「綺麗な友達」



自分達の生きて来たこの世界が、こんなに美しく、穏やかで、光りに満ちているのを、
カマキリは初めて知った。
明日の命を約束された歌声がどこまでも高い青空に、
吸い込まれても吸い込まれても尽きる事が無い。

(こんな日が来るなんて、)生きて、この幸せを噛み締める日が来るとは
想像さえした事がなかった。

カマキリは皆が騒げば騒ぐ程、その輪の中に入れなかった。
この日を夢見て、死んで行った者達の姿のない魂もここにいて共にこの喜びを
分かち合ってくれる事をただ、燃え盛る祝いの炎を見て祈るだけだ。

そして、翌朝。

カマキリは遺跡の中を自分達シャンドラが守り抜いた遺跡の隅々を歩いていた。
先祖、同胞が命懸けで守りぬこうとした場所の、その確かな価値と物言わぬ廃墟でありながら無言で何かを、静かに荘厳に語り掛けて来る息吹を体で感じる為に、
一人で足の向くままに歩く。
(誰かいる?)
人の気配にカマキリは足を止めた。

チョキ、チョキ・・と軽やかな音と聞きなれた女と少女の声。
(ラキ)カマキリはこんなところで一体、何をしているのだろう、とカマキリは
その声のする方に顔を向けた。

「アイサ、今日は揃えるだけにしよう」
「髪、伸ばしなさい・・・きっと似合うわ」
「女の子なんだから、かわいくしなくちゃ!」

ラキがアイサの髪を器用にハサミで切り揃えていた。
カマキリはその二人に声を掛ける事が何故か出来ずにその場に佇んでただ、見守る。

ラキの美しい髪が太陽に照らされて一際、美しく輝いていた。
その美しさに射竦められたかのように、カマキリは足を動かす事も声を出す事も出来ない。(なんでだ)

子供の頃のように、
秘密の悪戯を見つけて囃し立てた子供の頃のように、今、
おそらく、これからシャンデアの里で行われる盛大な祝いの儀式の為に、
アイサの髪を綺麗に整えていたラキに何故、気楽に声が掛けられないのか、
カマキリは戸惑った。

物心がつく前からずっと友達だった。
アイサよりもずっと幼い頃から、戦う大人達に守られ、自分達が武器を持ち、
戦える歳に育った時間を一緒に過ごした戦友だと思っていた。
なのに、何故、今、息を顰めてラキを見つめているのだろう。

「ふふ」とラキはアイサの髪をパサパサを弄びながら、小さく笑った。
「どうしたのさ、ラキ?」とアイサが少し、振りかえる。

心綱が使えるアイサには、カマキリが見守る様にすぐ側にいる事を知っている。
ラキの体ごしにアイサはカマキリに目線を送って、悪戯っぽくニ、っと目配せをしてきた。

「昔ね、アイサよりもう少し小さかった頃、カマキリに髪を切って貰ったことが
あったんだよ」と言って、アイサはハサミを手でチョキ、チョキ、と鳴らす。
「ホント?」とアイサは一瞬だけカマキリを合わせた視線を外して、またラキの方へ顔を向けた。
「上手だった?」「まさか」とアイサの質問に即座に答えて、ラキはまたクスクスと
笑った。

(あいつ、あんな笑い方をするのか)とカマキリは初めて、いや、久しぶりにラキの
笑い声を聞いて、驚く。そしてその驚きは胸の高鳴りを呼んだ。

「あんたと同じで、あたしたちも早く大人になって戦うんだって」
「そればっかり考えてたから、大人の髪型を真似したりしたもんなんだ」

「ふーん」とアイサは相槌を打つ。

(そんな事を覚えてるなんて)とまるで、胸のあたりだけ血液が沸き立つように
カマキリの心臓は熱くなった。

それは二人が、幼かった頃。
戦う大人達の姿を見て育ち、その意味も理由も理解出来ないながらも、自分達もいずれは戦いの中に身を置く事になると覚悟は出来ていた。

「あっちいけ、ラキ!」「そうだ、女は邪魔だ!邪魔者は排除するぞ!」
男の子達はお転婆でも女の子であるラキをそう言って、邪魔者扱いをする。
特に、ラキよりも弱い男の子達はラキに負けた腹いせにそう言ってラキを
男の子同士の仲間意識の外へ弾き出そうとムキになっていた。

その頃からリーダーだったワイパーは、もちろん、ラキよりもずっと強かったが、
「女は足手まといになる」と言ってやはり、仲間にはいれてくれない。

「ラキは強い。勇気もある。女だからって仲間はずれにするのは間違ってる」と
一人、ワイパーに歯向かったのが、カマキリだった。
「大人になったらどうせ、戦えっこない。そんなヤツに銃の使い方教えるだけ無駄だ」
「なんでそんな事が言えるんだよ、ワイパー?!」カマキリはワイパーに突っかかって、「ラキがどれくらい強いか、試してみろ、」
「男相手に取っ組み合ってラキが泣いたらラキの負け、
男一人でも泣かせたらラキの勝ちってのはどうだ」と提案した。

そして、砂まみれ、痣だらけになりながらもラキは泣かずに一人、一人と男の子と
取っ組み合って殴りあい、遂にラキを仲間はずれにしようとしていた男の子を
叩き伏せ、泣かせる事が出来た。

「仲間に入れてやる。その代わり、自分が男と同じだって事、証明しろ」と
ワイパーはラキに言った。「どうやって」とラキが尋ねると「女は髪を伸ばす」
「でも戦士になるなら髪は必要ない。だから、切れ」

シャンディアの女にとって髪はなによりも大事な財産の一つだ。
それをまだ、10歳になるには何年か掛るくらいの歳でワイパーは冷酷にも
それを切って、戦士になるという誓いを立てろ、と言うのだ。遊びの範疇を超えている。
同じ歳の頃の男の子達がずらりとラキの周りを取り囲む。
「そうだ、切れ!」と口々に囃したてるのは、ラキが絶対に「髪を切る」と言わないと
嵩を括っているからだ。「いいよ、切るよ」とそんな男の子達の小心なたくらみを察知してラキは意地になってそう言った。その言葉に突然、意地の悪い囃し声が一瞬で止む。

女の髪にはその女の魂が宿っている。そして、その女の命をこの世に誕生させる為に
生きたその女の先祖達の、美しく、幸せであれ、と言う祈りも篭っている。
故に、その女の髪に触れる事が出来るのは女同士か、あるいは、その女の夫となる
者だけとされている。まして、美しく在る為に切るのは許されるけれど、それ以外の
目的で女の髪を切る、と言うのは、その女の魂を切り捨ててしまう事になり、寿命を縮める事になると、シャンディア達は信じていた。
だから、今、ラキが「髪を切る、」と言っても誰もその髪に触れないのだ。

「俺が切る」
「そしたら、たった今からラキは俺達の仲間なんだな、ワイパー」とシンと
静まり返った中からカマキリは名乗り出た。
「ああ」とワイパーは渋々頷く。
カマキリはその頃もう、扱い慣れていた大ぶりのナイフを握り、ラキの髪を
一ふさだけそっと摘んだ。太陽の温もりが沁み込んだようにそのラキの髪は
ツルツルとしてとても温かだった。
そして、カマキリはラキの髪を少しだけ削ぎ、ワイパーに差し出す。
「ラキは俺達の仲間だろ、ワイパー」

あれから一体、なにが変わったと言うのだろう。
ただ、一緒に戦いたかった。それだけでラキの髪を削いだ、あの勇気は
一体、どこへ消えてしまったのだろう。

カマキリは昔話をアイサに聞かせるラキの声を聞きながら、そう思わずには
いられなかった。

あの頃よりも、髪が、背が伸び、声が変わった。
けれど、体の大きさだけが変わっただけじゃない、とカマキリは初めて気付く。
今まで経験した事のない息苦しさを感じて、胸が苦しくなる。

無我夢中で生きて来た時間、自分の感情が育って行く事にさえ自覚せず、
太陽を遮る分厚い雲が強い風に吹き散らかされて唐突に地上へと投げた光りに
指し示されて、今まで見えなかったモノを見つけられたかのように、
ラキの耳がとても小さくて艶やかな事、髪が豊かで艶やかな事、
涼やかな声がまるで美しい楽器の音色のような事を知った。

だから、側に近寄れない。
幼い頃から側にいて、同じ場所に立ち、同じ風景を見ていた友達は、
どんなに厳しい戦いの中でも決して失いたくないと思っていた友達は、
明るく穏やかな光の中でこんなにも遠い。

子供の頃の様に、無邪気に「ラキ」と名前を呼ぶ事がこんなにも難しい事になって
しまったのは何故なのか、カマキリには判らず、その対処法も考えつかない。

「ありがとう、ラキ!」とアイサは立ち上がった。
そして、「また、後でね」と手を振って、走り出す。
その背中にカマキリは遠い日のラキの姿がダブって見えた。

やっと訪れた平和の中にいるのに、カマキリは一瞬だけ、(あの頃に戻れたら)と
思った。毎日が殺伐として、誰かが傷ついたり、弔ったりが日常茶飯事だった昨日までの日々を繰り返したいのではなく、ただ、子供の頃のように
喜びも哀しみも悔しさも思いきり曝け出せる距離を取り戻したいと思うだけだ。

「カマキリ、あんたいつからそこに?」とやっとラキが振りかえった。
「忙しそうだったから」声を掛けなかった、とカマキリは言い訳がましくそう答える。

「あんたも切って上げようか、」とラキはニヤ、と笑ってまたハサミをチョキ、チョキ、と弄んで見せる。その表情を見て、カマキリはまた一つ、気がついた。

ラキは何も変わっていない。変わったのは、(俺だけだ)。
「夢、見てるみたいだね」とラキは笑っている。昨日まで真っ直ぐに見れたその
姿が眩しすぎてカマキリは直視出来ずに目を逸らした。

「傷、大丈夫?」とラキは心配そうにカマキリを見つめている。

昨日までは明日の事や、明後日の事、ずっと遠い未来の事など夢に描く事さえ
出来なかった。明日、いや、数時間後には死んでいるかもしれない。
死の間際に絶望するくらいなら、いっそ、未来に夢など見ない方がいいと
ずっとカマキリは思って来た。そんな価値観がラキの美しい声に崩されて行く。

生きる事の意味など考える暇もなかった。
カマキリはゆっくりとラキの側に歩み寄る。
一歩一歩、踏みしめる事に閉ざされていた自分の未来への道が広がって行くのを
実感した。

幼馴染から、友達へ、仲間へ、そして、これから。
ラキと自分はどんな絆を築いていけるのか、なにも判らない。
それでも、カマキリは足を踏み出した。

間近に近寄り、ラキの顔を見て、初めてカマキリは勝利の喜びが体を突き抜けて行くのを武者震いするほど強く感じる。ラキが生きて目の前にいる事だけで息が詰る程嬉しい。

「あんな昔の事、良く覚えてたな」とカマキリは自分の動揺や変化に気づかれぬように
いつもどおりの口調を装ってそう言った。
「覚えてるに決ってるだろ」とラキは笑う。

「一生、忘れないよ」ラキの言葉の一つ一つがカマキリの心を熱く揺さ振る。
「ラキ」

長い、長い、戦いの中でエネルと対峙した時、たった1度だけ敵に背を向けただけで
カマキリはずっと勇敢だった。
それなのに、ラキが誰よりも美しく見えるその理由をラキに伝える勇気が出せない。
ラキが愛しいと想う、その気持ちを伝えられない。
鉄砲で撃たれるより、針金のような雲で身を縛り上げられるより、雷が体を駈け抜けるよりも、ラキに拒絶されて自分が傷つくのが怖かった。

自分でももどかしく、滑稽でそして、憐れで、カマキリの片頬に自嘲が浮かぶ。

「これからも、よろしくな」
「なにいってんだか」

カマキリの本当の気持ちを知らずに、ラキは小さく笑う。
アイサ髪を切った鋏がラキの手の中で太陽の光りを反射してキラキラと光った。

(終り)