「ヨオロッパの大学を行く」
この本にはいくつかのテーマがあるが、そのなかの一つに
裁判はなにも裁判所という建物を必要としない
というのがある。
ぼくの住んでいる町でもいつのまにか裁判所が一つ消えた。登記所 - 法務局の出張所 - は場所を変えて残ってるらしいが。
あんな小さな建物、いかほどの経費がかかるんだろうネ。とはいっても、べつになつかしがってるわけではない。
カウンターの向こう側には事務官がいて彼らがまるで主人公のような、そんなふんいきだからである。
べつに裁判なんてどこでやってもいいじゃないの。
事務手続きが必要ならビルの一室でも借りればよいし、裁判もどこかのホールをそのときそのときで提供してもらえばいい。
裁判官だって自宅や官舎から電車ででも行けばいいし。経費なんてかからない。
いま検討されている陪審制も、このようななかでこそその本来の機能が発揮されると考えられる。
刑事裁判であっても原則としては問題はない。被告には権利が尊重される。それに逃げる奴はどこからでも逃げるし。
こんなことは法律を変えることなく明日からでも実施できる - できないとしたらそれは政治的な理由からでしかない。
いくら裁判所が荘重でリッパであろうが、建物が裁判をするわけではない。
(著者 羽仁五郎 発行 三省堂 1970年刊)