「永遠の美」

永遠、とは一体どのくらいの時間の長さを言うのだろう。
未来永劫、と言う言葉とどう違うのだろう。

ゾロはその言葉を初めて聞いた時、まず、そう思った。

「この島は随分、景気がいいのねえ」とナミは最初、あまりの景気良さに呆気にとられた。宿も食事をするのも、酒場も皆、今日、この日だけは無償で、そこに訪れた者達を
もてなすと言う。

「どうして?」とロビンやナミが警戒して訝しく思うのも当然だ。
「なに、この島の王様の一人娘の王女様がお誕生日を迎える、
その日を祝う者には王様が酒も食べ物も用意して下さるって事なんですよ」と
人の良さそうなその食堂の女将らしき女性は、ふくよかな頬を伝う汗を拭いながら、
ロビンの質問にそう答えた。

「あたしらも、お客さんが飲んだり食べたりした分を、後から王様にきっちり
請求すれば、キッチリ、頂けるんで、たくさん食べてたくさん飲んでもらったらそれだけ潤うんです、どうぞ、どうぞ」とどんどん麦わらの一味の目の前に食べ物を
運んでくる。
「親バカな王様だな」と呆れながらも、その恩恵に預かり、麦わらの一味は充分過ぎる程、腹を膨らませた。
ちょうど、この日はサンジの誕生日と重なっている。折り良く、タダメシ、タダ酒に
ありつけ、いつもは給仕する立場のサンジも今日は、好き勝手に飲み食い出来て、
騒ぎの中心になっている。

「ところで、その王女様って、美人かい?マダム」とサンジは、空になった
食器と、大盛りの料理を取替えに来た女将を掴まえ、そう尋ねた。
「そりゃあ、もう」とマダムはニンマリと笑った。
「もう、あと1時間ほどすれば、この店の前の大通りでパレードが始まるから、
お客さんがたも見てご覧よ、それりゃもう、こんな美しい人がこの世にいるのかって
思うくらいの美人だよ。お兄さん達、皆、溜息ついてぼーっと眺めちまうよ!」と
威勢のいい答えが返って来た。

そうなると、サンジはもう落ち着かない。勿論、口説くつもりではないだろうが、
「そんな美女なら是非近くで見ないと一生の損だ!」と騒ぎ出した。

ゾロはどうでも良かった。が、その日はサンジの誕生日で開いた宴で、
その主が宴を中断しても、自分と同じ日に生まれたこの島の宝とも言うべき女を
見たいと言えば、皆も渋々、一旦、席を立って、往来に出る。

「女の顔なんか見たって腹ふくらまねえよ」とルフィは膨れっ面だが、
サンジは、「見てる間に腹が減ってくるかも知れネエだろ、そしたらまた食えるじゃねえか、ツベコベ言うんじゃねえ!」とルフィの意見にも耳を貸さない。
(見るだけしか出来ねえ女になんでそこまで必死になるんだ、こいつ)とゾロは
サンジの我侭が面倒で仕方なかった。飲み掛けの酒が温くなる方がよっぽど気になる。
だが、ナミやロビンは、同性で人にそこまで言われるほどの麗人なら、
「1回くらい、見てやってもいいわ」と興味を示していた。それに人ごみの中なら
人の財布や首飾りなど、金目のものを掏りやすい、と言う目的もあるのだろう。

そして、往来には賑々しい音楽が遠くから聞こえてきて、ゆっくりと近付いて来る。
ゾロは人にギュウギュウ押されながら、何時の間にか、サンジのとなりに寄りそうような場所に立っていた。サンジは子供の様に伸び上がって、頬をいつもよりも赤らめて、
少しづつ、近付いて来る王女を戴いた行列を待っていた。
「おい、なんだこれ」「これ?」
サンジが何時の間にか、手に持っていた一指しの花を見て、ゾロはなぜ、
そんなものを持っていて、そんなものをいつ、手にいれたのか、と短くサンジに
尋ねる。
「お姫様が来たら、これを道に投げるんだと、で、さっきの店の女将さんがくれた」
「お前も、腹巻きのところに刺さってるぜ」(あ?)サンジの言葉を聞いて、
ゾロは右わき腹に目をやった。するとサンジの言うとおり、本当にサンジが持っている
花と同じ花が短く切られて、ゾロの腹巻にそっと挿し込まれている。
だが、それもすぐにどうでも良くなった。ギュウギュウと人に押される圧力が
強くなって来たからだ。
「こんなところから投げたら道に届く前に人の足に踏まれるぜ」とゾロは全く
淡々とした口調でサンジにそう言ったが、もうサンジはゾロの腹巻にささった花の
事も、いや、ゾロの存在そのもの事体も、どうでもいいらしく、
「知るかよ、来た!来た!クソ、頭下げやがれ、見えねえだろ!」と必死だ。

人の頭と頭の間にちらりと行列が見えて来た。回りの人間が一斉に、小さな白い花を
咲かせた、軽やかなで甘い匂いのする花を捧げる様に、頭上で振る。
「お姫様〜!お姫様〜!王女様!おめでとうございます、王女様〜」と
皆が口々に喚いて、そして、花を彼女に届けとばかりに皆がふわりふわりと
春風にその花の薫りを乗せる様に、優しく投げていく。

清楚な真っ白なドレスを身に纏った、サンジと同じ歳、同じ日に生まれた女の姿が、
大騒ぎする者達の頭と頭の間から僅かに見えた。

美しい、と皆が言った。ナミやロビンも、ウソップもそう言った。

宿に入っても、サンジはずっとその事で喋りっぱなしだ。
「ナミさんやロビンちゃんの方がずっとキレイだけど、あのお姫様はなんだか、
人間じゃないみたいな綺麗さだったよね、お花みたいだった」とか、
常に「ナミとロビンの方が綺麗」と前置きしながら。
だが、ゾロには他の女と大差ない様に思えた。

「なんで、この花を皆投げるんだ?」とウソップがなんとなく、ロビンなら
知っていそうだと思ったのか、投げそびれた白い花を指先で摘んでクルクル回しながら
そう尋ねる。昼間食べた食堂はその奥が宿になっていて、今夜はやはり、
王女様の誕生日の祝いでタダだと言うので、そのまま居座っていた。

「彼女の誕生花だそうよ」
ロビンはウソップに向き直り、何も厄介ごとのない長閑な日の幸せを噛み締めるかの様ににっこりと微笑んでそう答えた。
「って事は、サンジ君にもそうなるのね。なんて花?」とナミが即座に聞き重ねる。
「永遠の美・・・だったかしら」とロビンがうろ覚えなのか、曖昧にそう答えると、
「彼女には似合うけど、男にはそぐわない言葉だねえ」とサンジは口の端に煙草を
咥えて、苦笑いしている。

その夜。
「もううんざりだな、全く」

町中、この花の匂いだったのに、部屋にまでその白い花は飾ってある。
ゾロはいい加減、その花の香りに咽返りそうで顔を顰めた。
部屋は三つ、用意させてあり、何も言わなくても、自然に皆、自分達が然るべき顔ぶれと然るべき部屋に別れて寝床に入る事に慣れていた。

「花代も王様から貰えるんだろ、だから他の花は買わずに今夜はこの花を飾ってあるんじゃねえか」とサンジは花器にこぼれそうになるほどたくさん、生けられた花を
掌でフワフワと優しく撫でて、そう言った。
「いい匂いじゃねえか、あのオヒメサマもきっとこんな匂いがするんだろうなあ」と言ってうっとりと目を閉じている。
(馬鹿馬鹿しい)、とすぐにゾロは思った。
誕生日にわざわざ花だの花の謂れだのをあてがって、それが一体、なんの意味があるのか、なんの為なのか、明確に説明してもらいたいものだ。
「お前エはしねえだろ、そんな匂い。生まれた日と花となんの繋がりがあるんだ、
くっだらねえ」と憎まれ口を叩く。

ゾロにとっては、下らない、なんの興味もない事だ。
興味もないだけなら、腹が立たない筈なのに、今夜、ゾロが苛立っているのは、
皆と一緒の宿にいるからだった。
今夜、この島の中で流血沙汰を起こせば、有無を言わさず、死刑だと言う。
海賊だろうと、堅気の島民だろうとお構いなしで、海賊の場合、その一味全員が
死刑、船は没収、現に数年前、本当にこの島の兵士と戦って、海軍に突き出される前に
全滅した海賊もいると、ロビンが言っていた。
だから、どんなに賞金首がゴロゴロしていようと、今夜だけは大人しくしていなければ
ならない。
サンジの誕生日だから特別になにかをする、と言う気は全くなかった。
いつもどおり、いつもと同じ事を同じ時間を過ごせればそれで良かったのだ。
けれど、皆と同じ宿にいて、同じ時間に眠る事になった時、サンジは
ゾロとの行為を徹底的に拒む。その痕跡を残さずに、翌朝何食わぬ顔が
出来る程、まだ図太くはなれない様だ。
(今更、肝のちっちぇ事言いやがる)と呆れるが、惚れた弱みと言うべきか、
本気で嫌だと言う事を無理強いは出来ない。
後で酷い自己嫌悪に陥るのが判っていても、欲望のままにバカな行動に走ってしまう、
そんな時期はどうにか、超えたばかりだ。

だから、側にいるのに、指1本触れる事が出来ない。
触れたら、サンジの温もりに飢えている事を自覚してしまう。
自覚したら、耐えるのが辛くなる。

「永遠の美か・・・」サンジは溜息のようにそう言い、
「なんだか説得力のない言葉だな」とサンジは二つ並んだベッドに腰掛けて煙草に火を着けた。
「説得力もねえし、意味もわからねえな」とゾロは立ち上がって窓を乱暴に
開け放った。この花の匂いの篭った部屋の空気を吸って落ち着いて寝ていられない。
そんな気がしたからだ。

「永遠ってのも、美ってのも、本当はどんな事を言うのか、ピンとこねえ」
「そうだな」ゾロの言葉に頷いて、サンジは顎を天井のほうへ向け、大きく煙を
吹き出した。

「花は枯れるし、美人だって歳食ったらババアになるし」
「生きてるモノには永遠の美ってヤツは有り得ねえのに」
サンジの体に触れられないのなら、その声を子守唄代わりにでもするつもりで、
ゾロは目を閉じながら、サンジの言葉に相槌を打つ。

「宝石とか、景色とか、星とかはずっと変わりねえだろうが、それもただ、」
「生きてる人間よりはたくさんの時間を重ねてるってだけで永遠じゃなさそうだ」
「宝石は燃やせば燃えるヤツもあるしな」

「誕生日を迎えるって事は、生まれた日から今日までの間、確実に死ぬ日までの
時間を何分の一か費やしてるって事に気付く事だな」とサンジは仰向けに
ベッドの上に寝転んだ。口にはまだ煙草を咥えたままだ。
「その意見には同感だ」そう答えて、ゾロも横になる。
同じ空気を吸って、手を伸ばせば届く場所にいる。目を開けば、その姿が見える。
今、誰よりもサンジの側にいて、世界中で自分だけがサンジの声を聴いている事を
思い直して、穏やかな温もりでゾロの心が満たされ、温められていく。
胸の中の温度が春の陽だまりの様に暖かくなるにつれ、あれだけ鼻についた
白い花の薫りも心地良くなって来た。

肌を触れる事もなく、サンジの声に包まれ、サンジに無防備な姿を晒して、
行為の後の甘いまどろみよりも浅い、けれども確かに温かく、優しい眠りに朝まで一度も目を醒まさずに、ゾロは朝までぐっすりと眠った。

真っ暗な闇に桃色の光りが差し込んで、ゾロは新しい朝が訪れた事に気付き、
ゆっくりと目を開く。

部屋の中はまだ、昨夜からずっと薫り続けている花の薫りが漂っていた。
目を醒ました時と同じ仰向けの態勢のまま、ゾロは顔だけを横に向け、もう一度
目を閉じた。目で捉えるよりも、耳で、肌でサンジの穏やかな眠りを確認したかったからだ。
微かに聞こえる、規則正しい寝息を聞いて、安心と不思議な温もりが心の中に
広がっていく。それを噛み締めながら、ゾロはようやく、体を起こした。

薄い寝汗に少しだけ湿った前髪、その下にはなだらかな瞼が見えた。
触れもせず、ゾロはただ、じっとサンジの寝顔を見つめる。

昨日、見た女は確かに美しい顔立ちをしていたのだろう。
けれど、今、ゾロには伏せた瞼の先の、睫毛までが見える程近い距離にいる男から
目が逸らせない、いつまでも見つめていたい、と思う。
それが、「美しい」と思う、と言う事なのなら、何故、そう思うのか。
ゾロは徐々に覚醒する頭の中でそんな事を考えてみる。

(「宝石とか、景色とか、星とかはずっと変わりねえだろうが、それもただ、」
「生きてる人間よりはたくさんの時間を重ねてるってだけで永遠じゃなさそうだ」
「宝石は燃やせば燃えるヤツもあるしな」)

それは昨夜、自分がサンジに語った言葉だ。

宝石は、土の中から穿りだして、研磨しなければ、輝かない。
景色も、それを照らす太陽がなければ目に映る事もない。
星も、自らが輝き、そして太陽が沈まなければ誰も星の存在にすら気づかないだろう。
そこに在るだけでは、美しい存在にはなれない。
それぞれがそこに在り、輝きを放ちながら、
自分以外の存在に見出され、輝きや煌きを引き出されてこそ、初めて美しい存在となる。

女神の様に美しいと誰もが言う女よりも、ゾロにとっては、静かに眠るサンジの方が美しいと思えるのは何故なのか、ゾロはその答えに辿り着く。
サンジは自分が例えたモノの一つ、宝石と同じ質の存在だ。

(こいつから目が離せないのは、俺がこいつに惚れてるからで)
サンジ自身が宝石と同じ様にそこに在るだけで価値のある存在、そして、
それを見出し、研磨し、美しいと思う自分がここにいる。

宝石の原石に輝きがなければ研磨しても輝きはしない。
サンジ自身が輝きを失うか、ゾロがその輝きから目を背けなければ、
サンジはずっとゾロにとって、目が逸らせない、いつまでも見つめていたい、と思う
存在でありつづけるに違いない。

「美」と言うものが本当はどんな事を言うのか、ゾロにはまだやはり、理解は出来ない。
ただ、自分に取ってはそれがなんなのか、白い花の薫りに包まれて朝を迎えたこの日、
少しだけ判ったような気がした。誰にも抱いた事のない、
温かで穏やかな感情を胸の中に抱えて、サンジを見つめる。


「永遠の美」について、わからないのはあと、一つ。

永遠、とは一体どのくらいの時間の長さを言うのだろう。
未来永劫、と言う言葉とどう違うのだろう。

今年、一つの答えがわかったのなら、もう一つの答えも、
(いつかわかるかも知れネエな)とゾロは予想する。
サンジの輝きを誰よりも側で見ている、
その月日を重ねていく 未来の時間の中で 必ず見つけられると思った。

終わり

ストックの花をモチーフに書きました。

プリンスのレストランのゾロとサンジなら、花を題材にしてもこんな感じにしか
ならないんで、全然甘くないのしか書けませんが、
どうしても、BGMがいいのがなくて、今日までずっと温めてました。

ゾロの時が未来系だったんで、今回はそうでない感じ、と思って。
自分がゾロだったら、サンジの誕生花を知った時、どんなリアクションを取るかなあ、と
考えるト、この程度の反応なんですよね。

なにか、エピソードと言うか、比較対象物があって始めて、サンジのよさに気づくと言うか。

最後まで読んでくださって、有難うございました。