長谷寺の伽藍
参考資料:長谷寺のパンフレット、探訪・日本の古寺
長谷寺巡検
伽藍
 入口の仁王門から本堂までは400段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)を上る。本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、五重塔などが建つ。国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百餘社、鐘楼、繋廊が重要文化財に指定されている。


本堂(国宝)
 本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造(かけづくり、舞台造とも)になっている。本堂は奈良時代から室町時代の天文5年(1536年)まで7回焼失している。7回目の焼失後、豊臣秀長の援助で天正16年(1588年)に新しい堂が完成した。その後、堂の雨漏りや傷みが激しいため、修理ではなく新築することとなり、徳川家光の寄進を得て、5年がかりの工事の後、慶安3年(1650年)に新築落慶したのが現・本堂である。高さ10m以上ある本尊・十一面観音像は、天文5年の本堂焼失の2年後に完成しており、慶安3年の新本堂建設工事は本尊を原位置から移動せずに行われた。そのため、本堂は内陣の中のさらに内々陣(本尊を安置)がある複雑な構成となっており、内々陣は巨大な厨子の役目をしている。

 近世前半の大規模本堂の代表作として、2004年12月、国宝に指定された。