「ヨオロッパの大学を行く」


この本にはいくつかのテーマがあるが、そのなかの一つに

裁判はなにも裁判所という建物を必要としない

というのがある。

ぼくの住んでいる町でもいつのまにか裁判所が一つ消えた。登記所 - 法務局の出張所 - は場所を変えて残ってるらしいが。

あんな小さな建物、いかほどの経費がかかるんだろうネ。とはいっても、べつになつかしがってるわけではない。

カウンターの向こう側には事務官がいて彼らがまるで主人公のような、そんなふんいきだからである。

べつに裁判なんてどこでやってもいいじゃないの。

事務手続きが必要ならビルの一室でも借りればよいし、裁判もどこかのホールをそのときそのときで提供してもらえばいい。

裁判官だって自宅や官舎から電車ででも行けばいいし。経費なんてかからない。

いま検討されている陪審制も、このようななかでこそその本来の機能が発揮されると考えられる。

刑事裁判であっても原則としては問題はない。被告には権利が尊重される。それに逃げる奴はどこからでも逃げるし。

こんなことは法律を変えることなく明日からでも実施できる - できないとしたらそれは政治的な理由からでしかない。

いくら裁判所が荘重でリッパであろうが、建物が裁判をするわけではない。

(著者 羽仁五郎 発行 三省堂 1970年刊)


2003年 10-11月

読書日誌