サンジが店で忙しく立ち働いている間、ゾロは自分の鍛錬もするけれど、暇と言えば、暇だ。
慌しい行為の後、サンジが出掛けていってから しばらく、ソファでうたた寝していたが、
「ロロノアさん、ロロノアさん、」とアトリに呼び起こされる。
サンジのテリトリー内だと言う油断があるのか、
ゾロは起こされるまで、行為の後の気だるい、心地よさに身を委ねて熟睡していたらしい。
「お休みのところ、ごめんなさいね。」アトリは頭に
白いバンダナをきりりと巻いて、妙に気合の入った格好をしている。
あ、そうか。
ゾロはいつものアトリの儀式の事を思い出して苦笑しながら体を起こした。
アトリは、ゾロが帰って来ると必ず、サンジの部屋をガラリと雰囲気を変えるほどの模様替えをする。
いつも、唐突に帰って来るので前もっての準備など出来ないのだが、
今の部屋の家具や調度品の配置も、以前、ゾロが旅だった時と同じなので、
それを今から模様替えするのだ。
「よし、やるか。」
ゾロも大きく欠伸を一つして、立ちあがった。
彼女の指示どおりに家具を運んだり、絨毯を剥がしたり、ゾロにも仕事が与えられる。
「なんで、毎度、俺が帰って来る度に模様替えをするんだ?」と
ゾロは初めて アトリに尋ねた。
アトリは、さっきまでそこにサンジの大きなベッドが合った場所を綺麗に拭きあげながら
「内緒です。」と悪戯っぽく笑う。
久しぶりに会う、恋人同士の二人。
アトリは、二人の表情や態度には出さない、けれど確かに
お互いが触れ合える場所にいる事に喜びを感じているゾロとサンジの
様子を見るのが とても楽しかった。
自分と、夫の再会もこうであればいい、と憧れている。
いつまでも、瑞々しい感情を二人ともに持っていてもらいたくて余計なお世話としりながら、つい、世話を焼いてしまう。
サンジには、日頃から本当に細やかに気を配ってもらっていて、そのおかげで、コック達からも慕われ、
息子のサムも、コックとして、海で生きる男として鍛えてくれて、いくら感謝してもしたりないくらいだ。
ゾロを見送った後のサンジは、
絶対に寂しそうな顔も素振りも見せないが、愛する人と離れて暮らす寂しさをアトリは
女性と男性と言う違いはあるけれど、誰よりも理解しているつもりだ。
忙しいサンジはゾロが戻ってきていても、普段の生活を少しも崩さない、
だからこそ、ゾロと過ごす夜は その忙しさを忘れて、ゾロだけを見て、ゾロだけを感じられる空間を作って、
そこに身を置いて欲しい。
そう思って、日頃見なれた部屋がそう見えないようにアトリは色々考えて工夫するのだ。
ランプシェードを取り替え、カーテンを取り替え、家具の配置を変え、
絨毯を変え、ベッドのシーツも新品に変える。
「明日の夜は満月ですね。」大きな窓の側にゾロがベッドを運ぶ。
アトリは窓には薄い、やわらかな、光りを透かすカーテンをかけた。
ランチを終え、サンジが自宅に一旦帰って来るころ、
慣れない作業に疲れたゾロはリビングで鼾をかいていた。
「サンジさん、どうぞ」とアトリがバルコニーに椅子を出して、腕まくりをして呼ぶ。
「忙しいのに、すみませんね。」とサンジはコックスーツの上着を脱いで、
上半身裸になり、その椅子に腰掛ける。
アトリはハサミとかみそりを器用に使って、サンジの髪を整える。
ゾロが帰ってきたら、いつも、昔と変わらない髪形にする。
サンジもジュニアも、ヘタな床屋にも行けない。
そこで、狙われた事もあるし、コックスーツを洗濯屋に出したら
毒針つきで戻って来たりするから、
衣食住のなにもかも、アトリに任せておいた方がずっと安心出来る。
そして、夜。
サンジが仕事を終えて自宅にジュニアを連れて戻ってくる。
「明日、海軍の本隊がご到着だそうだ。」とリビングで待っていた
ゾロに面白くなさそうにそう言う。
髪を切ったサンジは やはり、長い時よりもずっとゾロには馴染みがあって若若しく見える。
「ミルク少佐は?今夜はいらっしゃらないのかしら?」と
寝る前の軽い食事をサンジの前に、ゾロには酒とそのツマミを、
運びながら アトリはサンジに尋ねる。
「近くに停泊してる。今日は作戦会議だとさ。大げさすぎて、うんざりだ。」と
アトリにも不満げな口振りで答えた。
「アトリさん、明日は念の為にここを海軍に任せます。」
「わかりました。指示に従いますわ」とアトリは やや、機嫌の悪いサンジの
気持ちをほぐすように柔らかく微笑んで頷いた。
「もう、お風呂の準備も出来てますし、私は今日はこれで失礼します。」
「おやすみなさい、サンジさん、ジュニア君、ロロノアさん。」
あら、ジュニア君、こんな所で寝ちゃダメよ、とソファにあお向けに
寝転び、うつら、うつらし始めているジュニアの腹を指で突付いて起こす。
「おやすみ、サンジ、ゾロ。」
「「おやすみ。」」
眠そうなジュニアの肩に手を添え、アトリとジュニアはリビングのドアを
締めて、出て行った。
波の音だけが聞こえる、静かな夜になる。
サンジは食事を終え、食器をキッチンでざっと洗い、
「お前、風呂、入ったのかよ。」と遠くからゾロに尋ねてきた。
「いいや。」
実は、ゾロが
「風呂、先に入るから沸かしてくれ。」とアトリに頼むと、
「すみません、ちょっと忙しいので後でサンジさんと一緒に入って下さいな。」と
言われたのだ。
これも、アトリの心使いだと ゾロもサンジも最近になってようやく、気が付く。
脱衣所ではなにやら普段は薫らない、なんとも可憐な花の匂いが漂っている。
「いい人なんだけど、恥かしいんだよな。」とサンジは
二つ、並べられた、まっさらの寝間着を見て顔を赤らめる。
素直にゾロに甘える筈もない、サンジの性格をアトリは 恐らく、かつて共に旅した
ナミとビビ、ロビンよりもずっと よく知っていて、
無理矢理にでも、甘い空間を演出する事で、
二人が素直に寄り添えるように、配慮してくれる。
が、それが却ってサンジには恥かしい。
ゾロにとっては 余計な言葉で雰囲気作りをしなくて良い分、とてもありがたい。
バスタブにはミルクを溶かしたような色の、これも気持ちの良い匂いの湯がたっぷりと張られてある。
ゾロが湯船の中でサンジに手を伸ばす。
が、手首を湯の中で鷲掴みにされ、
「昼間やったろ。」と迷惑そうな顔をされた。
それでも、サンジの手で、ゾロの髪が洗い上げられる。
こんなに心地よい事は世の中にそう、たくさんある事じゃネエな、とゾロはいつも、思う。
寝間着に着替えて、模様替えした自室に向かう。
ドアを開くと薄暗い中にもう、ランプの明かりが灯してあった。
ゾロはもう、有無を言わさず、無言でサンジを担ぎ上げる。
部屋には、香料でなく、生花の瑞々しい薫りが満ちていた。
ランプを消しても、月明かりがベッドに降っていた。
薄い、ベージュに海のモチーフのシルクのベッドカバーが
月明かりを受けとめ、柔らかい金色を放ち、闇に浮かんでいる。
そこにサンジを横たえ、二人の翳が一つになった。
お節介で優しい女性の魔法で サンジは素直にゾロの優しい愛撫を
ゾロの想いを受け入れる。
「もしもし、聞こえる?ヒナの声。」
海軍だけが傍受できる、専用の通信機から ミルク少佐の上司、
黒檻のヒナの、イライラしているような声が聞こえてくる。
「聞こえてます、ヒナさん。」
ミルク少佐、ライは、ヒステリックなヒナの声に顔を顰めながら
メモを取っていた。
「情報によると、船は中型の戦艦、三隻。」
「乗員の数はそこから割り出してちょうだい。」
ガガガ・・・と耳障りな音がしきりに聞こえる。
オールブルーは磁気が非常に不安定で 海軍の通信機でも
あまり役に立たないのだ。
「それだけですか。武器の規模は?」ライがそれでも諦めずに
本隊から、来襲してくる海賊の情報を聞こうと通信機の送信口に
怒鳴った。
「こちらの出来るだけの軍備は整え・・・・・ガガ・・・」
受信口からヒナの声とノイズが混じる。何を喋っているのか
全く判らない。
「ああ、クソっ。役立たず!」ライもついにもどかしさが募り、
通信機を拳でドン、と一度殴った。
「なんですって!」いきなり 鮮明に聞こえたヒナの声に
ライは慌てて襟を正す。
「通信機の事です、ヒナさん。それで、武器の規模は?」
相手の武器や、攻撃の特徴を前以って知っているのと
そうでないのとでは、戦果に大きな開きが出る。
まして、こちらは防戦し、撃退するのを目的としているので、
守備体勢を整える為にも、相手の戦力についての情報は
必要なのだ。
ライはこの作戦において、何より、サンジの身の安全を確保する任務を
負っている。
海賊との戦闘は本隊の黒檻部隊の仕事だ。
(大人しく守られてくれる人じゃないからな。)
ライが出来る事は、サンジ自身を守るのではなく、
サンジが守ろうとするモノを鉄壁の守備で守り抜く事だ。
それがすなわち、サンジを守る事になる、と確信していた。
「わからないのよ。斥候が帰艦しないの。多分、バレて沈められたわ。」
「そっちの軍備でなんとかしてちょうだい。人一人、」
「君がぴったり貼り付いてれば守りきれるでしょ。」
それが出来たら苦労しませんよ、とライは口の中で呟いた。
が、情報が判らない以上、傍受されるかもしれない通信を続けるのは無駄なので、
「了解」と答え、通信機を切った。
サンジの雇っているコックは、バラティエでもそうであったように、
殆どが 腕っ節の強い男達だ。
海賊船のコック経験者も数多い。
今までは、海軍の庇護など受けずとも、ゾロを狙った海賊をはじめ、
オールブルーの利権を狙う海賊を幾度となく、
撃退して来た。
客は、世界中からやってくる。
どの客も、このレストランに来る為には海をはるばる越えて来て、
また、波を越えて帰って行くのだ。
そんな客を海賊から守り、心からの満足と寛ぎを提供するべきだ、と言うのが
オーナー・サンジのポリシーだ。
「こういう時に限って、ルフィさんに連絡が取れないなんてついてないな。」
ライは溜息をついた。
世界政府から除名された小国が起死回生を狙ってオールブルーを奪う為の
海賊を雇って襲来してくる、と言う情報は随分前に
確かな情報として海軍にもたらされた。
国家規模予算で組織された海賊だ
情報を隠蔽されても仕方ないが、
相手の正体はわかっていても、それ以外はなにもわからない。
どれくらいの戦力なのか。
どの航路を、どれくらいの速度で進んでいるのか、
本隊は何も把握していないのだ。
明日、本隊が到着するより早く、その襲撃があれば、
防戦だけの装備のライの船団では太刀打ち出来ないかもしれない。
情けない、と思うけれど、
(ロロノアさんがいてくれて良かった)とライは心底思う。
サンジだけを守るのではく、
ジュニアや、アトリ、アトリの息子サム、雇われているコック達全てを
僅か30名の手勢で守りきる自信がライにはなかった。
海軍はあくまで、サンジ一人を守る為の装備しか与えてくれなかったからだ。
翌朝。
サンジは朝食前にコックを全員、フロアに集める。
「今日も予約で一杯だ」
「海軍の奴らが大げさに騒いでるが、お前らはいつもどおりの仕事をしてろ。」
「万が一、戦闘が始まったら、」
「とにかく、客を守れ。」
言わずもがな、そう言う状況は何度もあったので、
何時の間にか、それぞれに役割分担が出来あがっている。
客を安全な場所へ連れ出す係りや、それを補佐する係りなど、
サンジがいちいち細かく指示しなくても、コック達はもう、サンジの思うまま、
望むままに動く。
「わかったら今日もキバって働け、クソ野郎ども!」
おお、と全員が気勢を上げる。
いつもの朝の風景だ。
今日はゾロもフロアに顔を出している。
ライの「厄介な海賊」の来襲に備えて、サンジを守る為ではなく、
正式な七武海でなくても、海軍からの要請があれば海賊を狩っている立場から
件の海賊との戦闘の為に待機しているわけだ。
それにしても。
オーナーとしてのサンジの堂々とした様子を目の当たりにして
柄にもなく、頬に薄い笑みが浮かぶ。
レストランを経営していて、コックスーツを着ているけれど、
ここにいる男達が全員、私服姿だったら、
いっぱしの海賊船の船長のようだった。
(バラティエのおっさんが見たらどう思うだろうな。)と
一度しか会ったことがない、サンジの育ての親の事をふと、思い出す。
コック達がそれぞれの仕事に付こうと散会しかけた時、
サンジはジュニアとサムを呼びとめた。
「お前ら、今日は休め。」
「俺が店に出ていいって言うまで、店に来るな。」
まだ、少年の二人はサンジのその言葉を聞いて、さっと顔色を変えた。
大人になろう、と背伸びする年頃だ。
子供扱いされていると思っても 不思議はない。
「なんでですか、オーナー。」
ジュニアはともかく、サムは15歳、海賊あがりの大人顔負けの
戦闘力がある、とサンジも認めているし、本人もそう自覚していた。
「なんででもだ。」
「俺の指示に従えねえなら、即刻この店から出ていけ。」
「でも。」
ジュニアも食い下がる。サンジから蹴りを叩きこまれているのだから、
なまじ、海軍の二等兵などよりはずっと強い。
「お前らには、アトリさんを守ってもらう。」
「いいな。」
戦闘に参加するな、とは二人のプライドを傷つけるだろうとの配慮で
言わなかったが、
自宅はライの部隊が固める筈だ。
わが子同然とは言え、ジュニアはウソップの息子だ。
海軍がこれほど警戒している海賊との戦闘で万が一の事があれば
ウソップに顔向けできない。
サムも、アトリのたったひとりの愛息子だ。
怪我一つさせたくはない。
昼、ランチの客が引き始めた頃。
ライの部隊の船からけたたましいラッパが鳴り響く。
「敵船、発見」
そのラッパの音は、既にレストランのすぐ側に碇を下ろし、
戦闘準備に入っていた黒檻部隊に、そう告げていた。
(続く)