とても短い旋律なのに、それを奏でる機能を組上げるまでに4年も掛った。
躊躇いや意地や、自分らしくもないその作業の意味を考え直しては恥かしくなり、
何度もその作業を中断した結果、4年も掛ってしまったのだ。

組み上がってしまっても、もう、その小さな小箱から流れる音を聞かせる者は
もうここにはいない。
小さな手に乗る程の大きさの箱からは、届かない旋律を一年に一度、この海上レストランのオーナーの部屋で可愛らしい音を響かせる。
ゼフは何も考えずに、可憐な金属音が繋がって、誕生日を祝う曲に聞こえる旋律に
じっと耳を傾けていた。

(なんでこんなモノが欲しくなったのか)とその箱を見る度に忌々しく思う。
そう思うのは、自分の気持ちが判らないからでもなく、その箱を与えようと思っていた
向日葵色の頭をしたこうるさいガキが鬱陶しかったワケでもなく、
なぜ、その箱を欲しくなり、そして、買ってしまったのか、その答えを知っていながら、
認めるのが忌々しいからだ。

(可愛げのねえ子供だったな)考えないようにしよう、と思っても、
優しい旋律はゼフの記憶を呼び覚ます。

甘える事もなく、いつもいつも、突っ張って、意地を張って、負けん気が強くて、
どんなに怒っても、蹴っても、歯を食いしばって、その瞳からはいつもまぶしいくらいの光が宿っていて、目を逸らす事が辛いくらいだった。

買い出しに出掛けた町でふらりと立ち寄った小さな喫茶店はみやげ物屋も兼ねていた。
そこで売られていた、自分で作るオルゴールの材料一式をゼフは買った。

店の飾りにでもしよう、とその時は思った。
料理を食べる時には店の雰囲気も大事だ。女性が寛げる雰囲気を作り出す為に
優しい音楽を奏でる機械なら、なくても困らないがあっても邪魔になるものでもない。
組み上がった完成品を買うよりも安いし、もともと手先は器用なのだから、
(これくらいなら簡単に出来る)と思って、ゼフはそれを買ったのだ。

曲も自分で選べるし、作る事も出来る。
長い紙に音符を描いて、穴をあければそれでいいだけだった。

曲を選ぶ時に、ゼフは考えた。
自分の店の料理を食べながら、誕生日を祝う客の為に、その曲を選んだつもりだった。

だが、箱を組み上げ、音符を描いている時にゼフは気付いた。
このオルゴールを買った時から、ゼフは誰に贈るかを決めていたのに、それを
認めたくなくて自分に向かってなんだかんだと言い訳をしながら、
オルゴールを組みたてていた事に。
無心で描いていたつもりなのに、自分の頭の中にはこの曲を聞かせたい人間の顔が
何度もちらついていた。不特定の客の為に音符を綴ったのではなかった。

(あの小憎たらしいガキがどんな顔しやがるだろう)自分の気持ちに向き合って
素直に認めてしまったら、もうじんわりと笑みが頬に広がるのを止められなかった。

けれども、どうやって渡すのか、考えても答えが出せず、だから、その箱は
誰にも渡されないまま、時間だけが過ぎた。
翌年、今年こそはと思ったけれども、やはり手渡す事は出来なかった。

手を繋げば、すっぽりと治まっていた小さな掌がどんどん大きく、骨ばっていき、
追い縋ろうと必死に自分を見つめていた目は、いつしか、何かを諦めたかの様に
鮮やかな光が冷めて、霞んだ。

愛しいと思えば、お互いにとってそれが枷になる。
先にそれに気づいたのはゼフの方だった。

男女の間の肉欲を交えた愛情ではなく、肉体の温もりなどが介入しない
形、血の繋がりなどないけれども、一番近いのは親と子の間に存在する形に
自分達の関係は一番近い。いつまでも手元において、傷つかない様に、
お互いの何もかもが常に見える場所に留め置く事は簡単だ。
目に見える形、耳に聞こえる言葉でお前がどれほど自分に取って必要か、
そして、お前にとって自分がどれだけ必要か、を露骨に示せばそれでいい。

けれど、それではゼフの胸の中にある愛情は、ただの枷になる。
自由に生きる力をサンジに与えながら、その自由を許さない枷になる。

渡しも出来ない、聞かせる事もない、と判っていながら、ゼフは一年に一度だけ
そのオルゴールを出し、その日1日進めるだけの作業を繰り返した。

そして、4年も掛った。聞かせるべき人間はもう、とうにこの船から巣立っている。
なのに、ゼフは掌の中で小さな金色のツマミを回す。やがて、その箱から優しい旋律が流れた。

昨日の事の様に鮮明に思い出せるのは、やはり出会った日の包丁を振りかざして
向かってきたあの姿だ。
黒いスーツを着込み、檻に閉じ込められた野生の猛獣のような目をして煙草を吸っていた姿も、懐かしい。

二人で生きた事の証しになる形在るものは何も残さず、飛出して行った。
今頃、一体どんな面構えになっているのか、想像すら出来ない。
確信に近く、ゼフが判っている事は、生きて会う日はもう来ないと言う事だ。
グランドラインでもしも、自分達が探している海を見つけても、それはサンジだけの
ものだ。自分にはもう守るべき城があり、ここを離れるワケにはいかないのだから。

子供の頃の様に、悔し涙をボロボロと零す日もあるのだろうか。
仲間に自分の作った料理を美味いと言われて、嬉しげに笑う日もあるのだろうか。

いつかの様に大事な誰かを守って、自分が盾になり、傷ついている日もあるだろうか。

思っても、考えても、出せない答えをゼフは繰り返し繰り返し流れる音楽に耳を傾けながら想う。
自分の心を全て剥き出して、向かい合って重ねた日々の中で、どれほど
その存在に心が温もりで満たされたか、それを一度も伝える事も出来ないままだった。
けれども、ゼフに後悔はない。ただ懐かしく、思い出す。

一年に一度、ふと思い出してこのオルゴールを鳴らす度に、
二人で生きた日々の鮮やかな思い出を想いながら、
今でも、自分が知らなかった温かな感情を教えてくれた遠く離れた海に生きている生意気な相棒にいつまでもたくさんの幸せが訪れるようにと、誰かに祈りを捧げたくなる。

心の中で、ゼフは歌う。
その旋律に合わせて、もう今では決して届かない祝福の歌を。

(終わり)

大宰府天満宮で考えたネタでした!