((しぶといヤツだ。))と、お互いが思っていた。

喧嘩の発端などほんの些細な事だ。
だが、下らない事ほどどちらも主導権を譲ろうとしない。
下らない事をないがしろにすると、本当に大事な事柄の主導権を握りそこなうからだ。

「ロープの結び方一つ覚えないヤツに偉そうに言われる覚えはねえよ。」
「解けなきゃどうだっていいだろうが、そんな事知ってるくらいでエライのかよ。」

最初は意見の食い違いを怒鳴りあっているのに、だんだんお互いの感情が
沸騰して来ると内容のない、ただの罵りあいになり、殺る、斬り殺すの騒ぎになる。

それだけ頻繁に喧嘩する二人なのに、サンジが勝手にその喧嘩を一方的に終らせ、
その後は、二人ともがその時の記憶を失ったかのように、あっけらかんとしている。

だが、今回は違った。

食事の準備をはじめる、と言う事でいつもサンジがさっさと切上げる喧嘩も、
その時は、お互いが(謝るまで、許さねえ)と思った。

書き連ねるのも馬鹿馬鹿しいほど、些細な事だ。
ただ、相手を服従させたい雄同士の噛み付き合いが長引いていた。

ゾロは、サンジを(しぶといヤツ)だと思った。
サンジはゾロを(しぶといヤツ)だと思った。

さっさと謝ってこれば、(こっちだって少しくらいは。)相手の言い分に聞く耳くらいは
持つつもりなのに、と思っても、顔を合わせても、フン、と言わんばかりに
顔を背けあい、口も利かない。

ちょうど、島に上陸する寸前だったから、キッチンでナミはサンジに買い出し用の金を
渡しつつ、

「船を出すまでには、仲直りしてよね、うざったいから。」と苦笑いの中に、
ほんのりとその仲違いを楽しむ様なまなざしを浮かべてそう言った。

「あいつが謝ればそれで済む事なんですよ。」とサンジはナミから金を受け取り、
憮然とした顔付きで答える。
ナミにゾロとの事を言われると、普段なら、空惚けたり、軽くあしらうのに、
今回は、ボソっと本音を漏らすほどだから、相当、(根が深そう)とナミは
ますます、可笑しくなった。

「何を言われたの?」
「何を言われてもムカつくんです。」

(あらら。)ナミは下船後、一緒に買い物に行く約束のロビンが傍らで
頬杖をついて聞くともなしに自分とサンジの会話を聞いている方へ、視線を流すと、
ロビンは小さく、肩をそびやかした。(放っておいて上げなさい。)とロビンの
知的な瞳がナミを嗜める。

そんな状態だから、当然、買い出しも賞金稼ぎも強奪も普段なら
一緒に行動するのに、サンジもゾロも全く正反対の方向へと足を向ける。

「迷子になって帰って来なかったら置いて行くからな。」と皮肉たっぷりに
サンジがゾロの背中にそんな言葉を言い吐くと、

「てめえこそ、こんな田舎島のどブスに嵌って身包み剥がされねえよう、
せいぜい、気をつけろよ。」と
顔を僅かに振りかえって、目だけでサンジを一瞥してさっさと歩き出す。

((可愛げのねえヤツ))だとまた、お互いが思った。
自分が言い過ぎた、あんな暴言吐くんじゃなかった、嫌な思いをさせている、
それくらいは十分判っているから、その点は謝るつもりなのだが、

とにかく、先に謝った方が全面的に負けを認めた様な気になるし、
またこれまでの経験からして、先に謝った方に対して、謝られた方が
横柄になるのも知っている。

その島は目まぐるしく、天気の変わる島だった。

風が強く、雲の流れが早い。
晴れたと思ったら、すぐに曇ってか細い雨霧吹きのように肌を濡らし、それをまた、
雲を吹き分ける風が晴れ間を呼び、爽やかに濡れた肌の雫を乾かしてくれる。

ゾロはその忙しげに降る雨を逃れて、石造りの家の軒先に突っ立っていた。
多少、海賊業に精を出していたので、服は雨と汗の両方で濡れいる。
石畳の往来に面したその建物
「この天気だとしょっちゅう、虹が見れそうだな、おい。」と口に出して隣を
見やった。

(そうだ、俺、今、一人なんだったな。)つい、いつもの習慣で無意識に隣に
サンジがいるものだと思って話し掛けていた。会話の筈が今日はただのマヌケな独り言だ。

物足りない。煌く雨水で飾られた瑞々しい風景の中にいるのに、
イライラするほど、ゾロは物足りなさを感じる。

そうして、風が止んだ。
この雨は少し、長くなりそうだ。

この建物は曲がれば、路地に入れる。
その路地から聞き覚えのある足音が聞こえてくる。

ゾロは妙に緊張した。
黙殺されるか、皮肉を吐かれるか、どんな寒々しい素振りをされるか、と思うと
無駄に気が張る。

曲がり角を曲がって、現れたのはやはり、ゾロが予想していた男だった。
ちらりとゾロの方を見た。はっきりと目が合った。その途端、サンジは
大仰に溜息をつく。ゾロ同様、今日はスーツではない、ラフなシャツを着たサンジも
埃まみれ、返り血をところどころにあびて、雨にしっとりと濡れていた。

「「・・・ッチ」」と軽やかな雨音の中でお互いが舌打ちする音がする。

(なんだ、その態度は)とゾロは口をへの字に曲げて、何食わぬ顔で
微妙に離れた場所に突っ立ったサンジを睨む。

すると、その視線に気付いたのか、サンジが煙草を口から吐き出して、
ゾロの方に顔を向けた。前髪が額に張りついて、肌が濡れて艶やかだ。
だが、その目はゾロをどこか、小バカにしたような目つきに見える。

無言のまま睨み合う時間が数秒。
いつしか、それはお互いの腹の中を見透かす駆け引きになる。

「「雨、止まねえな。」」

全く同じタイミングで全く同じ言葉がお互いの口から零れた。
下らない仲違いでイライラしているのがお互いが面倒になったのだ。
謝る、謝らないなど、細かい事にこだわっている方がバカだと言葉など
一切言わないうちにゾロもサンジも同じ答えに行き着いた。

((バカだよなあ。実際)同じ事を何度も繰り返して、全く学習しない。
きっと、これからも同じ事をうんざりするくらいに繰り返して行くに違いない。

「何、考えてる。」とサンジは口の端を上げて笑いながらゾロに尋ねる。
「お前と同じ事だ。」とゾロも自然に笑みを浮かべて答える。

「気味悪イな。」そう言って、サンジは壁に凭れる。
雨の中、往来に人影はなく、ゾロはほんの少し、体をずらしてサンジとの距離を縮めた。

お互いが真横を向き合って、探るような顔付きをしている。
いつしか、額と額がもう少しで触れそうな距離に近付いていた。

それに気が付いたのかサンジがゾロの目を見て、「ニッ」と照れ臭そうに笑う。
同じ事を考えている、と言うゾロの言葉を肯定した、それは無言の言葉だった。

雨に濡れて冷たい唇に軽く触れる。
錯覚かと思うほど、それは軽く、接吻と言うよりは摩擦かと思うほど素早い。

だが、今は、それでいい、と二人ともが思っている。
不足も不満も全くない。

「さっさと煙草吸え。」指につまんだまま、火を着けないで煙草をもてあそぶサンジに
ゾロはそう言って急かした。

「俺に指図すンな。」とサンジは口調こそ横柄だが、ゾロをからかうような
目つきをしている。

それ以上の深い口付けをしたくなる前に、サンジの口を煙草で塞いで欲しいと言う
ゾロの気持ちをサンジは判っている、だから、そんな顔をしてゾロを見ているのだ。

「マッチが湿ったんだ。火は着けられねえよ。」
「なら、おしゃぶりがわりに咥えてろ。」

いつもの、軽口と憎まれ口が間断なく続く。
いつか、雨が止んで、晴れ間から覗く光りが小さな虹をその街の空に描いていても、

ゾロもサンジも、久しぶりに聞く声と久しぶりに見る笑顔に触れて、
いつか、雨が止んで、晴れ間から覗く光りが小さな虹をその街の空に描いていても、
お互いの濡れた髪が風に乾くまで、それに気がつくことはなかった。

終り