地名の由来
宇治は源氏物語・宇治十帖の舞台で、藤原頼通が建立し、世界遺産にも指定されている平等院で有名である。また、宇治は茶所として全国にその名が知れ渡っている。
「うじ」という地名の名は、喜撰法師(きせんほうし)の「我が庵は 都のたつみ
鹿ぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」という句に登場する。
「うじ」と聞くと、「うじうじしたところ」、関西では湿っぽいところの意味を連想させる。人の場合に例えると、いつまでも執念深いやつ、優柔不断な者を意味する。いずれにせよ、単語から連想する悪いイメージから、偏屈な人物、斜に構えた人物などが隠れ棲む所だと思っている人がいるかもしれない。
しかし、「宇治」とはそういう「うじうじ」した所に語源があるわけではない。岩波文庫に天保時代にまとめられた「百人一首一夕話」の中の喜撰法師の項で、歌の解釈や味わい方とともに宇治という地名の由来が記されている。
それによると、「山城国宇治郡の事は応神天皇第四の御子を大鷦鷯皇子(おおさぎのおうじ)と申し奉り、また末の御子を菟道若郎子(うじのわかいらつこ)と申せしが、この御子桐原の日桁宮(ひけたのみや)を造り大宮となして住ませ給へり。この御座所(ござしょ)をもとは許の国(きのくに)といひしを、ここに住ませ給ふ菟道若郎子(うじのわかいらつこ)の御名によりて後に宇治郷と名づけたる由、風土記に見えたり」となっている。
応神天皇の四番目の皇子である菟道若郎子(うじのわかいらつこ)がここに宮殿をつくって住まわれたことによるという、この由来話が、これまで「宇治」という地名についての公式見解とされてきた。実際、「うじ」は「菟道」という字が当てられていることもあった。だが、地名研究が進むにしたがい、これは違うということになってきている。「菟道」だけではなく、「鵜路」「宇遅」「宇知」などいろいろな字が当てられてきた。
では、「うじ」とは何を意味するのであろうか。「宇治市史」は、「うじ」とは「うち」を意味すると書いてある。「うじ」の北も、東も、南も山に囲まれ、西はというと、巨椋池にふさがれ、これらの内にあるから、まさに「うち」で、これをいつしか「うじ」と呼ぶようになったとしている。前田富祺「日本語源大辞典」は、菟道若郎子が宮殿を建てて住むより前から「うじ」という地名はあったから、菟道若郎子に由来するものではなく、「内」だから「うじ」になったと、この説をとっている。
この説に対し、あの南方熊楠は「兎に関する民俗と伝説」のなかで、文字どおりに解釈すべきだとし、「兎が群れて通ったことから起こった」ケモノ道ならぬ「ウサギ道(菟道)」に由来しているのではないか、としている。
吉田金彦氏は「京都の地名を歩く」の中で、「うじ」の「じ」について昔から「道」「路」が当てられていることから考えて、やはり「道」「路」に由来があると見たほうがいいのではないかとされ、「ウ(諾、宣)なる道、すなわち一番いい道、ここより外に適当な所がなく、ここが最上に都合の良い道、というぐらいの意味で、ウナミチ(諾道)というのが語源であろう」と記されている。
7世紀頃、日本人は「良い、都合がつくと思う時にウベナリ(諾)と言い、承諾する時の応答語にウとかムとか発音した」ことも記され、肯定して「ウナヅク」の「ウ」も、首筋の「ウナジ」の「ウ」もそうで、さらに宇治の南に古代につくられたミゾ(溝)のことを「ウナデ」と呼んでいることを記され、それは田んぼの溝の土を高く盛ったところを「ウネ(畝)」ということからきており、宇治の道はまさにそのウネのようなものであるとされている。同じく道に関係している地名に宇治田原や宇治山田がある。
余談ながら、我々が返答するとき「うん」というのは、「うべなり」「うなづく」からきているのだが、よく親から「ウンではなく、ハイと言いなさい」と叱られたことがある。しかし、古代日本語では「ウン」が正しいのである。「ハイ」は漢字が入ってきてからで、これは「拝啓」「拝読」などの「ハイ」からきているのである。
もう一つ「う」から始まる地名に、京都の右京区の「うたの、うだの(宇多野)」というところがある。ここも「ウベなる田」つまり良い田、すばらしい野という意味であるというのが吉田先生の説である。
これに対し、奈良県の「(うだ)宇陀」は「湿地帯」を意味する地形語からきている。さらに、アダ(穴田、穴太)、ウダ(宇陀、)、ムダ(六田)は同義語で、湿地を意味するアクツ、アクト、アドから転化したもので、河川流域の湿地を意味するとされている。同じ「うた(うだ)」でも正反対の意味がある。
参考文献:日本地名辞典、宇治市のWebページ