「やっぱり、もの足りねえ、」とゾロはいきなり、エキゾチック的な
楽器を放り出して立ち上がった。

「おい、コック、」

酒もなくて、良くここまで騒げるもんだ、とゾロは呆れて
まだウソップ相手にじゃれているサンジを呼んだ。

「酒とツマミを仕入れに行くから、付き合え」

そう言うと、サンジは急に表情を険しく変えて、ゾロを見上げる。
「ああ?」と言うガラの悪い目つきだけれども、
これもじゃれつく相手によってかわる、その表情の一つだ。

「俺の酒だけじゃねえ、こいつらも飲むだろう。」
「女の好きそうな酒なんかわからネエから、付いて来いっつってんだ。」

ナミやロビンの為だと言えば、嫌とは言うまい。
そんな打算も、いつしか無意識に出来る様になっている自分に気がついて、
ゾロはサンジを直視出来ずに、花びらを舞い落とすサクラの枝を
憮然とした表情を繕って見上げ、視線を逸らした。

「わかったよ。」と案の定、サンジは渋々と立ち上がる。

仲間と騒ぐのも、もちろん、楽しい。酒があろうと、なかろうと、それに変わりはない。
けれど、ほんの束の間だけでも、二人きりで、陽の高いうちに
この儚い薄紅色の花を眺めたかった。
ゾロは、その為の用事を無理矢理作ったのだ。

特別な言葉を交わした事は今だにない。
仲間だという枠を今だに越えていない。

アラバスタから、空島に辿り着くまでに、ゾロは自分の気持ちが
妙な具合になっていくのを持て余した。

仲間になってからも一番、距離のある男との距離が縮まって行くのが
嬉しかった。

会話が自然になり。
表情が素直になり。
じゃれつくような喧嘩が楽しくて、ワクワクして。

眠る前につい、その喧嘩を思い出し、煙草を咥えた口から機関銃の様に
吐き出された罵詈雑言の巧みさと可笑しさに思い出し笑いさえする。

失いたくない相手なのだ、と判ってしまった。
仲間として欠けてはいけない男だと自覚した時、心の中で
その答えに「NO」と言う言葉が浮かんだ。

(俺は、あいつに誰よりも特別だと)思って欲しい。それが「正解」だった。

仲のいい友達が、自分以外の者と親しくすると腹が立つ。
子供同士によくある幼い嫉妬なんだと最初は思った。

(バカバカしい)と自嘲したけれど、自分を否定する事をゾロは知らない。

絶対にそう、思わせてやる。
これも勝負だと思えば、退く理由など何もなかった。

それなのに。
どんな勝負でも、怯んだことも臆した事もなかったのに、
ゾロは立ち止まって進めないでいる。

ナミやロビンに見せる笑顔が欲しいとは思わない。
ただ、もしも、今の自分の気持ちを素直に言えば、
やっと縮めた距離がとんでもない長さと溝に引き裂かれてしまう事を予測すると、

胸が苦しくなる。

だが、このままならもっと苦しい。
勝負をかける前にすでに負けていると言われているようなものだからだ、と
ゾロは思っていた。

「ロビンちゃんにはワイン、ナミさんには、何がいいかな。」
「ジンと、ジュースを買って、即席のカクテルもいいかもな。」

と早速サンジは、女二人の為に楽しげに買いもののプランを考え始める。
(いつもの事だ)とゾロは聞こえないかのように黙ってそれを聞いていた。
自分の事など、特別に考えた事など一度もないだろう。
これから先も、きっと、ずっと、そうだ。
判っていた事だ、とゾロは
影がさし、悲しくざわめく心を静めようとまた、風に舞い上がって行く花びらを
目で追った。

「こんな状況(シュチュエーション)なら、お前は何を飲みたい?」

数歩先を行く、ゾロの背中をサンジの声が追いかけて来た。
さっきまで、ウソップとじゃれていた時の楽しげな口調のままの声に
ゾロは心臓を優しく、温かい掌でそっと包まれた気がして、振り向く。

「俺が何を飲みたいか?」とサンジの言葉をそのまま唖然となぞってしまう。

「面白エ面するんだな。」とサンジはゾロの顔を見て、クシャリと顔を歪めて笑う。

(おあ)とゾロはその顔を見て、心の中で小さく驚きの声を上げる。
それは、心臓が小さく悲鳴をあげた音だった。

初めて見た顔だった。
仲間と騒いでいる時にも見せたことのない、面映そうな笑顔に
どんな顔を向ければいいのかわからない。

だから、ただの仏頂面になる。
「なんでもいい。」とだけ答える。
お前が選んでくれるなら、と言う言葉が抜けていた。

「ふん。」とサンジは面白くなさそうに鼻を鳴らす。
それでゾロは自分が言葉を補足しなければならないことに気がついた。

けれど、補足する前にサンジはゾロの言うべき言葉を
変わりに嫌味たっぷりに口にする。
「俺が選んでやるんだ、文句のつけようがねえのを選んでやる。」

その口調は嫌味ったらしいが、表情はどこか嬉しげに見えた。
少なくても、ゾロには、そう見えた。
それだけで仏頂面が解けて、ゾロもまた、サンジと同じ様に
クシャリと笑っていた。

今なら、手を伸ばせば、触れる事が出来そうな気がして、
ゾロはふっと向き合っていたサンジの髪に視線が流れた。

この手を伸ばして、

触れたとしたら、距離が縮まるだろうか。


それとも、


「もしも、俺が、」
胸に詰った空気が言葉になって唇から出て行く。

苦しくて、堰き止められなかった。

「例えば、お前を」

吐き出せば、楽になる筈なのに、口に出すのが苦しくて、苦しくて、
息が止まりそうだった。
吐くことも止めることも出来ない想いが胸の中で膨張していく。

「例えば、」

好きかも知れない、と無責任な言い方しか出来なくても、
サンジはなにかを必ず返してくるだろう。
それを受けとめる勇気くらいはある筈なのに、
ゾロは言葉が続けられない。

「例えば、か。」とサンジはほんの少し、困ったような影を眉間に落としながら、
それでもまだ、口元には笑みが残っていた。

「腹が決ってから、言え。」

バカにする様にそう言って、サンジはゾロを追い越して、歩き出す。

(腹が決ってから、言え)
ゾロはサンジの言葉を頭の中で繰り返し、呆然と花びらの風の中を
歩む華奢な背中を見つめた。

拒絶ではなく、まるで、猶予を与えられたような気がした。
自分が何を言おうとしていたのか、サンジは知っている。
知っていてなお、拒絶はしなかった。

それを理解した時、ゾロの頬にじわりと優しい笑みが浮かぶ。

確かに、距離は近付いて行く、と言う実感がした。

サンジは、花びらの向こうで、立ち止まって、振り向いて、
ゾロが歩み寄ってくるのを、柔らかな表情のままで、待っている。

(終り)


この作品は、第269話「協奏曲」がWJで掲載された時、カラー表紙を
見ながら妄想した復旧作品です。

ちょうど、去年の今頃、「デッドエンドの冒険」が上映されていた頃でした。