エピローグ その1
日の光に吸い込まれるように、粉になった三角草達は昇天していった。青い青い大空へと向かって。
地上に雪を降らせ天に昇ったかつての雪消のごとく、彼らも地上に何かを残して去って行った。
彼らは空に何を求めて飛んでいったのだろう。
ただ 自分たちの居所ではないところから去っていっただけなのだろうか。
それは夢か現(うつつ)か幻か。日の光の向こうから、高い笑い声がしたという。
そこには季節などあるのだろうか、一面の花畑であり、その真ん中に、二人の男と女が座っていた。
突然、その中から空へ昇っていったかと思われた三角草の粉が吹き上がってきた。男と女は驚いた様子もなく、ただ周りに散らばっていく三角草の粉を見ていた。
すると、三角草達は目的地へ到着したかのように、粉からあっという間にもとの草に戻り、花畑の中へ加わった。
「この者達も、目的を成し終えてきたのですね」
女の優しい声がした。
「飛影さんの腕を治してきたのですね」
もうひとつ女の声がすると、うなずくかのように三角草達は葉を鳴らした。
「……これで、地上では、私達の物語は終わり消えてしまったようですね」
今度は若い男の声がした。
「ええ……。長かったですね……」
女の声に呼応するかのように、花畑は少しの間風に包まれた。
「私は最初死んだことをものすごく後悔しました」
男は自分に言い聞かせるかのようにつぶやいた。女は男の顔を見上げた。
「雪消様と逢えなくて、来てくれないのなら、もう逢えないのなら死んでしまった方がいいと思いました」
「ええ…そして、貴方はあの黒煙に捕まってしまったのですね。…ごめんなさい…私が先に死んでしまったから…」
「いえ、それだけではありません」
女はふっと男の目を見つめた。
「勝手に死んでしまったことを後悔したのです」
若い男は笑うのをいつの間にかやめていた。
「勝手に死なないで、それを乗り越えて、続きを生きていればよかったと思いました。辛くても。
雪消様の消息も知れず、勝手に死んでは未練が残るばかりだからです。生きていても,それは永久に分からなかったかも知れません。けれど、生きていたら……。生きていれば、私は、あの頃へ帰れたかも知れませんから…。勝手に死んではいけない…と思いました」
男は、かつて自分にそう言ってくれたある若者の顔を思い出した。その若者は、どんなに苦しいことや辛いことがあったのか、彼には詳しくはわからなかった。けれど、なんとなく彼は尊敬していた。どんなにか辛いことがあったのかこそ知れないが、それでもその若者は、今でさえ生きていたからだった。
すると、今度は女がうつむいてつぶやいた。
「私は…。すぐに死んでしまったので、もう帰れないと思いました……。」
男は女の顔を見ようとしたが、彼女の長い前髪がそれを邪魔した。彼女がうつむくので、彼女の髪は花畑の中に沈んだ。
「望んだ死ではありませんでした。けれど、私は死ななければなりませんでした。…そういう運命だったので…。
でも、せめて……残されたのがほんのわずかな時間だったとしても……帰りたかった。貴方の所へ……」
女は指先で前髪を分けて、男の顔を見上げた。
「だから雪を降らせてくれたのですね」
「私が居た証拠を残したかったのです…。ごめんなさい、未練がましいですね」
女は無理して笑った。彼女はなんとなく辛そうだった。
「いえ」
女は瞬きをし、男は優しく微笑んだ。
「死ぬ時は誰でも未練があるものです…。それが突然の死であろうと、望んだ死であろうと、死ぬ前に何かを思いだし、そしてそのまま誰もが散っていくのです」
男は何もない花畑の空を見上げた。
「後悔しないで死ぬ人はいません。たとえ『後悔していない』と口で言っていても、でも『やっぱり死ぬのは嫌だなあ』と意識していなくても少しは思うはずです……。私もそうでしたから……。でも、死んでしまうのが人間なのです。死ぬしかないからです」
やり遂げて、やり遂げて、そしてちょうど良いときに死んでしまっても、生きたいと思う…。何故こんなにも、生きることに執着があるのか。人間はなんて自我が強く、欲張りな生き物なのだろう。
「誰でも、人間というのは死ぬとき後悔するものなのですか?」
「大抵すると思います」
「では、もし、死ぬことに本当に後悔しない人間がいたら?」
女は、男を試すかのように尋ねた。
「…それは…。寂しい人ですね」
男は少し笑って答えた。
「『死んでよかった』なんて思う人…。いるとも思います。それはその人が寂しい人だったのか、時代が寂しい時代だったのか、どちらにしろ、私はそんな死に方はしたくありませんね」
「後悔していますか?」
女は、また試すように言った。
「ええ。雪消様は?」
「もちろん後悔だらけですよ」
すると、二人は顔を見合わせて笑いだした。
その笑いが一通り終わると、また女が尋ねた。
「では、何かを犠牲にしても、何もかもを代償にしても、生きなければならないこともあると思いますか?」
「あるかも知れません」
「どんな時ですか?」
「そうですね……それはわかりません。けれど……」
男は優しく笑った。
「飛影さんには生きて欲しいですね」
女は予想どおりの回答だと思いつつまた尋ねた。
「そうですか。
あの方が何もかもを犠牲にして、ものすごく辛くて苦しい目に遭って、それこそ『死んだ方がいい』と思われたとしてもですか?」
「雪消様は何が言いたいのですか?」
女は優しく笑うだけであった。男はふうと言って、また話し始めた。
「そうですね…。そのときは、あの方に任せます」
「あら、生きてもらわなくていいのですか?」
「あの方が『帰りたい』と思わないのなら、それもひとつの手段だと思います」
「本気で思っていますか?」
男は女を見つめ返した。
「さっきから何なんですか貴方は?私に何を言わせたいのですか!?」
すると、女は高い声を上げて笑い出した。
「いいえ 何も」
「貴方は飛影さんに生きて欲しいと思わないのですか?」
「あら、今度は貴方が私を試すのですか?」
男は困ったように頭をかいた。女は真剣な顔で、それでいて笑って答えた。
「もちろんです」
すると、男は急に笑うのをやめて、すっと手を伸ばし女を抱きしめた。
女は少し驚いたが、男の優しい目を見て優しく笑った。
「私達は……。『帰れ』て、よかったですね……雪消様…」
三角草達が、天界の花畑で音こそないが揺れに揺れた。
「…………」
女は何も言わず、暖かい春の風の中で、幸せそうに目を閉じた。
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