「温度の正体」
「へえ、」と唐突に立ち止まり、往来に面していた店の中をゾロは覗き込み、
足を止め、すぐに同じ様に立ち止まったサンジを「おい、」と呼びとめて、
怪訝な顔で振りかえったサンジの視線を指先で引寄せて、そのまま店の中の陳列棚を指差した。
「お」とサンジはその中のモノを見て、口の端に煙草を咥えて僅かに微笑み、小さく驚きの声を上げた。
「例の餅か」とサンジは店には入らずに、ただ、伸び上がって店の中を覗く。
「同じ様な習慣の島って結構あるもんだな」とゾロも同じ様に覗いてから
そう言い、サンジの顔を見て、ニヤリと意味深な笑顔を浮べた。
「お前、実はあの時から俺に惚れてたよな?」とサンジにじゃれる様に軽口を叩く。
「あの時ってなんの事だ」と空惚け、サンジも穏やかに微笑んで、またゆったりと歩き出した。
今日は、血なまぐさい海賊稼業は休みにしよう。
晴れ渡った爽やかな青空の下、今日まで歩んできた道のりを他愛ない会話で少しだけ、振り返る。
そんな1日にしよう、と二人は決めた。
そんな事を言葉でイチイチ宣言しなくても、並んで歩く早さと和やかな横顔を見れば
分かり合える。深緑の匂いを孕んだ薫風が吹く街を
二人はあたりの景色を全て目に映せるくらいの速度で、ゆったりと歩き続けていく。
「あの時」
それは、まだお互いを「仲間」だと思っていた頃。
春島がそろそろ夏へと移行しかける爽やかな気候の島だった。
「俺の生まれた場所に似ている」とゾロが言った、その島。
気候が似ていれば、風土や習慣も似るものなのだろうか。
「おい、クソコック」と賞金首を物色して街をうろついている最中にそう呼びとめられ、
サンジは「ああ?」といつもどおりに無愛想に返事をした。
ゾロは古びた佇まいの店の前に突っ立っている。
「なんだ」と尋ねると、「お前、あれ知ってるか」と聞かれた。
(あれ?)とサンジがゾロの指差した先を見ると、薄暗い店の奥に陳列棚がある。
そして、その中にはいわゆる、「ダンゴ」だの「マンジュウ」だのと言う類の菓子が品良く並んでいる。
「いらっしゃい、」と言う声を飲み込んで、柄の悪い男二人に店を覗きこまれ、緊張しているのか、
いささか強張った面持ちの初老の小柄な女性がその陳列棚の奥で、じっと二人の様子を伺っている。
「あれってどれだ」とサンジはちらりとその女性を一瞥し、片頬だけに愛想笑いを浮べて見せ、
すぐにゾロに向き直って尋ねた。
店の外から指を指されるだけではたくさん種類がある菓子の中のどれなのか、良く判らない。
「あれだ、あの葉っぱに包れてるモチだ」とゾロは答えた。
少し霞んだような渋い色合いで、なだらかな曲線を描く、少々、変わった形の葉の中に、
真っ白なモチが包れている。そんなモチをサンジは初めて見た。
「知らねえ。初めて見た」とサンジは率直に答える。例えゾロにでも、料理の事で変に
知ったかぶりなどしない。知らない事は知らないと認め、それから見覚えば新しい知識が
増えるのだから、他の事ならいざ知らず、料理の事に対しては嘘も強がりも虚言も言わない。
「カシワモチって言うモチだ」
「ガキの頃、一年に一回、一つだけ食ってた」
「稽古の後の腹へって疲れてる時には妙に美味く感じてよ」
「一度でいいから、腹一杯食って見てえなあ、って思ってた」とゾロは懐かしそうに目を細める。
「今でもか?」と何気なくサンジは尋ねたが、ゾロは黙って「別に」とだけ言った。
甘いものを好んで食べる男ではないのだから、そんなモチを腹一杯食べたいなどと今更思うワケがない。サンジはそう思ったが、ゾロは数秒、なにか言いたげにサンジの顔をじっと見つめた。
「食いたいのか?」(食いたいなら、買えばいいじゃねえか)と思ってそう尋ねたのに、
ゾロは何かを言い澱んでいる風なのに、また「別に」としか言わない。
だが、サンジには判った。
子供の頃に心底「美味い」と思ったその味と同じ味である訳がない。
思い出の中の味覚はその思い出が大事であればあるだけ、どんどん美化され、理想化され、
現実にその味を再び食べてみると、全くその理想と思い描いていた味とかけ離れている
事がある。今のゾロは甘い食べ物を食べて、それを「美味い」と思う感覚が薄い。
例え、同じ菓子職人が作った「カシワモチ」を今食べたとしても、
子供の頃に食べて感じたような鮮烈な「美味い」と言う感覚は得られないに違い無い。
それなら、いっそ食べない方がいい、と思った。
けれども、思い出の味をただ、懐かしいと思う為だけに食べて見たい。
「腹一杯」ではなく、一つ、二つで構わない。
それを食べたい、とゾロは思っている。ゾロがはっきりとサンジに作ってくれ、と
何故言わないのかまではサンジには判らない。けれど、ゾロは確かに
「カシワモチ」を食べたいのだとサンジには判った。
判った以上、作らずにはいられない。
(材料と、作り方さえわかればどうにかなる)とサンジは考えた。
素朴な、時節を楽しむ風習から生まれた菓子だから、きっと、家庭でも作っている。
それなら、街の本屋を覗けば、家庭向けの菓子作りの本がある筈、そしてそれなら
簡単に材料も手に入る筈、とサンジはその日の夕方にはすっかり材料を買い揃えた。
ちょうど、皆、島の宿に入っていて、船の中にはサンジとゾロしかいない。
そして、ゾロはと言うと、夕食を食べさせた後、キッチンを出ていってどこかで好き勝手に過ごしている。
サンジはキッチンのテーブルに腰掛けて、街で買った本を開いた。
カシワの葉の由来までがご丁寧に書かれている。
新しい芽が出てくるまで、古い葉は落ちない。まるで、命を紡ぐ後継者が育つのを
じっと待ち、それが立派に育って行く様を見届ける様に、新芽が出て初めて、
地面に落ちると言う葉をサンジは指先で摘んでクルクルと回した。
(面白エところで育ったんだな、あいつ)とその葉を見つめて、子供の頃のゾロの事を想像してみる。
こんな葉っぱに子供の成長の祈りを篭める、そんな豊かな発想が出来る人々の間で
ゾロは育った。そう思うと、何故かとても、胸のあたりがとても温かくなる。
(・・・妙だな)とサンジは戸惑いながらも、胸の中から少しづつ、染み出してくるのを感じていた。
この仄かな想いは一体、なんなのか、突き詰めて考えるととんでもない答えに行き付きそうだ。
(さて、やるか)サンジは立ち上がり、腕まくりをする。
何度も何度も読み返し、分量、手順、をしっかり頭に刻み込んだ。
それを間違えなければ、家庭で食べる分には十分な「カシワモチ」が出来る。
食べた事もないモノを作るのだから、まずは正確に作り上げて、
自分が食べてみる必要がある。それから色々工夫すべき事があれば、試せばいい。
(なんだか、こんなにのんびり何かを作るって、物凄く久しぶりだな)と思い、
赤い豆を甘く煮ている合間、気がつくと鼻歌まで出ていた。
思い返せば、(あいつの為だけになんか作るのって初めてだ)とサンジは気付く。
得体の知れ無い、けれども決して異物感も違和感もない温かな空気の固まりが
ずっと胸の中にある。
(まあ、俺がもし、女だったら惚れてるかもな)とゾロの容姿やゾロの声を
思い出して、そう思った。なんとなくそう思っただけなのに、急にカっと頬が熱くなる。
さっきまで心地良く澱んでいた空気が一気に凝縮し、温度をあげて、頬に噴出したように。
(女だったら、だ。俺は男だからな。あいつも男だし、何考えてんだ、我ながら気色の悪イ)と慌てて、
サンジは自分の頬を両手でピシャ、ピシャ、と強く叩いた。
(ナミさんみたいなイイ女が側にいてもなんとも思わねえんだから、理想がよっぽど高エのか)
(それとも、そんな事に構ってる暇はねえって事なのか、興味がねえのか)
そんな他愛も無い事をつらつら考えて、(案外エ、俺もあいつの事知らねえモンだな)と改めて気づいた。
どうでもイイ事。知る必要もない事。
そう思ってもいい事ばかりなのに、知りたいと言う気持ちが正直な想いだった。
ルフィやウソップに対してはそんな事、思いもしない。
それなのに、何故、そんな風にゾロの事を知りたいと思うのか、我ながら不思議だった。
けれど、余り深くは考えない。
仲間としてゾロを認めている。大事な仲間だから、失いたくない大切な男だと思うだけ。
価値観が余りにかけ離れているから、理解出来ない部分が余りに多過ぎるから、
少しでもゾロを知りたい、ゾロを理解したいと思うだけだと蒸し上がった生地を捏ねながら
サンジは自分に言い聞かせる。
「ようし、出来た」と蒸し上がったモチの完成品は、たったの二つ。
試作品なのだから、大量には作らなかった。別に意図して二つ作ったのではない。
一つにどれくらいの小豆を包めばいいのか良く判らず、適当に加減して、二つ試作したまでの
事だった。
(さて、食ってみるか)とほかほかと湯気のあがる出来たても「カシワモチ」をサンジは
蒸し器から取り出して、皿に乗せた。
(あいつ、来ねえかな)と期待したつもりなど少しも無かったのに、無意識にサンジは
キッチンの外に足音が響くのを待っていたのか、ふと、目と耳の注意がドアの外に向いた。
そして、近付いて来る足音を耳に捉えた時、また胸の中に漂っていた温もりは
思いもしない変化をして、サンジを動揺させる。
ゾロが近付いて来る、それだけの事で初めて女の子と待ち合わせした時の様に心臓が
大きく鳴って、その音が体の外まで聞こえてきそうなほど、それなのに、ドアが開く瞬間が
待ち遠しい。
「なんか、作ってるだろ」
ドアを開くなり、ゾロはそう言って真っ直ぐにサンジを見て、笑った。
見ようと意識などしていなかったのに、ゾロが開く前からずっとドアを見つめていたサンジの
視線は、そのまま、ゾロの緑色の瞳に吸い寄せられ、自分だけを見て笑ったゾロの笑顔に
さっきからウルサイほどの鼓動を刻んでいた心臓は一際大きく、ドクン、と音を立てた。
魂の一部が浚われた音をサンジは初めて聞いた。
その日初めて感じた、あの心地良い温もりは、サンジの胸の中で形も色も温度も変えて行く。
熱く、息が苦しい時さえもあった。ゾロが自分に近付く、ゾロが自分を見る。
それを目で追う自分の行動に常にその温度はつきまとう。
(気色悪イ)と自分でも思うから、きっと一生、自分でも認めない。
むろん、ゾロには気取られない。そうして、ずっとこの温度を飼い慣らしながら、
誰にも知られない様に素知らぬ顔をして、何食わぬ態度を側にいられる限りは貫いて行く。
そう思っていた、ほんの少し前。
あの「カシワモチ」を目にした時、二人の記憶に同じ出来事が蘇った。
「お前、実はあの時から俺に惚れてたよな?」と今聞かれて、正直に答えるなら、
首を縦に振らなければならない。
躊躇いと戸惑いと、否定とやり場のない苦しさを抱えていた日々が、
振り返ってみれば、懐かしく、その日々すらも愛しい思い出となって二人の心の中にあった。
「あの時ってなんの事だ?」とサンジは答えた。
きっと今、ゾロを見つめている顔はゾロしか知らない顔だろうと思う。
言葉で言い表せない優しい温度が胸の中にあって、その温度のように、きっと自分の顔は
誰の前でいるよりも自然で、穏やかに違い無い。
「俺はあの時、ただ、カシワモチが食いたかったんじゃねえ」
「お前の作ったヤツが食いたかったんだ」と今になってゾロが言う。
「はっきりそう言やあ良かったんだよ」サンジがからかう様にそう言うと、
「言えるワケねえだろ、」とゾロは肩をそびやかした。
「あの頃はちょっとでもお前に隙を見せれば腹の中にあるモンが今にも飛出しそうだったからな」と
答えるゾロの面映そうな笑顔も、きっと自分しか知らない。
そう思うと、今だに胸の中に棲んでいる温もりがまた少し、膨張してサンジの胸を優しく撫でた。
(なんだ、同じだったんじゃねえか)と今なら笑い飛ばせる。
「じゃあ、また今年も作ってやるか」とサンジは少し先に立って歩き出す。
深緑の香を移した柔らかく白いモチを二人で向き合って噛み締めたら、
どんな風に胸の中の温度は変化するのか。そんな事を考えながら、サンジは頭の中に
刻み込んだ筈の「カシワモチ」のレシピを思い出そうと試みる。
(終り)
アニメで、カシワモチみたい、と言われてるサンジを見て妄想してみました。