@子島寺
 壷阪寺と双璧といわれる古刹.752年報恩大徳の創設で21坊の伽藍を誇った時代もあった。
山門は高取城の二の門を移築したもので,現存する高取城の唯一の建造物。
  「紺綾地金銀泥絵両会曼茶羅図」は,別格子島曼茶羅とも呼ばれ日本三大曼茶羅の一つで
平安前期の作で国宝(実物は奈良国立博物館蔵)。現在,堂内には左右天井に届くほどの
レリーフを見ることができる。

A石川医院
 高取藩の下屋敷門が移築された重厚な門構えの医院。石畳の町筋と共に城下町の雰囲気を醸し出している。現在も居宅医院として利用されている。

B田塩邸
 
現存する貴重な武家屋敷。与力窓(格子が横向き)を二つ付けた長屋門を有する。又,両袖に物見所,馬やを持つ武家門でもあり、塀に付けられた「監視窓」は表口を警戒する構えでもあり他に類を見ない。(現在も住居として利用されている)

C植村家長屋門
 
旧大手門の通りに面しており、高取藩の筆頭家老の屋敷。県重要文化財に指定されており、なまこ壁が城下町の雰囲気を漂わせる。(現在も住居として利用されている

D阿波野青畝生家
 
高浜虚子の門下の一人で、「西の横綱」とも言われた郷土出身の俳人。町内には5つの句碑があり、自然と人間の営みが、細やかな情景として感じさせられる。「現在も住居として利用されている」

E上子島砂防公
 自然環境にも恵まれ、木製の吊橋や展望広場。アスレチックなども備え付けられた憩いの公園。高取山えのハイキングコースにあることや、四季折々の花を愛でることができます。とりわけ春の芝桜はきれいです。

F宗泉寺
 高取藩主、植村家の菩提寺、高取山のハイキングコース道の出発点に位置する。植村家政の邸宅後に1698年創建。今も天台宗延暦寺の末寺として信仰を集めている。
 

G高取城跡
 
南北朝時代、豪族の越知氏がかきあげ城として築くが、郡山城に入府した豊臣秀長の命により、1585年本多氏により大修築が始まる。本多氏以降,,譜代大名の植村氏の居城となり,幕末までつづく。平地からの高低さ390mは,難攻不落という視点から日本市の山城。二の門より内が城内、釘抜門より内を郭内と区分するが、城内は周囲が3km、郭内は30kmの規模を誇り、標高583.9mの高取山全体が山城といっても過言ではない。又、大和盆地から眺める高取城はなんと壮大で美しいあったかと、歌にして城内の句碑に刻まれている。『巽高取 雪かとみれば 雪でござらぬ 土佐の城』

H五百羅漢
 
『親に会いたくば、五百羅漢へ:』といわれるほど、岩肌に無数の仏様が彫られている。付近には両界曼荼羅、十一面尊、五社明神などもあり、これらをあわせて香高山石仏とも言う。

I壷阪寺
 西国六番札所、正式名を、京都清水寺の北法華寺に対して南法華寺という。創建は703年、弁基上人の開基と伝えられる。全国的には、豊沢団平、千賀女の作による『壷坂観音霊験記』で名をはせたお里沢市物語の舞台として有名。前住職からのハンセン病患者救済事業を通じてインド政府と交流があり、切り出されたデカン高原の石を使った大観音立像。釈迦一代記レリーフなどがあり、ボタン、つつじの名所でしられている。

J信楽寺
 
豊沢団平、千賀女の作による『壷坂観音霊験記』で名をはせたお里沢市物語は、その昔土佐に住んでいた男女をモデルにしたものと伝えられているが、この寺にはお里と沢市の墓所がつたえられている。

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