「好物」第5話


ゾロが進めば、進むほど、壁は重たくなっていくようだ。

いや、壁と言うより ゾロの体そのものが重たくなっているように感じた。

鍛え上げられた肉体を持つゾロだから、なんのダメージも受けないが、
並の人間なら 骨が砕けてしまうかもしれないほどの圧力がかかっている。

魚人の丸く、大きな目が不規則に回転し、ゾロを見据えている。

ゾロは、刀を逆手に持ち替えて、その魚人へ切っ先をむけて投げつけた。

魚人の顔面に吸い寄せられるように刀は飛んでいく。

だが、魚人は咄嗟に首を傾け、それを避けた。

その瞬間、ゾロは戒めのような重力から解放され、魚人の懐に飛び込み、
瞬時に抜いた「雪走」で腹部を刺し貫いた。

「うああ!!」

ゾロは、ぐいぐいと相手の腹に刀をめり込ませながら、尋ねた。
「・・・で、てめえは一体、なんの魚人だったんだ。?」

魚人の急所は当たり前だが、人間とは違う。

ゾロが刺した場所は、人間で言うなら肝臓だ。
ここに刀を刺されたら、人間なら即死だ。

だが、この魚人はまだ生きている。

体つきを見てみると、平べったくて丸い。

「そいつは、マンボウだ。」

銀色の魚人は、ゾロが平べったい方の魚人を倒すとき、ずっとそばに佇んでいた。

手出しはしてこなかった。

「なんで、目の前の仲間を助けようとしなかった?」とゾロは尋ねた。

「こいつは、別に仲間なんかじゃねえ。」銀色の魚人は即座に答えた。

「ただ、一緒に来い、と言われてついてきただけだ。」淡々とした口調でそう言った。

ゾロは、その言葉を聞いて、嘲笑した。
「魚の血は冷えんだったな。」

銀色の魚人は このまま 鍛錬しながら 尚も逃亡を続ける、といって
海へ帰っていった。

ゾロは残りの魚人の骸を海岸に並べておく。

そして、船に積めるだけの果物を満載し、もとの島へ戻った。

小さな波止場で船を貸してくれた農家の男がゾロの帰りを待っていた。

「片付けてきたぜ。奴らの死体は海岸に並べておいた。これが証拠だ。」
ゾロは、アンコウの魚人から例の玉を斬りとってもって来ていた。

村中は大喜びし、どうしても礼を、というのを固辞して、
荷車と馬を借り、ゾロは帰途を急いだ。


ゾロは、港がある街につくなり、すぐに宿屋に部屋をとって、
果物を運び込んだ。

そして、2日ぶりに船に帰った。


「ちょっと、どこ行ってたのよ!!心配するでしょ、また迷子になってたの?」
女部屋を訪ねたゾロの顔を見るなり、ナミがガミガミと小言を言い出した。

だが、ゾロは無愛想な態度でそれを遮る。
「俺とサンジは今晩、外泊するからな。夕食は外で食ってくれ。」

ゾロとサンジの関係など、全員が知っているこの状況だが、
こうやって あからさまにゾロがその事を口に出すのは初めてだった。


ナミは、その事にまず、驚いた。

そして、しばらく 呆けたようにゾロの顔をまじまじと見つめる。

「なんだ。」
自分の言葉に妙な反応を見せただけで何もいわずに 不躾な視線を
投げかけてくるナミに、ゾロは憮然とその態度の理由を短い言葉で尋ねた。

「別に。」ナミは、素っ気無く答える。
「あんまり、サンジ君を苛めちゃ駄目よ。」
やっと、出てきたナミの返事が ゾロの癪に触った。

(何にも知らない癖に・・・余計事言うなってんだ。)

「ほっとけ。」言い争う時間が惜しいので、ぶっきらぼうに言い返すだけにしておく。
「とにかく、今夜は戻らねえからよろしく頼む。明日の昼過ぎには戻る。」
と口早にいって、部屋から出ていこうとした。

が、ナミがゾロを
「ちょっと待って。」と呼びとめた。

ゾロが不機嫌そうな顔で振り帰る。
「なんだよ。」

ナミは、大きな瞳に皮肉っぽい光りを乗せて、
「あんたの個人的な用で、コックさんを独占して、あたし達に2食も外食させるんだから、
その分、ちゃんと払ってちょうだい。」とぬっと手を突き出してきた。

「チョッパーとウソップが2000ベリー、あたしが酒代込みで5000ベリー、
ルフィが10000ベリー、掛ける2食だから、34000ベリーね。」

(高え!!)

だが、ナミが一度口にした値段を下げるとは思えない。

納得できなかったが、言い争っている時間が惜しいので、ゾロは
しぶしぶ34000ベリーをナミの掌に押しつけた。

「毎度あり♪これからは、外泊したくなったら堂々と言いに来てね」
とナミは満面の笑みを浮かべている。

「その度に大金払うのかよ、冗談じゃねえ」と渋い顔で呟いたゾロの言葉を
ナミは涼しい顔で黙殺した。

「・・・次の日、サンジ君の腰が立たなかったら 更に5000べりーね。」と
既にドアノブに手を掛けているゾロの背中に向かって楽しげに声をかけた。

ゾロは黙ってナミを軽く睨んで 女部屋から出ていった。

「好物」第6話



ゾロは、サンジが居るだろうキッチンに向かった。

夕食の準備のため、ちょうど倉庫から食材を運び込んだところだったらしく、
テーブルの上には まだ 調理されていない食材が無造作に置かれている。

サンジはそれを前にして、準備運動がわりの煙草をぼんやりした表情で
吸っているところだった。

昨夜一晩、帰らなかった事には、特に咎めるつもりはなさそうだ。

「今日は、外に泊まる。準備して来い。」
ゾロは、前置きなしでいきなり切り出した。

あまりに突然だったので、サンジはゾロが何をいっているのか
咄嗟に判らなかった。

「ああ?なんだって?」と煙草を咥えたまま、顔をしかめて聞き返してきた。

ゾロは、もう一度 少しゆっくりと同じ言葉を繰り返す。

「・・・メシ、作ってからでいいだろ?」と立ちあがった。

ゾロはナミに金を払ったことをいい、どうせ 二人で一緒に いそいそと
出かけるところを見られたくない、とサンジが言い出すのを見越して、
宿のアドレスと名前を教えた。

「妙に手はずが整っているな、気味が悪イ。」
メモをゾロに渡されて サンジは皮肉っぽく 口の端に笑いを浮かべた。


ゾロは、先に船を下り、宿へと足を向けた。

だが、なぜか、サンジの方が宿に先に着いてしまい、所在無く
宿の前に佇んで、ゾロを待っていた。


「クソ遅い!!俺より先に出て、なんで後で着くんだ!?」
顔を見るなり、いきなりゾロは怒鳴られた。

だが、そんな事でいちいち腹は立てない。
「悪イ、悪イ。」とここは軽く謝っておく。

ゾロは、サンジの背中を押して、先に部屋に入らせた。

サンジは、入るなり、目を見張った。

振りかえったサンジの顔は、ゾロが予想していたよりも、ずっと。

子供のようで、無邪気で、無防備で。
華やいで、光が差したように明るくて。

ゾロが果物をサンジの前に積み上げたかったのは、別にサンジを喜ばすためではなかった。

自分は悪くないのに、勝手に怒り出したサンジに謝らせるためだった。

だが、結局自分の行動はこうしてサンジを大喜びさせてしまっている事に気がついた。

(・・・けど、まあ、いいか。食わせてからで。)
顔中に悦びを溢れさせて、テーブルの上の果物を眺めているサンジを見て、
ゾロはそう思った。

「すげえ、どうやって手に入れたんだよ、こんなにたくさん!」

ゾロも笑みがこみ上げてくるのをぐっと堪えた。
「・・・どうだっていいだろ。腹一杯食えよ。」

サンジは、早速皮を剥き始めた。

甘い香が部屋に満ち始める。

果肉は濃い緑色で、ゾロが想像していた通り、みずみずしい。

食べやすく切り、皿に盛りつけてサンジは ゾロにそれを差し出した。

「お前の口に合うかわからねえけど、食ってみろよ。」
サンジはそういうと、一切れ、自分の口にほおり込んだ。

「うめえ〜。」頬を押さえて、子供のようにはしゃいでいる。

ゾロはその姿を見ながら、一切れ口に入れてみた。

それは一瞬、強烈にすっぱい。
慌てて、碌に咀嚼せずに飲みこむと、咥内に残った果汁がじわじわと甘く
感じ始め、えもいわれぬ美味に変化した。

それを味わっていると、今度はその甘味が渋みへと変化し、ゾロは慌てて
もう一切れを口に含んだ。

サンジはその様子を見て、可笑しそうに微笑んだ。
「な、癖があるだろ?でも、一瞬、めちゃくちゃ美味えだろ?」

ゾロは、口に果物を含んだまま頷いた。

サンジは、ゾロがどうやってこの果物を手に入れたかは知らない。
だが、本当に満足するまでその果物を堪能した。


「はあ、食った、食った。」
サンジはよほど 苦しいのか、自分のスラックスのベルトを弛めた。

「お前がそこまで腹一杯に食うの、初めて見た。」
ゾロはサンジの腹部に目をやった。

近づいて、シャツをめくってみる。

「不思議だ。あれだけ食ったのに、そんなに腹が出てねえんだな。」
掌で、その滑らかな固い肉質の肌をそっと撫で回した。

徐々に妖しくなるその手の動きをサンジが咎めもせずにじっと見つめている。

その視線にゾロが気がついた。

「・・・何見てんだよ。」とゾロの方がサンジの視線を照れ隠しに咎めた。

サンジは くくっと喉の奥で笑う。
「・・・らしくねえな。」サンジは、ゾロの頭を柔らかく掌で包み、
引き寄せて 我から唇を重ねる。

ついばむような、優しい口付けの後、サンジは低く囁いた。
「一晩、何もいわねえまま帰ってこなかっただろ。」

一つ溜息をついて、ゾロの頭を抱きこんだ。
サンジの表情が見えなくなる。

「・・・どっかで迷子になっちまって、帰って来れなくなったんじゃねえかって」
「・・・ほんの少しだけ、心配したんだぜ。」

耳に流れ込んできた、サンジの声にゾロの頭と胸が同時に 大きく脈打った。

自分の事を棚にあげて言わせてもらえば、サンジは ゾロを思いやるような
優しい言葉を口にする事は今まで一度もなかった。

それを期待した事もないつもりだった。

それなのに、サンジの言葉にどうしようもなく、胸が高鳴っている。

ゾロは、口を開いても自分の気持ちを上手く言葉に出来ないとわかっているので、
黙ってサンジの胸に耳を押しつける。
願わくば、自分と同じように強く、早く 鼓動を刻んでいて欲しい、と思った。


「もう、迷子になんてならねえよ。」
サンジの鼓動が早くなっているのか、そうでないのかも、ゾロには判りかねた。
そして、ようやく自分の気持ちと一致する言葉を、小さく呟いた。

「なんでだ?。」
サンジは、ゾロの髪に指を通して、自分の胸からゆっくりと引き離しながら 尋ねた。
それはとても 穏やな声音だった。

ゾロはしっかりとサンジの目を見据えた。言葉と心をそこへ注ぎ込むように。
「俺の居場所はここしかねえからな。どんなとこに行っても、」
「お前が待っててくれるなら、帰って来れる。」


サンジの口がへの字に結ばれ、目が泳いだ。
この顔は、照れている顔だ。
そして、この顔をした時は どうせ、へそ曲がりな意地悪な言葉しか返してこないだろう。

ゾロは、サンジの返事待たず、その口が汚い言葉を吐かないように塞いでしまった。

そして、言葉を紡ぐ器官を 優しく絡めて 自由を奪う。

やがて、口の中だけでなく、ゾロはサンジの体を快楽という甘美な縄で
拘束していく。

翌日、ゾロは、何気なくその果物の名前をサンジに尋ねてみた。

「ああ、あれか。」
「capricieux fruitっていうんだ。」と答える。

聞きなれない発音のその名前に、ゾロは首を捻った。
「どう言う意味だ?」

「わがままな果物って意味だ。」

サンジの答えに、ゾロは妙に可笑しくなってふきだした。

そのゾロのリアクションにサンジの眉が寄せられる。
「・・・何が可笑しい。」と口を尖らせる。

「・・・いや。別に。」ゾロは誤魔化そうとしたが、サンジがその嘲笑のようにみえる
笑みをただ、見逃すはずがない。

その会話が導火線になり、二人はまた 下らないいい争いをする。

時折、こんな風に誰憚ることなく 痴話喧嘩のような事をするのも悪くないと
ゾロは思った。

きっかけは喧嘩でも、サンジの好物を自分だけが知っている。
そんな些細な事が 妙に嬉しく感じている自分が 可笑しかった。

自ら選んだ殺伐とした道に 暖かな光りを差し込んでくれるこの存在が
どんな事があっても もう手放せない。

わがままでも、意地っ張りでも、暴れん坊でも、・・・・男でも。
側にいる限り、全て許せる。




「腹一杯、食ったか?」


「美味かったか」


サンジの好物は。
すっぱくて、甘くて、苦い。
そして、絶え間なく欲しくなる美味な「わがままな果物。」

それは、ゾロだけが知っている味なのだ。(終り)