手もとにない本(2)


黒岩重吾の短篇に自分の意思とは違って男性同士の倒錯した世界に迷いこんだ少年の話がある。

初めの衝撃の記憶も薄れ、それでもこの世界になじみはじめたころ、彼はある少女に恋愛感情をいだいた。

少年は本来の自分を取り戻すべく努力し、ようやく彼女に接触する機会を見出した。

そのとき少年に初めて男性同士のテクニックを教え込んだ男があらわれ、過去のことを話すかに思われた。

少年はナイフを手に男を刺し殺した。

これだけの短い話だが、背景に貧困、学歴のなさ、それゆえの意思の弱さがからみあって、印象にのこっている。

そういう彼でなければ書けなかったであろうものに「さらば星座」がある。

この長編は前半と後半とは別のものと考えたほうがよい。後半はストーリーテラーとしての黒岩の作品である。

ここでとりあげるのは前半の部分である。 戦災孤児が浮浪児童、略して浮浪児とよばれた頃の話である。

友情という感情はもちあわせていなくても「仲間」という意識が強烈にはたらき、仲間以外はすべて敵という世界のなかでこども達は生き抜いてゆく。

天王寺公園、天王寺駅の陸橋の上、旭町、阿倍野斎場 - これらがこども達の生活の場だが、小説のなかでこうした風景を - 人物をおろそかにせずに - 描いているのは黒岩の視点がどこにあったのかを逆に照らしだしている、と考えられる。

これらの出来事はほんの半世紀前のことなのだ。


2003年 10-11月

読書日誌