更級日記と長谷寺
長谷寺巡検
参考資料:更級日記(講談社学術文庫)
 長谷寺にお参りする事を『初瀬詣』『長谷詣』といいます。「長谷寺」は「初瀬寺」とも書きます。
 長谷寺の信仰は古く、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が記した更級日記(さらしなにっき)でも、初瀬詣の下りがみられます。
 今回は、紫陽花の綺麗な時期でもあるので、花の長谷寺と称される長谷寺へ巡検に行きました。
 更級日記の作者、菅原孝標女も度々、長谷寺に訪れています。せっかくなので、その部分を原文で載せてみました。
 現代語訳は…。各自でされてみるのも、良いかもしれませんね。長谷寺に訪れてみると…。なんとなく、ですが、当時の作者の心境が分からなくも無いです。


更級日記
四二
 清水ごもりかうて、つれづれと眺むるに、などか物詣もせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬には、あなおそろし。奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬はさる山、ゐていでむ、いとおそろしや。親のぼりて、ともかくも」と、さし放ちたる人のやうに、わづらはしがりて、わづかに清水にゐてこもりたり。それにも、例のくせは、まことしかぺいことも思ひ申されず。彼岸のほどにて、いみしうさわがしう、おそろしきまでおぼえて、うちまどろみいりたるに、御帳のかたの犬ふせぎのうちに、青き織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぽしきがより来て、「ゆくさきのあはれならむも知らず、さもよしなしごとをのみ」とうちむづかりて、御帳のうちにいりぬと見ても、うちおどろきても、「かくなむ見えつる」とも語らず、心にも思ひとどめで、まかでぬ。

四三
 初瀬の夢母、一尺の鏡を鋳させて、えゐてまゐらぬ代りにとて、僧をいだしたてて、初瀬に詣でさすめり。「三日さぷらひて、この人のあぺからむさま、夢に見せ給へ」などいひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす。この僧帰りて、『夢をだに見でまかでなむが本意なきこと、いかが帰りても申すぺき』といみじうぬかづき行ひて寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞき給へるが奉りし鏡をひきさげて、『この鏡には、文やそひたりし』と問ひ給へば、かしこまりて、『文もさぷらはざりき。この鏡をなむ奉れと侍りし』と答へ奉れば、『あやしかりけることかな。文そふぺきものを』とて、『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見れば、あはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣き給ふを見れぱ、ふしまろび泣きなげきたる影うつれり。『この影を見れば、いみじう悲しな。これ見よ』とて、いま片つ方にうつれる影を見せ給へば、御簾ども青やかに、几帳おしいでたるしたより、いろいろの衣こぽれいで、梅桜さきたるに、鴬木づたひ鳴きたるを見せて、『これを見るは嬉しな』と、宣ふとなむ見えし」と語るなり。「いかに見えけるぞ」とだに、耳もとどめず。