オールブルーが雪に閉ざされる。
それでも、晴れた空は世界中のどの空よりも青く、
海域によって温度の違う海も、それぞれに違う蒼をきらめかせ、
舞い散る雪を波間に溶かす。

凍てついた海域にあるサンジの家の周りは、海面の表面に雪は吹き寄せるけれど、
蒼が白に隠されてしまう事はなかった。

「今となっては、笑い話だけどな。」とサンジは照り返す雪の上で、
隣にいるゾロの顔を見て思い出し笑いをするように幽かに笑った。

「なにが。」
「人の噂やら、海軍の情報やらがいかにいい加減かって事が、だ。」

不思議そうな顔のゾロの言葉にサンジは即答してから、
空を仰ぎ見る。吹き上がる風が振り積んだ雪を巻き上げてサンジの視線を追うように、
空へと舞った。

何があっても、嘘をつかない。
何があっても、約束は守る。
そんなゾロだから、サンジは何も心配せずに、
ここで自分の夢を守っていけるのだ、と言いたいけれど、
サンジは口には出せなかった。

照れと意地と、自分がどれだけの想いを抱えているかを漏らさず間違い無く
ゾロに伝える自信がなくて、サンジは曖昧に笑って誤魔化すだけだ。

自分の中でだけ、サンジは回想する。
その時のサンジがゾロへぶつけた感情も、共に見た風景も
今のゾロが忘れていても、構わない。

あの時の約束だけを覚えていれば、それでいい。
そして、それももう、二度と確認する必要もない。

ゾロは何があっても、約束を守る男なのだから。


「ロロノア・ゾロが死んだ」と言う噂がオールブルーのレストランに届いた。

「疫病が流行った町にいて、そこで死んだ」と言う情報だった。

誰かと戦って死んだ、と言う噂ではないだけに信憑性があり、
また、サンジの耳に入って来る噂話の一つ一つが、見てきたかのように
リアルだった。

「亡骸は、感染が広がるのを防ぐ為にすぐに焼かれた」とか。
「熱で5日苦しんで死んだ」とか。

挙句に、「形見」まで持ってくる人間もいた。
正確には、サンジにゾロの形見を「売りに来る」のだ。
ゾロが纏っていたマントだの、靴だの、読解不可能な「遺書」だのを。

最初は、サンジも笑って聞き流していたが、レストランに来る常連客の中には、
弔問するような格好で来る者もいて、その対応に困窮した。

(まさか、そんな事であいつが死ぬ筈ない。)と思っていても、
内心は動揺する.しない方がどうかしている。

けれど、サンジはそれを微塵も人に見せなかった。

そうなる、覚悟は別々の道で生きて行く事を決めた時から、
常に腹の中に出来ていた筈だ。

(嘘だ、)とサンジは思い続けた。
自分になんの知らせもしないで、ゾロが勝手に死ぬなど有り得ないと言う理屈で、
サンジはゾロの生存を信じ続けようとする。

「気を落とさないで」「元気を出して」と言われても、サンジには現実味がない。
ゾロが死んだ、など自分が認めない限りは有り得ない事だ。

けれど、そんな姿勢が「気丈に振舞っている」と言われてしまう。
それがますます、サンジをイラ付かせた。

「店を休んで、確認しにいこうよ、」とやはり、動揺しているジュニアが言っても
サンジは「行きたきゃ、勝手に行け。俺は店を開ける気はねえんだ。」と
叱り付けた。

海軍からも、「ゾロの生存が確認出来ない」と言う情報が伝えられ、
世の中ではゾロは疫病で死んだ、と殆どの人間が信じるまでになっても、
サンジは、他人の目から見て、まるきりいつもどおりの態度を貫いていた。

生きているに決っている。
そう信じたいのに、心に沸きあがって来るのはそれとは反対に、
本当にゾロがこの世にいなくなっていて、それを否定しきれない苦しさだった。

ゼフの時も、なんの前触れもなく、別れもなく、それでも事実だった。
どんなに心が繋がっていても、死が二人を引き裂くのはあまりに唐突で、
突然だと経験で知っている。

(誰でもいい、安心させてくれ)と誰かに叫びたかった。
(あいつは生きているって教えてくれ)とどこかで叫んでしまえば、
ギリギリのところで堪えている、崩れそうな強がりが一気に壊れてしまうだろう。
それが壊れたら、きっと、自分の感情の全てが壊れて、
守るべき夢を守りきれなくなる。それが恐くて、サンジは自分で自分を励まし、
叱り付け、なんとか、平静を保つ。
その力を振り絞るのに、心も体もどんどん疲れて行く。

ゾロは生きている、俺の所に帰ってくる、と自分が信じないで誰が信じるのだと
思っていても、苦しさは募るだけで決して消えなかった。

同じ思いを抱えているのは、ジュニアも同じだ。
泣けば怒られるに決まってる。
第一、泣いたら自分もゾロが死んだ事を認める事になるから、泣けないけれど、
泣きたくないけれど、涙がジンワリと滲んでしまう。

ゾロが死んだと聞かされて、一月経った。
ジュニアはその夜、ふと、夜中に目が覚めて喉が乾き、キッチンへ水を飲みに行った。

そっとドアを開くとリビングのソファにはサンジが灯りも付けずに
座ったままだった。

「サンジ?」

そのジュニアの声にサンジは急に我に返った様子だった。

「眠れないの?」とジュニアは気遣う様に声を掛けて、サンジに近付く。
「別に。」とサンジは淡々と答えたが、
その目が潤んでいるのをジュニアは見てしまった。

サンジがギリギリで堪えているモノと同じモノがジュニアの心の中にもあって、
サンジの涙を見た途端、ジュニアのそれが崩れる。

サンジの目の涙は滲んだ程度だったのに、ジュニアの目からは一気に涙の粒が膨れ上がり、そして零れた。

「バカ、なんで泣く」とサンジはドアの側に突っ立ったまま、
拳でぐいぐい涙を拭い出したジュニアに向かって、傍らのクッションを
投げつける。

「だって、ゾロが」と答えようとしても、勝手に声がしゃくりあがってしまう。
「泣くな。」サンジは立ち上がってジュニアの側に近寄った。

まだ、サンジの背にはまだまだ追い付かない体を乱暴に胸に掻き抱いて、
声を出せば、自分の目尻にも貯まり始めている雫がこぼれない様に何度も
瞬きをした。

迂闊に声を出せば、(うっかり貰い泣きしそうだ。)と思ったから、
一度、ぐっと唇を引き絞る。

「あのな、ジュニア.」

他のヤツがなんと言おうと、亡骸を見るまでは信じるな。
そう言うつもりだったのに、口をついたのは全く別の言葉だった。

「お前だけは、泣くな。」
「お前が泣くと」

俺も泣きたくなる。泣いたら、ゾロの死を認める事になる。
ああ言えばよかった、とか、こんな事をしてやれば良かったとか、
不毛な後悔に押し潰される。
だから、泣くな。

そう言えばますます 感情が制御出来なくなる、とサンジは我を取り戻して、
「お前が泣くと、ぶん殴りたくなる。もうガキじゃねえんだから、泣くな。」と言った。

ジュニアは、サンジのその言葉に込められたサンジの気持ちを
抱き締めてくれる腕の中で確かに感じ、徐々に気持ちが落ち付いて来た。

サンジが信じているなら間違いない、と思えた。
ゾロは絶対に生きてる、とやっと確信出来た。すると涙が乾く。


自分達の生き方を後悔などしなかったつもりだし、これからも後悔しないだろう、と
サンジは思って来た。
けれど、ジュニアに確信させておいて、それでもまだ自分はゾロが生きていると
誰かに言って欲しいと強く願う気持ちは心にこびり付いたままだ。

もしも、本当なら。
もしも、本当に死んだというのなら、
(俺を一緒に連れて行け)、その思いがゾロに伝わって欲しいと思った。


が、結局、その年の冬。
ゾロは何事も無かったような顔をして、オールブルーに戻ってきたのだ。

「俺が疫病で死んだ?」とサンジが当然、驚いてその騒動の事をゾロに話すと、
首を捻った。

「その島には確かに行ったが。疫病が流行る前にはもう、そこにはいなかったな。」
「じゃあ、どこにいたんだ.」とサンジが尋ねると
「わからねえ。」と言う素っ頓狂な答えが返って来た。

「わからねえだと?自分の事で大騒ぎになってたってのに、」
「わからねえってどういう事だよ.」とサンジが意味不明なゾロの言葉と
今まで心の中に詰っていた鬱憤を全部晴らす様にゾロにきつい口調で詰め寄る。

「地名やらなんやら俺に聞くなよ.足の向くまま、気の向くまま、」
「強エ奴がいるってだけでそこへ行く気になるんだからよ。」

とゾロは頓着無く、答える。
それを聞いて、サンジは久しぶりに腹から笑った。

「迷子になってただけか。」

ひとしきり笑ったサンジの体にゾロは腕を回して顔を翳らせた。
「気に食わねえな。」
「前より、痩せやがって。」

ガセネタとは言え、どれだけサンジが心を痛めていたか、
ゾロは抱き締めた体の細さで知る。

一緒にいた頃は何がなんでも生きて夢を掴め、と思っていた。
例え、自分が死んでもサンジが生きているならそれでいい、と若い頃は思っていた。
けれど、それは一緒にいられたから、思うこと、伝えたい事を常に伝え合う事が
出来る距離にいたから、後悔を残す事は何もなかったように思う。

けれど、今は、離れている。
離れている時間のほうがずっと長く、寂しいと感じる時間のほうが
一緒にいて満たされる、満たしてやれる時間が圧倒的に短い。

生きていてさえ、寂しい思いをさせているだろう。
自分達が選んだ道で、お互いを責める事など絶対に有り得ないし、
それが枷になる事も無いが、

自分が寂しさを感じているのと同じくらいは寂しさを感じているだろう。

サンジを生き残して、悲しませるくらいなら、と今なら本気でゾロは思う。

「お前の目の前以外の場所で死ぬような事があったら、」
「連れて行く。」

「行き先が地獄でも、連れて行く。」


きっと、ゾロ以外の誰かがそんな風に言っても、ただの気休めや、
戯言だと笑えるだろう。
けれど、サンジは笑わずにその言葉を信じた。

何があっても、嘘をつかない。
何があっても、約束は守る。
そんなゾロだから、サンジは何も心配せずに、


空からやがて降ってくる春の気配を怖れずに待つ事が出来る。
二度と会えなくなる、その恐さを怖れないで、ゾロの背中を見送る春を。


(終り)