵と見なした者と向き合えば、誰の助けも求めない。
負けるも勝つも自分だけの責任だと、それがなにかと闘う事だと解釈してきて、
当たり前の様にそう思って来た。
だから、ゾロであれ、誰であれ、戦闘中にフォローなど余程の事がない限り、
期待しない。勝利の喜びも敗北の悔しさも、最後には自分一人で噛み締めるモノだと
サンジは思って来た。
だから、知らなかった。
こんな巨大な高揚感で体も心も満たされる瞬間がある事を。
跳ねて飛んで騒ぎたいと言う浮ついた気持ちではなく、
体の中の細胞の一つ一つまでが満ち足りて、心の中は豊かで美しい凪の海のように静かだ。
無我夢中で体を動かした。
こうしろ、ああしろ、と言う指示もしなければ、指示も受けない。
言葉でそんな事をしていたら、なにも分り合えず、お互いが反発して、
出せる力の100分の一も出せなかったに違いない。あんなデクノボー達に無様に
言い様に嬲られて、惨めな結果になっていたかも知れない。
言葉では何一つ理解し合えない間柄なのに、目の前に刃物を振りかざしたヤツの
刃先が銀色に輝きが目に飛びこんできて、地面を叩く棍棒の動きがやけにゆっくり見えた。耳障りな金属音や、大勢の男達の野次が突然、サンジには聞こえなくなった。
こう動くべきだ。確実な勝利を、完膚なきまでにこの愚かな格下海賊達を
叩きのめす為には、こうするべきだ、と体の中から得体の知れない力が沸き、
その声でも言葉でもない指示に従って、サンジと言う男の体は動いた。
今、目の前に見える筈の風景ではないものが脳裡に浮かぶ。
ゾロが見ているもの、ゾロが素手で敵を弾き飛ばした時にかかる、その体に
掛る重圧を確かにサンジは感じた。
自分の体が自分のモノではなく、ゾロの体もゾロのモノだけではない。
目を合す事さえしないのに、何を考え、どう戦うかをサンジは知っている。
自分の意志はあの瞬間、ゾロと重なり、ゾロの意志はサンジと重なった。
自分が何を為すべきか、共に闘っている相手に何を望むかを知っている。
だから、迷いも躊躇いもなかった。
自分がこう動く、なぜそう動くのかと言う意志は言葉を交わさなくても、
ゾロには伝わっている、そう確信していると自覚も必要がない程、
サンジの意志とゾロの意志は同調していた。
具体的な言葉など何も思い出せない。
自分の分身がもしもこの世に存在していたとしても、それ以上にゾロはサンジの意志を
全て汲み取り、そしてゾロの意志をサンジは全て読みとって動いた。
一人で闘っている時と同じ、自分の手足に自分の意志が伝達されて、間違いなく動くのと同じ感覚でゾロが目の前にいた。ゾロの見ているものが全てサンジは見えた。
ゾロが自分の足に乗る。
その瞬間、お互いの名前や過去など全て消えて、自分達は一つの生命体になったかの
様な感覚が刹那に交わした視線の中で、お互いが感じた。
足に掛ったゾロの体重と圧力、それは間違いなくゾロも感じただろう。
風を切って、飛ぶゾロの見ている映像がサンジには見えた。
世界で一番気の合わない筈のゾロと、今まで生きてきて誰にも感じなかった
凄まじい一体感を体の隅々まで感じているのに、それを不思議だとも思わなかった。
こうなる事をずっと前から知っていたかの様に、サンジは大地に立つ自分の体を
支配する、津波の様な高揚感や一体感、そして、満足感を素直に受けとめる。
理解する、分り合う、そんな軽い言葉ではなく、もっと強いなにかをゾロは
サンジの中から引き摺りだした。言葉に出すと陳腐で青臭くて、真実味など欠片もない。
だから、これからもお互い、はじめて力を合わせて闘ったこの日の事を話題にする事はないと
サンジには判っていた。
あと数分も経てば、この感覚は砂に沁み込む水の様に静かに消えていき、
数日経てば、また憎まれ口を叩き合う関係のまま過ごす時間の中で忘れてしまうかも知れない。
それでも、サンジは構わない。
これから先も、こうしてお互いの力を信じ合って闘い続ければ、また、この感覚を
味わう事が出来る。そうサンジは確信していた。
だから、サンジはその美酒をゆっくり味わう様にサンジはこの感覚に酔う。
跳ねて飛んで騒ぎたいと言う浮ついた気持ちではなく、体の中の細胞の一つ一つまでが満ち足りて、
心の中は豊かで美しい凪の海のように静かな、こんな巨大な高揚感で体も心も満たされる瞬間がある事を
知った喜びに
サンジは酔う。
(終わり)