初雪が降りそうだよ。
その島に着いた時、船着場で荷運びをしている男がそう言っているのをゾロは聞いた。
その言葉を聞いた所為なのか、ゾロはふと、ラウンジに掛かっていたカレンダーの日付を
思い出した。
〈・・・何回目かになるんだっけか〉
ふと、自分の誕生日が近い事も、唐突に思い出す。
もう、子供ではない。
仲間だとは言え、大の男の誕生日を暢気に祝ってもらって嬉しがる年ではない。
それにかこつけて宴会をする、と言うのも面映いから、その日が来たら、それぞれが
さらりと思い出してくれればそれで十分だと、その時も思っていた。
「この島のログはどれくらいで貯まるんだっけ、」
上陸してゾロはサンジと一緒に賞金首を狩り、同業の海賊船から降りた海賊を狙って
金を脅し取ったりして金を稼いだ。その途中、昼食時にふらりと立ち寄った店がある。
そこで出された料理を食べ終わった途端、サンジはいきなり独り言のようにそう呟いた。
「なんだ、唐突に」とゾロが尋ねても、サンジはあっさりと
「いや・・・お前、先に帰れ」とだけ言い、さっさと先に席を立ってしまった。
その店の料理は確かに美味かった。
食べた事の無い味付けなのに、それが不思議に口に合う。
個性的なのに、どこか懐かしく、野性味のある材料を使っているのに、味は品が良い。
盛り付けも派手さはないけれど、食欲を掻き立てられる色彩で、
素朴な食器も味わい深い。
掃除も行き届いて、親しい友達にもてなされているような雰囲気を醸し出し、なんとも居心地の良い店だった。
(・・・そうか)ゾロは一人で店を出て、納得する。
サンジは己の技術を磨く事に関して、貪欲で素直だ。
ここの料理は確かにサンジの知らない技術で作られていて、それをサンジは美味いと思い、それを習得したいと思ったのだろう。
一流コックと自ら言えるのは、常にそうある為の努力を怠らないからこそだ。
(それにしても、・・・)いつもながら、水臭エ奴だ。
ゾロはそう思わずにはいられない。
口でいちいち言わなくても分ってるだろう、と思われるのも悪くは無い。
だが、実際は違う。
(俺に言っても無駄だと思ってやがるんだろうな)
サンジが嬉しいと感じる事も、悲しい事も苦しい事も側にいて、共有したいと思っているのに、こんな風に何も言わずに突っ走っていかれてしまったら、どうしても取り残されたような気になる。
(仕方ねえな)
これが初めての事ではない。
石畳の道を、船が停泊している港へ向かって歩きながらも、ゾロは何度もため息をついた。慣れてしまえばどうと言う事でもないと思うのに、慣れるどころか、こういう経験を重ねれば重ねるほど、置き去りにされる寂しさは強くなってくる。
いつか、本当にサンジはゾロの事など振り向かずに、自分の夢に向かって
突っ走っていく。こんな経験をするたびに、その予行練習をさせられている様な気さえした。
夜になって、サンジは船に帰って来た。
「店のオーナーシェフに頼み込んだら、海賊でも腕さえ良ければ大歓迎だって」
「料理人として腕と誇りが確かなら、料理を教えてくれるってさ!」と大喜びだった。
本当はここで喜ぶべきなのだろう。
だが、ゾロは喜べなかった。
夕食の席で、仲間全員が揃っている場でサンジはそう言ってはしゃいだのだ。
〈・・・面白くねえな〉と思う自分にゾロは腹が立った。
お前に言っても無駄だ。
俺の夢なんか、理解できっこないし、興味もないだろうからな。
そう言われるのが怖くて、ゾロは自分から何も言えずに遠巻きに上機嫌なサンジを眺めている事しか出来なかった。
ゾロは、むっつりと黙り込み、さも興味の無さそうな態度でラウンジの隅に座っている。
そんな態度だから、サンジはゾロに何も言えずにいて、
「お前の夢なんか俺は一切興味がない」とサンジに言っている様にしか誰の目にも見えない。
それをゾロは分っていなかった。
「大変ね、ログが貯まるギリギリまで通うんでしょう?」
「あたし達の食事の事は心配ないから、頑張って」とナミに言われても、サンジは
朝食だけは用意して、例の店に出掛けて行く。
サンジの腕を認め、自分の料理を短期間で教え込もうとしているその店のオーナーシェフに付いて市場に行き、食材の買い付けをする。
その為に朝、ゾロが目を覚ましたらもうサンジの姿はない。
夜はその店の営業が終わり、店の掃除を終え、明日の仕込みをするまでは帰ってこない。
つまり、船には帰ってくるけれど、顔を見る事はなかった。
嵐の中を航海しながら食事を作る事を考えると、睡眠時間が三時間程度だろうと、
それでもサンジにとっては楽な仕事に違いない。
(どこか遠い場所に行ったワケじゃない)と分っているのに、サンジの姿が見えないと言うだけでゾロは空気の薄いところへ連れてこられたような気がして、物足りない。
男部屋にも、キッチンにも、サンジの残した温もりがいつも残っている。
それなのに、船の中にはどこにもいない。
側にいるようで、離れているようで、ゾロは妙な距離感を感じてしまう。
顔を見たい時に見れない、声を聞きたい時に聞けない。
そして、自分がそう思っているこの瞬間に、サンジは微塵も自分のことを考えてはいない。
それが悔しくて、胸の中は、毛玉が詰まったみたいに息苦しくなる。
そんな風に日が過ぎていく。
日ごとに気温は下がっていった。
五日目の夜だった。
治安のいい島でゾロはその夜、ハンモックで眠っていた。
男部屋の扉が開いて、篭っていた男臭い空気の中にひんやりと冷たく清浄な空気が流れ込んできた。
〈・・・帰って来たな〉
ゾロは、聞きなれた足音と気配にサンジが船に帰って来た事に気づく。
「・・・寒イ・・・」サンジは吐息交じりにそう言って、自分のハンモックをゴソゴソと
用意している。
ルフィの鼾がウルサイけれど、サンジがひっそりと立てる物音をゾロは眼をつぶって
聞いていた。
声を聞くために話しかけたいと思っても何を話せばいいのか、咄嗟に思いつかない。
(料理、覚えられたのか?)と聞いたとしても、
サンジがなにか答えても自分に理解出来そうもないし、それよりも、それを見越して
「お前に言ったって仕方ない」と例のぶっきらぼうな口調で言い吐かれたら、絶対に気が滅入る。
(・・・クソ、むかつく)
当て所ない腹立ちに、ゾロは心の中で舌打ちをする。
きっと、自分の心をボロボロに出来るのは、サンジだけだろう。
そう思うから、一言一句にこんなに怯えている。怯えている自分にも腹が立っているし、
それをどうしようもない事がまた、腹が立つ。
〈人に惚れるって事は面倒臭エ事だな〉とゾロは思う。
それでも、その面倒臭い想いを抱えても、もう絶対に手放せない想いだから、
息苦しくても、物足りなくても、寂しくても、抱えているしかない。
どうにかゾロが自分の気持ちを宥めていると、サンジが自分の背中のすぐ側に立っている気配がした。
眼を瞑っていて、殆ど明かりの無い暗闇なのに、ゾロはサンジがふっと含み笑いをした
顔が瞼に浮かんだ。
「・・・へへ」
(・・・?)サンジの含み笑いの意味が分らず、ゾロが寝返りをうとうとした時、
冷たい手がす・・とゾロの首筋に入ってきた。
(・・・うっ・・・)
思わず、首を竦めるくらいの、本当に凍りそうなくらいに冷たい手だった。
物足りなさも息苦しさも一気に吹き飛ばす優しい冷たさにゾロは思わず振り向きそうに
なる。
振り返って、いつもの様になにしやがる、となじって、じゃれ掛かりたいと思った。
声を聞いて、笑った顔を見て、冷たい手を引っ掴んで引き寄せれば、ずっと物足りなくて
穴が開いた様な気持ちを埋め尽せる。
だが、ゾロにも意地があった。(こいつ、見透かしやがって)
ゾロの気持ちを見透かしたサンジが、その狸寝入りを見越してそんな悪戯を仕掛けている。それくらいの事はゾロだって見抜けた。
何もかも、サンジの思惑どうりになるのは、それこそ悔しい。
何も感じない振りをして、そのままサンジに背を向けていた。
サンジの手がそっと、ゾロの温もりを強請る様にそろそろと首筋に沿わされる。
徐々に冷たさが薄れていく様に感じるのは、自分の体温をサンジの冷たい手が吸い取って
行くからだ。
サンジの手が、ゾロの髪の感触を確かめ、寝ている子供をあやす様に撫でる。
ただ、それだけの事なのに、側にいなくて、姿が見れなくて、声が聞けなかった寂しさが
拭われていく。
(こんな事ぐらいで)と呆れるくらい、ゾロの胸の中は温かな空気で一杯になる。
置き去りになどされていない。夢を追い駆けていくサンジの心を全て失ってしまう事はない。何も言わなくても、言ってもらえなくても、しっかりとサンジの心を掴んでいた。
それが分かって、寝たふりをしてじっとしているのが辛いくらい、嬉しい。
耳にふと、冷たくて柔らかな感触を感じて、ゾロはとうとう眼を開いた。
振り向くともうサンジはただの黒い影にしか見えなくて、天井からぶら下がった空の
ハンモックに潜り込むところだった。
ほどなく、静かで穏やかな寝息がそのハンモックから聞こえてきた。
その夜からぐっと気温は下がり、眠る前に必ず、サンジはゾロの温もりを黙って強請り、
ゾロも何も感じない振りをして、その冷たい手を温めた。
サンジはゾロが眠った振りをしているのを見抜いている。
ゾロも自分の狸寝入りを見抜かれているのを知っている。
側にいないから寂しいと思う気持ち、
物足りないと思う気持ち、
切ないくらいに息苦しい気持ち、それを簡単に言えば、「恋しい」と言う気持ちだと
ただ、サンジの手を温める夜が続いて、やっと、ゾロは理解出来た。
だた、その言葉がお互いの心の中にあるのに、
それを確かめ合うには、二人とも言葉を使うのに不器用すぎる。
寝ぼけた振りをして、サンジが自分の頭を掻き抱く腕にそっと手を伸ばし、
冷たい手に自分の体温をしみ込ませるくらいの事しか出来ない。
そんな夜が数日過ぎた。
着いた日から、さらに気温が下がっていて、本当に今にも雪が降りそうに
どんよりと空は曇っている日が続いている。
「ゾロの誕生日って、11日だっけ?」
ナミが急に思い出したようにそう言った。
「そうだが」
「この島でなんか盛大なお祭りがあるんだって」
ゾロが答えるより先、ナミがルフィに顔を向けた。
「島の神様の誕生日らしいわよ、航海士さん」とロビンが口添えをする。
「ゾロの誕生日のお祝いもかねて、お祭りに行きましょうよ」
「サンジは?」ルフィがサンジが作った朝食をほお張りながらナミに聞き返す。
「サンジ君も誘ったけど、今手伝ってる店も一年で一番忙しい日になるから行けないって」
「ふーん、そっかあ」とルフィは答え、「祭りは行かなきゃなあ」と残りの朝食を全て口の中に放り込んだ。
ゾロは本当に自分の誕生日などどうでも良かった。
誰に祝ってもらわなくても構わない。
サンジの頭の中は今、祭りでごったがえす店の事で一杯で、自分の誕生日の事など、
きっと忘れている。
皆で祭りに繰り出したけれど、食べ物を出す店はどこも一杯で、どこもとてつもなく
忙しそうだった。
歩くだけで人にぶつかるくらいに賑わう町の中、浮かれてはしゃぐ仲間と一緒にいるのに、
ゾロは少しも心が浮き立たなかった。
たった一人が欠けただけの事なのに、派手に飾られた町並みも色褪せて見える。
気づけば、ルフィ達と逸れ、足は勝手に港へ向かっていた。
丘の上からあがる花火を見上げている人々の間をすり抜けて、ゾロは船に帰り着く。
花火の光が湾の波にまで映っているが、海を吹き渡ってくる風は思わず身ぶるいする程
寒い。
星が一つも見えず、月も分厚い雲に覆われている。
今夜は夜通し祭りが続く。
船で待っていても、誰も帰ってこない。
それなのに、ゾロはいつまでも甲板に立っていた。
チラチラと空から、星の破片の様な粉雪が舞い落ちてくる。
今年の、この島で初めて降る雪、ゾロはそれをなんとなく掌で受け止めた。
(帰って来る訳ねえ)と思っているのに、心の中でサンジを呼んでいた。
名前を呼ぶのではなく、ただ、顔を思い浮かべ、声を思い出し、ここにいて欲しいと
願うだけだ。
このまま眠らずに待っていれば、明日の朝には会える。
何日かぶりで声も聞ける。
そう思うのに、心の中は我侭な子供の様に無い物ねだりを止められない。
今、会いたい。
今日が自分の誕生日だからではない。
初雪が降る夜、打ち上げられる花火が終わる時までに、この風景の中を見ている自分の
隣にいて欲しいだけだ。
雪はやがて、少しづつ地面に、船に、マストに降り積もっていく。
いつしか、花火の光も途絶え、遠くから祭りの喧騒が聞こえるだけになっても、
吐く息が凍てつきそうなくらいに白く、頭が真っ白になるほど雪が自分に降り積もっても、ゾロは甲板にいた。
人っ子一人いない港に遠くから足音が聞こえてくる。
恋しい、と言う言葉では自覚出来なかった気持ちがその足音に報われる。
眼を凝らさなくても、その足音が誰なのかゾロには分かっていた。
「なんで帰って来たんだ」と船の上からロープを下ろしながら尋ねると、ゾロを見上げて
サンジは笑って言う。
「帰って来たかったからだ」
ゾロが手を伸ばすよりも先にサンジはゾロの首に巻いたマフラーを掴んで、
強引に船に上がってきた。
息が触れるくらいに近づいて、その体に纏った寒さをゾロは顔の皮膚で感じる。
「ずっと、俺を呼んでただろ」
「だから、帰って来たんだ」
側にいないから寂しいと思う気持ち、
物足りないと思う気持ち、
切ないくらいに息苦しい気持ち、それを簡単に言えば、「恋しい」と言う気持ち。
サンジは、ゾロのそんな気持ちをしっかりと受け止めながら、夢に向かって、
歩こうとしている。
いつもの夜の様に、少し強くギュと首根を抱き締められたまま、ゾロはサンジの言葉に
じっと耳を傾ける。
そのなんの混ざりけもかざりもない言葉はさらさらと、清廉な雪解け水の様にゾロの心の中に流れ込んできた。
「俺は欲張りなんだ。出来る間にやれる事、全部してえんだ」
「自分の夢も、お前もどっちも、ほったらかしには出来ねえよ」
「来年は・・・一緒にいるかどうか分からねえしな」
(・・・そうか)
嬉しいと思うのに、胸が熱くなってゾロは声が出せない。
どんなに恋しいと思っても、会えなくなる日がきっと来る。
そう思うから、サンジは帰って来たのだ。
恋しいと何回も、何百回も思っても、どうしようもない日が来るからこそ、
今が愛しい。
未来の別離を覚悟しているからこそ、恋しさは募っていく。
初雪の降る島で、世界一優しい抱擁にただ、身を任せながら一つ年を重ねたゾロは
そんな切なさを噛み締めた。
(終わり)
2004年版ゾロの誕生日SSです。
DLFでございます。よろしかったらお持ち帰りくださいませ。
感想、ご意見、お待ちしています。
元ネタはこんな感じの歌詞の歌です。
大○愛の〜〜「大好きだよ」でしったけ・・・・
なんだかあなたの事 思い出すのもったいないよ
あたしだけのものにしておきたいから
徹夜で帰ってきて疲れてるのに抱っこしてくれて夢の中にいたのにわかったよ
あなたが恋しくて恋しくて これ以上どうしようもなくて
あなたが恋しくて恋しくて恋しくて
ずっとずっと大好きだよ。