当用漢字ハンドブック - 抜き書き
松坂忠則著(1950年刊)
現代かなづかい
(昭和21年11月16日内閣訓令および内閣告示をもって制定公布)
第一 適用の範囲
現代口語文の中においてもたとえば女の人の名まえで戸籍が「ちゑ」とか「かをる」とかのかなづかいになっている人などは戸籍のままに書くことはさしつかえない。
また旧かなづかいで書かれてある他人の文章の一部分を引用するようなばあいも原文どおりのかなづかいを用いてもよい。
第二 使わなくなった文字
現代かなづかいは同じ発音は同じ文字で書きまた一つの文字はつねに同じ読み方をすることを原則としている。
この結果、使う必要のなくなった文字が二つある。それは「ゐ」(ヰ)と「ゑ」(ヱ)である。
それでこれまで「ゐ」を用いていた箇所はすべて「い」(イ)で書くことにする。またこれまで「ゑ」(ヱ)を用いていた箇所には「え」(エ)を用いる。
第三 一音一義主義
旧かなづかいで「は、ひ、ふ、へ、ほ」を用いていた箇所は「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と発音するばあいだけに残ることになる。
第四 助詞の特殊なる方式
助詞に限って三つの特殊な方式ができている。それは「は、へ、を」の三字についてである。
さきに述べたように旧かなづかいで「は」を「ワ」と読ませていたものは発音のとおり「わ」を用いることになったのであるが助詞に限って旧かなづかいと同じように「は」を用いる。
「には」とか「とでは」のようにほかの助詞と続くばあいにも同様である。
また「もしくは」や「あるいは」については方式の解釈は両様にとられるが公用文ではこれも「は」で統一している。
また「へ」についても旧かなづかいの「うへ」などは「うえ」と発音どおりに書くことはまえに述べたとおりであるが助詞に限って「へ」を用いる。「へも」とか「への」とかも同様である。
ただし「さえ」は「さえ」が正しく旧かなづかいのように「さへ」と書くと誤りになる。
それは「妻への伝言」などの「への」は助詞「へ」が助詞「の」と続いたのであるから「へ」のままを用いたのであるが「さえ」は「さ」と「へ」の連続ではなく一単語であって、したがって「助詞のへはもとのまま」という条文にあてはらないからである。
つぎに「を」であるが、この文字は助詞だけに用いてそれ以外はいままでこれを使っていた箇所はさきに例をあげたようにすべて「お」を用いる。
そして「は」や「へ」とことなり助詞の「を」の代わりに「お」を使えば誤りになる。
なぜ「を」に限ってこのようになっているかというに「は」や「へ」は元来「ハ」「ヘ」と読ませるべき文字を「ワ」「エ」に用いるのは不合理だから合理的にすなわち一字一音主義に「わ」「え」を用いるのを差し止めるべきではないとの主張が成り立つのであるが「を」はこれとは事情がちがいつねに一定の発音を示すわけである。
これと同じ発音を示すべき文字が別にある - 「お」 - から一音一字の趣旨には反するがしかし一字一音の趣旨には反しない。
それではなぜ助詞のばあいにも「お」をもちいないかというにこれまた習慣を考慮したことは事実であるがそれだけでなく接頭語の「お」との区別をハッキリさせる目的もあるのである。
すなわちもし助詞を「お」で書くことにすると「病気お見舞に行く」などのばあいこの「お」が助詞なのか見舞に添えた接頭語なのかわからなくなる。
第五 促音の表し方
旧かなづかいでは「学校」のように「ク」が促音化したばあいは「く」を用いていたが現代かなづかいではもとの発音には一切かかわりなくつまる発音は一様に「つ」(なるべく小文字)で表すのである。
第六 わたり音の表し方
わたり音というのは「茶」とか「主義」とか「旅費」とかに見られる発音の類のことである(撥音)。
わたり音は「や、ゆ、よ」を促音と同様になるべく右下に小さく書いて示す。
第七 「空気」や「数学」の「数、空」のように引く音を長音という。
外来語の長音は「ビール」のように「−」で表す。
物音を写すばあいも「−」で表す。 「ドーンと一発」など。
じつは現代かなづかいの規則の中には外来語や物音を表すばあいのことは掲げていない。
これらはいずれ改めて決定されるはずであるがしかし長音に「−」を用いることは規定の方針である。
一般の国語においてはア列には「あ」、イ列には「い」、ウ列には「う」、エ列には「え」、オ列には「う」を用いることになっている。
ア列イ列エ列の長音はごく少ない。 「おかあさん」「にいさん」「ねえさん」や返事の「ええ」などがこれである。
「経営」とか「制定」とかの漢語は実際の発音ではほとんど長音になっているがしかし改まったものの言い方をするときは「ケイエイ」とか「セイテイ」もように発音しようとする。
すなわち標準としては「イ」を用いるのだという観念があるのである。
それゆえ将来はいざしらず現在としては長音として扱わず「けいえい」「せいてい」のように書くべきであるという見地からこの類はすべて「い」で表すことになっている。
ウ列長音は和語にも漢語にもたくさんある。
「夕方」や「悲しゅう」は和語の例であり「空気」や「風俗」は漢語の例である。
そしてこれには「悲しゅう」や「注意」のようなわたり音の長音も多い。
旧かなづかいにおいてはウ列長音のうち「ユ」の長音には「いう」と書くもの、「いふ」と書くもの、「ゆふ」と書くものの三通りがあった。
「いうびん」(郵便)「といふ」(都邑)「ゆふがた」(夕方)がその例である。
それ以外のウ列長音は旧かなづかいでもウ列の文字に「う」をつけて書くことに統一される。
また「食ふ、吸ふ、縫ふ」などは長音としてではなく「ウ」の独立音節として一音一字の方針によって「食う、吸う、縫う」と書く。
オ列長音は非常に多い。動詞の未然形はすべてこれであるし漢語にも「王侯」とか「相当」とかたくさんある。また「協調」のようなわたり長音も多い。
そしてア、イ、ウ、エの各列の長音はそれぞれ発音のままの「あ、い、う、え」を用いるのにオ列の長音だけは「う」を用いることになっている。
すなわち「書く」の未然形なら「書こう」、「相当」なら「そうとう」と書くのである。
そのためたとえば「子牛」も「格子」もともに「こうし」となって発音の区別が立たないというような不合理も生ずる。これもまた旧かなづかいとの妥協によってこのようになったものである。
さらにこのオ列長音において迷いやすいのはさきにあげた独立の音節「お」との使いわけである。
たとえば「氷」は「こほり」の「ほ」が「オ」と発音されるものであるから「顔 - かお」などと同じように「こおり」と書くのであるが、「行李」はこれとおなじように発音するのに「こうり」と書くことを本則としているのである。
したがってこれを正しく書きこなすのには結局、旧かなづかいを知っていなければならないということになってこれでは現代かなづかい制定の趣旨にも反する。
こうした悩みの生じたのも原因は旧かなづかいと妥協したことにあるのであるが、しかし実際問題としては「お」で書くべき語の主なものを承知しておけばたいていのばあい間にあう。それはつぎの四語である。
大きい 多い 通る 遠い
すなわちこれらは「おおきい、おおい、とおる、とおい」と書かなければ誤りとなる。
これに対し動詞未然形はすべて長音であるから「書こう、押そう、立とう、死のう、運ぼう、読もう、帰ろう、起きよう、寝よう、研究しよう」のように書く。
ただし「乞」「添」などの終止形、連体形は実際の発音では「オ」にしている人もあるが標準としては発音も「ウ」であるし、かなづかいもまた「乞う、添う」と書かなければならない。
以上の心得で多くのばあいは解決する。
しかし時にはたとえば「公」は「おおやけ」か「おうやけ」か、あるいは「朴」は「ほおのき」か「ほうのき」かというように迷うばあいがある。
これらは旧かなづかいが「おほやけ、ほほのき」であるから「おおやけ、ほおのき」が正しいがしかし旧かなづかいを知らない人なら迷うのが当然である。
そのような時は「お」で済ませたらよい。
そのわけはさきに述べたように長音でも「お」で書くことが許されているからである。
つまり迷うことばはすべて元来「お」で書くべきものか「お」で書くことが許されているものか二つのうちのどちらかであるから迷ったら「お」にすることにしておけばまちがいはないのである。
第九 「ぢ、づ」の処理
連濁というのはあることばが他のことばのあとに続くときに濁音になるものである。
「くさ」が「秋」のあとに続いて「秋ぐさ」となったり「はな」が「草ばな」となったりするのがその一例である。
そこで「ちから」とか「つる」のような頭文字が「ち、つ」のことばが連濁になるときは「ぢ、づ」を使うのである。すなわち「腕ぢから」とか「いもづる」とかがその一例である。
連呼というのは同じ発音が続くもので「たたみ」や「くくる」などがそれである。
連呼においては「すずしい」や「とどろく」のようにあとのほうが濁音になることがある。
それで「ち、つ」の連呼においてこのように濁音になるばあいは「ぢ、づ」を用いる規則である。
実例はごく少ない。日常語の中では「ち」では「ちぢみ」、「つ」では「つづみ、つづら、つづる」などがこれである。
「知事」などは連呼ではないから「ちじ」とかく。
まちがいやすいのは「いちじるしい」であるがこれも連呼ではないから「いちじるしい」と書く。
連呼は用例も少なくかくべつむずかしくないが先に述べた連濁はかなり迷う人が多い。
「腕ぢから」や「いもづる」は迷うこともないがことばによっては連濁なのかどうか見当のつかないものがある。
たとえば「杯」などは語源を知っている人ならば連濁であることがわかるがしかし一般人はこの語源は知らない。
「跪く」なども語源からいえば連濁であるがこれまた一般の人にはわからない。
現代かなづかいで「ぢ、づ」を要求している連濁とは現代一般の意識にのぼっているものに限ってのことである。
たとい語源を知っている人でもたとえば「杯」ということばを用いるばあいにこれを二語の連合として意識しているのでなかったら「ぢ、づ」を用いるべきではない。
しかしたとえば「基づく」などはあえて国語の専門家でなくても「もと」と「つく」との連合であることをかすかに意識するのが普通であろう。
このようなものは「もとづく」でも「もとずく」でもどちらでもさしつかえない。
それはあたかも「けぶる」も「けむる」もどちらも標準語であるのと同じことで正当な理由のあるものは二通りに書かれてもさしつかえないことである。
つぎにしばしば誤られるのは「地、治」などの字音である。
たとえば「地」は「地理」や「地方」では「ち」であるから「布地」や「生地」は連濁のように思われやすい。
しかし事実はこれは連濁ではない。
「地蔵」や「地頭」を見てもわかるように元来両方の発音があるのであって連合によって濁音化したのではない。
だから「ぬのじ、きじ」と書くべきである。「退治」や「療治」なども同じ理由から「たいじ、りょうじ」と書く。
また「融通」などは「つう」の連濁と思われやすいが、これも連濁ではない。
連濁というのは切り離しても独立のことばになるものだけに限っていうのである。
「通」ということばはないではない。「あの人は料理の通だ」などということばはある。
しかし「融通」はこのような「通」が組み合ったものではない。切り離すことのできないことばである。したがって連濁ではない。
結局、連濁として「ぢ、づ」で書かれるのは「悪ぢえ、湯飲みぢゃわん、岐阜ぢょうちん」などのような独立しても用いられるものだけである。
(追記)
上記の解説文は当用漢字ハンドブックの付録として書かれたものである。
そのためあまり注目されることはないが、現代かなづかいについてこれだけ説得力のある文章を他に知らない。
いわば日本語の正書法 -- このことばもあまり見かけなくなったが -- のたたき台としての十分な資格をそなえている。