手もとにない本(1)
岩波書店の編集者であった小林勇の書いた本に「一本の道」がある。
そのなかで、彼が一人だけ絶対に許さない人物が登場する。
藤川覚である。
藤川は戦争中に警察に検挙され、拷問をうけて小林の名を自白した。 そのため小林も投獄させられたのである。
本によると敗戦後、藤川はそのことを告白して小林に許しを乞う。だが 「ぼくは絶対彼を許さない」(そのような内容だった)と小林は書いていた。
この本には一つ印象的な場面がある。小林が捕まったときいて、病床にあった幸田露伴が警察宛に「懇願書」を提出した。
取調室でそれを聞かせた特高はそのあと「この書面をもらえないか」と頼み込んだのだ。彼はそれを露伴の直筆だと思い私蔵するつもりだったのだろう。
この二人の登場人物に対する小林の態度の底には「軽蔑」がある。
小林勇はまちがっている。
なぜなら、その軽蔑が一方では人格そのものに向けられ、他方では機構の末端につらなる一つの歯車に向けられているからだ。 そして、地平の異なるものに - 倫理的には - 同等の判断を下すことはできない。
(参考に)
藤川覚とは彼自身のことばを借りれば「ひとりの出版技師であり、出版技術者である」。
戦後「フォイエルバッハ論」を訳し、出隆に校閲を頼んだのが機縁となり、出はマルクス主義者としての一歩を踏み出しはじめる。
最後に彼の文章からエピソードをひとつ、
-- 山田盛太郎の「分析」に関して --
「工場工業の発展」の原稿を読んで、その精緻きわまる透徹した分析と力強い迫力とさらにその綱領的性格とにわたくしは驚嘆した。そしてどんなことがあってもこれは無事に世にだしたいとおもい、そのために人知れぬ努力をした。
検閲をパスするために、この論文の印刷発表されたものは原稿のおもかげをとどめないくらいに訂正されてしまっている。生きた言葉は死んだ言葉に、明確な規定はあいまいもこたる規定に代えられたのである。
世間の人は「分析」の晦渋さを無造作にひなんしたり、あるいは逆に模倣したりしていた。だがじつはそれは発禁をさけるための表現の代置のせいであったのである。
山田教授の手もとにはいま原形が保存されてあるはずである。教授にはそれを梓にのぼらせる意志はないのであろうか。
藤川覚「出版文化の諸問題」