「何を獲るつもりなんだ、サンジ?」
「そうだな、」ウソップにそう聞かれ、サンジは真っ白な雪原を見回す。
空は良く晴れて、清々しく澄み切った青空から光が降り注いで、
真っ白な雪の中の氷の粒がキラキラと光ってまぶしい。

「鹿か、…鴨か。ウサギもいいな」
真冬のこの状況で、獲れる可能性のある動物を想像し、それから頭の中では、
その獲れた獲物にあうスパイスを考え始める。
獲れない、と言う事も、慣れない冬場の狩りがいかに大変か、そんな事は
全く考えない。
獲物は簡単に手に入る。そしてそれをどう料理すれば一番美味いか。
それを考えるのが、サンジは楽しい。
傍から見れば、「獲らぬ狸の皮算用」だろうが、サンジはもうワクワクして来た。

「とにかく、俺と、ペンギンコックが獲物をお前の射程範囲まで追い込むから、しっかり狙って仕留めろよ」
「おう、任せろ」

獣がいそうな山に向って三人は歩く。道すがら、色々な話をした。
「なんで風邪を引いてると元の姿に戻れないんだ?」
「航海中に風邪を引いたらどうするんだよ?」

ウソップがそう尋ねると、ペンギンのコックが
「変身って、物凄く体力を消耗するんだ」
「風邪引いて、熱出してる状態じゃ、変身しようと思っても出来ない」と答え、それに
「「ふーん」」とサンジとウソップが同時に相槌を打つ。

「あの白い狐は、なんだ?戦闘員か?」サンジがそう尋ねると、ペンギンは
「狐?」と首を傾げた。
「俺がマフラーを貸した…。高そうな毛皮のコートになりそうなヤツだ」
「ああ、あいつは狐じゃなくて狼ですよ。母親が狐で父親が狼だからまあ、そんな風に
見えるんでしょうが、本人は自分は狼だって言い張ってますけどね」

ウソップには対等な口をきくのに、コックのペンギンはサンジをまるで師匠と崇めると
勝手に決めた様で、サンジには丁寧な言葉を使って返事をする。
「戦闘員兼、船大工…ってところですね。まだガキなんで、どっちもあまり使えないんですが」
愛らしいペンギンの姿で、自分よりも強そうな狼の事を
そんな風に溜息まじりに偉そうに言うのが可笑しくて、サンジとウソップはつい、
顔を見合わせた。
(笑うなよ、意外とこいつ、俺達より年上かも知れねえだろ!)
(お前こそ、笑ってやるなよ、人間の姿の時は立場が上なんだって、きっと!)と
噴出しそうになるのを堪える。

そんな風に、暢気に歩いてとうとう狩場になりそうな森に辿り着いた。

***

ドラムで見たラパーンクラスの大きなウサギなら、ウソップの力を借りなくても
倒せる。
けれど、小さくて、逃げ回るウサギや鹿を雪の中足を取られながら追っても、
そう簡単には追い付けない。

サンジとコックペンギンは二人で力をあわせて、森の木の陰に隠れて銃を構える
ウソップの射程範囲に鹿やウサギを追い込もうとしたけれど、
なかなか思う方向へは逃げてくれない。

何発が銃を撃ったけれども、それはことごとく外れて、一匹も仕留められなかった。

「日も暮れてきたら帰るのが大変になるから、今日はもう諦めようぜ」と言う
ウソップの言葉に、サンジは「そうだな。仕方ねえな」と渋々頷く。

その帰り道の事だ。

山の斜面を歩いていたウソップが、雪が降り積んだ氷の上で滑って転んだ。
先頭を歩いていたサンジはウソップの「うわわわわっ!」と言う声で振り向く。

深雪の降り積もった斜面を雪煙を上げ、
来る時に掻いて作った道から外れ、降り積んだばかりで緩い雪面を、
ウソップが転がり落ちていく。

「おい、ふざけてないで止まれ…!」と言いながら、サンジはウソップが転がり落ちていくその先に目を走らせた。そこには、大きな雪の割れ目が見える。
(この山、万年雪が積もってるのか?じゃあ、あれは、…!)

中に落ち込めば、どれだけ深いか分からない。
厄介な事になる、と瞬時に判断して、サンジは慌ててウソップの後を追った。

雪を蹴散らして走っても、思う様に進まない。
だが、もう少しでクレバスに落ちる、というところでウソップはどうにか自力で
止まった。
「なんだよ、自分で止まれるならもっと早く止まれ!」と思わずサンジは怒鳴る。
「…、こ、これでも必死に止まったんだよ!」と雪まみれのウソップは怒鳴り返すが、
余程肝を冷やしたのか、顔が引き攣っている。

「…師匠!長い鼻の兄さん!大丈夫かい!」と雪原に腹をつけ、スイ〜〜とペンギンが
滑り降りてきた。

「ああ、どうにかな」サンジがそう答えた時。

どこかで聞いた事のある音が遠く、山頂から聞こえてきた。
「山鳴り…?」ウソップの顔がますます引き攣る。

三人の視線が、一斉に山頂付近へと向く。
日暮れが近付き、少し金色が混ざった青い空の下に見える山頂付近だけが、
白い煙にかすんで見える。

「やべえ、雪崩だ」
「雪崩!」

(どうする、どこに逃げる…!?)
サンジの脳裏にドラムでの出来事が稲妻の様に過ぎる。
山鳴りは、時間を追うごとに大きくなり、降り積もった雪が、塊になり
斜面を滑りおり始めたのも目で捉えられるほど、雪崩は確実に近付き、その力を増している。
今、自分達がいる場所に来るまでに堰き止められる事はなく、力は増す一方だろう。
ここにいては、飲み込まれる。
けれど、もう下へ逃げても、横へ逃げても、間に合わない。

「ウソップ、ペンギン、あの中へ飛び込め!やり過ごすしかねえ!」
そう言って、サンジはウソップが転がり落ちそうになっていたクレバスの中へ
自ら飛び込んだ。

「え、え、で、でも、」としり込みする二人の声が、山鳴りのドドド…と言う音に掻き消されそうだ。
迷ったり躊躇ったりする時間はない。
万に一つでも、助かるにはここに飛び込むしか助かる術はない。

「つべこべ言わずに、来い!」サンジは一度滑り降りた壁面をよじ登り、
とウソップの足と、ペンギンの足をむんずと掴んだ。
そして、クレバスの中に引きずり込む。

薄い青色を帯びた万年雪のクレバスが大きくビリビリと揺れた。
耳をつんざく轟音が頭の真上で鳴り、バサバサと凄い勢いで雪もクレバスの中へ
なだれ込んでくる。
その勢いと冷たさに、目も開けていられない。

地面は揺れて、その上、雪の塊が容赦なく頭から降ってくるのに、
片手はウソップの足、片手はペンギンの足を掴んでいるから、
サンジは両手で自分の体を支えられない。
わずかに張り出した
硬い氷に爪先をわずかに乗せているのがやっとで、それがもし崩れでもしたら、
クレバスの中に、はまり込んでしまう。
それが分かっているのか、ウソップが必死に「…サ、サンジ、俺の足、離すなよ〜」と
叫んでいるのが、冷えて千切れそうな耳に聞こえた。

「…誰が離すか!」と怒鳴り返したけれど、ウソップもきっと手で氷の壁にへばりついているだけだ。もしも、サンジの足元の氷が崩れたら、ウソップもどこまで深いか分からないクレバスのそこへ引きずり込んでしまう。

(…手を離せば、少しはもつかも知れねえ)、とサンジは別の足場を足も感覚だけで
探ろうと試みる。
だが、そのサンジの気配をウソップは敏感に察知したのか、突然、
「お、俺の足離したら、お前、余計な噂死ぬほど流すからな!」と喚いた。
「な、なんだよ、…余計な噂って!」サンジは上を見上げてそう怒鳴り返した。
落ちてくる雪の量が激減した。

雪崩を(…やり過ごせる)と、少し、気が緩む。
けれど、まだウソップは気を張っているのか、
「聞きたかったら、絶対俺の足、勝手に離すなよ!」とまた喚いた。

「おい、少し登ってみろ、もう大丈夫かも知れねえ」
そう言い返した時だった。

ピシ…と小さな音がした。それを聞いた、次の瞬間だった。

何も意識していなかった。
手を離すとどうなるか、さっき聞いたばかりなのに、何も感じなかった。

勝手に手がウソップの足も、ペンギンの足も離してしまったのだ。
そうするのが、サンジにとっては本能のように。

爪先を支えていた氷が割れた。
ガクン、と体が下がる。

何も掴んでいない手は、そのまま何も掴まずに、引力に逆らえず、
氷の壁を滑り落ちる。

あちこち体をぶつけて、ようやく止まったのは、二メートルほど深い場所だった。
細くもなく、這い出せるし、さほど深くはない。
ドラムの時と比べればはるかに運が良かった。

けれど、サンジが落ちたのは雪の下を流れている川の澱みだった。
腰から下が水に浸かってしまい、それだけで一気に体温が奪われる。

それでも、ウソップとペンギンがいたから、どうにか引き上げてもらう事が出来た。

クレバスから引き上げられた途端、ウソップは顔を真っ赤にして、
「なんで、手を離したんだ!離すなって言ったのに!」と猛烈に怒り出す。
「お前がさっさと飛び込めば、俺だって両手が使えたんだ!」とウソップの気持ちも
分かるのに、つい、サンジはいつもどおりに逆切れしてしまう。
それでも、流れている所為で凍て付く事はないけれど、氷点下に下半身を水で濡らした状態でいたら、いくらサンジでも平気ではいられない。

***

なんとか無事に帰ったけれど、冷え切って抵抗力が低下した体にすぐに風邪が入り込んだ。

「この風邪はバカしか引かない風邪だと思ってたのに…」と
チョッパーが見せてくれた体温計を見て、サンジはため息をついた。

夕食を作ってから、どうも頭が痛くて、ぼうっとして何も考えらなくなった。
そんなサンジの様子に、チョッパーが気がつかないはずがない。
すぐに否も応もなく、テントの中に担ぎ込まれて、診察されてしまった。

無理矢理分厚い毛布をかけられ、寝かされてもサンジは「熱なんかねえ」と
納得しなかった。
(あれだけの事で、風邪なんか引いて堪るか)と思ったのに、
「な?ホントに38度以上あっただろ?」と測ったばかりの体温計を目の前に翳されたら
大人しく言う事を聞くしかない。

まだ外で焚き火を囲んで、元気になったルフィ達が騒いでいるのが聞こえる。

処方された薬が聞いてきたのか、悪寒を感じなくなった。
逆に体がじんわりと暖かくなってきた様で、サンジはトロトロと眠くなって来た。

誰かが、テントの中に入ってこようとするのを、「静かに寝かせて上げなさい」と
ロビンが止めるのをぼんやりと聞いた気がするけれど、
それが誰なのか、そんな事を考えるよりも眠気に抗うのが辛くてそのまま
サンジは深い眠りについた。

***

どのくらい眠っただろう。
喉がキリキリと痛くて、目が覚めた。寝汗をかいて、体中汗びっしょりだ。
(喉が渇いたな…)とサンジは思ったけれど、起き上がるのはまだ億劫だ。

耳をそばだてると、皆、寝静まったのか、風の音しか聞こえて来ない。

テントの中は、うっすらとほの明るい。
天井を見上げると、防寒の為の炎が燈されて、チラチラと見慣れた黒い影が揺れている。

その影の形を見た時、サンジの胸が「ドキリ」と大きく鼓動を打った。
その音を何度か聞いた後、影がゆっくりと動く。
自分の方へと振り向くその影の動きを、サンジは仰向けに横たわったまま、
息を飲んで見つめていた。

(なんで…?)

なんでここにいるんだ?
ここでなにをしてるんだ?
なんで、今、ここにこいつが一人きりでいるんだ?

その答えなどとっくに知っているのに、サンジはその答えからわざと眼をそらして、
見えない振りをするように、心の中で空とぼける。

答えを知ってしまうのが、
それを認めてしまうのが、サンジは怖い。
自分の心と、自分の世界が、望んでいない形に変化するのが怖い。

だから、眼を逸らして、見えない振りをして来た。
今夜もそうしたつもりなのに、空とぼけて自分に問い掛けてしまった事で、

自分の中の答えが正しいか、そうでないかを知りたいと言う欲望が急に頭をもたげた。

ゾロはどうしてここにいるのか。
ゾロはここで何をしているのか。
ゾロは、今、ここに一人きりでいるのは、誰の為なのか。

自分でその答えを出すのすら怖いのに、サンジはその問い掛けをゾロへと投げかけて
しまった。
鼻まで毛布をずり上げて、何も言わずに自分を振り返った、陰影の強いゾロの顔を、
黙って見上げる。

「…何か飲むか」と聞かれて、サンジは意気地もなく、一つ頷いてみせる。

喉が腫れているのか、声を出すのが辛い。
けれど、今はそれが何も言わずにいられる都合のいい言い訳になる。

(…たまたま、不寝番だった。外が寒いから、…中に入ってきただけの事だ)
ゾロから小さな器に入った少しぬるい水を渡され、それを飲みながらサンジは
そう自分に言い聞かせた。

自分が期待した答えが欲しいのか、その答えを聞くのが怖いのか。
自分でもよく分からない。

「…不寝番は、セイウチのオッサンだ」
「風邪がうつるかも知れねえし、静かに寝かせるのが一番だって言われたが、」
「…俺がここにいたいから、俺はここにいた」

サンジの聞きたい事を、何も言わないのにゾロはよどみなく答える。
その言葉を、サンジは瞬きも出来ずに聞いていた。

(きっと、ソーセージの事を謝る気だ。灰まみれにして悪かったって…)
(その所為で、クレバスに落ちて、その所為で風邪を引いたから、それで…)

この期に及んでまだ悪足掻きをしている、と自覚はしている。
その所為なのか、心臓が痛いくらいに大きな鼓動を打つ。
美しい女性を見ては、その都度胸がトキメイたのに、こんな風に胸が痛いと思った事は
一度もない。

その痛みをゾロに悟られない様に、被った毛布の中でサンジはギュ、掌で
胸を押さえる。
感じた事もない緊張感で、顔が火照ってきた。

ゾロの顔を見ている自分の顔が、どんな顔なのかを考える余裕すらなくて、
それなのに、ゾロから眼を逸らせない。

とても温かで、労わるような眼、何かを強請るような眼、
欲しいモノを欲しいといえない眼、伝えたいモノが溢れて零れそうになっている眼。

その眼にサンジは縛られて、声すら出せずにただ見つめ返すのが精一杯だ。

(何か言えよ。ソーセージ、灰まみれにして悪かった、とか)

息をする事もゾロに制御されてしまったかと思うくらいに、呼吸すらままならない。

ゾロの手が額の布を取り去り、その掌が額にかぶさった時、サンジの体に
微弱な電流が走った。
そのか弱い電流に情けなくも驚いて、思わずサンジは目を閉じる。

初めて、ゾロの手の感触を体で感じた。
そこから、体温以外の何かが、染みこんで来る。

認めたくない、と頑なに目を逸らしてきたゾロの想いが、心の中に染みこんで来る。
こんなに温かで、優しくて、臆病で、柔かいモノだとは、想像すらしていなかった。

怖い事は何もない。

何かにそう囁かれた気がして、サンジは目を開ける。

さっきよりももっと近くにゾロの瞳が見えた。
その呼吸の音が聞こえる。その呼吸の温度を感じる。

その呼吸の温度を、唇に感じるほど二人の距離が近付いた。

サンジがもう一度、目を閉じかけたその時。

「サンジの具合はどうだ、ゾロ?」

そのチョッパーの声に、サンジは「お、おう!大分、楽になった!」と、
ゾロを跳ね飛ばす勢いで、飛び起きる。

それから、しばらくして、また二人きりになって思った。
(…やっぱり、俺はあの温もりを受け入れられねえ)

想う相手を誰にも言えずに恥じている様な関係など、絶対に長続きしない。
きっと、これから先もゾロがどんなに想ってくれても、今まで生きてきた世界や、
価値観を崩す事は怖くて出来ない。

そう思った時、サンジはクレバスの中で見た、青白い雪を思い出した。
(…万年雪か…)

気温の低いこの島では、山の中には雪が溶け残り、春の花が咲こうと、夏の太陽が
降り注ごうと、決して溶けずに、また冬を迎えて万年雪となる。

世界を崩せば、必ず傷つく。それが怖いから、今にも溶けそうな思いを
サンジは意地でも凍らせたいと思った。

何も知らない顔をして、このままでいたい。

万年雪のように、ずっといつまでもかわりなく、このままで。
終わる事もない、尽きる事もない友情があればそれで十分だと、
ただ臆病に、そんな事を想い、願っていた。

***

「…万年雪が溶けるなんて、…天変地異だ」
「は?」

サンジが含み笑いをしながら呟いた独り言を、側にいたコックが聞き返してくる。

今日の営業は終わり、今は掃除を担当するコック達が数人厨房に残って、
隅々まで綺麗にふきあげている最中だ。

静まり返ったその厨房でサンジは小さな鍋に、一人分のスープを作っていた。

薄く切ったソーセージと、消化の良い、体が温まる野菜を数種類。

冷めない様に器に注いで、サンジは厨房を出た。
コック達の自室がある島へと渡された桟橋を渡り、ふと足を止めた。

満天の星を見上げて、目を細める。

過去を思い描き、そして、今、この瞬間、世界のどこかにいるゾロをサンジは
想う。

初めて口付けを交した時の事を、今でも鮮明に思い出せる。

そこに辿り着くまでが余りにも戸惑いすぎたから、回り道をしたその道筋の
一つ一つが、今になって、甘酸っぱい、もどかしくも懐かしい思い出になった。

「…そういや、あのソーセージを灰まみれにした件、まだ謝ってもらってなかったな」
「今度帰ってきたら、謝らせてやる」

今夜、どこで何をしていようと構わない。
ただ、眠る前に交わす言葉がゾロへと届く事を祈り、その優しい言葉を心の中で
静かに穏やかに、呟いた。


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