現代の関市における刃物産業
刃物班
はじめに
 現在の岐阜県関市の刃物産業の原点は格式高い歴史と伝統を持つ関鍛冶である。関鍛冶は、鎌倉時代に刀匠「元重」が関に移り住んだところから始まる。関の孫六、兼元、兼定らをはじめ、最盛期には300名を越す刀匠を有する一大産地として栄えた。
 関鍛冶が造る刀は「関刀」と呼ばれ、「折れず」「曲がらず」「よく切れる」という優れた実用性と意匠を凝らした芸術性を兼ね備えており、多くの武将に愛されてきた。
 しかし、江戸期に入って刀の需要が低下してきた。これをきっかけに多くの刀匠が包丁、小刀、はさみ等の刃物鍛冶に転向し、次第に家庭用刃物の産地へと変わっていった。そして明治期に始まったポケットナイフの製造をきっかけに近代刃物の産地へと発展していった。生産品も、台所・食卓用刃物、ポケットナイフ、はさみ、包丁、カミソリ、ツメキリ等の多品種にわたっている。さらにその出荷額の約30%を輸出する世界的な刃物産地となっている。

     
                  製品別輸出額の推移
               (「平成17年度版 関市の工業」岐阜県関市(2006年)より作成)

 これは1992年〜2004年までの製品別輸出額の推移をグラフにしたものである。個別の製品では、ほぼ横ばいに推移していたり、微増しているものが見られるが、全体的な傾向としては減少を示している。しかし、近年は減少額が鈍ってきている。
 また、高付加価値の高い製品については、堅調に推移している。輸出額の減少は、比較的単価の安い製品の輸出が落ち込んできているのが原因であると考えられる。しかし、これは日本より安価に製品を製造できるアジア地域が強みを持っている分野になるので、関ブランドとしてみると、必ずしも世界的な競争に遅れをとっていることを示すグラフではない。