手もとにない本(4)
古い「美術手帖」でイギリスの彫刻の特集を扱っていた号があった。
たしかムアの塑像だったと思う。高さ1メートルほどの2本のポールの間に太いロープが渡してある。そこへ3、4人の人物像が腰かけていた。
題は「簡易宿泊所」と名付けられていた。
ドーミエの版画でも同じ題材のものがあったはずだ。
印象は、というと残酷そのものである。
もちろん横にはなれない。姿勢が不安定なので仮眠をとることもできない。「オマエタチニハ、コレグライデ、ジュウブンダ...」ということなのか。
これとそっくり同じものがJRの駅のホームにある。ただ、ロープの部分がパイプに変わっただけだ。
国鉄の時代、大阪の環状線のホームには作り付けの長い木製ベンチがあった。それがある時すべて取り払われて、簡易宿泊所まがいのこんなベンチもどきが置かれるようになった。
「駅空間の有効利用」などと称してこんなバカなことを推めた人間には「恥ずかしい」という観念がスッポリと抜け落ちているのだろう。
歩道橋のモデルは駅の跨線橋であるといわれている。が、跨線橋には墜落防止のための囲いがある。どちらかといえば、安全重視という考えが先行した設備だ。
実はすでに戦前に今の歩道橋そっくりの施設が存在していた。その用途も同じく道路上の通行である。
それはナチスの強制収容所にあった。収容所は広大な敷地を占有する。そのため軍用道路の付設によって分断されることがある。そして分断された - 当然鉄条網で囲われている - 敷地をつなぐために考案されたのが歩道橋というわけだ。
今と違うのは、橋上に歩哨が立ち、囲いがあるというところだけだ - この場合の囲いは逃亡防止のためだが。
こんなおぞましいものを出自を隠して「平和用」として売り込んだ奴は、相当の悪党にちがいない。
大手の建設会社では、新卒者にはまず学校の設計をまかせる、ということを聞いたことがある。
理由は規格がそれほど複雑ではないことと、教育委員会側の要望も設計上あまり広範にはわたらないこと、にある。
結果は凄まじいものとなる。陽光の採り入れはでたらめ、4階ぐらいなのにコンクリートと鉄骨を大量につぎこむ、寒冷地でもサッシは一重、しかも規格外、あれこれで建設費は高水準、エトセトラ〜〜
当然ながらその施設にはデタラメがまかりとおる。その一つにイス=ベンチがある。
驚くことに学校には - パイプイスをのぞいては - イスやベンチがない。
教室にあるアレですか?折れ曲がったパイプに板切れを三つほど取り付けたもの。あれは矯正具の一種でしょう。
休み時間になると、教室の外ではこどもたちはしゃがみこむしかない。べつにこどもの数だけベンチがいるわけでもないのに。
どこかに知恵のまわる奴がいて、あの「簡易宿泊所」を売り込むかもしれないので、いっておくと、
教室には、たとえば教会にあるような2、3人掛けの木製の長イス - これが本来のベンチだろう - を設置し、
運動場は、いらない遊具類などは取り除いて、そこに「ふつ〜の」ベンチを置く
ようにでもすればよい(机については、一人ひとり別でもかまわないだろう)。
これだけのことで、こどもは教室と外とを「自由」に行き来することができるようになる。
この国にはパブリック・アーキテクチュアは - 今のところは - 存在しない。そんな学問もない。そして、その逆は有り余るほどある。
(追記)
所用で久しぶりに JR に乗った。あの簡易宿泊所もどきは取り払われて、3人掛けのベンチに変わっていた。乗客の側にも、やはり抵抗があったようだ。