幸せの味
第一章 「コックの幸せ」

第一話「世間知らず」

「どうやっても、濡れ衣が晴らせないなら、今、ここで死んでやる!」

そう言って、その若い男は手に持っていた瓶の中の液体を頭からジャブジャブとかけた。
途端に、厨房の中に引火性の高い油の匂いが充満する。

周りにいた大勢のコック達の顔色が一気に蒼ざめ、その若い男を遠巻きにしてうしろずさった。

***

「ビビ、元気にやってっかなあ。ちょっと様子見に行こうぜ」船長のその一言で、行き先と目的が決まり、麦わらの一味は本当に久しぶりにアラバスタへやって来た。

かつて一緒に戦った仲とは言え、世界政府を敵に回して世界中を追われている海賊と、一国の王女であるビビがおおっぴらに会う事は出来ない。
例え、会えなくても、元気にしているという噂だけでも聞ければそれでいい。
そんな想いで、アラバスタに着くなり、すぐに王宮のあるアルバーナへと向って、無事に着いた。そして今、サンジはアルバーナのとある市場にいる。

町外れの泊まれるだけで食事が出ない安宿に身を潜めるようにして泊まっている。
仲間達の食事を作るための食材を買おうと、サンジは懐かしい砂漠の暑さを防ぐ服を身に着けて、市場を覗いて歩いていた。
「兄さん、今旬のナマズだよ。腹にはたっぷり卵も入ってる。しかも、明日からは禁漁期に入るから食べれるのは今日までだ。一匹、どうだい?」
「そうだな、…じゃあ、一匹ぽっちじゃなくて、卵を持ってる奴全部くれ」
威勢のいい魚屋の主人に声を掛けられ、サンジもそれに応じていると、
「ちょっと待った!」と若い男がその間に割って入った。

「一匹、俺にもナマズをくれ。一番、脂が乗ってる美味そうな奴をだ」
「なんだと?」
サンジはその若い男を振り返る。人が良さそうな青年だけれど、この際、そんな事はどうでもいい。
「先に商談していたのは俺だぜ。その俺を差し置いて、一番美味そうなのをくれってのは随分厚かましいんじゃねえか?」と言って、ギロリと睨みつけた。
だが、若者はサンジのその目つきにも全く怯まずに、
「でも、俺にも都合があるんだ。今夜、王宮の料理人の試験があって、その課題がナマズ料理なんだよ!」
「練習し過ぎて、買い置きしてた分まで使っちまったんだ。ナマズがないと、試験を受けられないんだよ、頼むよ、一匹でいいんだ、譲ってくれ!」
そう言って、サンジに手を合わせ、頭を下げた。

「…王宮の料理人?あんたが?」自分よりも少し年上に見えるけれど、どこか不器用そうなその若者の言葉にサンジは興味をそそられた。
「ずっと見習いだったけど、今夜の試験に合格すれば正式の料理人としてはちゃんと料理を作らせて貰えるんだ」
「見習い?その歳でまだ、見習いなのかよ」

サンジがそう言うと、若者に代わって魚屋の主人が「お兄さん、この人はね、内戦の前から王宮の料理人になろうと思って頑張ってた人なんだよ。でも、身内が反乱軍にいたから、見習いになるって言う試験にすらなかなか合格出来なくて、内戦が終わってからやっと見習いになれたんだよ」と、口添えした。
「もともと、この市場の食堂で修行してたから俺もこの人の事、良く知ってるのさ」
「眉毛のお兄さん、他の魚を好きなだけ持っていっていいから、ナマズを一匹、この人に分けてやってくれないかなア…。この市場の皆、この人が立派な料理人になるのを見守ってるんだからさ」

そう言われると、サンジもナマズを諦めざるを得ない。
ナマズは惜しいけれど、その分、他の魚を貰えるのだし、この若者を魚屋の主人同様、応援したくなった。
「分かった。じゃあ、ナマズはこの見習いサンに譲るよ」
「その代わり、頑張って絶対合格しろよ」

そう言って、サンジはポン、とその若者の肩を叩いた。

***

その数日後の夜。ビビの使いとして、イガラムが宿にやって来た。
「すぐにでもお会いしたいと仰っているのですが、マ〜マ〜〜…。コホン」
「今はお父上のお体の具合も宜しくない上に、大事な同盟を結ぶ調印式が迫っていて、ビビ様は非常に多忙でいらして…」
「調印式が終わり次第、マ〜、マ〜。必ずゆっくりと時間をとってお会いするとの事です」
そう言って、ルフィに深々と頭を下げた。

「…王様、そんなに具合が悪いの?ビビが枕元から離れられないくらいに?」
ナミがそう尋ねると、イガラムは顔を曇らせて「はい…。数日前に急に御倒れになってそれ以来…。医者も様々に治療はしているのですが、なかなか思わしくなくて…」と答える。

その場の空気が少し暗くなったのを察してか、イガラムは、
「それはそうと、」と、パ、と明るい表情を作って顔を上げ、
「今夜、ここに来た用件はもう一つ。この国の政を司る者として、お願いがあってまいりました」そう言ってサンジの方へ向き直った。

「…俺?」「はい」
思いがけないイガラムの挙動にサンジが面食らったが、イガラムはそんなサンジを見ても全く動じず、落ち着いて再び頭を下げた。
「あなたを一流の料理人と見込んで、是非、お願いしたい事がありまして…」

* **

先ほど言いましたが、近々、隣国東アラヘンとわがアラバスタは、ある条約を締結する事になりました。
その調印式は、王様の代理としてビビ様、東アラヘンの王の代理としてあちらの第一王子とで執り行われます。まあ、色々と複雑な国家事情がありまして、この調印式は妨害が入る可能性が多分にあり、あまり大袈裟には出来ません。そこで、お二人の気軽な会食、と言う表向きの公けの行事のドサクサに紛れて執り行う事になりました。

今、ちょっとアラバスタの王宮内にいる料理人にその任を任せられない状況にありまして、
その会食の料理を作る料理人をどうしたら良いか、考えあぐねておりました。

そこに、あなた方がアルバーナにいらっしゃる、と聞いて、これは天の助けだと思いました。ビビ様も、あなたなら大丈夫、と仰っておられます。
是非、お力をお借りしたい。その調印式に同行して、ビビ様の為に東アラヘンの王子を歓待する料理を作って欲しいのです。

***

(ビビ様の為に…なんて言われちゃ、断れねえよな)
サンジは鼻歌を歌いたくなるような気分で、翌日の昼過ぎに、再びやって来たイガラムに連れられて、王宮の厨房にやって来た。

以前は、食べて騒ぐだけで厨房には入らなかった。一国の王の食事を作る厨房が一体どんな設備なのか、サンジはそれを見られるだけでもワクワクしている。
ところが。
昼食も終わっている頃なのに、扉の向こうでは何か騒ぎが起きているような騒々しい音が聞こえて来た。

「…なんだか騒がしいようですな?マ〜マ…」
イガラムも不審に思っているのか、少し足が速くなる。
そして、勢い良く厨房のドアを押し開いた。

「何の騒ぎだ!」
その怒鳴り声を聞いて、一瞬、厨房の中が水を打ったようにシ…ンとなる。

* **

「どうやっても、濡れ衣が晴らせないなら、今、ここで死んでやる!」

そう言って、その若い男は手に持っていた瓶の中の液体を頭からジャブジャブとかけた。
途端に、厨房の中に引火性の高い油の匂いが充満する。

周りにいた大勢のコック達の顔色が一気に蒼ざめ、その若い男を遠巻きにしてうしろずさった。

(あれ、あいつ…?)
サンジはその若い男に見覚えがあった。
生真面目そうな、人の良さそうな顔。あの市場で出会った、ナマズを譲った青年だ。

「なんだよ、これ。なんの騒ぎなんだよ」
側にいたコックにサンジはそう尋ねた。

「王様の食事に毒を入れたって皆が疑ったんだ。つい、この前も昇格試験に落ちたモンだから、腹いせに何かしたんじゃないかって」
「昇格試験に落ちた?なんでだ?」思わずサンジはそう聞き返す。
実際に料理をしているところを見た訳ではないけれど、あれだけ市場の人間達に慕われて、あれだけ一生懸命食材を手に入れようとしていた心意気を見る限り、彼には一人前の料理人だと言える腕はある。少なくても、サンジにそうに見えた。

サンジの質問に、コックは小声で
「…ここの料理長の息子、前の内戦で、反乱軍に殺されてるんだ」
「あいつの兄貴は、反乱軍でも猛者で勇名だったから…料理長は、息子を殺したのは、あいつの兄貴だって思ってる。だから、あいつがが憎くて仕方ないんだ。いくら腕が良くったって、料理長に憎まれてたら、ここじゃ絶対認められないんだよ」と答えた。
「兄貴も、結局国王軍に殺されたらしいし…。だから王様に恨みを持ってるだろうって」
「王様を毒殺する為に王宮に入り込んだに違いないって、ここんとこ料理長の取り巻きたちがネチネチ苛めてたんだ。怪しいなら調べなきゃいけないってんで、さっき役人が来て、
取調べを始めたらこの騒ぎさ」

それを聞いて、サンジはコック達を押しのけて、若者の前に進み出る。

鼻につく油の匂いに思わず顔が歪むが、足を止めずにそのままヌルヌルする若者の胸倉を引っ掴んだ。

「こんなところで、焼け死んでみろ、厨房が穢れるだろうが!自分が料理人だと思うなら、「外で勝手に死ね!」
そう言って怒鳴りつけ、乱暴に突き転ばす。
それを見て、一斉にコック達がその若者に飛び掛って、手に持っていたライターを取り上げた。

「自分達が作ったモノに毒なんか入ってねえって証明すればいいだけの話だろ!」

サンジはその厨房の中にいる料理人全員に向ってそう怒鳴った。

その中で、料理長らしい一人の眼光の鋭い男がサンジに言い返してきた。
「我々は王様のご健康の事を一生懸命考えて、献立を立てている…!」
「毒を入れるなんて絶対にありえない。だが、あいつは元反乱軍の息が掛かっている奴だ」
「この厨房で働いている者の中で、王様を恨んでいてもおかしくはないのはあいつだけだ」
「どうやって入れたのかは知らないが、絶対にあいつが毒を王様の食事に混ぜたに決まっている…!」
(…なんか、ムカつくオッサンだな)
思い込みと差別に偏ったその男の言い分に、サンジは反発したくなった。
別に油まみれの若者を庇ったりする気はない。ただ、料理人が同じ料理人をそんな風に貶めるのを見ているのが我慢出来ないだけだ。
「…そこまで言って、あいつがもしも潔白だったらどうする」
「え」
「もし、あいつが潔白だったら、あいつは身内が反乱軍だったとかそう言うのにこだわってねえって事になる。だったら、料理長、あんたも、こだわらずに、あいつの腕をちゃんと評価してやらなきゃいけねえんじゃねえか?」

サンジがそう言うと、料理長はぐ…と唇を噛んだ。
そして、「…それはそうだが…どうやってあいつの潔白を証明する?」
「食事の毒味は毎回、給仕長のテラコッタさんがやってる。そのテラコッタさんはなんともないのに、王様だけが具合が悪くなる」
「その訳をどうやって証明するって言うんだ?」と呻くようにサンジにそう尋ねる。

「俺が証明してやるよ」
サンジはあっさりと、自信たっぷりにそう答えて見せた。
王の口に入るもの全てを一つ一つ調べていけば、すぐに分かる事だ。
その時は簡単にそう思った。

そして、イガラムがサンジに調印式の料理人を頼んで来た理由もこの騒ぎを実際に目の前で見てやっと納得する。

(確かに、料理人同士、こんなにギクシャクしてるんじゃあ、大事な行事の食事なんて
任せられねえよな)
どちらも、一流の料理人として腕の見せ所だ。久しぶりに料理の事だけを考えられる状況にサンジは
俄然やる気が出て来た。


第二話「実証」

「え、チョッパーは出掛けたのか?」
「船医さんは、船長さんとお弟子さん達に会いに行くって…。二、三日帰らないみたいよ」

宿に帰ると、当てにしていたチョッパーが出掛けて留守だとロビンに言われ、サンジは少し困った。(…参ったな。薬の事なんてまるっきりわかんねえぞ…)

困ったところで、何もしないワケにはいかない。自分の出来そうな事から手をつけていけばいいきっとどうにかなる。
帰ってきてチョッパーの所在を聞き、少しだけ困った様な素振りを見せ、それでも何事もなかったようにすぐにまた出掛けようとするサンジにロビンが「何かあったの?」と聞いてくれた。けれど、自分で勝手に首を突っ込んだ事に、ロビンの手まで煩わせる様な真似はしたくない。
「いや、…なんでもないよ」とサンジは笑って曖昧に誤魔化した。
「そう?なんだかコックさんは楽しそうだけど、剣士さんのご機嫌がナナメよ」
「ちょっとは構ってあげてね」
ロビンにそう言われて、サンジは(そう言えば、ここんとこ、あいつの事、全く思い出しもしなかったな、)と思い出した。だが、ゾロと自分の「仲間以上の繋がり」について、女性のロビンに何か言われるのは恥ずかしくて居た堪れない。
「…あいつの事なんか、俺の知った事じゃないよ」と、興味無さそうな態度を装った。

* **

コック達も潔白だと言う。医者達もコブラに対して忠誠心が厚い。
誰も、毒殺など考えそうにない状況で、サンジが思いあたるのは一つだ。

まず、医師団が処方している薬について、その成分や薬効を調べあげた。
それから、コック達が王に出している食事の材料、調味料、嗜好品までも全てをリストアプし、それぞれの栄養分などを細かく分析してみる。

けれど、それにも限界があった。
食材や調味料の中には、サンジが知らないものもある。それから、医療、特に薬学の分野がチョッパーの知識と比べるとかなり遅れている様で、薬の成分を尋ねたり、自分で調べたりしても、「昔から効くと言われているから」としか分からない薬もたくさんあった。

その分からないところを更に詳しくサンジは考え、調べた。コック達は食材に毒性があるなどと証明されたら困る、と考えているだろうから、誰の協力も期待出来ない。
医師団も同様で、サンジは一人きりで料理人ではなく、まるで科学者のような作業に没頭した。
そして三日目。サンジは一つの仮説に辿り着いた。
「貝の干物と、赤い煎じ薬がダメなんだ。その二つを一緒に摂取するから中毒を起こすんだ」

早速、コック達と医師団をイガラムに集めて貰って、そう言うと、すぐに医師の一人が反発した。
「食事に何を召し上がっているのかまで医者は関知しない。それなら、医者が王に何を飲ませるのかを、料理人達も知っておくべきではないのか。その貝の干物さえ召し上がってなければ、王は中毒など起こさなかったのだろう?なら、それは料理人の落ち度で、医者の落ち度ではない」
「おい、それは違うだろう!」医者の言葉に料理人を代表して料理長が大声を上げた。
「我々は、王のお体に良かれと思ってあの貝のスープを毎日差し上げていたんだ」
「中毒になるような薬を処方する方が悪いじゃないか!」

どちらとも、自分達に非はない、と言う一点張りだ。
もちろん、その通りなのだが、傍で聞いているサンジには、責任の擦り付け合いをしている様にしか見えない。
どちらが責任を取るか、そればかりを言い争っている。
「いずれにせよ、医師団にも、料理人達にも罪はない。だが、それぞれに不名誉な事だ」
「いっそ、毒殺未遂だった、と言う事にして…誰かに罪を被せればいい」とまで言い出す奴が出る始末だ。

「そもそも、これはただの仮説だろう?本当にその貝と、赤い煎じ薬が悪いのか?」
「まず、それを証明しない事には、話にならんだろう。ただの仮説で罪に問われるのはゴメンだ」料理長がそう言って、サンジに向き直った。
「あんたが立てた仮説だ。あんたが証明して見せるのが筋だろう」
「ああ、最初からそのつもりだったぜ。自分の言った事に責任は持たなきゃな」

「もし、俺の体に王様と同じ症状が出たら、俺の仮説が正しかった事になる」
「そしたら、あの見習いサンは潔白で、試験をもう一回、きちんとやり直す」
「そう言う事でいいな、料理長サン?」サンジのその言葉に、「分かった」料理長がそう返答する。医師団の中の一人もサンジの言葉に頷き、「この国の人間でもないあんたが、王の為にそこまでしてくれると言うなら、あんたの体は我々医師団が責任を持って、治療する」
と申し出てきた。

「別にそんなつもりはねえよ。ただ、偏見や個人的な恨みで腕を認めて貰えない料理人が気の毒だと思ってるだけだ」と言うと、医師団も料理人達も皆、気まずそうに黙り込んでしまった。

(ただの中毒なんだから、その原因がわかればすぐに対処できるだろ)
チョッパーも、二、三日で帰ってくると言うのだから、この国の医者達の腕があまり信用出来なくても、何も心配しなくていい。
サンジは、コブラ王がどんな症状が出ているのかを禄に聞きもせずに、自分の体で毒性の実証をする事を易々と引き受けてしまった。

それが、後になってとんでもない事になるなど、その時は夢にも思わずに。

***

その日、ゾロはどこにも出かけずに宿にいた。

サンジがイガラムから依頼を受けて、出掛けてから数日経つ。
チョッパーとルフィ、ウソップは一体どこで道草を食っているのか、まだ帰らない。
ナミとロビンは町へ遊びに出かけて宿の中は殆ど人気がなく、静まり返っている。

(…全く、どいつもこいつも…)出て行ったきり、連絡も寄越さないでなにやってんだ、…とゾロはふて寝をする様に、ゴロリとベッドに寝転がって、天井を睨みつけていた。

どいつもこいつも、と腹の中では言いながら、ゾロが腹を立てているのはルフィやチョッパー達ではない。
(あいつらは、どこに何をしに行ったか分かってるからまだマシだ)
(あのグルグルボケ眉毛のヤツ…どこに何しに行って、いつ帰ってくるのか、禄に説明もしねえで…)
イガラムの話は大よそ聞いた。が、サンジ自身の口からはゾロは何も聞いていない。
嬉しそうに出掛けて行った姿をなんとなく物足りない気持ちで見送ったけれど、時間が経つにつれ、だんだんとゾロはそのサンジの態度に腹が立ってきた。


一度だけ帰って来た様だが、ちょうど出掛けていてすれ違いになってしまった。
その時の様子をロビンに聞けば、「あいつの事なんか、俺の知った事じゃない」と言っていたらしい。それもゾロは気に食わない。
いつもの強がりだと思い込もうとしても、(…なんだ、その言い草は)と腹が立つ。

そうは言っても、サンジが今何をしていて、どんな様子なのかを知りたくて仕方がない。
けれど、世界政府から追われている身で、のこのこ宮殿に出掛けて行く事も出来ない。
となると、じっとサンジが帰ってくるのを待つ以外にない。

だから、ゾロは今日、どこにも行かずに留守番をしていた。
そして、昼が少し過ぎた頃。流石にゾロは空腹を覚えて、体を起こした時だった。

「お客さん、…いるかい?」ドアがコンコン、とノックされ、外からこの宿の主である老婆の声がした。
「ああ」ゾロが返事をすると、「お客さんが来たよ。通すけど、いいかい?」と言われたので、ゾロはもう一度、「ああ」と答えた。

ドアが開く。「ああ、あんたか」
尋ねてきたのは、イガラムだ。ゾロはそう思った。

「久しぶりだね、ええと…ミスターブシドウ?」そう言った声は中年の女性だ。
ゾロはよくよく眼を凝らす。
「…イガラムのオッサンじゃねえのか」「その家内の、テラコッタだよ」

***

船医さんを呼びに来たんだけど、まだ留守なんだね。
困ったね…仕方ない、あんたでいいから、私に付いておくれ。

そう言われて、ゾロは何がなんだかわからなかったが、テラコッタの只ならぬ表情を見て、(何かあったのか、)と不安を感じ、何も聞かずにテラコッタに連れられ、宮殿にやって来た。

アラバスタに来た時に着ていた服を身につけ、顔を布で覆って隠し、ゾロは宮殿の中を急ぎ足で歩くテラコッタの後を追う。
「…何事だ」と尋ねると、「あんたのとこのコックさんが大変なんだよ」と
テラコッタは振り向きもせずにそう答えた。

「どうしても、ビビ様のお耳には入れるなって言って、言われてね」
「あたし達の使ってる部屋に寝かせてるんだけど、なんせ辛そうで気の毒で」
「ホントは船医さんを呼びに行ってくれって頼まれたんだけど、いないんじゃ仕方ない」「でも、仲間の誰かが側にいれば少しは心安いじゃないかと思って…」

(大変って…一体、何があったんだ)

そう尋ねようとした時、テラコッタは宮殿の一角らしい、大きな扉の部屋の前で足を止めた。

「この部屋は、あたし達夫婦が居住を許されてる部屋でね」
「どうぞ、入ってちょうだい」そう言って、テラコッタはギイ…と重たそうな扉を押し開いた。

* **

中は、絨毯が敷かれ、慎ましやかな家具が使い勝手良さそうに置かれている。
正面は、大きな窓があって日当たりもいい。
そして、右手の壁にいくつかドアがあり、どうやらそのうちの一つが、寝室らしかった。

「…コックさん、お仲間を連れて来たよ」テラコッタはそう言って、ドアをノックする。
「具合はどうだい?」そう言いながら、テラコッタはドアを開く。

その隙間から、ゾロは寝室を覗き込んだ。
カーテンが閉め切られ、薄暗い部屋の中には、ベッドが二つ並んでいる。
そのベットの一つに確かに誰かが体を丸めるようにして、横たわっていた。

一体、何があったのか、どうしてサンジがこんなところで寝込んでいるのか、何も分からず、動悸だけが激しくなる。

ゾロは、声を出さずにテラコッタの横をすり抜け、サンジの側に近付いた。
膝を折り、体をかがめて、横向きに横たわっているサンジの顔を覗き込む。


もどる