「petits gateaux」

誰よりも一番、近くにいると思っていたのはとんでもない独り善がりの思い上がりだと
思い知った。自分がこんなにも独占欲の強い人間だったと認めるのは悔しくて堪らない。
サンジにとって、何が一番大事なのかを十分知っているのに、現実にサンジの目が
自分はおろか、仲間にさえ向けられず、ただ、夢中で追い駆けているモノにだけ
向けられて、その背中を見つめる事しか出来ないもどかしさに耐えられなくなっている
自分が腹立たしかった。

その島でのログが貯まるのはそう長時間ではない。
「次の航海に必要な物も食料も買わなきゃいけないけど、」
「もう、そんなお金もないの。私達も稼ぐけど、そっちもしっかり稼いで来てね」
いつも上陸すれば、賞金首を狩ったり、人相の悪い輩から金品を巻き上げたりして
ゾロとサンジの二人で金を稼いでいた。

今回は上陸して1日目、その時点で少しは金を稼いだ。
だが、その明け方、船に戻ってきた途端、サンジは「悪イが今回は一人で頑張ってくれ」と言い出した。
生意気な言い方ならゾロも「てめえがいない方がセイセイする」などと言えたのに、
サンジはゾロがどう反応しようとなんの興味も無さそうな口調でそう言ったから、
いつものような憎まれ口を叩けず、つい、「なんでだ」と理由をぶっきらぼうに尋ねた。
「お前には関係のねえ事だ」としかサンジは答えない。
関係ない、とか、別に、などと言われたら、それ以上踏み込んで聞くのはお節介か、
余計なお世話になる。関らないでくれ、俺の領域に踏み込んでくるな、と言われた様な
気もする。突き放したようなサンジの言葉がゾロの胸の中に刺さった。

「いつも言ってるじゃねえか、俺が邪魔だのなんだの」とサンジは更に面倒臭そうに
言って、ゾロの為の食事を作ろうとキッチンの方へ歩き出した。

「金はどうするんだ」「金?一人で稼げるだろ」

昨日、島に上陸した時はいつもと変わりなかったのに、唐突にサンジは素っ気無くなった。気になる女と出会ったと言う事もない。
「俺は出掛ける。食事も勝手にやってくれ」「何?」

一体、何がなんだかゾロには判らず、面食らってサンジの言葉を聞き返す事しか出来ない。仲間の食い扶持になる金を稼ぐと言う役割を放り出すだけではなく、自分の食事を放り出すなど、今まで一度もなかった事だ。
「何が気に食わねえんだ、お前」と思わず、ゾロはサンジに詰め寄った。
「あ?」サンジは怪訝な顔をする。
「気に入らねえ事があるなら、はっきり言いやがれ、女々しい言い方しやがって」と
ゾロはわざと煽ってサンジの本音を探る。

「誰が女々しいだと?」とサンジは顔をゆがめた。
「てめえに言ってもどうせ判りゃしねえからイチイチ言わねえだけだっつってんだ」
そう言われて、ゾロも自分から吹っかけた癖に、癪に障り、
「何も言わねえうちから勝手に決めつけんじゃねえ」と言い返す。
「言わなくても判ってンだよ、面倒臭エヤツだな」サンジは迷惑そうにそう言った。

確かに今までも言葉でわかり合えた例は一度もない。
だが、頑として秘密にしようとしているのならともかく、どうせゾロには理解出来ないし、してもらおうとも思っていない、何もゾロに期待など欠片もしていないサンジの態度は水臭いを通り越して、薄情だとさえゾロには思えた。

「何が関係ねえ、だ」とボソリと呟く事しか出来ない自分の言葉の不器用ささえ恨めしい。根掘り葉掘り聞きたいとは思うのに、それ自体、とても女々しい事だと
ゾロはそれ以上、何も言えなかった。

サンジがゾロに言い放った言葉の一つ一つが棘の様にゾロの心に引っ掛かった。
朝から船を降り、それから一体どこへ行くのか、例えその行動の意味が理解出来なくても、仲間としてそれくらいは聞く権利がある。
「どこに行くんだ」と出掛けるサンジを呼びとめてそう尋ねても、
「お前には関りのねえ所だよ」とまた面倒臭そうな答えが返って来た。

「またそれか」とゾロは苦々しくそう言い吐いた。
「関りあるか、ねえかお前が決めるな。聞いてから俺が判断する」と聞くまで
船から降ろさない、と言う気持ちをこめてそう言うと、サンジは「はあ・・・」と
本当に億劫そうな溜息をついて、「洋菓子屋だ」と渋々答えた。
「ようがしや?」とゾロは聞き返す。

一流パティシエの名前を掲げてる店を昨夜見つけたんだ。
ジジイが世界一だって言ってたパティシエだ。

「ぱてぃしえ?なんだ、それ」と尋ねたゾロに「ほら見ろ、そこからわからねえだろ」
とサンジは苦笑いを浮べた。
「とにかく、その名前を掲げてるって事はその世界一のケーキを作る腕を持つコックの
技を習得してるって事だ。」
「例え、一種類でもいい、そのケーキのレシピ、それを作れるだけの技術を自分のモノにしたい」「俺とジジイが憧れた技だから、」とサンジはやっと自分の目的と行動を
熱っぽい口調で話し始めたが、ゾロがその言葉の意味の半分も理解出来ないで
あ然としている顔を見て急に我に返ったようで、唐突に言葉を切った。
そして、また苦笑する。
理解して欲しいとは思うけれど、ゾロにそんな事を期待するのは無理で、
そんな期待を押しつけるのも無駄だと諦めているかのような、儚い笑顔だった。

罵声を浴びているのではない。それなのに、ゾロは自分の心に傷がつくのをはっきりと自覚し、息が詰まった。
自分達の間には、決して超えられない距離がある。
サンジのその笑顔にそう戒められた様で、悔しいのにゾロは一言も言い返せない。
「と、言う訳だ。じゃあな」ゾロの気持ちなど今のサンジには煩わしいだけだろう。
いや、そんな気持ちさえ持っていないかも知れない。

サンジが見目のいい女をだらしなく見ていても、ゾロは平気でいられた。
別にいつもいつもサンジは自分だけを見て、自分だけの事だけを考えているなど
思った事もない。けれども、自分の夢をひたむきに見つめて、力の篭る目が
全く自分を見ていないと知って、ゾロは不安になる。

(あいつは、船を降りたら俺達の事なんか忘れちまう)と思った。
毎日、自分の料理を食べに来る人間の事だけを考えて、それで1日が終わって、
そんな日々をサンジはずっと過ごして行く。誰でも、夢を追い駆け始めたら、
なりふり構っていられなくなるのを知っているのに、実際に背中を見つめるしか
出来ない事がやるせなかった。

夜になってサンジは帰ってきた。
「門前払いだった」とあっけらかんとしている。
だが、落胆していないところを見ると、明日もまた行くつもりらしい。
たった一度の門前払いで諦める様な性格ではないのは知っている。案の定、
「海賊のコック風情に出来る技じゃねえって追い返された」のに、翌朝も出掛けて行った。
ゾロには、あのプライドの高いサンジがどんな言葉を使って、どんな物腰で、田舎島の洋菓子職人に頭を下げているのか、想像すら出来ない。だた、サンジの望む事が叶う様にと背中を見送るだけだ。

「なんとか、雑用として使ってもらえる」と言ってサンジは帰って来た。
その嬉しそうな様子を見て、一緒にその喜びを共有するべきだと頭では判っていても、
心がついていかない。自分を見ないで、余所を向いて、自分の知らない場所、知らない者からサンジが喜びを与えられている事に、切ない疎外感を感じて、ゾロは
そんな気持ちを隠せない。
それがどうしても、興味のない、無愛想な態度になってしまう。
「そうかよ」と相槌を打つ事も出来ず、誰もいない船の中で夜にだけ顔を合わせても、
禄に言葉を交わす事が出来なかった。

「雑用なんか今更出来るのかよ」と翌朝、出掛ける支度をしているサンジにゾロは
寝転んで背中を向けたまま、ぶっきらぼうな口調で静かに独り言の様に呟いた。
「それがチャンスならどんな事だってやれる。プライドだのなんだの言って、」
「このチャンスをフイにする程、俺もバカじゃねえよ」ときっぱりした答えが返って来た。
一度こうと決めたら誰がどんな事を言ってもサンジを止められない。
ゾロはまた無駄も迷いもないはっきりしたサンジの答えに、そう思い知らされる。

夜になってサンジは帰って来る。
朝、出掛けた時と顔付きが全く違っていた。
険しく、イライラしているのが言葉を交わさなくても分かる。
屈辱的な事をたくさん言われたのか、殆ど口を利かずにふらりと船室を出て行って
空の樽を派手な音を立てて蹴り壊していた。
(そんなにムカつくなら止めちまえばいいのに)と思ったが、口には出さない。
言った所で無駄なのも、また、関係ない、と言いきられるのが判っているからだ。

「なんで、そこの洋菓子にこだわるんだ」
その夜、ゾロは灯りを落とした、ほぼ真っ暗闇に近い視界の中で隣に
横になっているサンジにそう尋ねた。「お前に言ってもわからねえ話しだ」と無愛想な答えが返って来る。それでもゾロは食い下がった。
「わからねえから、聞きてえんだ」
「お前にはわからねえよ、話しったって」眠たげな声でゾロを傷つける気など少しもない事は判る。けれども、サンジの答えの一つ一つがゾロの胸の傷を確実に増やして行く。

「聞きてえんだ」ゾロはもっと沢山の言葉を使って、サンジの口を開かせたかった。
けれども、自分が感じている疎外感や、置き去りにされた寂しさを知りもせず、
ただ、剣士と料理人と言う間には埋めようのない隔たりがある、という事を浮き彫りにして、
縮めようとさえしないサンジの言葉と態度と行動に竦んだゾロには、他に言葉を思いつかない。
数秒後、サンジは微かに笑って、やっと話し始める。
ゾロの胸の内を汲み取ってくれたのかどうかは判らない。
静かな静かな声だった。
「欲張りなんだよ、俺もジジイも」
「世界一の料理を締めくくるには、世界一のデザートが相応しい」
「世界一のデザートでコースを締めくくるには、世界一の料理を作れなきゃダメだ」
そう言ってサンジはまた、小さく笑う。
「それが目標だった。でも、ジジイは結局、そのデザートを作れなかった」
「俺がジジイを超えられる、最初で最後のチャンスかも知れない」
「そう思ったら、役立たずだの、ノロマだの、人間のクズだの言われようが」
「死ぬ程時間掛けて飾り切りした果物をボロクソけなされても、辛抱しなきゃな・・・」大きな溜息なのか、欠伸なのか判らない吐息が聞こえてほどなく、規則正しい息が聞こえてくる。
だが、まだ眠らせるわけにはいかない。
聞きたいことを聞き終わるまでは眠らせない、とゾロは質問を重ねた。
「ログが貯まっても、まだ何も教えてくれなかったどうするんだ?」
ゾロはふと、浮かんだ疑問をサンジに問い掛けた。
「この島に残る。で、目標が叶ったらすぐに追い駆ける」サンジはもう既に
腹が決っている様で、迷わずに即答してきた。
「どのくらい掛るか、わからねえんだろ?」海賊のコックだと判っていて、
サンジを厳しく扱うような頑固な職人だ。もしかしたら、相当に時間が掛るかも
知れない。そう思ってゾロが尋ねると、また、サンジは眠たそうな声ながらも、
はっきりと即答する。「でも、こっちも諦めるワケにゃいかねえからな」
仲間と一時、離れても構わないとまで思うサンジの決意の固さに、ゾロはそれ以上
何も言えず、聞けなくなった。
「そんな事が大事か」
サンジのその心や体が傷つく度に辛いなどと思いもしなかった、過去のゾロなら簡単にそう言えただろう。
だが、他の誰かがそう言っても、自分だけは決してそんな言葉を口にしてはいけない。

誰よりも一番、近くにいると思っていたのはとんでもない独り善がりの思い上がりだと
思い知った。自分がこんなにも独占欲の強い人間だったと認めるのは悔しくて堪らない。
サンジにとって、何が一番大事なのかを十分知っているのに、現実にサンジの目が
自分はおろか、仲間にさえ向けられず、ただ、夢中で追い駆けているモノにだけ
向けられて、その背中を見つめる事しか出来ないもどかしさに耐えられなくなっている
自分が腹立たしかった。

今、もしもサンジを抱き締めても、胸の中にあるその感情の渦は消えない。
それどころか、サンジに自分の醜さを気づかれてしまう。
何も言えず、どこにも触れられず、ゾロはまた眠れないまま夜を明かした。

雑用、と言う仕事をサンジは毎日、空樽を蹴り潰すほどの悔しさを抱えながらも
続けて、10日が過ぎた。
ログが貯まるまであと3日。

「明日が正念場だ」
その日、帰って来たサンジは空樽を蹴り潰さないで、真っ直ぐにゾロを見てそう言った。
「どうせ言ったってわかりっこない」と諦めた目ではなく、自分の夢を理解してくれているとゾロを信じきった眼差しで、ゾロを見ている。
初めて、口付けをした日のように、そのやや興奮して顔色が鮮やかなサンジの顔に見入ってゾロの心臓はいつもより早い鼓動を打つ。

「正念場ってどう言う事だ」とサンジの浮き立っていながら緊張している気持ちを
そのまま吸い込んでしまった様にゾロの声が上ずった。
「明日、俺の料理がそのケーキに相応しいかどうか、オーナーが作って見ろって」
「もしも、それで認められたら、レシピも技術も教えてくれる」
サンジの声が聞いた事もない程、弾んでいる。こんなに素直に感情を見せるサンジを
見るのは初めての様な気がして、愛しさがゾロの胸の中一杯に広がった。
「ホントか」
世界一の剣豪を目指す自分に取ってはなんの得にもならない話しだと頭では判っている。けれども、ゾロはまるで自分の身に起こった幸福だと感じずにはいられなかった。
自分とは無関係の事なのに、サンジが嬉しいと自分の心がとんでもなく弾む。
不思議で仕方なかったが、それを解明する為の理由も理屈もどうでも良かった。

サンジの努力がしっかりと実を結んだ事を誰よりも最初に知る事が出来て、
それが何よりもゾロは嬉しかった。
翌朝港を歩いている最中に唐突にサンジは振り返った。
ずっと今日まで一度たりとも、振りかえらなかったのに、その背中を見つめていたゾロとサンジの目が合う。サンジは微笑んでいた。
そして、それを目にしたゾロは突然気付く。

お前には関係ない、と最初は言ってゾロを突き離しながらも、
必死になる姿を隠す事もせず、ありのままの姿をゾロにだけ見せていた事。

(クソ、あの野郎・・・)と思わず頬に苦笑いが浮かんだ。
計算も思い遣りもないのに、ゾロの心を掻き乱しては、その思うままの
行動でゾロの気持ちを宥めるサンジが小憎らしい。
どんなにひたむきに夢を追い駆けていても、その背中から目を離さなければ、
サンジは自分を忘れる事は決してない。振り向かなくても、追い縋らなくても、
サンジが歩んで行く道の上で一番の喜びを感じる時、一番最初にそれを伝えられる
一番近い場所に自分が立っている未来をサンジのやわらかな笑み一つで、
ゾロは思い描く事が出来た。

きっと、帰って来たらすぐに、必死で手に入れた技術を使って、
普段、ゾロが食べもしない洋菓子を作り始める。
それがどんなに甘くても構わない。
(一番最初に食ってやる)と思いながら、サンジの背中を見送った。

(終わり)