「翼を持つ者達」




傷ついた渡り鳥が、バラティエの甲板に舞い降りた。

「食い物商売で、生き物なんかとんでもない」と言ったものの、長旅をしてやつれきって、
身も細ったそんな鳥をまさか捌いて客に出す訳にもいかない。
かと言って、飛べもしない鳥を海に放り出す訳にもいかず、ゼフはその鳥を「倉庫にでも入れとけ」と適当に指示して、その事をしばらく忘れていた。

「オーナー、あの鳥、卵を産みましたよ」、そうパティに言われても、ゼフは一瞬、「あの鳥?」とその渡り鳥の事を思い出せずに、そう聞き返した。
「そう、あの嵐の日に群れから逸れて落ちてきたメスの渡り鳥ですよ」
「ああ、…なに、卵を産んだ?」「はあ、三つほど…。なんだか、今日当たり、孵りそうです」

* **

だが、親鳥の命は、卵を孵すまで持たなかった。
まだ、温め足りない卵が三つ、ワインの空き箱に敷いた紙くずの上に残された。

(中の雛は随分、育っちまっているだろうな…)
このままだと、もう直に生まれてくるところまで育っていた雛が卵の中で死んでしまう。そう思うと、どんどん冷えていく卵をそのままにしておけずに、ゼフは懐に入れて、自室に持って帰って来てしまった。

(一体、誰が面倒を見てたんだ…?)ふと、考えたけれど、ゼフはすぐに
(物好きで、人のいい若いコックが面白半分に餌をやっていたんだろう)と勝手に決め付け、考えるのを止めた。

ほんの少し前なら、「誰が」などと考えるまでもなかっただろう。
外は、夜も更けて、親鳥が落ちてきた夜と同じにか細い雨が降っている。
その肌寒い雨音を聞きながら、ゼフは目を閉じ、(もしも…)と、いま、ここにはない現実を、胸の中に思い描く。

雨に打たれ、濡れてブルブルと震えていた親鳥を見つけたら、きっと乾いた布ですぐに包んで、雨の当たらない場所へ運んでいただろう。
弱って餌が食べられないのなら、食べれるように餌を工夫し、なんとか元気になるように
仕事の合間を見ては看病に明け暮れていただろう。

灰色の倉庫の中、親鳥の茶色の羽根の色、そして、その親鳥の容態に一喜一憂する
向日葵色の髪と、蒼いシャツ。

親鳥を覗き込んでいる首根を掴み、引き摺り倒して、「仕事をしろ!」と怒鳴ったら、「うるせえ、やる事やってんだ!ゴチャゴチャ言うな!」と偉そうに口答えをする。
その生意気な顔は、小さい頃から少しも変っていない。

そんな風景の中に心を彷徨わせていると、ジンと目の奥が熱く、痛くなって、ゼフは慌てて目を開けた。

(…あいつがいたら、あの親鳥も死ななくて良かったかも知れんな…)

いつになれば、この寂しさを忘れられるのだろう。いや、せめて幾分か薄れるだけでいい。
そう思うのに、海が煌き、美しいと思えばその時、空が晴れ渡って心地良いと思えばその都度、店が忙しく、疲れたと思えばその夜、薄れるどころか寂しさは日毎に増していく。

寂しさも心配も気掛かりも、日が経てば、薄れていくものだとゼフはずっと思ってきた。

あのチビナスと出会った大嵐の日に失った仲間の事も、一日だって忘れた事はない。
だが、彼らを惜しむ気持ちはいつまでも失いはしないけれど、居ても立ってもいられないほどの寂しさはもう感じない。

なのに、何故、あのチビナスだけは、こんなにも自分を寂しくさせるのだろう。
側にいて欲しい、とは欠片も思っていない筈なのに、側にいない、ただそれだけのことが、大事なものを失ったかの様に、何故いつまでも胸の中が寒くさせるのだろう。

ゼフは、そっと小さな箱に移した卵の一つを掌に乗せた。
温かく、重さを感じられるのは三つ残ったうちの、この一つだけだ。
コツ、コツ、コツ、と絶え間なく、何か意地になっているかの様に懸命な命の振動が掌にまで伝わってくる。

胡桃ぐらいの大きさしかないこの卵から、とてつもなくひ弱な、羽根も生えていない丸裸のヒナが生まれてくる。
それをどうやって育てるか、ゼフにはわかっていない。

だが、親鳥はもういない。この掌の温もりだけを頼りに、必死に生きようともがいて、生まれてくる雛を育てられるのは、ゼフ以外にない。

卵が、ビシ…と軋み、中から黄色く、小さく尖ったくちばしが突き出てきた。
「…お…」ゼフは固唾を呑んで、雛を見守る。

薄い、薄い白い膜が邪魔そうだけれど、くちばしを振り回し、足をばたつかせ、翼を捩って、雛はゼフの掌の上で卵を割り、中から這い出て来た。

* **

仕事もしないで、なにやってんだ、クソジジイ。

もしも、サンジが居たなら、そうやってゼフを詰っていたに違いない。
丸裸の雛は、3時間おきにエサをやらなければならず、手間が掛かって仕方がない。
だが、気を抜くとすぐに死んでしまいそうで、仕事中も雛がどうにも気になるし、休憩中も、うかうか寝てもいられない。

そうして苦労しながらも、雛はどうにかフワフワと綿毛のような産毛が生えて、
愛らしく育ってきた。
卵から孵って、最初にゼフを見たからか、ゼフの事を親だと思っているようで、顔を見ればピーピーと口をあけてエサをねだる。

(…黄色くて、チビの癖にやかましくて、まるであいつそっくりだな)

雛を見る度に、やはりサンジを思い出しはする。
けれど、その雛のおかげで、寒さにも似た寂しさが少しづつ、ゼフの心から薄れていく。

* **

やがて、部屋の中で飼うのは少し無理なくらいに雛は大きくなった。
店のコックの話だと、飛べる頃にはちょうど、渡っていく時期になると言う。
「オーナー、その時が来たら、離してやるべきじゃないですかい?」とコルネに言われて、
「人間の手で育てたからな…自分で餌を捕れるかどうか…」とゼフは不安になった。

たかが鳥の一羽、二羽、死のうが生きようが気に病む事はない。
正直、賄いの飯にでもしてやろうか、と冗談交じりにコック達にそんな事を言った事もあった。
だが、現実、巣立ちの日が近い、と言われて初めて、ゼフは気付いた。

雛は自分で餌を捕る術を知らない。敵に襲われて逃げる術も知らない。

(…何で、その事をこの俺が忘れてたんだ)と、ゼフは自分に呆れた。

どんなに小さく生まれても、翼を持って生まれてきた雛には、いつか必ず巣立ちの日が来る。
生きて欲しいと願うのなら、例え、傍目から見てどんなに厳しくとも、その巣立ちの時に備え、一人で飛べる翼と強さ、生きて行く力を持てる様に育てなければならない。

そうやって、あのチビナスを育てた筈だったのに、幼い雛鳥に寂しさを紛らわせているうちに、その事をすっかり忘れていた。

(…お前も、ワシが育てたんだ)
(なら、あいつの様になれ…)

ゼフは、その雛を海へ放した。
自分で餌を捕り、いつでも自由に飛べる環境に置いた。

黄色かった羽根は、いつしか灰色がかった茶色へと変り、頼りなかった翼は、
力強く風を切って羽ばたく力が備わった。
媚びて甘えるばかりだったあどけない眼差しが消え、黒く、つぶらな目に野生の輝きが宿った。

あんなに懐いていたゼフにすら、気に入らない事があると、ガーガーと威嚇しながら反抗もする。

巣立ちの日は近い。

* **

空が晴れ上がって、風は穏やかな昼過ぎ。
ゼフの仕事が終わるのを待っていたかのように、その雛は舳先で羽を休めていた。
その風情を見て、ゼフは今日が巣立ちの日だと覚悟を決める。

「…お前はどこまで飛んでいくんだ」

船の舳先に止まり、空を舞い飛ぶ同じ種族の鳥をじっと見ている雛の背中にゼフは微笑んで、答えなど返ってこないと承知していながらも、そう話しかける。

確かに目で見えているのは、一羽の渡り鳥だ。
けれど、ゼフの脳裏には、ここから旅立っていたもう一羽の愛しい雛鳥との別れの日の事が過ぎって行く。

「…グランドラインまで飛んだら…、チビナスが今、どうしているか、見て来てくれ」

そう語りかけると、雛は大きく羽を広げ、大きく羽ばたきをし、海へと身を投げ出した。
煌く海面を一直線に走り、そして、その体がやがてフワリと宙に浮く。

水飛沫が、足元から滴り落ちて、キラキラと光った。

「…行っちまったか」
掌を額に翳して、ゼフはそう呟いた。

きっと、あの雛も、サンジと同じ様に逞しく、強かに生きて行くだろう。

次に訪れる飛来の季節、無事にここへ帰って来てくれる事をゼフは心から願う。

持て余していた寂しさを紛らわした ただの形代としてではなく、今でもサンジが逞しく、変わりなく、自分の道を生きている事をゼフに伝えてくれる使者となって欲しい。

そんなゼフの思いを背負って、その雛は飛んでいく。
やがて、その姿は青空の中に消えていった。



最後まで読んで下さって、有難うございました。
原稿の合間に、気晴らしに〜と思って、借りてきた曲を聞きながら思いついたネタです。

こういう話、多いなあ…。

よっぽど、こんな話をアニワンでやってくれないものかと思いますね。

2006年5月16日   戻る  ★