夜中に、そっと音を立てないように格納庫のドアを開ける。
それはほんの少し前まで、何度となく繰り返してきた動作で、ふと、ゾロはサンジの肌の温もりを思い出した。

今夜も変らずドアがギ…と軋んだ。その音が、意識の底深くに眠っていたサンジへの欲望をよびさます。だが、まだゾロはその事を自覚しない。ただ、サンジを抱いて満たされる事を知っている体が、ゾロの心よりも先に反応し始めた。

ドアを開けて、足を踏み入れる時、心臓がわずかに高鳴った様な気がする。
薄暗がりの中、黒い影にしか見えないサンジの姿を見た途端、口の中に渇きを覚えた。
けれどまだ、それくらいの微弱な体の反応にゾロ自身は気にならない。

何故なら、サンジとは本当に二人きりになるのが久し振りだからだ。
まして、体が変体してからは初めてなのだから、緊張しても不思議はない。

「…なんか用か」迷惑そうな顔を隠しもせずに、サンジはそう言った。
口調は以前と変りない。ナミともロビンとも違う女の声ももう聞き慣れた。
だが、きっとサンジ自身はその声を聞くのも嫌なのだろう、ここ最近めっきり寡黙になってしまって、大声を張り上げて はしゃぐところをこの姿になってからは一度も見た事がない。

(…ちょっとぐらい笑っても良さそうなもんだ)と思いながら、ゾロは黙って中に入り、いつもの様に静かに後ろ手にドアを閉めた。

「…何しに来たんだよ」
「…うるせえな、いちいち。俺が何をしに来たか、お前に報告しなきゃいけねえのか」
そう言いながら、ゾロはサンジの隣に腰を下ろした。その時、初めてやけに喉が乾いている事に気になり、ごく自然に、サンジが持っていたコップに手を伸ばして取り上げる。
中を覗きこむと、底をわずかに濡らす程度の酒しか入っていなかった。
「…なんだ、これッぽっちの酒じゃ、寝酒にもならねえ」と文句を言うと、
「…勝手に飲むなよ!」とサンジはゾロの手からコップを引っ手繰った。
そんなやりとりの後、ゾロはふとサンジの足元に毛布が丸められてある事に気がつく。
身をかがめて、それを拾い、「…お前、毎晩ここで床に転がって寝てるのか?寝心地が悪くて、寝つきが悪イから、毎晩チビチビ飲んでるのか」と尋ねた。

「…だったらなんだ」サンジは相変わらず面倒そうにそう答える。
「男部屋にいるのが居辛いのか?」
「…別にそうじゃねえよ。…寝る時くらい一人になりたいだけだ」
そう言って、サンジはコップに口をつけて、コクン、と酒を一口口に含んだ。
細い、華奢な喉が鳴る。
「…煙草は咽て吸えねえし、…こんな体に慣れた振りして、平気な顔してなきゃならねえし…鬱憤が溜まって、どうにかなりそうだから、引きこもってんだよ」

その言葉を聞いて、ゾロはその事を気の毒に思うより先に嬉しくなった。
きっと、サンジはゾロ以外の誰にもこんな本音を漏らしたりはしない。

「…お前も色々大変だな。やりてえ様にすればいいのに、やせ我慢ばっかして気苦労背負い込んでよ」
「…別にやせ我慢してるつもりはねえよ。…自分の体が気味悪いだけだ」
サンジはそう言うと、小さな溜息をついた。
「…ナメクジとかウニじゃあるまいし、性別がコロっと変っちまうなんて…」
「グランドラインはマジで恐ろしいトコロだ。初めて身に染みた」
そう言って、サンジは膝を引き寄せ、寒そうに体を縮めた。

(…へえ、ナメクジやらウニは性別が変るのか)
ゾロは思わず、サンジの顔をマジマジと見る。
「…ほら、気持ち悪イと思っただろ、今。ナメクジみてえだと思って俺の事見ただろ」
「あぁ?お前がナメクジ?ホントにアホだろ、てめえは」

自分の体の変化をそんな下等動物と比較して落ち込むなんてどうかしている。
ナメクジだのウニだのと同等に見られていると思って怒り出すのも可笑しい。

(…相当、頭の中グチャグチャになってるみてえだな)
どう言えばいいのかわからないけれど、わからないなりにも、どうにか気持ちを鎮めてやりたくなった。

「気持ち悪イなんて誰も思ってねえよ。思ってるワケねえだろ」
「…今度ばかりは、本気でもうダメだと思った」
「そこから命拾いしたんだ。お前が生きてここにいるだけで、みんなそれで満足してる」
「…俺も」

そっと片手でコップを持ったままのサンジの手を包んだ。
とても小さくて、ぐっと力を入れて握ればそれだけで傷ついてしまいそうだ。
それでも、爪の形や肌の温もり、感触は以前と少しも変りない。
手を握ったのは自分の方なのに、そのサンジの手に触れた瞬間、心臓をその柔らかな、温かい掌で包まれた気がした。だが。
「だったら、なんで二週間も俺を避けてたんだ」
憮然とそう言ったサンジに、ゾロの手はアッサリと振り払われてしまう。
「…禄に口も利かなかった癖に、よくそんな事がいえたもんだ」
そう言って、サンジはプイ、とゾロから視線を逸らした。

「…それは、俺もどうしていいのか、わからなかったからだ」
「オロオロしてたのはお前だけだと思うなよ」

ゾロはそう言って、手を伸ばし、逸らされた顔を強引に自分の方へ向ける。
顎に手を添えて、息が掛かるほど近くに顔を寄せ、改めてよくサンジの顔立ちを見つめてみる。
目の色も、肌の色も、髪の色も少しも以前と変りない。
ゾロの目には、サンジの顔が少しだけ幼くなっただけで、別人になったとは全く思えなかった。
そう思った時、(…何でオロオロする必要があったんだろうな)と急に可笑しくなる。

「…何が可笑しい」綻んだゾロの顔をサンジがそう言って詰ったけれど、
「いや、…お前エはやっぱりお前のまんまだな。もっと早くこうやって面を良く見れば良かった」と笑顔で返す。

体つきだけを遠めで見て、声だけを聞いていると確かにサンジはサンジではなくなった。
けれど、誰も近づけない、ゾロだけが近づける距離に近付き、その瞳の奥を覗き込むと、その中にあるサンジの本質が全く変わっていない事が良く分かる。

「…ホントにそう思うか?」
「ああ」
「だったら、…変に庇ったり、特別扱いしねえな?」
「しねえよ。…それなりにな」少しからかってじゃれたくて、ゾロがそう言うと、
「それなりって…!」サンジはむきになって言い返そうと口を尖らせる。

その尖ったサンジの口を、そのままそっと唇で塞いだ。
無意識に瞼が下りて、視覚がなくなる。その代わり、唇の感触がやけに鋭くなった。

柔かく、温かく優しい感触。そこに触れた途端、頭の奥がじいん…と熱く痺れて、ぐるりと世界が回った気がした。

心臓がトクトクと早い鼓動を刻む。その鼓動が甘い振動となって体の隅々まで行き渡って行く。そんな甘い刺激が体を突き抜けていく感覚は、とてつもなく心地良い。

(…よく、辛抱してたもんだ…)ゾロは胸の中でそう呟いた。

体は、この心地良さ、恍惚感を忘れもせずにしっかりと覚えていた。
なのになぜ、一月以上もこの感覚を求めようとしなかったのだろう。
しかも、サンジの体が回復してからの二週間は、いつでもこの感覚を味わう事が出来たのに、サンジの体に触れる事すら思い浮かびもしなかった。

じゃれ合うように、啄ばむ様に、柔かく、優しく、甘く、唇と唇が触れる。
振り払われていたゾロの手は、いつの間にかまたコップを持ったままのサンジの手を包んでいた。
コトリ…とサンジはコップを床に転がり落とし、ゾロの掌を握り返して来る。

ふと、目を閉じているサンジの顔が見たくて、ゾロは薄く目を開けた。
睫毛すら触れそうな程近くにサンジの顔がある。細く、艶やかな蜂蜜色の髪に透けて見えるなだらかな瞼がとても清らかで、そう感じた筈なのに、何故かゾロの心臓が、ドクンと
はしたなく戦慄いた。

(…やべ)ゾロは呼吸を整える振りをして、一旦、唇を離す。
それでもサンジの温もりを手放すのがまだ名残惜しく、掌から伝わる温度だけでは足りなくて、そっとサンジの体を両腕で包んだ。
(…うわ…小せえ…)
今までの様に思いに任せて抱き締めれば、簡単に折れてしまいそうな華奢な体を抱き締めた途端、顔が一気に火照ってくる。

サンジがサンジだと分かって、口付けをしただけでもうサンジが欲しくて堪らない。
胸の辺りの筋肉を何かにギュウギュウ掴まれた様に息苦しくて、呼吸も乱れて来た。

「…やっぱ、気味悪イか」「え…ああ?」
背中に回した腕が、勝手にはしたない事をし始めないように、じっとサンジを抱いて黙りこくっていたゾロにサンジが心細げに囁いた小声に、ゾロは咄嗟に言葉を返せない。

「…き、気味悪くねえっつってるだろ!」と、
やっと出した声はみっともなく上ずっている。

「…じゃ、なんで途中でヤメるんだよ」
「俺が俺のまんまだとかなんとか言ってニヤけてた癖に、実際俺の体に触って怖気づいたんだろ…!」

サンジは眉を吊り上げそう言って、身を捩り、ゾロの腕の中から出て行こうとする。
「俺が怖気づく?バカか、そんな訳ねえだろ!」と、反射的にゾロの腕に力が入った。
「じゃあ、なんでだよ!」それでもサンジはゾロの腕の中で手足をばたつかせてもがく。

腕力も、元の姿の時とは比較にならない程か細い。
恐らく、ナミとも比較にはならないだろう。
頭ではそう思っているのに、そのか弱さや、いたいけな体がますます愛しくなってくる。

「…てめえがてめえだと分かったんだから、…別に…やましいとは思わねえけどな!」
ゾロはサンジにではなく、自分自身に言い聞かせる様に、ギュ!と目を閉じてそう叫んだ。
目を開けていると、嫌でもサンジの白い肌の清らかさが目に入る。
そうまでしても、潔く腕を解くと言う考えは起こらない。

(クソ…。なんだって、こいつの事だけはこうも辛抱ならねえんだ、俺は…!)
他のどんな事でも人並み以上に忍耐力はあるつもりなのに、サンジを欲しいと思う気持ちにはどうしても心の力だけでは勝てない。
そんな自分に、自分で腹を立てているけれど、今に始まった事でもないし、今更どうしようもない。
だが、今までとは状況が余りにも違う。

口で言う事と、体が動く事がバラバラになりそうで、とにかく、ゾロは必死に崩れかけた理性と性欲のバランスをどうにか整えようと、まず、時間を稼ぐ事を思いついた。
大きく深呼吸してから、ゆっくりと目を開く。
「…お前、…ちゃんとチョッパーに話聞いたのか」
「チョッパーの話?なんの」

キョトンとするその表情も、また男の征服欲を掻きたてる様な無防備な顔で、下半身に急に血液が流れ込んで、腰あたりがグン、と重たくなった気がした。
ゾロはもう一度、目を閉じ、フウー、と鼻で深呼吸をしてそれから目を開けた。
そして、一気に捲くし立てる

「…お前の体の事だ。俺はちゃんと聞いた」
「…その…まだ、…大人の女になってねえから…手を出すとお前の体に良くないって」


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